Halloweenの悪魔
願い事-2




スーパーが初めてというアルは、キョロキョロしたり陳列棚の端から全部眺めたりしてひどく落ち着きがなかったけど、すれ違うおばさんやおばあさんたちはそんな様子を見て「可愛い」と笑った。
「小麦粉買ったらすぐに帰るよ?」
アルの手を引いてレジを通って、ちゃんとお小遣いで買えたことにホッとして。
「なんだよ。もっと遊んでたかったな」
「でも、今日はマドレーヌを焼くんだからね」
父さんに教わった料理の手順を思い出しながらアルを見ると、買ったばかりの小麦粉の袋を楽しそうに眺めていた。
「いつ見ても単純な文字だな。俺でもすぐに覚えられる」
人間の住んでいる場所はアルには珍しいことばかり。
だから、何をしていても目がキラキラ輝いている。
そんなアルを見ていると、ときどき退屈に思ってしまうこの世界にも本当は楽しいことがたくさんあるんだってことを思い出す。
それと一緒に「アルの世界はどんなだろう」って、そんなことも考えるようになった。
「ね、アルの住んでいる家はどんなところ? 大きいの?」
「大きいよ。部屋が100個くらいある」
「え? ホントに?」
スーパーマーケットの帰り道はずっとそんな話をしていたけど。
途中でアルが急に僕の腕を引っ張った。
「あの車が通り過ぎるのを待って」
少し険しい顔になったアルの目線の先には大きな車が信号待ちをしていた。
「……町外れのお屋敷に住んでる……えっと、なんて名前だったっけ」
僕の独り言にアルはもっと厳しい顔で「名前なんて思い出さなくていい」と呟いた。
「どうして?」
「アイツには近寄っちゃだめだ」
アルの話では、これから彼を大きな不幸が襲うから、そばにいるとそのカケラが飛んでくるらしい。
先週亡くなった彼のお兄さんが死に際に悪魔に願い事をしたのだという。
会社と家を乗っ取った弟に重い罰を、と。
「悪魔の一人がそれを聞き入れた。だから悪いことが起こる」
そんな説明に背中がゾクッとした。
「どんなことが起こるの?」
「さあ」
「さあ……って。悪魔が決めることなんだよね?」
「違うよ。悪魔はちょっと手を貸すだけだ」
これからやってくる不幸は悪魔が仕組んだことじゃなくて、無理な願い事を叶えるために世界を捻じ曲げたしわ寄せがくるだけなのだとアルは説明した。
「なんか、よく分からないけど……でも、悪魔は死んだ人が何を願ったかすぐに分かるんだね」
「悪魔に願ったんだから当たり前だろ?」
まだ新しい願いだったら誰でも簡単に見えるのだと今度は得意気に言ったけど。
僕の胸にはちょっとだけ不安が過ぎっていた。
「……お母さんも願い事したかな」
そんなことあるはずないって思った。
でも、なぜだかすごく気になって仕方なかった。
「幸せな人間は悪魔に願ったりしないだろ?」
「うん……そうだね」
そう言われてもまだ気持ちは軽くならなくて、無意識のうちにうつむいた。
アルには僕の気持ちが分かったみたいで、小麦粉の入った袋をこっちに押し付けると、空き地の塀の陰に隠れた。
「気になるなら見てきてやるよ」
「いいよ。きっと願い事なんてしてないし、してたとしても知りたくない」
でも、アルは僕の言うことなんて聞いてなかった。
当然だ。
アルだって母さんのことが大好きなんだから、気になったんだろう。
「先に帰ってろよ。何もなかったら3分くらいで戻る。でも、願いをしてたら中味も見てくるからちょっと時間がかかる」
そう言ってスッと僕の前から消えていった。



