X-10
(エクス・テン)

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                                               −prologue−

始まりはひどく平凡な午後だった。
「八尋(やひろ)、仕事だ。ちょっと来い」
俺を呼びつけたのは自称「敏腕編集長」。
「へ? 海外取材?」
デスクの前に立たされた俺の第一声がコレだった。
「そうだ。ゴージャスだろ?」
「ゴージャス……っていうか」
確かに海外だが、俺の脳内には地図上の位置さえまともには浮かんでこないような印象の薄い小都市。そして、目的地はさらにそこからバスを乗り継いで行く辺境の地らしい。名前を聞いたことさえない街だった。
そんなわけで、ゴージャスなイメージなど浮かぶはずもなく。
「ゴシップ記事書くのにわざわざ海外ですか?」
おそらくは『表向きの仕事』じゃないんだろうと思ったのは一瞬で、すぐに編集長の口元にイヤらしい笑みが。
「お姉さま方のアイドルになること間違いなしの逸材だ。せっかく修行させたんだから、まともなカメラテクを披露してくれよ」

そう。
この会社の『表向き』を説明するなら、しがない三流ゴシップ誌の編集部。
いや、正確に言うなら、「三流ゴシップ雑誌に超三流ゴシップ記事を売る会社」の狭苦しいオフィスだ。
出版社の一部署などというまともな職場ではなく、編集長と言う名前の社長が自称「金持ちの道楽」としてやっている小ぢんまりした会社で、「社員の個性がウリ」らしい。
もちろん、その個性的な社員の中に俺は含まれない。なぜなら単なるアルバイトだからだ。
けれど、そこに含まれないのは非常に良いことなのだと心の底から思う。

「売り先はちょっとグレードの高い女性誌だからな。世間が喜びそうなコメントつきで、バッチリ美形に撮ってこい」
目の前の男のいかにも業界っぽい若作りを見ながら、気付かれないようにため息をついた。
「芸能人なんですか? まだ売れてない俳優とか、駆け出しのアイドルとか?」
だったら、そんなへんぴな所で何を……と思う間もなく、オヤジからキッパリとした否定と、これまた意味ありげな笑みが。
「いや。そんな軽薄な職業じゃない。肩書きは『若き天才科学者』だ」
「……なんですか、それは」
あまりにも胡散臭い。
何かの研究者なんだろうけど、その肩書きのネーミングセンスはいただけない。
だが、そう思うのはどうやら俺一人のようで。
「いっやぁ〜ん、ステキ。それ、アタシが立候補ぉ〜」
予想通り、事務所で唯一のオネエサマがグロスを塗りながら手を上げて立ち上がった。
「優花(ゆうか)さん、チャチャ入れないでください」
優花こと田中清子。結構いい年だと思うが、若作りに年季が入っているため、実年齢は不詳。
「だって、楽しそうなんだもん」

彼女を入れて社員は六人。いや、そのうち一人は数日前から消息不明なので今は五人。
そしてこの五名の中に「アルバイト」である俺と「何人かわからないが確かに所属している」という幽霊社員は含まれない。
っていうか、全部集めたらいったい何人いるんだろう。

「はぁい、編集長、質問がありまぁ〜す。『若き天才科学者』なんてオイシイ物件なのに、一番ヘボいヤツを取材に行かせる理由がわかりませ〜ん」
そして、毎日ここに出社するヤツほど変人度合いが高い。それは俺の気のせいではないだろう。
「今回のネタはガセかもしれないからな。おまえらに行かせるのは申し訳ない。で、八尋になっただけだ」
どうせ「アルバイト」という名のパシリなので、どうでもいい物件はもれなく俺が行かされる。
今回も然り。
ついでに。
「航空会社勤務の友人から激安チケットもらったはいいが暇も使い道もないし、ちょうどいいからダメモトでな」
経費にはシビアな会社なのにゴシップくらいで海外まで行かせる理由は、こんな恐ろしくくだらない理由だった。
「八尋、英語は話せたな?」
「……あんまり」
「そうか、よかった。じゃあ任せたぞ」
あんまり、という言葉が否定だということは承知の上でこの返事。
しかも、周りからは激しくブーイングが。
「八尋ちゃんに海外はヤバイだろ。また子供に騙されて財布巻き上げられて簀巻きにされて、売り飛ばされるし」
なぜか全員が知ってる俺の過去。
そのせいで相当トロいヤツだと思われているが、まあ、それは自分でも仕方ないと思う。
「……財布取られただけです。っていうか、そんな大昔の話しないでください」

