45°

forty-five degrees

-5-  
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<chapter 5> 秘密の図書館


―――道を踏み外したかもしれない

そう思ったのはいきなり自習を宣告された日の午後。
図書館にいるはずの水沢にちょっかいを出しにいった時だった。
「いねーなぁ。どこ隠れてんだろう」
書庫にも閲覧室にも勉強専用スペースにもいない。
それならばと思い、図書館の隣にある別館を探索にいったら声をかけられた。
「一年の志野君だね?」
紳士気取りの笑顔と立ち姿。
「……そうですが」
どんなに真面目な話をしても微妙にエロくさい遊び人ボンボン風の男。
こんな風体でもわが校の副理事長だ。
ついでに。
「探しているのは愛しの水沢勇吾クンかな?」

―――こいつがホモだというのも生徒の間では有名だった。

「ライバル兼親友の水沢勇吾です」
水沢のホモ疑惑が晴れたばかりだというのに、俺まで巻き込まれてたまるものか。
「彼なら本館の屋上にいるよ。閲覧室2階の隅にある階段を一番上まで行って突き当たりのドアを開けてすぐのところに色っぽい格好で寝転んでる」
図書館の屋上は立ち入り禁止。普段は閉鎖されている。
開けるのは何かの行事で校旗を揚げる時くらいだ。
「何してるんですか?」
自習とはいえ、授業中。
あの水沢がそんな場所で寝転んでいるとは意外だ。
しかも。
「イケナイ遊びってところかな」
水沢が?
イケナイ遊び?
「心配しなくても一人遊びだから。志野君も付き合ってあげたらいいんじゃない?」
なんだかよくわからないまま、屋上に通じる階段を指差された。
「あ、ドアノブは90度回るけど、きっちり45度で止めて開けるようにね」
「は?」
「それができない人間は屋上には出られないんだよ」
なんだか良く分からないんだが。
「とりあえず、45度回して止めて開ければいいんですね」
笑顔で頷く男を見ながら、それを脳内にインプットした。
「じゃあ、志野君。頑張って友情を深めて楽しい高校生活を送って」
笑いながら気障っちく片手を上げられて、なにやら妙な気分になった。
なぜ、この男に俺たちの友情の深まりを心配されなければならないのだろう。
「……まあ、いいか」
今の会話はなかったことにして、俺は言われた順路を辿った。


