Halloweenの悪魔
-番人のノート-




-5-

まっすぐに続く道の終点。
見上げた門は空に届きそうなほど高くて、その向こうにはペンの先みたいな塔の屋根が五つ見えた。
「意外と早く着いたな」
すうっと息を吸った後、アルは門に向かって大きな声で自分の名を告げた。
誰もいないのに、って思ったけれど。
それまで分厚い鉄の塊だった入口はその瞬間にパッと弾けて、白い花をつけたつる草のアーチへと変わった。
すごいなって思う僕とは違って、アルはちょっと呆れた顔をした。
「あー……俺んちにもこういう仕掛けが好きなヤツいるよな」
そのひとり言はたぶんお父さんのことなんだろう。
ニーマさんと執事さんがプッと吹き出して、ばあやさんも少しだけ口元をゆるめた。
その後、アルはキョロキョロしながらアーチをくぐり、花が咲き乱れる長い小道を歩き出した。
そして、お屋敷まではまだずいぶん距離があることを確認すると、おもむろにポケットからお菓子を取り出した。
肩に乗る小鳥たちにはカケラをあげ、ついでに自分でもポリポリ食べながら、ひとつひとつ違う大きさと色のダイヤ型のレンガの上を進んでいく。
色鮮やかな庭を散策する様子は、今度こそ本当にピクニックみたいだった。


