Halloweenの悪魔

-お城で迷子-




-3-

ニーマさんに入れてもらったお茶を一口飲んでホッとして。
でも、それと同時に思い出したことがあった。
「あっ……アルとの待ち合わせって勉強部屋だったんだ!」
カップを置いて慌てて立ち上がると、メリナさんがにっこり笑った。
「では、すぐにこちらにお呼びいたしましょう」
そう言ってルナをお使いに出そうとした、ちょうどその時。
バンッと勢いよくドアが開いて、アルが駆け込んできた。
「レンは!?」
息を切らしているアルの周りには魔術の本三冊と銀色のペンと青いインク入れときれいな縁取りのあるノートと、他にも図書室のミミズクさんのものと思われるやわらかそうな羽がたくさん飛んでいて、ものすごく急いで来てくれたんだってことはすぐにわかった。
「ご心配なさらなくてもすぐにフレアが扉を閉じてくれましたよ」
ばあやさんが静かな声で説明してくれたけれど、その意味はアルには分からなかったみたいで、思いっきり首をかしげた。
「でしたら、どうしてここにレン様がいらっしゃると思われたのです?」
そう尋ねられると、今度はちょっとだけ口を尖らせた。
「フェイが言いにきた」
でも、フェイさんが伝えたのは『泣いてる顔もとても可愛いですね』と『抱き心地もよかったですよ』だけで、お城の隙間に入り込んで変な扉を開けてしまったということは話さなかったらしい。
「フェイにいじめられたのか?」
アルがすごく心配そうに僕の顔を覗き込むんだけど。
「ううん。アルと別れた後で迷子になってフェイさんにここまで連れてきてもらっただけだよ」
そう説明したら、本当にホッとした顔になった。
隣ではニーマさんが笑いながらアルのお茶を入れて。
「それにしてもフェイシェン殿ったら……アルデュラ様にはまだその手のご冗談は早いですよね」
レン様だって分からないでしょう、と聞かれて「うん」って頷いて。
その間にアルはポケットからちょっと折れ曲がったハンカチを取り出して僕の顔全部をゴシゴシ拭いてくれた。
刺繍のついたハンカチは触るとふんわりやわらかで不思議な肌触りだった。
そして、なんだかとてもおいしそうだった。
「魔術の練習を兼ねて、ハンカチには曜日ごとに違う匂いをつけているんだ」
言われてみれば、これはチョコレートケーキ。
「昨日はオレンジムースだった。その前は―――」
火曜日から日曜日まではぜんぶ食べ物っていうのがなんだかとてもアルらしい。
「じゃあ、月曜日は何の匂いなの?」
その一つだけはとても特別なんだろうって思ったから、わくわくしながら返事を待ったけれど。
「教えない」
アルはきゅっと口を結んで首を振った。
でも、すごくいい匂いがするんだぞって言いながら周りの人たちを見渡して。
そしたら、ニーマさんたちもそろって僕の顔を見てにっこり笑った。
「なんだろう。気になるなぁ」
でも、誰に尋ねても「アルデュラ様の大好きな匂いですよ」としか答えてくれなかった。