階段を上って、突き当たり。
思いっきり90度回ってしまうドアノブを45度だけ回して、カチャッという音を確認。
静かにその重い扉を開けると果たして水沢がそこにいた。
本を枕に。
タバコを吸いながら。
「……水沢ってタバコ吸うのか??」
思わず呟くと水沢が気だるく視線を移した。
「なんでおまえがここにいるんだ」
水沢は真顔で言い放ったが、タバコを消そうとはしなかった。
「別館探検中に副理事長に声をかけられて送り出された」
それに対しての勇吾の返事は、
「そうか。おまえも45度認定されたんだな」
だった。
「なんだよ、それ」
45度認定なるものの意味はなんとなく想像できたが。
「俺、水沢と同じ角度ではズレてないと思うけどな」
っていうか。
水沢とは親友だが、一緒にされることには若干抵抗が……
しかも、45度を認定するのはあのホモエロ教師だ。
「405度だそうだ」
いきなり、水沢がタバコを咥えたままボソッと呟いた。
「は?」
405度?
その言葉に何のイメージも持てないまま、やや間抜けた返事をした。
水沢はいつもと同じ素っ気ない口調で、でも、追加の説明をした。
「1周と45度ってことだろうな」
それは、紛れもなく水沢のズレ具合を言っているのだろうが。
「副理事長に405度認定されたのか?」
確かに水沢はズレてるが、ホモエロ教師に405度と言われるほどではなかろう。
だが、水沢は俺の質問を軽く聞き流して、短くなったタバコをコンクリートで揉み消した。
それは、不思議なほどサマになる仕草で。
「……で、勇吾ちゃん。タバコはいつから?」
確かにイケナイ遊びだな、と思いながらも水沢の隣に座った。
「さあな」
この様子だと相当前からやっているんだろう。
妙に吸い慣れている感じがした。
「これ、水沢のタバコ? ライターも?」
まあ、比較的軽い銘柄なんだけど。
「ああ」
「親は怒らないのか?」
水沢の家だから、本人任せなのかもしれないなんてことも考えたが。
「もう2ヶ月会ってない」
またしても、妙な返事が。
「一緒に住んでるんだよな??」
「多分な」
相変わらず水沢家は謎だった。
まあ、そうでなければこんな男は育たないのだろうが。
「親はともかく、憲政センセが怒るんじゃないのか?」
そうだ。あんなに真っ直ぐスクスク育った体育会系の男がこれを許すはずはない。
……と思ったが。
「気付くことがあればな」
水沢の言葉に妙に納得した。
そういえば鈍い男だったんだ。
勇吾とは顔も体格も性格もさっぱり似てないが、世間と微妙にズレているという点については血の繋がりを感じさせる。
「センセ、人が良さそうだもんな。可愛い弟が不良行為に走ってるなんて夢にも思わないだろ」
ある意味気の毒だ。
そう思いながら、俺も一本頂戴して火をつけた。
特別タバコが好きなわけではないが、やはりここは一つ、水沢との友情を深めてみようなんてベタなことを考えたのだ。
水沢がこんなことで仲間意識を持ってくれるとは思わなかったけど。
「志野もタバコを吸うのか?」
俺の予想に反してわずかに関心を示した。
「親父が母親の目を盗んで吸ってる時にたまに付き合う程度」
実際は本当にとても久しぶりだったので、吸い込んだ途端、にわかにクラッとした。
それを感じ取ったわけではないだろうが、
「おまえは止めておいた方がいいんじゃないか」
なぜか水沢に止められて。
「なんで? たまになら体に響いたりはしないだろ?」
まあ、万が一、見つかったりしたら退部になるし。
もしかして、そんなことを心配してくれているのでは……などという淡い期待もしてみたが。
「志野、タバコ一本でどれくらい脳細胞が死滅するか知ってるか?」
なるほど、そういう展開なわけか。
妙に納得しながら言葉を返す。
「なら、水沢も止めれば? おまえ、他に取り柄なさそうだし」
この先ずっと俺のライバルでいてもらうためには、タバコなんかで挫折してもらっては困るのだ。
けど、勇吾は何も答えずに煙だけを吐き出した。
タバコを吸う水沢。
実際に見なければ想像もできない姿だが、なかなかに良い光景だった。
「水沢、なんでまたタバコなんだよ。たいしてうまくないだろ?」
飄々としているように見えてもストレスが溜まってるのだろうかとか、実は家庭が上手くいってなくて道を踏み外しかかっているのかとか、いろいろと思い巡らせてみたが。
「ああ、そうだな」
どうでも良さそうにそんな返事をする水沢にそんなナイーブさは見て取れなかった。
「じゃあ、なんで? 手持ち無沙汰だからか?」
更なる質問に勇吾はふわりと煙を吐き出してから、またしても、本当にどうでも良さそうに「そうかもな」と答えた。
そして、傍らに置いてある灰皿で当たり前のようにタバコを揉み消して、身体を起こした。
それが、どう見ても来賓用の仰々しい灰皿で。
「これ、どこから?」
「屋上専用。副理事長室から持ってきた」
ふうっと息を吐いて、乾いた空気に目を細めて。
それからまたゴロンと横になった。
「なんだよ、勇吾ちゃん。寝不足?」
目を閉じて一分後、あまりに無反応になった水沢に声をかけてみたが。
「……勇吾ちゃ〜ん?」
その時に水沢はすでに爆睡していた。


