魔王を祝う日のパーティーの後から、お城の廊下や庭でお客さんと顔を合わせることが多くなった。
どうやら今までは僕が廊下で突然誰かに会ったりしないようにお父さんがお城の中の配置を工夫してくれてたらしい。
確かに魔族は人間と違って髪や目や肌の色だけじゃなく、もっとたくさんいろんなところが違うから、何も知らないで会ったら本当に驚いてしまっただろうけど。
「もう慣れただろ?」
「うん。お父さんにまたお礼を言わないと。いろんなお客さんが遊びにくるのってステキだね」
たくさんの人と会えるのは楽しいし、声をかけてもらったりするのもとても嬉しい。
でも、一つだけ首を傾げてしまうことがあった。
僕の顔を見るたび、誰もが決まって「これはこれは、アルデュラ様の」とか「ごきげんよう、アルデュラ様の」と言うことだ。
「どうしてみんな『アルデュラ様の』で止めるんだろう?」
たぶん『アルデュラ様の友達のレンさん』って言うのが長くて面倒だからだと思うんだけど。
「そうですね……スウィード様はちゃんとご友人として紹介されたのですが、何分アルデュラ様がパーティーの時にあのようなご様子でしたから」
困りましたね、とばあやさんはちっとも困っていない顔で言うから、僕の疑問はもっと深まってしまった。
アルがお客さんに向かって「触るな!」って怒鳴ったことは僕も覚えていたけれど。
「どうしてそれが『アルデュラ様の』っていう呼び名になってしまうんだろう?」
そのとき部屋にはばあやさんとニーマさんとフェイさんとルナがいて。
だから、一人くらいは答えてくれるだろうって思っていたのに。
なぜだか誰も僕と目を合わせてくれなくて。
当然のように答えはもらえなかった。
「困ったなぁ」
その次に遊びに来たときも、僕はちょっと考え込みながらお城の中を歩いていた。
「でも、こうやって悩んでいるだけだと何の解決にもならないし……」
だったら自分でなんとかしなくては。
そう思った時、前から歩いてくる人に声をかけられた。
「あら、アルデュラ様の。本当にいつお会いしても宝石のよう。その髪と瞳は本物ですの? 呪文で変えてらっしゃるわけではないの?」
目の前にはスラリと背の高い蝶の羽の人。
前にも一度会ったなと思いながら「こんにちは」と挨拶をして、髪と目は生まれた時からずっとこれだと説明して。
それから、
「あの……僕、レンって言います」
自分でちゃんと名乗ってみたけれど。
「わたくしはルシルと申します。どうぞよろしく、アルデュラ様の天使のレン様」
なんだか前よりもっと間違いの部分が多くなってしまって、心の中でふうっとため息をついてしまった。
「……こちらこそよろしくお願いします」
育った場所が違うんだから、感覚が違うのは当たり前。
僕がもっとこちらの考え方や作法に慣れたらうまく気持ちを分かってもらえるはずだから、焦らずゆっくり理解してもらおうって決めたけれど。
それでも間違ってる部分だけはちゃんとしておかなくちゃと思って、
「僕、人間なんです」
そこだけは訂正してみたけれど。
「存じておりますわ、アルデュラ様の天使のレン様」
にっこり笑ってまた同じことを言われて、僕は本当に途方に暮れてしまった。
「習慣や考え方が違う人に何かを正しく伝えるのはとても難しいことなんだな……」
ちゃんと名前を呼んでもらえないのはもしかしたら『魔族は名前がとても大事』というのに関係があるのかもしれないけど、僕はまだそのあたりがよく理解できていない。
「でも、せっかくアルの家に招いてもらっているんだから今から少しずつ覚えていかないと……」
とても真剣な気持ちで自分の考えに頷きながら『午後のお茶の部屋』に行って、門番さんが育てたというハーブのお茶を入れていたニーマさんを捕まえた。
「……って思ったんだけど、僕はまず何から勉強したらいいと思う?」
アルの部屋で本を借りたらいいのかな、とか。
もっといろんな人と話したらいいのかな、とか。
あれこれ相談したら、ニーマさんはとても楽しそうに笑いはじめた。
「それはお勉強が足りないせいではなくて、アルデュラ様がお見えになるお客様みんなにレン様のことを……」
「え?」
聞き返した瞬間どこからか咳払いが聞こえて。
ニーマさんは「あ」っていう顔をした後、その話をやめてしまった。
「ああ、いえ、それはまあ、なんというか……みなさま本当に気が早くて困りますね」
結局、最終的な返事はそんな感じで。
「それは何の気が早いってことなの?」
追加の質問をしてみたけれど、ちょっと困った顔でにっこり笑っただけ。
「レン様ももう少し大きくなられたら分かりますわ」
そんな言葉で全部終わりにされてしまった。
「なんだか疑問が増えちゃったな」
大きくなるのを待ってもいいけど。
「そしたら、その間はずっとわからないままってことだよね……」
もう誰に聞いたら言いか分からなくて。
仕方がないのでお菓子の匂いに釣られて走って部屋に入ってきたアルに相談してみた。
でも、アルは多分僕より年下だから、きっと分からないだろうなって思ったのは大当たりで。
「レンの呼び方? それのどこがダメなんだよ?」
大真面目な顔でそう聞き返されただけ。
「ダメっていうか、何かがちょっと違うと思うんだけど」
僕が頑張って説明しても。
「どこも違ってない」
力強くそう返されてしまう。
メリナさんやニーマさんよりさらに根本的なところを分かってもらえないばかりか、僕があまりにも何度も言うものだからちょっと面倒になったみたいで、しばらくすると口を尖らせて何も答えなくなってしまった。
「ごめんね、アル。僕もそれがイヤってわけじゃないから、もういいよ」
魔族との意思の疎通はときどきとても難しい。
こんな時はしみじみそう思う。
そして、結局それはうやむやになったまま、今日も長い廊下でいろんな人とすれ違う。
「こんにちは、マカ夫人。いいお天気ですね」
大きな窓の向こうに見える真っ青な空はとても気持ちよかったけれど。
「ごきげんよう、アルデュラ様の宝石(ジュエル)さん。貴方はあの空よりも眩しくてよ」
こんな感じで。
「……ありがとうございます」
僕は今でもお城で会うお客さん全部に「アルデュラ様の」と呼ばれている。
〜 fin 〜
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