Halloweenの悪魔
-番人のノート-




-4-

少し離れた森から湧き上がっている真っ黒な影。
モヤモヤの大群はまっすぐアルたちのところに向かっていた。
今度こそ食べられてしまうかもしれない。
そんな不安は残念ながら的外れでもなくて。
「そうですね。強いものを取り込むと妖魔の力も大きくなりますので……」
執事さんの言葉に冷たい汗が流れた。
子供だけどそこそこ強いアルと、たまごを守らなければならなくて十分に力を発揮できない闇の竜なら、一気に吸収できるかもしれない。
そんな思惑なのだろうと淡々とした説明が続く。
「アルたちのほうが弱いってこと?」
だったらこんなところでぼんやり見ているわけにいかない。
思わず勢いよく立ち上がったけれど。
「大丈夫です。ルナとフレアがおりますし、それに―――」
何かあったらすぐにこちらに連れ戻す準備はできているのだからって言われても、「だったらいいや」なんて思えなかった。

それでもなんとか気持ちを落ち着けてクリスタルを覗き込むと、闇の竜がアルを咥えてたまごの隣りにポトンと落としているところだった。
「何するんだよ!?」
アルはまんまるい目で抗議していたけど、それもすぐに大きな翼に覆い隠されてしまった。
「おそらくは、たまごとアルデュラ様を一緒に守るつもりなのでしょう」
何百年も生きているドラゴンから見たら、生まれて数年のアルなんて赤ちゃんと一緒。
さっき自分に剣を突きつけたばかりだとしても、妖魔と戦わせるわけにはいかないって思ったんだろうって。
でも。
「一人で勝てるのかな」
黒くて大きな竜はとても強そうだけど、あんなにたくさんが相手ではきっとすごく大変だろう。
どんどん不安になっていく間にも真っ黒で形の定まらないものたちは数を増やし、みるみるうちにアルたちを取り囲んでいく。
竜の巣の上には膜のようなものが張られていて、黒いモヤモヤは中に入れないみたいだったけれど、お母さん竜がそこを離れられないせいで、うまく攻撃することもできなかった。
ニョロニョロたちは大群でザーッと押しよせ、巣の周りに全部の絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたみたいな色のドロッとした煙を吐きかけた後は、馬鹿にしたようにまたサーッと逃げてしまう。その繰り返しで。
その上、あとからあとから湧いてきて、このままではお母さん竜だけが先に疲れてしまうって思った時。
「これじゃ埒が明かない。おまえはここを守ってろ!」
透明な膜をペロリとめくってアルが巣から顔を出した。
「心配するな。俺は強いぞ」
ニヤリと笑った口元からは鋭く尖った歯が覗き、瞳がまた深い闇色に変わっていた。
なんだか心配になって振り返ったら、執事さんもちょっと「ああ……」という顔をしていて。
「……正直なところ、妖魔の数よりもアルデュラ様のお声がやけに弾んでいらっしゃるのが気になるのですが」
ポツリとそんなことをつぶやいた。
アルが食べられてしまうかもしれないなんてことは少しも思っていないみたいだから、それについてはホッとしたけど。
だからといって全面的に喜ぶこともできなくて。
そのうえ。
「多少荒らしたところでどうせ番人の庭でしょう。それに相手は妖魔なのですから、お気が済むまで存分に遊ばれたらよいのでは?」
いつの間に来たのか、後ろでフェイさんがクスクスと笑っていて、その向こうではばあやさんが思いきり深くため息をついていたから、なんだかさらに不安になってしまった。

みんなの心配をよそに、アルはものすごく張り切って竜の巣を抜け出した。
「行くぞ!」
その声と同時に手の中では戦いには使えないはずだった剣が冴え冴えとした色に変わっていく。
封印が解けたのだ。
「ルナ! フレア!」
呼ばれた二人はすぐにサッと距離をおいて、元の竜の姿に戻った。
金色と銀色の竜は薄暗い荒野でもキラキラと輝いて妖魔を威圧し、さらに真っ黒で大きな竜の隣りに並んだら、あんなモヤモヤやニョロニョロなんかに負ける気がしなかった。
「みんな頑張って!」
聞こえないって分かっていたけど。
僕にはこんなことしかできないから、せめてアルたちがみんな無事でいられるようにって一生懸命お祈りをした。

