Halloweenの悪魔
-番人のノート-




-2-

『番人の庭』に続いているというドアは図書室の本棚の後ろにあった。
「じゃあ、行ってくる!」
勢いよくそこを開けたアルは弾んだ足取りで飛び出していった。
「本当に気をつけてね! ムリしちゃダメだよ! 早く帰ってきてね!」
力いっぱい叫んだけれど、もう僕の声なんてぜんぜん聞こえなかったみたいで、十歩目くらいからはもう思いきり走りだしていた。
「大丈夫かなぁ……」
ため息をついた僕の隣でみんなも心配そうな顔で立ち尽くしていたけど、アルの姿がすっかり見えなくなるとばあやさんが口を開いた。
「……仕方ありませんね。アルデュラ様が戻られるまでは特別業務ということにいたしましょう」
ばあやさんの呪文で大きなクリスタルのある部屋に移動すると、それを囲むようにして腰を下ろした。
「それでは、この先のことはアルデュラ様にはご内密に」
立てた人差し指の先でチョンとクリスタルをつつくと、今出て行ったばかりのアルの後ろ姿が映し出された。
あらかじめルナとフレアに『目』の仕事を言いつけているので、どちらかがアルの近くにいればここで全部把握できるらしい。
「ただし、こちらの声は聞こえませんのでアルデュラ様とお話になることはできません」
ばあやさんが説明をしている間にニーマさんがのんびりとお茶の支度をはじめたけれど、僕だけはひどく落ち着かなくてそわそわしていた。
「……本当に大丈夫なのかな」
自分が行くわけでもないのに心配で心配でしかたない。
だって、鏡の中のアルが歩いているのは鬱そうとした茂みがざわざわと覆い被さってくるような小道。
僕だったらいくらルナたちが一緒でも足がすくんで先に進むことなんてできなかっただろう。
でも、アルはスキップしてた。
「本当にピクニックのようですね」
「久しぶりの遠出ですから、はしゃいでいらっしゃるのでしょう」
みんながハラハラしながら見守っていることも知らず、珍しい石とかキレイな花とかをみつけるたびに手当たり次第カバンの中に詰め込み、気になるものを見つけると突然走り出す。
その様子も本当に楽しそうで、僕の罪悪感は少しだけ減ったけれど。
「……あれ、勝手に持っていってもいいのかな?」
アルが今歩いている場所はよその家の庭のはず。
ということは、そこにある全部のものは他人の所有物だ。
心配になって尋ねると、みんなが一斉に「ふう」ってため息をついた。
「まあ、小石程度のもので咎めがあるとは思いませんが……不都合があれば帰りに取り上げてくださるでしょう」
執事さんがちらりとクリスタルの中のアルを見て。
「そうですね。後は番人にお任せすることにいたしましょうか」
ばあやさんも「仕方ない」って顔をしたので、僕もそれは気にしないことにした。
もちろん、帰ってきたあとにはたっぷりお小言が待っているんだろうけど。

その後も僕は草むらがガサッと揺れたり崖から小石が転がり落ちてきたりするたびにドキッとしてしまって、ニーマさんが入れてくれたいい匂いのするお茶ものどを通らなかった。
「そんなにお気になさらなくても大丈夫ですよ、レン様。アルデュラ様もいずれは城の主となるのですから、いつかは通らねばならない道。ならば、今日のように大切なものをお預けする折でよかったのです」
ばあやさんの言葉で思い出したのは、僕の声と姿を移し込んだ玉。
すごくキラキラしていて、珍しい石には違いないんだろうけど。
でも、アルは何も考えずにカバンに放り込んでいて、その扱いだけ見ているととても高価な物とは思えなかった。
「うーん……」
悩んでいたら、ばあやさんがまるで僕の考えていることが判るみたいににっこり笑った。
「お預けするのはアルデュラ様のお気持ちですから、手渡すのは庭に転がっている石でも構わないのですよ」
でも、それでは儀式として格好がつかないので宝石を持たせているだけなんだって言われて。
「ふうん……そうなんだ」
一応そう答えたものの、本当はわかったようなそうでもないような微妙な感じだった。
とにかくこれが無事に済めばアルは番人から帳簿をもらってお城に帰ってくることができる。
次に同じようなことがあっても、今度はそこに守護してもらう相手の名前を書き込むだけでよくなるらしい。
「つまり今回はそのノートをもらうための試験ですね。レン様も学校では試験がおありでしょう?」
「はい。でも―――」
こんな何が起こるか分からないような怖いテストは受けたことがない。
お城の跡継ぎというのは本当に大変だ。
「僕にはぜったいムリだなぁ」
そう呟きながらまた申し訳ない気持ちになってしまったけれど。
「ご心配には及びません」
城の番人はアルを気に入っているから、何かあっても大事にはならないだろうって執事さんが言う。
でも、アル本人はそれを知らないんだから、不安なことに変わりはないだろうって僕は思うんだけど。
「そうですねえ。でも、アルデュラ様のご性質からすると、最初にそれを教えてしまったら気が緩んでしまうに違いありませんから、むしろそのほうが危ないと思うんですよね」
そう言われてみればそうなのかもしれないけど。
「また、そんなお顔をなさって。大丈夫ですよ、レン様」
だいたいあの足取りのどこが不安そうに見えるんだって、ニーマさんに笑われてしまって。
「うん……アルは楽しそうだけど」
「ええ、それはもう、とっても楽しそうですよね?」
だから、僕がそんなに気にすることはないんだって言いながら、温くなったお茶を消して、
代わりに温かいハーブティーを注いでくれた。
コポコポと心地よい音でカップが満たされる間、僕の後ろではばあやさんと執事さんがひそひそと何かの相談をしていた。
「むしろ気がかりは闇の竜ですね。アルデュラ様の近くに現れないと良いのですが」
「まったく、それが一番の気がかりですな」
『闇の竜』なんて名前からしてすごく強そうだから、そう思うのはもっともだって僕もこっそり頷いていたんだけど。
「そうですねぇ……アルデュラ様は一度お怒りになったらなかなかお気持ちを静めることができませんし」
「まだお小さいとは言え、あれだけはもう少しなんとかしていただかないと。また陛下が謝罪に出向かねばならなくなったらご公務にも支障が―――」
「確かに番人の庭で問題を起こされてはスウィード様とてお咎めなしというわけには……」
どうやらみんなは僕とは違うことを心配しているようだったから、その後は黙ってお茶を飲んでいた。