広い広い庭を抜け、やっと辿り着いたお屋敷のドアの両側には木彫りの置物。
しっぽと耳がいくつもついているライオンだ。
……と思っていたら、アルがおもむろに話しかけた。
「番人はいるか? 王の子アルデュラが来たと伝えろ」
インターホンみたいなものなんだろうかと見ていたら、右側のライオンが「少々お待ちを」と答えて屋敷の中に消えていった。
「あれ、番人のところで働いてる人だったんだ」
オブジェじゃなかったことにびっくりだけど。
それよりも、よその家なのにアルの話し方がちょっと偉そうなのがおかしいなって思った。
でも。
「いついかなる時も、そして誰に対しても絶対にへつらわないことが王のご子息としてのお役目の一つなのです」
こちらではあれが正しい態度だってことを聞いてまたびっくり。
隙を見せると魔力を削がれたり心を操られたりすることもあるから、できるだけ自信満々で偉そうにしているのがいいのだという。
「もう少しご成長されましたらそのような必要もなくなるのでしょうけど」
だとしても悪魔の子供時代は長いのだ。
あの様子だと、大人になる頃にはもう偉そうな態度しか取れなくなっているんじゃないかってちょっと心配になった。
「でも、アルのはちっとも嫌な感じがしないから別にいいのかな」
偉そうな言葉遣いというのはたいてい相手を見下しているように思えるものだけれど、アルだとぜんぜんそんなことはない。
むしろキリッとしていてとても気持ちがいいし、あんなことを言っててもなぜかとても可愛らしい。
同意を求めたら、ばあやさんがにっこり笑って僕を褒めてくれた。
「それはレン様のお心が前を向いていらっしゃるからですよ」
自信がなかったり何かに対して後ろ暗い所があったりすると「バカにされている」と感じるものだから、アルのような態度が気にならないのは自分に卑屈な気持ちがないからだろうって言われた。
「そうなのかな」
なんとなくそうかもしれないとは思うけど、僕にはまだちょっと難しい話だ。
正直にそう言ったら、今度はニーマさんが笑った。
「そうですね。でも、アルデュラ様はまだ何をしていても可愛らしいお年頃。ちょっと生意気な言葉はむしろ微笑ましく思えるものでしょう?」
なのにそれに腹を立てるのはダメな大人の証拠らしい。
実際、笑い事では済まされないほどそんなこともよくあるのだという。
「貴族の中だけに限定してもアルデュラ様より魔力の低い者などいくらでもおりますから」
そのほとんどは代々受け継いだ地位に踏ん反り返って、周囲がへつらうのを当たり前と思っている者。
自身が術を磨く努力を怠っているくせに、才能に恵まれたアルの存在を疎ましく思い、陰でよからぬ噂を流したりするのだという。
「アルデュラ様も力を持たない者の気持ちをもっとご理解くださったなら、むやみに敵を作らずに済みますのに……」
そんなところもアルはどうやらお母さん似で、大人相手にケンカを売りまくりらしく、それがお城の人たちの悩みの種らしい。
そして、事態は僕が思っているよりも深刻らしく、執事さんまでため息をついていた。
「……なんだか心配になってきちゃったな」
アルのことを嫌う人がそんなにたくさんいるとは思わないけど、たとえ一人でも変な噂で誤解する人がいたらちょっと納得できない。
そう思っていたら。
「大丈夫ですよ。レン様が遊びにいらっしゃるようになってからはアルデュラ様も格段の進歩ですから」
友達は大事ですよねと言いながら、ニーマさんは僕の顔を見てにっこり笑った。
「そうだといいな」
何にしても今はアルが無事に帰ってくることが最優先。
クリスタルに視線を戻すと、持っていたお菓子を全部鳥たちにあげたアルがポケットをひっくり返してビスケットのくずを払っているところだった。
そこへお使いのライオンが戻って。
「お待たせいたしました、アルデュラ様。では、こちらに」
恭しく一礼すると、ドアの前に立っていたはずのアルたちはビュンと別の場所に飛ばされてしまった。
僕ならびっくりして固まってしまうところだけど、こちらでは別に珍しいことではないらしく、アルはごく普通に案内された部屋に降り立った。
「おまえが番人だな?」
またしてもとてもえらそうな態度で話しかけた相手は、書斎のような部屋の大きな椅子に腰かけていたクリーム色のひげのおじいさん。
トランプの絵札のような不思議な模様の服を着たその人がどうやらお城の番人らしい。
それを確認したばあやさんがそっと僕の顔を覗きこんだ。
「これからアルデュラ様がノートをもらうにふさわしいどうかを見極めるための試験が始まります。わざと意地の悪い質問をして、レン様までご不快にさせるようなことがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください」
なんだかすごく心配そうだったけれど、そんなこと別になんでもないって思ったから、ただ「はい」と答えた。
だって、試験を受けるのはアルで、僕はぜんぜん大変じゃないんだから。
……って思ったけど。
アルは少しも緊張していないみたいで、ひっくり返ったままになっていたポケットを元に戻していた。
それがおかしかったのか、番人はとても楽しそうに笑って、
「ようこそ、王の息子よ。おかげでずいぶんと庭が綺麗になったようじゃ」
そう言いながら、手にしていた虫めがねを引き出しにしまった。
机の上いっぱいに広げられていたのは大きな地図。
真ん中あたりには黒い竜と黒いたまご、そして、お屋敷のところには小さな男の子とうさぎコウモリ二匹のミニチュアがゲームの駒のように並べられていた。
「デスに任せておいたが、ちと数が多すぎたようでな」
いかにも「来たついでに妖魔を片付けてもらった」と言わんばかりの笑みに、アルは思いっきり不機嫌そうな顔を見せた。
「俺は掃除をしに来たわけじゃない」
ムッとして口を尖らせると、また愉快そうな笑い声が響いた。
「わかっておる。まあ、そこに座りなされ」
指し示された床から、一本の木がグルグルねじれながら生えてきて、アルの背を追い越したところで椅子の形に変わる。
しかも、その肘掛け部分がぐーんと伸びると勝手にアルをつかまえて、むりやり自分の上に座らせた。
そして、地図が片付けられたデスクはまるいテーブルに、アルと番人の前に現れた二つの花のつぼみはパッと開いてティーカップになった。
湯気の立ち上る蜜色のお茶はとてもおいしかったのだろう。
遠慮なくそれを飲み干したアルはようやく少し機嫌を直した。
「さて、おまえさんが持ってきたものを見せてもらおうかのう」
のんきな口調がそう言い終えるのと同時に、アルのカバンが勝手に開いて、僕を映しこんだ宝石が飛び出した。
「なるほど、確かに人の子じゃのう」
でも、番人は宙に浮いたままのそれを手に取ることもなく、少しだけ渋い顔をした。
「だが、こうして一生懸命守ったところで、魔術を使えぬ者など何の役にも立たんぞ」
その時、ズキッと嫌な音で心臓が鳴った。
ばあやさんが言っていたのはきっとこのことなんだろう。
「はい」と返事をしたときには何を言われてもぜんぜん大丈夫って自信があったのに、自分でも思い当たることを言われるとやっぱり気になってしまう。
アルだって本当は僕がもう少しくらい何かできたらいいのにって思っているかもしれない。
そう考え始めたら、暗い気持ちになるのを止められなかった。
でも。
「おまえは自分の役に立つ奴しか好きにならないのか?」
アルはいつも以上に偉そうな態度で、思いっきり顔をしかめてそう問い返した。
その表情がおかしかったのか、番人はふっと笑うように口元をゆるませ、
「そんなこともないがね」
そう答えた後は本当に笑い出して。
その後は新たにポンと咲いた花の中からお菓子を一つつまみ上げた。