その後はニーマさんたちも一緒にお茶の時間。
カラフルなチョコレートを頬張る間も僕がここに運びこまれてきた時のことが話題になっていて、ちょっと恥ずかしかった。
「レン様を抱き上げて回廊に現れた時のフェイシェン殿ときたら! アルデュラ様にもお見せしたかったですわ。それはそれは素敵でしたのに」
「本当に。またお客様の話題の的ですわね」
みんなはとても楽しそうだったけど、アルだけはだんだん機嫌が悪くなって。
「フェイのヤツ、なんで普通に連れてこれないんだ?」
とうとうばあやさんに不満をぶつけ始めた。
「レン様がとても驚かれたご様子でしたので、フェイシェン殿も気を遣ったのでしょう」
それは全部本当のことだったし、僕からも「びっくりしすぎて立てなかったんだよ」って説明をしたけど、アルの機嫌は少しも直らない。
今度はもっと根本的なことに文句を言い始めた。
「レンが遊びに来てるって知っていながら迷子にさせるな。俺の友達なんだぞ」
アルはここでは王子様だから、気に入らないことがあればいつだってこうしてみんなに言うのかもしれないけど。
「ちょっと待ってよ、アル」
僕が迷子になったのはばあやさんのせいじゃない。
それだけはちゃんと言っておかないとって思ったけど、アルはやっぱりそれも聞いてくれなくて。
「いいのですよ、レン様。お客様への気配りは城内を預かるわたくしの仕事。迷子にさせるなど、あってはならないことなのです」
そんな説明の後、アルに「申し訳ありませんでした」と謝っていた。
「でも……」
なんだかちょっと悲しくて、ひどくダメな気分になってしまう。
どうして迷ったりしたんだろう。
ちゃんと部屋に辿り着いていれば誰にも迷惑なんてかけなかったのに……。
ずずーん、と落ち込んでいる僕の前では、アルとばあやさんがまだその話を繰り広げていて、いっそう気が重くなった。
「今後はわたくしが責任を持ってご案内いたしますので」
僕が来たら廊下や部屋に術をかけるだけだからってばあやさんは言うけれど。
お城には100個も部屋があるんだから、とても大変だろう。
なのにアルは容赦がない。
「メリナが出かけてるときは?」
「ルナかフレアに頼んで行きましょう」
そう言った途端、メリナさんの斜め前くらいでポンッと銀の粉が散って、ルナが姿を現した。
それでも、アルは納得していなかったみたいで、またメリナさんに詰め寄った。
「もしも、頼むのを忘れたら?」
そんなアルを見ながら、メリナさんは一度にっこりと笑った。
それから、とても穏やかに、けれどきっぱりと言った。
「アルデュラ様との大切なお約束を、わたくしが一度でも忘れたことがありますか?」
メリナさんはカッコいい。
誰よりも優しいけれど、とても頼りになる。
アルだってそう思ったんだろう。
「だったら、それでいい」
迷子の対策会議はそこでやっと終わったのだった。