みんなにあれこれと心配をさせながらも、アルの冒険の出だしはそこそこ順調で、ルナやフレアもあまり緊張した様子もなく、パタパタと辺りを飛び回っていた。
それにしても、周りの景色が結構不気味なのに、三人ともぜんぜん気にしていないのがすごいと思う。
「怖くないのかなぁ……」
さっきだって、突然地面にぱっくり開いた大きな口が行く手を阻んで、僕は悲鳴をあげそうなほど驚いてしまったのに、アルはどうってことないみたいにその上を軽いスキップで飛び越えていってしまった。
「アルデュラ様は怖いもの知らずですからねぇ」
ニーマさんがクスクスと笑って、ばあやさんと執事さんがため息をつく。
どうやらアルはすごくちっちゃい頃からずっとそんな感じらしくて、ちょっとしたことですぐにドキドキしてしまう僕にはその度胸がすごく羨ましく思えた。
「僕に足りないものはなんだろう」って。
ニーマさんに聞こうとしたけれど。
「あら、今度はちょっと太陽が近そうですね。アルデュラ様がお召し物をポイポイ脱ぎ捨てたりしなければいいですけど」
鬱蒼とした森はいつの間にか真っ黄色の砂地に変わって、アルが眩しそうに目を細めるのが見えた。
「……暑そうだなぁ」
「アルデュラ様は太陽の近くがお好きなので大丈夫ですよ」
「ふうん、そうなんだ」
こんなふうに、『番人の庭』はとても不思議な場所で、僕がイメージする『庭』とはぜんぜん違う。
道の途中で薄い膜のようなものが現れ、そこを通り抜けるのと同時にザッと音がして目の前の風景が一変するのだ。
薄暗い森が氷の平原になったり、そこからまたゆらゆらと蜃気楼が揺れる砂漠になったり、突然まっくらな洞窟になったり。
おかげで「ただのお守り」のはずのルナやフレアは大活躍。
砂漠になったらルナが溶けない氷で日傘を作り、氷原になったらフレアが熱すぎない炎でアルの周りを包む。
二人がいれば世界中どこに行っても安心って感じだった。
でも、うさぎコウモリの可愛らしい口から家一軒をすっかり包むほどの大きな氷や炎が出てくると、さすがにちょっとびっくりするんだけど。


とにかく僕らは一日中そうやってクリスタルに見入っていた。
そう、ちょうど大きな事件のテレビ中継を見守るように。
「いつになったら着くのかな」
夢中で見ていたせいで、あっという間にお城の窓の外は日暮れの風景。
今、アルが歩いている細い石の橋も紫色の夕日に照らされていた。
その正面には沈みかけた太陽。もうすぐそこまで夜が来ていることを感じさせた。
「そうですねぇ……番人の館までの道の長さは訪問者によって異なりますし」
わかっているのは一日や二日で終わるようなものではないってことだけ。
その間、ばあやさんたちは交代でアルの様子を見守ることにしたらしい。
「だったら、僕もここでアルの帰りを待ちます」
学校は何日か休まなければいけないだろうけど、事情を話せばお父さんはきっと許してくれるはず。
そう思ったけれど。
「お戻りは日曜でよろしいですか?」
いつものように時間を調整するから大丈夫だってあっさりと言われて。
「はい。よろしくお願いします」
またその言葉に甘えてしまうことにした。


その日の夜はクリスタルの前に座ったまま毛布にくるまって夜更かしをした。
気持ちが落ち着くようにってホットミルクをもらったけれど、いつまで経ってもドキドキは収まらなかった。
「このまま朝まで目が冴えたままだったらどうしよう」
そんな心配もしたけれど。
「アルデュラ様も今夜はもうお休みになるようですね」
丘の上の大きな木の根元、竜の姿に戻ったルナとフレアの間で丸くなって寝始めたアルを見ていたら大きなあくびが出て。
「風邪を引かないよう暖かくしてお休みください」
穏やかなばあやさんの声を聞いたあと、いつの間にか眠ってしまったようだった。


その日の夢はスキップするアルを追いかける僕とルナとフレア。
アルの旅はきっとこんなふうに楽しいままで終わるんだろうって眠りの中の僕は思ってた。
でも。

四日目の朝、ばあやさんたちの心配は現実のものになった。



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