僕は一人で家に戻ったけど、マドレーヌの準備をする気にはなれなくて。
しかも、アルはなかなか帰ってこなかった。
それは母さんが悪魔に願い事をしていたという証拠で、なんだか居たたまれない気持ちになった。
「そんなことって……」
アルが言っていた通り、幸せな人間は悪魔に頼みごとなんてしない。
昔のことをいろいろ振り返ると、母さんを困らせたことばかり思い出した。
僕がいい子にしていなかったから、母さんは幸せじゃなかったのかもしれない。
そう考えたらどんどん悲しくなって、涙が出そうだった。
「アル……早く戻ってこないかな……」
ずっと待っていたけど、30分たっても、一時間たってもアルは姿を見せなかった。
「アル、何かあったの? アル! アルッ!!」
我慢できなくなって叫んだ時、ようやく玄関でチャイムが鳴った。
「……ただいま」
そう言ったアルのまつげは濡れていて、鼻の頭も赤くなっていた。
「母さん、願い事してたの?」
アルは短く「うん」って答えた。
でもすぐに「悪いことは起こらないないから大丈夫」と付け足した。
二人して玄関の外に立ったまま。
傍から見たら変な光景だっただろう。
それでもその場を動くことさえできずに、会話の先を急いだ。
「母さんの願い事って何だったの?」
さっきは知りたくないって言ったくせに、そうと知ったらどうしても聞かずにはいられなくて。
僕はけっこうすごい剣幕で尋ねたんだと思う。
「驚かせてゴメンな」
アルはちょっとだけ顔を上げて申し訳なさそうな顔をした後、鼻をすすりながら話をはじめた。

最初に、母さんが神様へ願い事をしたこと。
僕や父さんの幸せを。
それから、おじいちゃんやおばあちゃん、おじさん、おばさん、友達、近所の人、隣の家の犬の幸せまで祈って。
その後。
「一つだけ、神様にはお願いできないことがあるからって」
慌てて長い階段を降りて、悪魔の願い事窓口に行って。
『こちらでいいのかしら?』って尋ねて。
それから、アルの幸せを願った。
人間よりもずっとずっと長い時間を生きていくだろうけど、その間、楽しいことがたくさんありますように。
そして、ずっとずっと幸せでいられますように、と。

「……そっか。母さんらしいな」
それを知ったあとアルは一人で泣いていたんだろう。
濡れたまつげの意味も分かった。
「その願い事って、アルにも悪いことは起きないの?」
「……うん」
人間が悪魔の繁栄とか幸せを願うと、その相手である悪魔は力が強くなるのだという。
「だから、俺、他のヤツより魔力強かったんだな」
言いながらまた涙目になる。
「ねえ、アル」
「何?」
「アルはあと何年生きられるの?」
「わからない。短ければ何百年か。長ければ、何千年とか……もっと長いかも」
それがどうかしたのかと問う間、アルはとても不安そうな顔をしていた。
だから、にっこり笑って言葉を足した。
「じゃあ、僕が死ぬときも悪魔の窓口まで行ってアルの幸せを祈ってあげるよ」
喜んでくれると思った。
でも。
その途端、アルは「そんなのいらない」って叫んでわんわん泣き出した。
「どうしたの、アル?」
これから、何百年も何千年も生きるはずのアル。
一人で過ごすには長すぎる時間。
僕がいなくなっても、たくさん友達を作って楽しく暮らして欲しいって思うのに。
「なんで死ぬ時の話なんてするんだよっ」
泣きながら怒る様子が、僕には可愛くて仕方なくて。
いつか別れる日が来るのだと思ったら、僕まで泣きそうになった。
「泣かなくていいよ。ずっと先の話なんだから」
自分に言い聞かせるように、「ずっとずっと先だから」と付け足して。
でも、結局、また二人で泣いてしまって。
「アル、ごめん。そんなに泣かないで」
僕のシャツを掴んだまま大きな口を開けて泣くアルを、道路の向こうを歩く人が「あらあら」って笑いながら見つめていた。
「アル、耳が尖ってきたよ。ほら、家に入るまで頑張って」

こんなに泣いてばかりの悪魔が本当に強くなれるんだろうかって心配になるけど。
でも、アルが大好きだった母さんが一生懸命お祈りしたんだから、きっと大丈夫。

たとえ強くなれなかったとしても。
誰よりも幸せになれるはずだから。

                                    願い事 fin〜



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