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そのあとしばらくして、外から突然大きな声が響いてきた。
今のは何だろうってこっそりアルに聞いたら、門番をしている竜だと教えてくれた。
それが開城の合図らしい。
「ドラゴンが門番なんてすごいなぁ」
庭が広すぎてお城の窓からじゃ門番の姿は見えないけど、きっとすごく大きな竜に違いない。
「アルデュラ様から月夜に庭を散歩する竜の話はお聞きになりませんでしたか?」
ばあやさんにそう言われて、思い出したのは赤い月の夜の話。
自分の大きさがわからなくて、たまにしっぽでお城の壁を壊してしまうあのドラゴンのことだ。
「普段は門番なんですね。カッコいいな」
ばあやさんの話では、彼は大きな口から雷を吐けるとても強い竜だけれど、お城の庭が大好きで休憩の間に散歩や庭師の手伝いをするのが趣味らしい。
「いつかレン様にも自分が育てている花を差し上げたいと申しておりました」
門番さんに会えるのは僕がもうちょっとお城のしきたりに慣れて庭を自由に歩けるようになったあとみたいだけど。
「じゃあ、『ありがとうございます。楽しみにしています』って伝えてください」
そう言った瞬間、ばあやさんが呪文を唱えて僕の言葉を文字にして空中に静止させた。
でも、それは鏡に映ったみたいに反対向きだった。
どうしてだろうって思ったけれど、その謎はすぐに解けた。
「ルナ、レン様のお手紙は門番の仕事が終わってから渡すようにね」
パッと現れたルナは目の前に止まっていた僕の言葉に銀の粉をふりかけて、それを紺色の便箋に押し付けた。
そう、ちょうどスタンプみたいに。
「では、お預かりいたします」
「ありがとう。よろしくね」
にっこり笑ってお願いすると、ルナはいつものように恭しいお辞儀をして、封筒に入れた手紙と一緒にまたパッと姿を消した。
「さあさあ、スウィード様もアルデュラ様も早くお召し替えを」
竜の声がすっかり聞こえなくなると、ばあやさんは二人の支度を急かした。
「メリナはせっかちだね」
お父さんは相変わらずのんきな声でそう言うと、笑顔のままうさぎの僕を一なでしていなくなった。
「もうこんなにお客様が……広間の様子と、あとは庭のテーブル席を見せてちょうだい」
ばあやさんの声に反応して部屋にある三枚の大きな鏡が賑わう大広間や光る花々の間を散歩する人たちの姿を映し出した。
「わぁ……すごいなぁ」
思わず目が釘付けになったのは、もちろん着飾ったお客さんの豪華な衣装のせいもあるけど。
それ以上に、それぞれがちょっと不思議な肌の色だったり、キラキラした触覚がついていたり、黒目が猫みたいに縦長になったりするのがとてもキレイだったからだ。
『今年も美しい夜空ですわね』
『本当に』
鏡を通して聞こえる声もちょっと不思議な響き。
水の中みたいだったり、楽器の音みたいだったり、風がやわらかく吹き抜けていくときみたいだったり。
でも、どれもとても耳に心地よかった。
『お聞きになりました? なんでも今宵の月より光り輝くものが見られるとか』
『昨年は黒の森の番人から献上されたという宝玉が広間に飾られましたわね。フェイシェン殿の話では今年はそれの何倍も素晴らしいと……』
『まあ、それは楽しみ』
会話の合間に聞こえる華やかな笑い声に僕もなんだかワクワクして、
「ね、何が見られるの?」
アルを引き止めて聞いてみたけど。
「知らない。別になんにも用意してなかったぞ」
だから、今度は二人してばあやさんのほうを見たんだけど。
「とにかく、アルデュラ様は先にお支度を」
ばあやさんはなんだかちょっと困ったように微笑んだだけで、近くに控えていたフェイさんと一緒にアルを衣裳部屋に追いやってしまった。
「……きっとばあやさんも知らないんだ」
一人取り残されたウサギの僕は忙しそうなばあやさんの背中を眺めながらテーブルの上で丸くなった。