その間にも黒い影は耳障りな音を撒き散らしながら視界を埋め尽くして。
やがて、ルナの『目』もフレアの『目』も全面が真っ黒になってしまった。
時折り聞こえる『ギュギュギュ、ギュアアァァ』という変な悲鳴がアルやルナたちのものでないことを祈りながら、ただ待つだけの時間は信じられないくらい長かったけれど。
「今、何か映りましたね。あ、ほら、また……」
闇が途切れて光が差したのは、それからしばらく経ってから。
そこには雲の晴れ間と、大きな剣を軽々と振り、妖魔をなぎ払うアルの姿があった。
術がかかった刃先からは一振りごとに光が飛び、遠くの影まで一気に撃ち落す。
後ろから聞こえてくる「ゴーッ」は、たぶん竜の誰かが炎を吐く音で。
その鮮やかな色もたびたび『目』の前を過ぎって真っ黒な幕を散り散りにした。
幾度かそれを繰り返しているうちに、妖魔たちが立てる羽音は小さくなり、空がすっかり見える頃にはまったく聞こえなくなった。

青空の下。
残ったのは、地面を埋め尽くす黒いものを端から種に変えている虹色の使役たちと、たまごの無事を確認する竜。
それから、肩で呼吸をしているアルの姿。
「……やっぱ、この剣じゃ、キツいよな」
ゼーゼー言いながら、ペタンと地面に座り込んだ小さな背中の回りはまだピリピリとした空気が取り巻いていたけれど。
闇の竜が『もう大丈夫』というようにその頬をペロンと舐めると、アルの瞳に残った冷たい色はすうっと消えてなくなった。
不思議だなって思っていると、やっぱり絶妙のタイミングで説明があって。
「闇の竜の食料は妖魔のような『邪気で出来ているもの』ですから」
アルが心に溜め込んでいたちょっと黒い気持ちも闇の竜のおやつになるんだろうっていう話だった。
「……おいしいのかな」
妖魔みたいな色だとしたらなんだか苦そうだなってつぶやいたら、ニーマさんが笑いながら頷いて。
「どんなに勧められても、私だったら絶対に食べませんね」
そう言いながら、今日最初のお茶の準備をはじめた。


テーブルに温められたカップが並んで、座り込んだままのアルの呼吸も落ち着いた頃。
クリスタルの中では闇の竜がひざまずくような仕草で頭を垂れていた。
声は聞こえなかったけれど。
「『どうもありがとう』ってことなのかな?」
たぶんそうだろうって思っていたら、パッと顔一杯に笑うアルの姿が映った。
「じゃあ、遠慮なく連れていくぞ!」
目を輝かせながら振り返った先には、たまごが二つ。
どうやら片方をもらうことになったらしい。
ひとつは大きくて真っ黒。もうひとつは灰色っぽく煤けている。サイズもふた周りくらい小さかった。
「二つとも一緒に生まれたわけじゃないのかな?」
首を傾げていたら、またばあやさんから説明があった。
「闇を継承する竜は一人だけですので、通常は片方しか育たないのです」
もうその兆候が出ているから、片方は小さくて灰色のままなんだろうって言われて。
「ふうん、そうなんだ」
どっちみち一個しか残らないなら、もう一つは大事に育ててくれそうな人にあげるほうがいい。
僕がお母さんでもきっとそう考えるだろう。
「もしや、アルデュラ様ははじめからたまごが一つ欲しかったのでは……」
執事さんがポツリとつぶやいて、みんなが「ああ」っていう顔をして。
もちろんアルがわざと巣に踏み込んでたまごに傷をつけたとは思わないけど。
「……勝てばもらえそうだもんなぁ」
だから戦う気満々だったのかもしれないって思ったら、なんとなく納得してしまった。
でも、これで二つとも無事に大きくなれるのなら、そのほうがいい。
ホッとしていたら、不意にルナの声が響いた。
『アルデュラ様、普通は大きい方を持ち帰るものです』
もちろんそれはたまごの話。
でも、ルナのアドバイスなんてぜんぜん聞く気がないみたいで。
「大きいのはカバンに入らないだろ?」
当たり前のように小さいタマゴを持ち上げた。
小さいって言っても、アルの両手からは余裕ではみ出していたけれど。
「それに、こっちを持って帰って大きく育てるほうがおもしろい」
俺の竜なんだからすごく強くなるぞって、また自信満々。
ついでに。
「おまえの子は王の息子アルデュラの最初の家臣となる。黒い体と黒い翼と赤い目で、名前はルビーだ。覚えておけ!」
そう言って、ビシッと闇の竜の鼻先に指を突きつけた。
闇の竜はなんだかちょっと不思議そうな顔をしていたけれど、アルは気に留めることさえなく、いつものようにちょっと偉そうに立ち上がった。
「城には他にもたくさんドラゴンがいるからな。きっと楽しいぞ」
ぱあっと笑ったアルのキラキラした瞳を見ながら。
闇の竜も笑い返すように少しだけ目を細めた。


