<chapter 3> 謎の水沢家
水沢と二人、パンを抱えて中庭へ。
だが、水沢は食物よりも本のほうが大事そうだった。
「水沢って好き嫌いはないのか?」
いきなり経済論でも良かったんだが、とりあえずは当たり障りのないところから入ってみる。
他愛のないテーマなら多少は会話になるだろうと踏んだからだ。
しかし、水沢からはたった一言。
「別に」
それだけだった。
言葉のキャッチボールなどという状況は永久に発生しないようだ。
どうやって育つとこんな性格になるのだろう。
パンを片手に本を広げている水沢の横顔を見ながら、しみじみと考えた。
俺の描いた水沢の家族は、美人で教育熱心な母とエリートの父。水沢はその間に生まれた一粒種で、惜しみなく金をかけて育てられたサラブレッド。
だからこそ、この性格なのだと分析し、その結果に満足していたのだが、それはあっけなく崩された。
「水沢、いつも弁当なのか?」
その問いに対して、
「いや。兄が早起きした日だけだ」
水沢の口から「兄」という単語が出てきたのだ。
「兄ぃぃ??」
兄というのは兄弟のことだ。
いや、当たり前なのだが。
俺が素っ頓狂な声を出したせいで、水沢が珍しく本から顔を上げて問い返した。
「驚くようなことか?」
―――驚くようなことだ。
兄と戯れる図を想像してみたが、目の前の水沢を見ているとそんな光景は薄ぼんやりとも浮かんでこなかった。
「ってことは末っ子?」
なんとかイメージを膨らませようと会話を繋ぐ。
だが、しかし。
「兄が二人。姉が一人、弟が一人」
―――ますます想像できない。
それでも言われたことはそのまま記憶装置にインプットした。
「ずいぶん多いんだな」
そんなにたくさんの兄弟がいながら、この無愛想はどうしたものだろう。
あれこれ原因を考えたが、これといって何も思い浮かばなかった。
―――……生まれつき、こういう性格なんだろうな。
そう結論付けた挙句、家族全部がこんなだったらどうだろう……という仮定までして、分厚いメガネの父母と無愛想な兄弟姉妹を思い浮かべてみたが、なにやら恐ろしい光景だったので即座に却下した。
「どんな兄弟? みんな無愛想なのか?」
水沢に限って家族の解説などしてくれないだろうと思いつつも、その問いにあえてチャレンジする。
だが、予想はあっさりと覆り、望んだとおりの答えが返ってきた。
「人はいいが微妙に鈍い長兄と、口が悪くて派手な姉、女たらしで二枚舌の次兄と、食べ物で簡単に誘拐できそうな弟だが、別に無愛想じゃない」
それが本当だとすると、さらに想像は困難になる。
ついでに言うなら、自分の兄弟にその形容はどうだろう。
聞けば聞くほど水沢らしいなと変なところで納得はするが。
それにしても、あんまりだ。
「……へえ、楽しそうだな」
辛うじて平凡な言葉を返してから、ジッと水沢の顔を見た。
兄弟なので容姿は似ていると仮定する。
人が良くて微妙に鈍い水沢。
口が悪くて派手な水沢。
女タラシで二枚舌の水沢。
食い物で誘拐できる水沢。
―――……ありえない。
俺の想像力が貧困なのか、まったくイメージはつかめなかった。
少しでも何かの足しになればと思って、
「水沢んちって、みんなメガネ?」
そんな質問もしてみたが、その間抜けな発想に水沢は無表情のまま、
「そんなことまで知らないな」
と答えた。
「……一緒に……住んでるんだよな?」
何か深い事情があって家族が顔を合わせられない状況なのかとまで思ったが。
「ああ。おそらく」
その答えがどういう状況を指し示すのか想像さえできなかったため、仕方なく水沢家全部を「謎」のまま放置することにした。
そんな水沢に妙な噂が立ったのは、新緑が眩しいある日のことだった。
「……ホモ? 水沢が?」
いきなり俺に振られたのはそんな話題で。
「そう。そーゆー気配ないか?」
真面目に聞かれても困るんだが。
「なんでまたそんな話になってんだ?」
確かに水沢は変わってると思うが、それとホモがどう結びつくのか分からない。
「更衣室でボヤ騒ぎがあったとかで、女子が第2理科室で着替えてたんだよ。けど、誰かがイタズラして、ドアに貼ってあった『仮女子更衣室』の紙を剥がしたらしくてさ」
健康な男女が集う学校だ。そんなこともあるだろう。
「それで?」
「準備当番の水沢と小林が用具を取りにきて、思いっきり開けたんだ」
水沢に限って過剰なリアクションなど返さないだろうとは思ったが。
「小林は耳まで赤くなってたんだけど、水沢はいつも通り。真顔で『失礼』って詫びて普通にドアを閉めた」
そりゃあ、そうだ。
なんと言っても水沢なんだから他の反応は有り得ない。
「で、それがどうホモに繋がるんだ?」
なんの関係もないだろう。
俺はそう思ったが、周囲は首を振る。
「女に興味なさそうだろ?」
なるほどな。
だが、だからと言って同性愛に直結っていうのはどうだよ。
「じゃあさ、志野。水沢から女の話聞いたことないか? 彼女がいるとか、過去にいたとか」
「いや」
それ以前に、普通の会話をしたことがないんだが。
「おまえら、いつもいったい何話してんだよ」
「まあ、いろいろ」
いろいろって言っても。
本の話とか、本の話とか、本の話とか。
なんとなくそれでは悔しかったので適当にごまかしてみる。
「真面目な話題ばっかりだからな」
周囲がうんうんと頷くのを見ながら、俺は一人で悶々としてみた。
水沢に、女。
あの水沢に女など。
……あるはずがない。
他の連中もそれは同意見らしく、
「志野が言うとおり、水沢ってさあ、そーゆーの興味ないんじゃないのぉ? あれだけキャアキャア騒がれても知らん顔してるんだし」
「んなの判るかよ。ムッツリなだけかもよ?」
その推測もどうかとは思うが。
いいんだ。水沢は女に興味など持たなくて。
俺の生涯のライバルは本だけが恋人のストイックな男。
一生、あのまま我が道を行って欲しい。
そんな気持ちを込めて援護してみる。
「本だけあればいいんだろ」
……フォローにはなっていないような気はするが。
でも、とどのつまりはそういうことなのだ。
水沢が無関心なのは何も女性に限ったことじゃない。
一緒に昼飯を食ってる俺の存在さえ忘れる時があるほど、本以外は視界に入らないヤツなのだ。
そうだ、そうなのだ。
それでいいじゃないか。
勝手に納得して満足したその瞬間、情報通と言われているヤツが聞き捨てならない言葉を告げた。
「でもな、水沢って放課後よく男と東門で待ち合わせてどこかに行くらしいんだよ」
「え?」
さすがの俺も間髪入れずに驚いてしまった。
学校以外は図書館と予備校にしか行かないはずではなかったのか?
