X-10

Sequel to the story

<9>




二人で出勤し、またしても研究所の入り口にいた秘書に阿坂を預けると、うきうきした気持ちで総務のドアを開けた。
「おはようご―――」
最後まで言い終わらないうちに。
「わー、なんかムカつくー」
そんな言葉が降ってきた。
「……ざいます。朝っぱらから何にムカついてんですか」
もちろん優花女史だ。
派遣の子も田辺さんもまだ来ていない。
ということは、やっぱりムカつきの原因は俺なのか?
「べっつにー」
このふて腐れた態度からしても間違いなさそうだが、どうせくだらない理由なので相手にしてはいけない。
「まあ、どうでもいいですけど。それよりも、まるで自分の職場みたいな顔で俺の席に座るのはやめてください」
「だってー、他の場所でお茶こぼしたら悪いしぃ」
「……俺の席でこぼすのもやめてください」
いつもならすぐ追い出しにかかるところだが、本日の俺はとても機嫌がよかった。
「ミーティングスペースを貸してあげますから、そこでおとなしくしててください。で、飲み終わったら自分の会社に戻ってください」
お茶の入ったカップを取り上げ、ミーティング用のデスクに置くと、優花女史はしぶしぶそこに腰かけた。
だが、どう見てもまだ何か言いたそうだった。
「ねー、ユキウエ」
どうせロクな話じゃない。だが、ここは適当に相手をし、サッサと退出してもらうに限る。
「なんですか?」
「ドクターの助手してた人って、金髪で青い目のナイスガイだったんでしょ?」
何故ここで助手の話なのか謎なんだが。
昨日までの俺ならともかく、もう助手との過去などどうってことはない。
何でも勝手に話せばいい、と大きく構えながら言葉を返した。
「ナイスかどうかは疑わしいですが」
俺に対してのみ、性格は最悪だったという印象だが、それももう過ぎた話だ。
こっちも大人だし、サラッと流してやろう。
……と思っていたのだが。
「ユキウエ、『ヘタ』って言われなかったのぉ? 金髪碧眼ってー、そっち系は上手そうよねぇ。サイズも違うしー」
まったく。コイツは。本当に―――
「その話はいいですから、さっさと飲んで帰ってください」
ちょっと不機嫌になりかけた俺の顔を優花女史は真正面から見据えていたけど。
そのあと。
「慌てるところが怪しいのよねえ」
こんなセリフを口にした。
「……何の話ですか。俺の邪魔をするつもりで来てるなら――」
今すぐ追い返してやると真剣に思い始めた時、不意に阿坂が顔を出した。
「八尋」
「え……ああ、何?」
少なくとも俺の目に映る阿坂はいつもとどこも変わりなかった。
「教授が呼んでる」
話し方だって素っ気なくて。
昨日までと何一つ違わないと思ったのに。
「やらしー。っていうかぁ、やっぱムカつくー」
優花女史だけは思いきり何かを悟っていたらしく、いつにも増して投げやりな態度になっていた。



「ここでおとなしくしててくださいよ」
彼女に言い残して阿坂と所長室に向かう。
わざわざ阿坂と二人で呼びつけられるなんていったいなんだろうと思いながらも、俺はまだどこかに熱が冷め切っていないような感覚があったんだけど。
「来月、エディがこちらに来るらしい」
阿坂がいきなりそんな話をするもんで。
「……あのさ、阿坂」
「何だ?」
別に嫉妬しているとか、そういうことではない……と思うんだが。
「助手にさっさと結婚しろって言った方がいんじゃねーの?」
けど。
阿坂はその言葉から気持ちを汲み取ってはくれなかったようで。
「そのうちにするだろう」
思いっきり『何でわざわざそんな事を』って顔をされてしまった。
「そのうちっていつだよ」
この様子では「おまえの口から言わなきゃ意味がないんだ」と忠告したところで、阿坂がその理由を理解するかどうかは疑わしい。
「気になるなら直接エディに聞けばいいだろう?」
「別に俺はどうでも……」
言いかけて、ふと邪心が過ぎった。
現時点で阿坂がまったく気付いていないのなら、いっそのことこのまま何も察知せずに通り過ぎてくれたほうがいい。
金髪碧眼だろうが、ナイスガイだろうが、アイツはもう過去の男だ。
「うん……そうだな」
一人で勝手に納得して、勢いよく所長室のドアをノックした。