そのあとは無言のお茶会。
番人はニコニコしたままゆっくりとカップを口元に運び、ときおりお菓子を頬張っているアルを見る。
このまま試験は終わりなのかなとホッとしたその時、番人の口元がニヤリと意地悪い笑みに変わった。
「わしを倒さねば城へは戻れぬと言ったら、ここで剣を抜くか?」
この屋敷では他者の呪文は一切働かないからその剣でも斬ることができるぞと冷ややかな口調で告げ、その途端、ザッと空気が変わるのが分かった。
森から黒い影が湧き上がったときよりもずっと強い殺気が一瞬であたりを包む。
もちろん、それを発しているのはアルじゃない。
「……そんな……」
ドクドクと心臓が嫌な音を立て、ばあやさんに助けを求めようとしたけれど。
それよりも前にアルの声が響いた。
「それはできない。おまえを切れば城が落ちる」
顔を上げてまっすぐに番人を見つめたまま。
何よりも、とても落ち着いていた。

アルの言葉の最後の音が消えた瞬間、不穏な空気もスッとなくなった。
同時に番人も元通りの笑顔になった。
「よかろう。あまりに子供なので迷うたが、さして短慮なわけでもなさそうじゃ」
そう言うと、おもむろに目の前に浮いていた宝石を取って呪文を唱えはじめた。
ポムッと軽い音を立てて現れたのは黒い石板のようなもの。
その真ん中に宝石で何かを書き込んだ後、「おまえさんのものだ」と言って手渡した。
「よかった。試験、合格なんだね」
ホッとする僕とは対照的に、アルはちょっとガッカリしたように肩を落した。
「……ノートって紙じゃないんだな」
確かに普通よりは重いかもしれないけど、そんなにガッカリするほどのことなのかなって首を傾げていたら。
「カバンの中でぶつかったら、たまごが割れる」
俺の最初の家臣なのに……って言いながら席を立つと、持ち物全部を取り出して床に広げた。
どうやってしまうべきかを考えることにしたらしい。
その様子がなんだか可愛らしくて思わずクスッと笑ってしまった。
もちろんその中には来る途中で拾ったものもたくさんあったけれど、番人もそれをとがめることはしなかった。
代わりに葉っぱのような髪の側仕えを呼んで、袋を一つ持ってくるように言いつけた。
もらった袋には石版と来る途中に拾い集めたものを入れて右肩から、タマゴを入れたもう一つは左肩から、それぞれを斜めにかけてクルリと一回転したアルは、
「よし。これでいい」
そう言って満足そうに頷いた。
番人はニコニコしたままそれを眺めていたけど。
「竜の主になる気分はどうじゃ?」
アルの顔を見ていたらぜんぜん聞く必要なんてなさそうなのに、なんだか意味ありげな表情で答えを待っていた。
「悪くない。俺のはじめての家臣だからな」
弾んだ声が返ると、クリーム色のひげが少し揺れた。
城にも竜はたくさんいるけれど全部が王の臣だから、自分の言うことはちっとも聞かないのだと説明する様子が微笑ましかったせいかもしれない。
「それで、おまえさんは最初の家臣に何を命じるつもりなんだね?」
その問いを聞いたアルは一度キュッと唇を結んだけれど、そのあとではっきりと答えた。
「何かあったときは王を守るように」
番人が「はて?」という顔で首を傾げる。
すると、それを待っていたように言葉が足された。
「俺を守るドラゴンは二人いる。どちらも城で一番強い騎士だ。他のドラゴンもそれぞれ城や従者を守るように命じられている」
なのに、王自身を守護するドラゴンはいない上、アルが頼んでも『主以外の命令は聞けません』と言われて終わり。
「けど、俺の家臣なら違うだろ?」
自分の命令を聞き、その通りにしてくれる強いドラゴン。
どうしてもそれが必要なのだと言いながら、アルはカバンの中から上着でグルグル巻きにされたたまごを取り出して天に掲げた。
「なるほど。……まあ、騎士の仕事としては悪くないじゃろう。だが、そやつが王を守るとなると、おまえさんの大事な友はどうなる?」
放っておいていいのかと聞かれた時も、アルは少しも困った顔をしなかった。
「レンは大丈夫だ」
万一のときにはすぐ自分の家に戻るようペンダントに呪文をかけてあるからって。
そんなことも僕は今日初めて知った。
それから、お城が危険にさらされている時は僕が行き来している道が閉じてしまい、一度向こうに戻ったらもう二度と会えないかもしれないってことも。
「それでもいいのかね?」
番人はまた少し意地悪い言い方をしたけれど。
「俺が悲しいのはガマンできる。でも、レンが痛い思いをしたり、怖かったりするのは絶対にダメだ」
すごく大事なんだって。
アルがいつになく真面目な顔で答えるから、僕はなんだか照れくさくなってしまった。
頬が赤くなったような気がして、それをごまかすために下を向いていたら、クリスタルの中ではまた違う話がはじまって。
「ときに、もう名は教えたのかね?」
質問には『誰に』の部分がなかったけれど。
アルにはちゃんと分かっていたみたいだった。
「教えた。レンが一番大事なものをなくしたことを知らせてくれた日に」
アルが僕に自己紹介をしてくれたのは、母さんが亡くなった年のハロウィン。
マドレーヌを楽しみにしていたのに用意できなくてごめんねって言って、二人でわんわん泣いたっけ。
あの頃のアルは僕よりもずっと小さかったけど、今はもうほとんど同じ背丈。
あっという間に僕を追い越してしまうんだろうなって思いながら、大きな剣を下げたアルに目をやったその時。
不意に耳に飛び込んできた言葉にドキリとした。
「だが、人の子に名の重みは分からんじゃろう?」
そう。
それは僕がずっと気になっていたこと。
なのに『名前の大事さ』が具体的にどんなことなのかは、誰に聞いても教えてもらえなかったし、お城の図書室にある百科事典にも載っていなかった。
番人の口調からすると、それを知らないでいるのは名前を教えてくれた人に対してとても失礼なことのようだったけど。
「そんなの別にいい。分かっても分からなくてもレンは一番の友達だ」
そう言って笑ったアルはなんだかとても誇らしげで、僕にはそれが嬉しかった。