「う、うちの生徒なのか?」
なぜかうろたえる自分に疑問を持つ間もなく聞き返していた。
「いや。ガタイのいい男。たぶん20代半ばくらい。男前。体育会系。明るくてさっぱりした感じらしい」
明るく爽やかで、イイ体の、大人の、男……か?
「気になるなら、いっぺん東門で待ち伏せしてみろよ。すっげー仲良さそうだって。オトコの方が水沢にヘッドロックとかしてんだぜ?」
他人とジャレ合う水沢……?
友人を疑うわけではないが、それは本当に水沢なのか?
「どうした、志野。ライバルがホモでショックか?」
「……いや。そうじゃないけどな」
なんと言うのか。
その噂話は余裕で俺の想像を絶していて、どう反応していいのか分からなかった。
いや、その前に。
「……いつの間に水沢はホモ扱いされてるんだ?」
俺のライバルにあらぬ疑いをかけやがって。
「だってなあ、あの水沢が学校帰りに待ち合わせてイチャイチャじゃれつく大人の男だぞ? 他に考えられるか?」
まあ、それが事実なら俺だって疑うかもしれないが。
「兄貴の可能性は? 水沢、兄貴が二人いるんだぞ?」
兄弟とジャレ合う水沢。
それはそれで信じがたい光景だが。
「ないね。体型、顔、声、話し方、まったくどこも似ていないって話だ」
そこまできっぱりと断言されては返す言葉もない。
他の連中もうんうんと頷いていた。
その後も居合わせた奴らから可能な限りの情報を集めてみたが、結局、噂の真相は分からずじまい。
「ま、気を落とすなよ、志野」
「……ああ」
気落ちしたわけじゃないんだが。
しばし、自問自答。
だってな、生涯のライバルがホモってどうだよ?
少なくとも互いの家族を連れて出かけるとか、家に招待しあうとか、そういう付き合いはできないってことだ。
いや、水沢の彼氏という男を「家族」と区分すれば、それも可能か……
どうもピンと来なかったが。
「……まあ、別にいいか」
たとえホモだったとしても俺の『茶飲み友達計画』には支障がないのだ。
深く考えるのはやめておくことにした。
「分かったぞ、志野!」
水沢が待ち合わせて一緒に仲睦まじく帰る相手がうちの教師らしいという噂を聞いたのが、それから一週間後の休み時間。
男ばかり6人が教室の隅で顔を寄せ合いヒソヒソ話。
「けっこう遅い時間だし、顔もよく見えなかったんだけど、校内で見かけた顔だったような気がするんだよ」
「若いセンセが多いから、特定はできないよなぁ」
「先輩に聞いてみればいいんじゃないか? 体育会系で男前の20代半ばの先生知らないかって」
「あ、そっか。三年の担当だったら、俺らが知らなくても当然か。こっちの校舎にはいないし、見かけることなんてめったにないもんな」
それにしても確かな情報からはほど遠く。
あの水沢にホモ疑惑なのだから、興味津々なのは仕方ないと思うが、なんで男とじゃれてたくらいのことでこんなにも盛り上がるんだか。
俺に言わせれば、妙に水沢を話題に上らせた挙句、ここまで必死に聞いてくるコイツらの方が怪しいような気がするのだが。
「なんかの間違いだと思うけどな」
他人とじゃれている水沢を見たい気持ちは俺にもあったし、ホモがショックかと言うとそんなこともない。
水沢が男にうつつを抜かして易々とトップの座を明け渡したりしない限りは、ホモでもムッツリでもなんでもいいのだ。
「けど、水沢にその手の噂は似合わないよな」
あまりにもストイックで……と言うよりは、世俗から離れすぎていて。
何につけても俺の理解の範疇は超えている。
「とにかく。志野、昼飯食ってる時に水沢に聞いてみてくれよ」
確かに最近は毎日水沢とメシを食ってるが。
……何をどう聞けと言うんだ。
『おまえホモだっていう噂があるんだけど、本当なのか?』
―――ってか?
「バカらしい……」
その話題に興味がないわけではなかったが、さすがにあの水沢にそんなことがあろうはずもなく。
「まあ、水沢にそんな気配があったら教えてやるよ」
そう言い残して自席に戻った。
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