食事会はとても楽しくて、僕の好きなものばかりが大きくて長細いテーブルにたくさん並べられた。
まさにお城の晩餐会という感じだったけれど、食べてるのはアルと僕の二人だけ。
他の人たちはずっと僕たちの側にいて料理を運んだり、飲み物を持ってきたりしてくれたけど、誰もテーブルマナーなんて面倒なことは言わなかった。
それから、アルはやっぱり「うっ」て顔でキライなものを飲み込んでいたけれど、僕はちゃんと笑わずにいることができて、その時はばあやさんがにっこり笑って頷いてくれた。
寝る前にはプールよりも広くて噴水や滝があるお風呂に大きな船を浮かべたりしながらアルとたくさん遊んで、ばあやさんが用意してくれたおそろいのパジャマに着替えた。
「アルデュラ様、ちゃんと歯みがきをなさってくださいね」
ニーマさんがおもしろい形の歯ブラシを持ってアルの後をついて歩いていたけど、
「いいよ、そんなのあとで」
アルはそう言って僕の手を掴むと廊下を走り出した。
もちろんすぐに掴まってしまったけれど。
「もう、アルデュラ様ったら」
尖った歯を磨くのはちょっと大変だから、アルはいつも面倒くさがって適当に磨いただけで寝てしまうのだとニーマさんが困った顔をした。
「アル、ちゃんと磨かないと虫歯になっちゃうよ」
人間よりずっと長生きするんだから歯は大事にしないとダメだよって。
そう言ったら、やっと、
「仕方ないなぁ」
そう言って洗面台の前に立った。
僕も自分の歯ブラシを取り出して、アルと並んで。
鏡が「もういいよ」と言うまで歯みがきをした。
「ぴかぴかになっただろ?」
アルはそう言ってニーマさんにニッと笑って見せると、お父さんに電話をかけなくちゃいけないからって、ちょっとだけ「電話の部屋」にいってしまった。
「レン様のお言いつけは良く聞かれるんですね。毎日ご一緒にいてくださったらいいのに」
アルがいなくなったあとでニーマさんにもばあやさんにもそう言ってもらったんだけど。
「そんなことないです。母さんが言うことならなんでも聞いたけど、いつもは信号が赤でも渡っちゃうし、向かいの家の犬の鎖を勝手に外して連れてきちゃうし……」
思い出すとちょっと寂しい気持ちになる。
それはアルがあんまり言うことを聞いてくれないからじゃなくて、母さんがいなくなった後の僕の家は昔ほど楽しくないんだろうって思うからだ。
そんなことを考えていたら、うつむいてしまいそうになったけれど。
「アルデュラ様が戻られるまで、わたくしの部屋でお茶でもいかがですか?」
ばあやさんにそう言われて、慌てて顔を上げた。
「あ……でも……」
いいんだろうかと思いながら返事につまっていると、
「お見せしたいものがありますので、ぜひお越しください」
僕に謝らなければならないことがあるから、って。
そう言われて。
頷きかけた時にはもうお城の正面玄関のすぐ近くのドアの前にいた。
「さあ、どうぞ。あちらにお掛けください」
案内された部屋はシンプルで暖かい感じで。
コポコポと優しい音を立てていれられた甘い紅茶がとてもよく似合った。
この紅茶はメリナさんが大切に育てたもので、「飲んだ後5分経つとなかったことになる」から、もう一度歯みがきをする必要はないらしい。
「これは?」
一緒にテーブルに置かれたのはアルの練習部屋にあったのよりずっと小さいけど、吸い込まれそうなほど透明なクリスタル。
「最初にレン様の家にお伺いした日のアルデュラ様です」
中に浮かび上がっていたのは小さなアルの背中。
いつもは人間の世界を覗いたりしないのだけど、この日だけはどうしても心配で、「目」の役目をする小さな使い魔を一緒に連れていかせたのだと言う。
そんなことをアルが知ったらきっとものすごく怒るから、まだ一度も見せたことがないらしい。
「ですから、どうかご内密に」
そう念を押されて、僕は「はい」と頷いた。
クリスタルの中には薄い金色のうさぎコウモリが映っていた。
でも。
「……あれ……?」
思わず呟いてしまった理由は、そのうさぎコウモリ。だって、僕はアルが飼っている黄色いインコを連れてきたと思い込んでいたから。
「人の目にはそう見えるよう呪文をかけておきましたから」
母さんはにっこり笑ってうさぎコウモリにもお菓子を差し出した。
そんなものを食べるのかなって思ったけれど、アルの頭の上にとまった後、パクッと一口で飲み込んだ。
僕はアルの顔しか見ていなかったから、それに気付かなかったんだろう。
でも、母さんは「あら」と小さく呟いてからクスッと笑った。
「奥様にはちゃんと元の姿で見えていたのでしょう。けれど、これが『目』だということまでは気づいていらっしゃらなかったのですから、使い魔は外で待たせておくべきでした。なのに、アルデュラ様のことがどうしても心配で―――」
ばあやさんは本当に申し訳なさそうに謝ってくれたけど。
「いいんです。アルがこんなにちっちゃかったら、やっぱりすごく心配だと思います」
そのあと、少し淡い色合いで映し出されたのは見慣れたダイニングルーム。
にっこりと微笑む母さんと、マドレーヌを手にしてはにかんだように笑い返すアル。それから、テーブルの隅で一緒にお菓子を食べているうさぎコウモリ。
アルの隣に座った僕はちゃんと自己紹介をしてた。でも、アルはお菓子を持ったままササッと母さんの後ろに隠れてしまって自分の名前は言わなかった。
その後だって母さんにべったりで。
だから、僕はちょっと寂しかったんだろう。
母さんとアルから少し離れたところに座って、一人でテレビを見ようとしていた。
でも、母さんはにっこり笑って僕からリモコンを取り上げた。
『レン、お母さんはそろそろお夕飯の用意をしなくちゃいけないから、ここで小さな悪魔さんと遊んでいてね』
『……うん』
でも母さんが一緒じゃなら仲良くしてくれっこないよ、って小さな僕が口を尖らせると、アルは困ったような顔でうつむいてしまった。
『レンはお兄さんなんだから、自分から"仲良くしよう"って言わないとダメよ。ほら、二階に行って二人でおもちゃを選んできてね』
『……うん。じゃあ、僕の部屋に行こう』
誘っても俯いたままのアルの手を握って恐る恐る引っ張った。
その時のことはもう僕の記憶にはほとんど残っていなかったけど。
ばあやさんのクリスタルに映ったアルは手をつないだ瞬間にパッと明るい表情になって、小さな足音を立てながら僕の後をついてきた。
「……ぜんぜん気付かなかったな」
母さんが亡くなるまでずっと、アルは僕のことなんてどうでもいいんだろうって思ってた。
でも、手を引っ張られながら歩くアルはとっても嬉しそうで、僕が振り返るたび顔一杯に笑ってみせた。
アルの足には高すぎる階段を抱き上げるようにして昇らせて。
その間も僕はアルが足を滑らせないようにするので精一杯だったから、小さな羽根がパタパタ動いていることには気づいてなかった。
でも、母さんはちゃんと分かっていたんだろう。
階段の下でアルを見上げながら、うふふって顔で笑っていた。
「レン様はお母様によく似ていらっしゃいますね」
確かに僕は母さんと同じ色の髪と目だから、父さんにも「母さんにそっくりだ」って言われるけど。
クリスタルの鏡に映った母さんは、とても優しそうで、温かそうで。
「アルもそう思ってたらいいな」
僕のひとり言にばあやさんは「きっとそう思っていらっしゃいますよ」と言って目を細めた。
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