アルは満足したみたいで、その後は楽しそうにお茶を飲んでいたけど。
その隣で僕はずっと落ち込んだままだった。
「どうしたんだ?」
アルにまた顔を覗き込まれても、お茶の入ったカップから視線を上げられない。
「……なんだか今日はダメなことばっかりだなって……」
黒いもやもやに食べられそうになったことももちろん怖かったけど、それ以上にいやだったのは自分のせいでばあやさんが怒られたり、アルの機嫌が悪くなったり、ルナやフェイさんに面倒をかけたりしたこと。
その上、助けてもらったフレアにお礼を言うこともできなかった。
思わず「はぁ」とため息をついてしまったら、アルの手がゴシゴシと僕の頭や頬をなでた。
「だったらここへ呼んで礼を言えばいい」
簡単なことだろ、って言って隣を見上げると、ばあやさんが僕に向かってにっこり笑った。
「それではルナに頼みましょう」
そう言うと、今度はルナが僕の前に来た。
「仕事を増やしてごめんね」
申し訳ない気持ちで一杯だったけど、ルナの小さな口はちょっと楽しそうにほころんだ。
『引っ張るだけですから』
「え?」
どういう意味なんだろうってあれこれ思い巡らす間もなく、ルナが呪文を唱えはじめた。
すると、小さな手の先から銀色の糸のようなものが出て、それをクイッと引っ張ったら魚釣りのときみたいにクイクイッと手ごたえが返ってきた。
『どうやらフレアは先ほどスウィード様から言いつかった用事で城下に出たようです。戻りは明日になるのでご挨拶にはまた改めてお伺いしますと申しております』
「それだけでわかるの? その糸は何?」
僕の目にはキラキラした糸は空中で切れているように映ったけれど、引っ張るたびにピンとはりつめる様子は確かに見えないどこかに繋がっていることを感じさせた。
「私的な連絡に用いるものです。血族間にのみ結ぶことが出来ます」
簡単に言うと糸電話みたいなもので、近くにいれば相手を手繰り寄せることもできるらしい。
「ご理解いただけましたか?」
「……うん」
それはわかったけど。
「でも、『血族』って親戚ってことだよね?」
金色のドラゴンと、うさぎコウモリのルナ。
どうして親戚になれるんだろうって思ったとき。
『弟です』
その説明にさらに目がまるくなってしまった。
「だって、僕を助けてくれたのは金色の大きなドラゴンだったよ?」
それでもルナは当たり前のようにうなずいただけ。
何を質問したらこの謎が解けるんだろうって考えていたら、ばあやさんがにっこり笑って付け足してくれた。
「今のレン様でしたら、もう本来の姿をごらんになることができるでしょう。ここでは少し狭いですので、実物をお見せするわけには参りませんが……ルナ、あちらの鏡の前に」
メリナさんが指し示したのは『真実』を映すというクリスタル。
最初は僕の顔と同じくらいだったのに、待ってましたとばかりにぐいーんと広がった。
「うわぁ……」
でも、驚いたのは鏡が大きくなったことじゃなくて。
「あれが本当のルナの姿です」
そこには銀色でスラリとしたドラゴンが翼を広げて立っていた。
「……ルナってドラゴンだったんだ」
前にアルが「あと二十回くらいしたらちゃんとお城にいる竜を紹介する」って言ってたけど、まさかルナもその一人だったなんて。
「お城に不慣れなお客様ですと、たとえ鏡に映してもドラゴンの姿で認識することはできませんから」
鏡に映ったルナはとてもキリッとしていて、それから、どう見ても女の子ではなくて、その事実に僕はちょっと驚いてしまった。
うさぎコウモリの時はどっちなのかぜんぜん分からないし、それに、僕の感覚だとルナもフレアも女の子の名前って感じなんだけど。
「フレアは兄のルナとは違ってかなり無愛想ですので、ご不快な思いをなさったのではありませんか?」
ニーマさんの「兄」という言葉に、「やっぱり」と思いながら頷いて、もう一度鏡の中の銀色のドラゴンと僕の目の前のうさぎコウモリのルナを見比べた。
「いいえ、とても頼もしかったです。でも……」
どうしてルナだけいつも小さい姿になってるんだろう。
そう思った時、またばあやさんから追加の説明があった。
「フレアも普段は小さいのですよ」
僕を助けるために元の姿に戻ったんだろうって言われて納得した。
確かに今のルナと同じサイズだったら、落っこちかけていた僕を引っ張り上げることもできなかっただろうし、それどころか一緒にぱくりと魔物に飲み込まれてしまったかもしれない。
「ルナやフレアに限らず、城内で働く者は与えられた仕事をこなすのに都合の良い大きさになるよう自分に術をかけているのです」
ドラゴンの形のまま小さくなるんじゃなくて、うさぎコウモリになってしまうのがなんだか可愛いけど。
フレアも普段はルナを金色にしたみたいな感じなんだろうって思った時、気がついたことがあった。
それは最初にアルが僕の家に来た時に一緒にいた黄色いインコ。
ばあやさんのクリスタルで見たときは金色のうさぎコウモリだった。
「あれってもしかしてフレアだった?」
「さようでございます。使い魔の役目ができる者の中では一番無口ですので」
僕の家に行ってもうっかりしゃべったりはしないだろうっていう理由で選ばれたのだという。
「そっかぁ」
確かにルナくらい愛想がいいとお菓子をもらった瞬間につい「ありがとうございます」なんて言ってしまいそうだ。
「でも、カッコいいなぁ。僕が女の子のドラゴンだったら、きっとルナかフレアを好きになったと思うな」
そう言ったら、ニーマさんがくすっと笑った。
「ルナはともかく、フレアはずうっと前から片想いのお相手がいますからね」
「そうなの?」
ということは他にも女の子のドラゴンがいるんだなって思ったとき、なぜかニーマさんがちょっと意味ありげににっこり微笑んで。
同時にルナがふうっと銀色のため息をついた。



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