本日の感想:水沢勇吾、侮り難し。





そんなこんなで、いつの間にか屋上通いは俺の日課になった。
が。
「……鍵、開いてねーじゃんよ」
どうやら、水沢がいない時は漏れなく鍵がかかっているらしい。
「ちっ、仕方ねーな」
せっかく授業をサボって屋上でくつろごうと思っていたのに。
やむなく図書館内に引き返そうとしたが、階段の下でまたしてもエロエロ副理事長に捕まった。
実は俺を狙い撃ちしてるんじゃなかろうかと思うような絶妙なタイミングだ。
だが、ついでだから聞いてみることにした。
「水沢は屋上の鍵を持ってるんですか?」
多分そうだとは思うが。
「うん、あげたよ。屋上の掃除してって頼んだついでに」
よくよく聞いたら、タバコのことを憲政センセに秘密にする代わりに月一回の屋上の掃除を引き受けさせたらしい。
「まあ、めったに散らからないし。そんなに大変じゃないと思うけど」
そりゃあ、そうだが。
「本当は掃除なんかじゃなくて、他の事と交換条件にしようと思っていたんだけどね」
怪しい笑みの意味を瞬時に悟った俺の背筋に冷たいものが走った。
「それとも今から条件変えてしまおうかな?」
どうでもいいが。
なぜ、そこで俺を見て笑う?
「たとえば『二人で大人の遊びしてみない?』とか。どう思う、志野?」
どう思うも何も。
「なんですか、大人の遊びって」
俺が想像した通りだとすると、聞き捨てならないとか言うレベルではない。
「んー、そういうことには鈍そうな勇吾君に手取り足取り」
だから、何を『手取り足取り』なんだ。
そんな俺の心のうちを見透かしたように、直球の質問が。
「彼、キスしたことあると思う?」
ってか、それは教師が生徒にする話なのか?
「……水沢が、ですか?」
でも、ちゃっかり興味を示す俺も俺だ。
「そう」
水沢の仏頂面が脳裏に浮かんで消えていく。
頭が良くて細身で運動神経もいい。女子の評価はかなり高い。
中学の時だってそれは同じだっただろう。
そんな機会はいくらでもあったはずだ。
だが。
「……そういうの、関心ないと思いますが」
相手は水沢だ。
そんな俗っぽいものに興味を示すはずがない。
と言うよりは、水沢が関心を示しそうなものなんて本以外何一つ思い浮かばない。
俺の想像力が貧困なためではなく、水沢はそういう奴だ。
「じゃあ、したことないって思ってるんだね?」
「たぶん」
そこでエロ教師はにこやかに笑って。
「なら、賭けようか。志野の予想通りだったら屋上の鍵をあげるよ。それでどう?」
『どう?』と言われても。
「どうやって確かめるんですか?」
「聞いてみればいいよ」
「誰が?」
「もちろんキミが」
なぜ『もちろん』なのか分からない。素直にそれを顔に出したら、即返事があった。
「だって、僕が聞いたらセクハラだけど、親友兼ライバルのキミならそれくらいサラッと聞けるでしょう?」
確かにそうだろうが。
俺が聞いたところで、果たして水沢が答えるだろうか?
ってことはやっぱり俺らの関係は親友などではないのだな。
そう思ったらなんだか悔しくなって、ついムキになった。
「じゃあ、聞いてきます。今、どこにいるかわかりませんけど」
「彼なら屋上にいるよ。昼からずっと。でも、静かに寝たいっていうから、さっき鍵をかけてやったんだけど」
天気のいい爽やかな午後。
屋上で昼寝をするにはもってこいだろう。
だが。
……水沢、サボり過ぎだ。
「あ、志野が聞けなかったら、僕が聞くから。ダメでも心配しなくていいからね?」
笑顔とともに鍵を渡された。
その態度を宣戦布告と受け取った俺は、さらにムキになって火花が散りそうなほどの視線を返し、再び細い階段を駆け上がったのだった。




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