目の前が歪んだり、体が痛くなったりするんじゃないかと思ってたけど、そんなのも全然なくて。
「ついたぞ」
「すごいな。あっという間なんだね」
うきうきした気持ちで辺りを見回したけど。
そこはとにかく薄暗くて、かろうじて家の中だってことが分かる程度だった。
でも、すぐ隣に立っているアルの顔だけはちゃんと見えたから安心した。
「アル、電気のスイッチはどこなの?」
空中を手探りしながら、アルの腕に触れた瞬間、ポッと明かりが灯った。
部屋の真ん中に金色の大きな燭台。
並んでいたたくさんのロウソクの炎はまんまるで、踊ってるみたいに楽しげに揺れていた。
「ここは俺が外から帰ってくるときの部屋だ」
「そんなのがあるんだ。すごいね」
もちろん寝室もあるし、遊び用の部屋もあるらしい。
「あとは勉強の部屋とか魔術の練習の部屋とか。まあ、いろいろ」
アルのお父さんがたまに勝手に増やしたり減らしたりするから正確にはよくわからないと言われてちょっとびっくりした。
「すごいんだね」
住んでいる人を迷子にさせるのがお父さんの趣味だと聞いてもっとびっくりしたけど。
でも、きっととても面白いお父さんなんだろう。
そうじゃなかったら、あんまりアルと遊んであげられない分、そんな工夫で楽しませてあげているのかもしれない。
どっちにしてもとてもいいお父さんだ。
「それで……お父さんはまだ仕事?」
「うん。当分帰らない」
だったら僕は誰に挨拶をしたらいいんだろう。
お土産だって持ってきたのに。
「じゃあ、マドレーヌと花束はばあやさんに渡せばいい?」
みんなで食べてもらいたいんだって言ったら、アルはちょっと考えてたけど。
「だったら、花束はメリナ。マドレーヌは……フェイ!」
パチンと指を鳴らしたらドアが開いて、その正面に立っていた人は恭しくお辞儀をしていた。
「こいつは魔術師兼執事見習いのフェイシェン」
マドレーヌをみんな配っておけって言われて、その人はもう一度優雅にお辞儀をした。
背が高くて、びっくりするほどキレイで。
銀色の長い髪を後ろでゆるく束ねていて、少しでも動くとサラリと揺れた。
一瞬、女の人かなと思ったけれど。
「はじめまして、レン様。フェイシェン・エルクハートと申します」
声を聞いて男の人だって分かった。
それから、握手した手が、白い手袋をしているのにもかかわらずひどく冷たいことにびっくりした。
「あの、これ、みなさんに」
マドレーヌを差し出すと、「ありがとうございます」と言ってまたまたにっこり笑ったけれど。
「お噂通りの愛らしい方ですね」
瞳の奥の方を覗かれたとき、なんだか変にドキリとしてしまった。
どう返事をしたらいいのか分からないまま一人でドキドキしていたら、アルがぐいっと僕を自分の後ろに押しやった。
「レンは俺の友達だからな。ちょっとでも何かあったら、それなりの処分をするぞ」
アルの口調はいつもと違ってなんだか怖い感じだったけど、答えた執事見習いさんはこれ以上ないほど優雅な笑顔で。
「もちろん承知しておりますとも。では、ごゆるりとお過ごしください」
またお辞儀をすると、足元からスッと消えていった。
「……あっという間にいなくなっちゃった」
残された僕たちの周りはマドレーヌとは違った甘い匂いがして、思わずくんくん鼻を動かしていたら、アルの羽がパタパタとそれを散らした。
「なんだか不思議な人だね」
「魔術師だからな」
アルの説明によると、フェイさんはお父さんが次の王様に決まった後、しばらくしてからアルの家に来たらしい。
その話ぶりからして魔王というのは人間の王様みたいに家柄とか血筋がどうとかそういうことで選ばれるわけではないみたいだったので、どうやって決めるのかを聞いてみた。
そしたら、やっぱり人間の世界の王様とはぜんぜん違っていた。
「その時一番強いヤツの家に『王様の椅子』が歩いてくるんだ。椅子の世話係もいっしょについてくる」