大昔と言っても、そんな何年も前じゃない。
学生の頃、一人でふらふら出かけたアジア某国の片田舎で、母親が死にそうだと泣いている子供に騙されたのだ。そして、小屋に連れ込まれて有り金全部巻き上げられて、ピーピー泣きながら非舗装道路を歩いていたら、偶然通りかかった編集長が拾ってくれたのだった。

「俺のことばっか言いますけど、斉藤さんだってたいして変わんないし、キヨコさんだって―――」
「本名で呼ばないでって言ってんでしょ」
「はいはい、優花さん」
一応、世間的にはOLなのに源氏名があるってどうなんだろう。
いや、本人は源氏名のつもりじゃないのかもしれないが、それにしても親がつけてくれた名前を勝手に変えることはないだろう。
「なにが『はいはい』よ。一番下っ端のクセにナマイキね。アタシが拾われた時はアンタよりずっとマシよ」
ここから先はいつものやり取り。どんぐりの背比べで五十歩百歩。
「優花って、大企業のバカ息子相手に色仕掛け失敗して下着姿でつまみ出されたんだっけかー?」
「あれは失敗じゃないの。『お付きの者』ってのがいなければ、あとちょっとだったんだから」
成金社長のバカ息子とホテルにしけこんで、これからという時に追っかけてきた黒服につまみ出され、裏路地でホテルのバスタオルに包まってるところを編集長に拾われたらしい。
ってか、編集長はなんでいつもそんな妙な場所を歩いてるんだ。
「ま、優花は飛びっきりの相手見つけて玉の輿に乗って俺にたくさん恩返ししてくれ。以上」
「なーによ、その口調。編集長、アタシが大企業の社長夫人になるってーの、ぜんぜん信用してないデショ?」
「いーや。ものすごーく信用してるから、全力で頑張れよ」
「はぁ〜い。愛してるわ、編集長」
一部には編集長の愛人と言う噂もあるが、それについては誰も本気にしていないと思われる。
そんな感じで。
ここにいるメンツ全員が相当ロクでもない理由でこの胡散臭いオヤジに拾われて安い賃金で雇用されている。
でも、まあ、このご時世だ。無利子で金を借りて、その上給料がもらえるならまずまずの好待遇というべきかもしれない。