「失礼します」
笑顔で迎えてくれた教授は今日も車椅子だったけど。
「ちょうどコーヒーが入ったところだ。座りなさい」
用事というのは相変わらずお茶の誘いのようで、ちょっと拍子抜けした。
世間話のついでに近況の確認なんてされたら、俺はまた一人でニヤけてしまいそうだと余計な心配をしていたのだが。
「八尋君、朝の忙しい時間に申し訳ないね」
どうやら阿坂と二人だけだと照れくさくて会話が続かないらしく、やたらと俺に話しかけてくる。
「午前中は田辺さん一人で十分だと思います」
俺を呼びつけた本当の理由もその辺りなんだろう。
そして。
「おじゃましまーす。あたし、コーヒーはブラックね」
そんな匂いを嗅ぎつけたのか、いつの間にか優花女史までちゃっかり茶を飲みにきた。


そんなメンツでの和やかなティータイム。
話題はワイドショーよりも少し難しい程度のものだったが、優花女史が勝手に話しまくる間、教授の顔には少し疲れが見えた。
「肩でも揉みましょうか。こう見えて結構得意なんですよ」
そんな申し出に少し驚いたようだったが、
「じゃあ、お願いしようか」
穏やかな返事の後は、何度も頷きながら「なかなか上手いね」と褒めてくれた。
その間、阿坂は優花さんの話につき合わされながらコーヒーを飲んでいたけど。
教授はやっぱりそっちが気になるみたいで、時折り少し心配そうに視線を投げていた。

阿坂がまだ幼い頃からずっと引き取りたいと思っていたんだから、もっとたくさん話だってしたいだろう。
なのに。
人間っていうのは、どうしてこんなに不器用にできてるんだろう、なんて。
自分のことは思いきり棚に上げて考えながら。
それから、よけいな世話なんだろうな、なんてことも思いながら。
「な、阿坂」
教授の後ろに立ったまま手招きをすると阿坂は何も言わずに俺のすぐそばまで歩いてきたけど。
「ちょっと交代。肩くらい揉んだことあるだろ?」
「ない」
当然のように思いっきり否定されてしまい、俺もちょっと困ってしまった。
「あー……じゃあ、揉んでもらったことは?」
顕微鏡を覗けば目も使う。肩だって凝るだろう。
そんな予想が当たってくれたのはよかったんだが。
「マッサージなら」
当然それは助手がしてくれたってことなんだろう。
そう思った途端、俺はちょっと投げやりになった。
「なら、そんな感じで」
心情が顔に出たのか、あるいは説明が適当すぎたせいか、教授は少し笑っていたけど。
その後の光景は傍から見てもなかなか良いものだったと思う。
「痛いですか?」
とても真剣な顔で肩を揉みながら尋ねる阿坂と。
「いいや、ちょうどいいよ」
穏やかに微笑む教授と。
やっぱりどこか似ているような気がするな……なんて少し感傷的になりながら。
「俺も今度家に帰ったら、じーちゃん孝行しようかな」
カップに口をつけたままつぶやくと、優花女史がプッと噴き出した。
「ユキウエって意外とそーゆー性格だったんだぁ」
「『意外と』ってなんですか。『そーゆー』ってどういう性格ですか」
「べっつにー」
本当に同でもよさそうに返事をしながら、頬杖をついて大あくびをするという緩みっぷり。
おそらく、もう茶を飲むのにも飽きてきたんだろう。
ならば今が追い払うチャンスだと思い、
「優花さん、今度は田辺さんと楽しい世間話してみませんか?」
そんな誘いをしてみたんだが。
「ぜーんぜん。っていうかぁ……タナベって誰?」
女史は金も地位もない男に対しては全く関心がないという基本的なことをすっかり忘れていた。
「……じゃあ、早く顔と名前覚えてやってください」
この分だと田辺さんと二人にしてもまともな対応はしてくれないだろう。
そう思うとさすがにちょっと気の毒になったが、それでもここに置いておくよりは百倍マシだろうという結論から、彼に相手をしてもらうことに決めた。