でも、そんな時間もほんの少しの間で、すぐにアルとお父さんが着替えを終えて戻ってきた。
「アルデュラ様、今夜はまた随分簡素なお召し物になさったのですね」
ばあやさんは「あらら」って顔をしていたけど。
黒いスーツにすっきりとした白いシャツ姿のアルはとても厳かで凛々しくて、誰かにちょっと自慢してしまいたいくらいだった。
「とてもステキだよ。本物の王子様って感じだ」
僕は本当にそう思ったんだけど。
アルはちょっと困ったみたいにポッと赤くなって、その瞬間にお父さんに笑われていた。
「笑ってる場合じゃないだろ。レンはいつまでウサギのままなんだよ?」
またちょっとムッとしながら怒っていたけど、お父さんはずっとニコニコのまま。
代わりに答えたのはばあやさんで。
「形が変わってきましたので、そろそろお戻りになる頃かと」
そんな言葉にチラッと鏡を見たら、いつの間にか耳としっぽがなくなっていて、白くてフカフカした変な生き物が映っていた。
もうウサギですらない。
「……ホントに大丈夫なのかな」
さすがに心細くてついそうこぼしてしまったら、アルがとても心配そうな顔で僕を覗き込んだ。
「レン、具合悪いか?」
「ううん。それは平気」
心配させてごめんねって思いながら、「なんだか変な感じだけど大丈夫だよ」って返事をしようとしたけど。
その時、僕の中からいきなりシュワシュワッていう大きな音がして。
「うわ……っ」
炭酸のジュースを一気にグラスに入れた時みたいなその音にびっくりして、思わず叫んだ途端、視界がぐにゃりと歪んで目の前に置いてあったティーカップがみるみるうちに小さくなった。
いや、正確には「カップが小さくなった」んじゃなくて。
「……僕、元に戻ったんだね」
自分の手を見ながら『よかった』って呟いて。
でも、その時はじめて何にも着ていないことに気付いた。
「あ……」
部屋にはばあやさんとアルとお父さんしかいなかったけど、パンツもはいていない状態っていうのはやっぱり恥ずかしくて。
一瞬で耳まで赤くなったら、ばあやさんがすぐにまた指を立てたけれど、呪文を唱え始める前に僕の体は手品に使うみたいな大きな黒いマントで包まれた。
「いいよ、メリナ。レン君の服は私が作っておいたから」
お父さんは別に呪文なんて口にしなかったけれど、代わりに優しい香りがふわりと鼻先をくすぐって。
「きっと似合うと思うよ」
そう言うとにっこり笑ってマントを消した。
「わぁ……」
いつの間にか僕はパーティー用の服に着替えた僕は上から下まで真っ白な服。
パッと見は普通のスーツっていう感じだったけど、まるで絵本の王子様のようにシャツにはレースの襟とリボンがついていた。
「思った通りピッタリだ。残念なことにアルデュラにはこういう服が似合わなくてね」
確かにアルの服はシャツにもレースやフリルはぜんぜんついていないし、襟元もリボンじゃなくてちょっとだけふんわりしたアスコットタイみたいなものだった。
「……あの、僕の服って」
ちょっと女の子のブラウスみたいだし、僕だけだったらちょっと恥ずかしいなって思ったけど。
「遅くなって申し訳ありません」
フッというかすかな音と共に部屋に戻ってきたフェイさんを見て安心した。
僕よりもすっとたくさんのレースと飾り付き。
フェイさんのサラリとした髪にとても似合うステキな服だった。
こちらの正装はきっと『魔王が似合うと思った人にはたくさんレースをつける』という決まりなんだ。
実際、お父さんの服にもちょっとだけどレースやフリルはついていた。
それを確認してから僕はようやく笑顔でお父さんにお礼を言ったけど。
でも、衣装に関する本当の問題はそのあとだった。
「じゃあ、後は羽が生えるのを待つだけだね」
「……え?」
その言葉に、僕とアルは同時に顔を見合わせた。
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