「じゃあ、俺はもう帰るからな」
たまごを再びカバンに戻すと、「レンが待ってるから」って歩き出そうとしたけれど。
椅子のひじ掛けがまたニュッと伸びてアルの前を通せんぼしてしまった。
「これが最後の質問じゃ」
いつの間にかお茶のテーブルは地図の広がった机に戻っていて、本当に最後なんだっていうのは感じられたけど。
「……まだあるのかよ」
引き止められたアルは思いっきり嫌そうな顔をして番人を見上げた。
「まあ、そう言うな」
さほど面倒な内容でもないという前置きのあと、「そろそろ森が開くという噂だが中へ入る意志はあるか」と尋ねた。
どういう意味なのかはさっぱり分からなかったけど、それが大事な話だってことは僕にも分かった。
でも、アルは「なんだ、そんなことか」って感じで。
「行かない。レンと遊べなくなる」
あっさりとそう言い切った。
その返事にばあやさんたちはそろって「え?」という表情をしたけど、クリスタルの中ではわはははという大きな笑い声が響いて。
「ならば、良いものをやろう」
渡されたのはクルリと丸められた紙。
僕が王様もらった招待状のようにキレイなリボンがかけられていた。
「そう広くはないが、子供の足にはちょうどよいじゃろうて」
それが何なのかはアルもよく分かっていないみたいだったけど、そこそこ丁寧にお礼を言ってカバンに入れた。
「さあ、おまえさんの城へ戻るがいい。帰路はそこにある」
番人は笑ったままの顔で奥に並んだドアの一番右を指差したけれど。
ノブに手をかけたアルをもう一度だけ引き止めると、ゆっくりとこう告げた。
「王の息子よ。大きな未来を背負うものは試練も大きい。そして、おまえさんの行く末は既に決まっておる。心して進まれるが良い」
どういう意味だろう。
ばあやさんを振り返ると、なんだかとても心配そうにクリスタルの中のアルを見つめていた。
悪いことなんだろうかと気になったけれど、ニーマさんや執事さんはすごく嬉しそうな顔をしていてどちらなのか分からなかった。
とにかくこれでアルの用事は終わり。そう思ったらもう僕の中はいっぱいで。
「アル、何日で戻ってくるのかな?」
「帰りは近道のはずですから、きっとすぐですよ」
「じゃあ、出迎えにいかなくちゃ」
気にかかっているもの全部を振り払うように、僕は勢いよく席を立ってそのまま番人の庭へ続くドアへ向かった。
アルには真っ先にお礼を言って。
それから、たくさんたくさんほめてあげなくちゃって思いながら。


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