「それで加地(かじ)は? また行方不明か?」
「そうみたいでぇ〜す。きっとまた原因不明の熱に侵されたヒトの取材とかぁ、生物兵器を製造してるとかいうヒトの取材とかに勝手に行ってるんだと思いまぁ〜す」
加地さんはもう結構いい年で、編集長などよりはずっと年上のはずなのだが、影のうす〜い怪しげな人だ。挙動不審な上に不健康なものに惹かれるクセがあって、いつもこっそりそういう取材に出かけてしまう。怒られるのが分かっているから、戻ってくるとビクビクしているらしいが、社歴が短い俺はあんまり顔を合わせたことがない。
「あー、やだやだ。なんだろうねえ、アイツの趣味の悪さは」
整形しているという話もあったような気がするが、どっちかって言わなくても平凡な顔で決して色男などではなかったような……実はもう顔さえあんまり覚えていないのだが。でも、まあ、一発でオタクと分かる風貌だったと思う。
「同じオタクでもまだ猫耳メイド服の方が理解できるよな、八尋」
で、こいつがソレ系のオタク殿。
「……俺はどっちも理解できないですけど」
友達に持つならどっちがマシかとかいう選択を迫られるなら、猫耳メイド好きな男の方がまだマシかもしれないけど、選択する必要がなければ当然両方拒否だろう。
それ以前にそんなヤツしか働いていない会社にいること自体が間違いだという気もするが、借りた金を返し終えるまでは贅沢が言える身でもない。
「ってゆーか、アンタまだ借金返済できてないの?」
「100万からの金、そんなに簡単に返せるわけないって」
見知らぬ土地で途方に暮れていた時に差し出された編集長の手は、それこそ天使に見えたんだけど。
とりあえずメシを食わせてもらって、一緒に泊めてもらって。
帰りの旅費も貸してやるからと言われ、なぜか客船に乗せられて。
その後一ヶ月間、道楽旅行に付き合わされた挙句、かかった費用はしっかり請求されたのだ。
「当たり前だろ。八尋の旅行費なんだから。それでも安い方だぞ」
船という時点で「高い」と思わなかった俺がバカだとみんなに言われたんだが、タイタニックのような豪華客船ではなかったから、もしかしたら飛行機より安いのかもしれないと思ってしまったのだ。
だって、物を運ぶだけなら航空便より船便の方が安いだろ?
「世間知らずなのは仕方ないけど、こーんな胡散臭い顔の男にのこのこついて行くってぇのが愚の骨頂だな」
「ホント、ホント〜。やーい、バーカ」
とか言いながら、こいつら全員その胡散臭い男についてきてるわけだが。
……まあ、突っ込むのはやめておこう。
とにかく。
「変なヤツばっか……」
そう。
活気があると言うよりは騒々しい。社会人の集まりがこんなことでいいんだろうかと思うわけだが。
「いいわよねぇ、誰かさんはありえないほど凡人で」
「まあ、気にするな、八尋。なんの才能もなくても多少バカでも、生きていくには困らないからな」
「……そりゃあ、どうも」
ギクシャクした職場よりは自分に合ってると思い込みながら、このバイトを続けていくしかないんだろう。
「あーあ……」
「なにため息ついてんのよ。生意気ね。十年早いわよ」
優花女史はれっきとした女性だけど。
声の質の問題なのか、ニューハーフの人々がオネエ言葉を話してるような趣があるのがいろんな面において敗因じゃないかと俺は思っている。
顔は間違いなく美人なんだけど。
……まあ、人間は顔じゃないしな。
「八尋、とにかく海外でバカはやるなよ。特に今回は会社の名前を背負って行くんだから、恥を晒さないように気をつけろ」
俺だってバカをしようと思ってやってるわけじゃないし、いつだって十分気をつけてるつもりだが、結果的にいろいろ起こってしまうのだから仕方ない。
というか、背負うほどの名前など、この会社のどこにあるのか。その辺りをじっくりと聞いてみたいものだ。
「編集長、それは無理デショ。バカなんて一日や二日で治るわけないんだしぃ〜。特にユキウエのは筋金入りだしぃ〜」
大きなお世話だ。
「っつーか、八尋がまともな大学出てるっての、ホントなのか?」
「……出るだけは出ましたけど」
だからどうとか言われても困る。入ったのもまぐれなら、卒業できたのもまぐれだと思っているのは何を隠そう俺自身なのだ。
だからと言って、
「ま、出りゃあいいってもんじゃないからな」
「うん、そだね」
納得されるのはちょっと腹立たしい。
「あれ、八尋って下の名前『ユキウエ』だっけ? 『ユキシタ』って言ってなかったか?」
「……それは俺んちのクモの名前です」
「やだぁ、ユキウエってクモ飼ってんのぉ?」
「飼ってるんじゃなくて、たまたま俺の実家に生息してるだけですよ。前に話しましたよね」
「そうだっけ?」
「そうです」
「でも、名前ついてんだよねえ。それって飼ってるってことでしょ?」
「母親が勝手につけたんです。……それも前に話しましたよね?」
「そっかぁ?」
俺の話など誰一人まともに聞いていないため、こうして何度も同じ話をしなければならない。そのたびに老人ホームでバイトしていた頃のことを思い出すのだが、それでは老人ホームの皆々様方に大変失礼だと思い、脳内で謝罪する。
第一、老人ホームなら、以前話したことを全員がキレイさっぱり忘れてしまうことなどありえない。
だが、まあそれは仕方ない。
編集長のいうところの『厳選した人員』なんて、所詮はその程度だというだけの話だ。
もちろん、『その程度』のメンツの中で俺が一番下っ端だということも自覚しているが。
「じゃ、取材相手の詳しい情報は今夜もらってきてやるからな。八尋は頑張って勉強しろよ。一夜漬けは得意だろ?」
「へ?」
「明日出発だ」
「えっ……」
そんな無茶な、と言い返す前に「頑張れよ」という無責任な言葉と共にさっくりと事務所から追い出された。

毎日思うけど。
「誰もまともな仕事をしてない日があるのに、どうして俺たちの給料が捻出できるんだろう。……編集長、なんかヤバイことしてんじゃないのか?」
それだけは非常に謎だった。



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