「まったく、なんでこんな心配までしてるんだろう」
ぶつくさ言いながら廊下に出るとすぐに加地さんがこっちに歩いてくるのが見えた。
あんまり顔を合わせなかった頃はオタク全開な人だと思っていたが、こうして見ると編集長や優花女史よりもずっとまともだって気がする。
「加地さんも教授に用事ですか?」
「八尋君こそ、すっかり気に入られたね」
「あ……うん、まあ、でも、俺は阿坂のおまけですから」
阿坂と教授の二人だけだとまだちょっとぎこちないけど、と説明すると加地さんも「そうだね」と頷いた。
「理志君は慣れるのに時間がかかりそうだから」
霧生の時もそうだった、と笑いながら。
「でも、教授ともうまくやっていけると思うな」
心配しなくていいよ、と加地さんに言われ、今度は俺が頷いた。
「霧生さんって……どんな人だったんですか?」
阿坂だけじゃなく、加地さんにもとても大切な人だったんだろう。
「優しい男だったよ。いい友達だった」
そんな返事を聞きながら。
いつでも気持ちのどこかにいる、そういう相手だっていう気がした。
「理志君のことは本当に可愛がってた。……あの時は少し妬けたよ」
答えながら笑っていたけど。
視線はどこか遠くを見つめたまま。
「……そうですか」
人にはいろんな思いや事情があって。
どうにもならないことを悔やんだり、泣いたりしながら、それでも前に進むしかないのだろう。
忘れられない大切なことをたくさん抱えたまま。
なのに、また新しい思い出を作りながら。
「またいつか、その頃のことも話してあげるよ。理志君、本当に可愛かったから」
「楽しみにしてます」

それでも。
きっと大丈夫。
望んだとおり、少しずつ変わっていけるはず。
阿坂だって、きっと―――




田辺さんを連れて戻ると小田切教授の姿は見えなくなっていた。
「あれ、教授は?」
その代わりのように編集長が座っていて。
「急ぎの書類にハンコ押してくるらしい」
「……そうですか。っていうか、また来たんですか」
一方ではこちらの会話などまったく聞こえていないかのような優花女史が。
「コーヒーのおかわりまだぁ?」
「あ、はい。コーヒーですね、優花さん」
このまま彼女を田辺さんに任せて、俺は仕事に戻ることにした。
阿坂には帰りに総務に寄るように言って。
それから。
「な、日曜に遊園地行かねー?」
不意に思い立って誘ってみたんだが。
「男二人で?」
阿坂からはやけに冷静な返事が。
「……おまえ、そういう常識だけは身につけちゃってるんだな」
ちょっとガッカリしていると、そんな俺を励ますわけでもない声が外野から飛んできた。
「お、いいな、遊園地」
たまには童心に帰るか、と能天気男が言い、
「あたし、観覧車乗りたいー」
ジェットコースターと観覧車がある遊園地はどこ、などと言いながら携帯を出すと検索を始める。
「どうでもいいですけど、絶対についてこないでください。行くとしても俺は阿坂と二人って決めてるんですから」
力説してはみたものの、外野が頷くはずもない。
「あら、男二人より目立たないわよ」
おまえが一人いるだけで十分目立つんだよ、と言いたいのを堪えていると。
「あ、優花さん、遊園地ですか? 観覧車いいですね。僕も好きですよ」
彼女には漏れなく田辺さんがついてくるらしく、俺の憂鬱は倍増した。
「な、阿坂と俺は別のところに行こうな?」
こっそり誘ってみると、
「八尋に任せるよ」
こんな返事があって、俺はまた一人満面の笑みになったんだけど。
「はぁ〜い、編集長!」
「なんですか、優花さん」
「ユキウエがやらしいです」
「……どこがだよ」
またいつものパターンだと溜め息をつきながら。
それでも、なんとなく阿坂が楽しそうだったので、これもよしとした。
そして。
「八尋君、とにかく遊園地だよ。優花さんはジェットコースターも好きなんですか。僕、実はちょっと苦手なんですが、優花さんの隣なら―――」
このまま俺と阿坂だけが幸せになることは外野が許してくれないようなので、今回の遊園地については「二人きり」を諦めることにした。





そして、約束の週末。
「よし、今日は遊園地だ!」
晴天の空。
カーテンを開けて振り返ると、阿坂はベッドに座ったまま笑ってた。
「八尋の方が嬉しそうだ」
「うん、嬉しい。けど……いくらなんでも早起きしすぎか?」
約束は10時。
現在6時。
8時くらいまでもう一回寝なおそうかと思いながらベッドに戻ると、いきなりギュッと抱きしめられ、ついでに撫でられて。
「……阿坂、その犬っぽい感じはちょっと」
そう言ったら。
ぜんぜん済まなそうな様子も見せずに「悪い」と謝った。
でも。
その顔が本当に楽しそうで。
不意にカフェのおばちゃんが言ってたことを思い出した。
『笑うと少し子供っぽくなる』
確かそんな感じだったと思うけど。
俺の目に映った笑顔はなんだかちょっと色っぽいような気がして。

本当に。
望んだとおりに、未来は変わっていけるのだ、と。
そんなことを喜びながら。

「阿坂……ちょっとだけいい?」



おかげで。
約束の10時には少しだけ遅刻してしまったのだった。



                                       end


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