その後、アルは自分の上着を脱ぐと、たまごをぐるぐる巻きにしてカバンの中に入れた。
『じゃ、またな、デス。帰りに見かけても声かけるなよ』
早くもどらないとレンが心配するからなって言いながら、アルは竜に手を振った。
闇の竜は代々『デス』という名前らしい。
ばあやさんがそう教えてくれた。
こちらの言葉だとデスは『闇を支配するもの』という意味らしいけれど、でも、アルが言うとなんだか隣りで飼ってる犬でも呼んでるみたいな雰囲気だ。
「アルデュラ様はルナやフレアを遊び相手にしてお育ちになりましたので、デスのことも怖いなどとは思っていらっしゃらないのでしょう」
「そっかぁ」
それにしても。
「ルビーってこちらでも赤い宝石ですか?」
「そうですよ。レン様の世界のものとは材質が異なりますが」
でも、お母さんである闇の竜は黒い体に金色の目。
なのに、どうして生まれてくる子の目が赤だって分かるんだろう。
ニーマさんも執事さんもさっぱり分からないといった素振りで首を振ったし、お母さん竜でさえ、アルの言葉に不思議そうな顔をしていた。
メリナさんならわかるだろうかと思って聞いてみたけれど。
「さあ。わたくしにもそれは……ですが、スウィード様はもともと竜使いのお家柄。ご子息であるアルデュラ様には見分ける力がおありなのでしょう」
「ふうん。すごいなぁ」
剣士のお母さんと竜使いで研究者のお父さん。
その組み合わせもちょっと不思議だけど、アルが「自分が育てたら強くなる」って自信満々だったことには頷けた。
……もっともアルはいつだって自信満々なんだけど。


その後、アルが元の道に戻るまでの間に、ばあやさんや執事さんからいろんなことを教えてもらった。
闇の竜のタマゴは見た目よりずっと重いこと、闇を継承しない子には明るい名前をつけると幸せになると言われていること、たまごには王様が選んだ世話係がつけられること。
「世話係は……まあ、ルナかフレアでしょうねぇ」
相手は闇の竜の子だから、お城で一番優秀なドラゴンでなければ手に負えないだろうって。執事さんがちょっと苦笑いしながらそう言った。
「なんだか大変そうだな」
真っ黒な体と赤い目で、普通の世話係では手に負えないドラゴンの子。
お城はまた賑やかになるんだろうなって考えていたら、アルが大きな声を上げて前を指差した。
「あれだ!」
道の正面には何本もの塔に囲まれた不思議な形のお屋敷。
それを見つけた瞬間、アルはまた楽しそうに走り出した。



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