Halloweenの悪魔
-番人のノート-




-3-

「大変です! アルデュラ様が!」
ソファで眠っていた僕は、ニーマさんの叫び声で飛び起きた。
ばあやさんと執事さんも一斉に現れて、クリスタルの中を覗き込む。
そこには大きくて真っ黒な竜と、アルの後ろ姿が映し出されていた。
その手に握られているのは虹色に光る蝶。
でも、なんだかブローチかホログラフィーのように見えた。
「あれは餌にする妖魔を誘う時、闇の竜が放つ使役です」
ニーマさんの話だと、アルはそれをつかまえようとして闇の竜の巣に飛び込んでしまったのだという。
「着地の時にどうやらつまずかれたようで、鞘が当たってタマゴに傷が……」
ひび割れたりはしてなかったけれど、真っ黒なたまごには遠目にも分かるほどの大きな傷がついていて、お母さん竜が怒るのもムリはないって感じだった。
「どうしよう。アル、もしかして食べられちゃうの?」
竜の目はギラギラ光っていて、アルを敵だと思っているのは一目瞭然。
ドラゴンは妖魔と違って無用な殺生はしないってばあやさんから聞いていたけど。
でも、とても許してもらえそうにない雰囲気だった。
「大丈夫です、レン様。闇の竜と呼ばれる種族は特に気高い種族ですし、そもそもドラゴンが魔族を食するなどということは―――」
執事さんの言葉にホッとしたのは一瞬。
鋭い牙を持った口を大きく開けながら、ドラゴンは長い爪を天に向かって振り上げた。
「あれでも平気なの!?」
隣りを見上げると、いつもは涼しい顔をしている執事さんが引きつっていた。
「……食べることはなくとも、たまごを奪いに来たと思われることはあるかもしれませんね」
「そんな―――」
闇の竜のたまごは寿命を千年延ばすと言われていて、とてもいい値で売れるので密猟者があとを絶たないのだという。
よく見ると、二つのたまごにはどちらもたくさんの傷がついていて、もう何度もそんな目に遭ったことを知らせていた。
「どうやらこのまま元の道に戻ることはできそうにありませんね」
次第に高まる緊迫感の中、それでもアルたちが引く気配はない。
「言葉は? 言葉は通じるの?」
謝れば許してもらえるかもしれないって、少しだけ期待したけど。
「ルナかフレアが代わりに説明することは可能でしょうが、だとしても『はいそうですか』というわけには……」
執事さんの顔もこわばっていて、それを見たらもうどうしていいのか分からなくなった。
本当に、ただ「どうしよう」って思うばかりで。
自分の体からどんどん血の気が引いていくのがわかった。
「どうか落ち着いてください、レン様。もしもの時は番人に頼んで竜を引かせるか、術を使ってアルデュラ様を無理やりこちらに連れもどします。……フェイシェン殿、イリス様にご連絡を」
部屋中探してもフェイさんの姿はどこにも見えなかったけれど、「かしこまりました」という声は天井から響いて、スッと何かが消える気配がした。
「じゃあ、アルは大丈夫なんですね」
「ええ、お命は」
さらりと告げられたその言葉にドキリとした。
他に大丈夫じゃないものがあるってことが判ったからだ。
「それって……」
どういうことなのかを尋ねる前に、ばあやさんは少し悲しそうに笑ってクリスタルを見遣った。
「二度と番人の領域には立ち入れなくなります」
それだけですよ、ってあっさり言われたけれど。
つまり、それは城の継承者としての資格をなくすということ。
執事さんからそう聞いて目の前が真っ暗になった。
「そんな―――」
だって、アルが今あそこにいるのは僕のせいなのに。
そんなことになったら、どうやってお詫びしたらいいのだろう。


そんなやりとりの間にも、アルの周りの空気はいっそう張りつめていく。
「なんか言えよ。俺、さっき『ごめん』って言ったよな? 聞こえなかったのか?」
話している間にも苛立ちは大きくなり、言葉がきつくなっていく。
それでも黒い竜からは何の返事もなくて、代わりにギギギという音と共に手の先の爪が長く伸びた。
それと同時にサッとルナとフレアが後ろに引いたのは、何かあったらすぐ元の姿に戻れるように場所を確保するためなんだろう。
もう戦いを避けることはできないんだって思ったら、立っていることができなくなった。
「力でケリをつけるつもりなら受けて立つ。ただし、命の保証はしないから覚悟しておけ」
その声はアルのものとは思えないほど低く冷ややかで、背筋がゾクリとした。
「まずいですね……アルデュラ様もすっかり本気です」
真っ黒で癖のある髪がみるみるうちに逆立ち、広げた翼も棘に覆われる。
普段よりいっそうツリ気味になった目が、底のない真っ暗な色に変わって、体中から放たれる殺気がビリビリと空気を震わせた。
「アル……」
前に悪魔と戦ってくれた時、アルは今よりずっと小さかったし、羽から棘なんて出なかった。
何よりも、すぐ側にいた僕でさえこれほどの力は感じなかったのに。
「アル、やめて! お願いだから!!」
でも、叫んだ時にはもうアルの足は地面を蹴り、高く天に舞ったあとで真っ黒な竜の背中を踏みしめていた。
スラリと鞘から抜かれた剣が光り、その首めがけて振り下ろされるまでの時間はほんの一瞬。
声さえ出すことができずに、僕はただギュッと目を瞑った。
他のみんなだってきっと「もう駄目だ」って思ったはず。
でも、おそるおそる目を開けた時、アルの手はピタリと止まっていた。
「……レンが『やめろ』ってさ」
そう言うと、シュッと腰に剣を収めて、ストンと軽い音で地面に降りた。
闇の竜もすごく驚いた顔をしていたけど、執事さんとニーマさんはそれよりもびっくりした様子で目を丸くしていて。
「そんな気がしただけでしょう。こちらの声が届くはずなどありませんから」
ばあやさんだけはいつもと同じ落ち着き払った声でそうつぶやいたけれど、横顔は本当にホッとしていた。

一方、アルとドラゴンはまだ向かい合ったまま。
二人ともなぜかちょっと困った顔で立ち尽くしていた。
「えっと……じゃあ、もう一回やりなおしだな」
そう言うと大きく深呼吸して、真っ直ぐに金色の瞳を見上げた。
「間違って巣に入ったのは俺が悪かった。ごめんなさい。……ってことで俺はこのまま元の道に戻る。それでいいだろ?」
問いかけられたドラゴンはまばたき一つしなかったけれど。
「ホントはこの剣じゃ、おまえのこと切れないんだよ」
そう言って傷つけたタマゴを一撫でしてその場を立ち去ろうとするアルを追いかけはしなかった。
「……よかったぁ」
これで、あとはもうまっすぐ番人のところへ向かうだけ。
誰もがそう思ったのに。
そのとき、鳥の大群が羽ばたくような、ザーッという音が耳に飛び込んできて、アルがキュッと眉を寄せた。
「……妖魔か」
吐き捨てるようにそう呟いた後ろでは、黒い竜も羽音の方向を振り返っていた。



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