世話係は椅子自身が指名するのだけれど、歴代その役は魔術師の中でも最高ランクに位置する人がなっているらしい。
今はフェイさんのお師匠様だ。
フェイさんがここで働いているのもそんな事情らしい。
「ふうん」
説明されても僕にはちょっとピンと来なかったけど。
「でも、なんかおとぎ話みたいで楽しそうだな」
椅子が歩いてくるのを想像したら、なんだか可愛らしくてちょっと笑ってしまった。
それからしばらくして、ばあやさんが外で用事を済ませて戻ってきたので、早速花束を渡しにいった。
「ようこそレン様。お待ちしておりました」
前にアルの鏡の中を覗き込んだから顔も知っていたけど、本物はそれよりもずっと優しそうだった。
「はじめまして。今日はお招きありがとうございます」
ちょっと緊張しながら挨拶をしている間、アルはよそ見をしていたけど。
急に何かを思い出したみたいに「あ」と小さく呟いて。
「レン、メリナに屋敷の中、案内してもらって。部屋とか宝物とか」
僕をばあやさんの方に押しやった。それから、
「うん。でも、アルは?」
「ちょっと忘れものした」
それだけ言うと僕の返事なんか聞かずにスッとどこかへ消えてしまった。
「……アルまでいなくなっちゃった」
置いていかれちゃったと思いながら呆然と立っていたら、ばあやさんがそっと声をかけてくれた。
「それではアルデュラ様のご用事が済むまで、わたくしが城内をご案内をいたしましょう」
当たり前だけど「城内」というのはお城の中だ。
お父さんは王様で、その息子であるアルはやっぱり王子様。
そう考えると、たまにちょっと偉そうな話し方になるのもなんとなく頷ける。
「そうですね。そちらの世界ではそうお呼びすべきお立場なのでしょう。アルデュラ様もいつか同じように王になられるかもしれませんし」
アルはお父さんの小さい頃によく似ているし、王様の椅子もアルのことがとても気に入ってるようだと言って、ばあやさんは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「アルが王様かぁ……」
僕の中のアルは、やんちゃで好奇心旺盛で、ちょっと強引で、とっても可愛いけどごく普通の子。たとえ大きくなったとしても映画やゲームで見るような魔王のイメージとは結びつかないんだけど。
そよれりも。
「ばあやさんはアルのお父さんの小さい頃も知ってるんですか?」
思わず目を丸くしながら尋ねてしまった。
そしたら。
「私はもともとお父君のお世話係でした。お生まれになった時から存じ上げております」
見た目から考えて僕の伯母さんくらいの年なんだろうって思ってたから、アルのお父さんのナニーだったと聞いてすごくびっくりした。
お父さんが今いくつなのかは知らないけど、アルの口ぶりからするとたぶん何百歳って年のはず。
ということは、ばあやさんはいったいいくつなんだろう?
一人で首を傾げてみたけど、アルのお城は一つのびっくりを長く温めている時間をくれなかった。
「さあ、こちらへどうぞ」
音もなく開いた大きな扉の向こうには、見たことのないものがたくさん転がっていた。
「ここは?」
昼と夜が一度に見える大きな窓のついた広間。
「アルデュラ様のお勉強部屋です」
図書館みたいに天井まで届くような大きな本棚はあったけど、机や椅子はなくて、その代わりに金と銀の縁取りのついた不思議な色の鏡や、何の形なのかよく分からない彫刻、何も入っていない鳥かごなんかもあった。あとはクリスタルみたいな透明の大きな石。その他にもたくさん。
とにかく初めて見るものばかりだった。
「それでは、アルデュラ様お気に入りのアルバムをお見せいたしましょう」
それがアルの宝物の一つだと言ってばあやさんはクリスタルに手を伸ばし、またにこりと笑った。
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