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アルが番人からもらった招待状のような紙。
リボンをほどくと、丸めた外側に「持ち主」としてアルの名前、その下に「持ち主の友達」として僕の名前が書かれていた。
「レン様もこちらの文字が読めるようになれば、本当の意味がわかりますのに」
ニーマさんの説明によると、僕の目に見えているのは僕の世界の文字に変換されたもの。
でも、こちらの言葉を正しく覚えると元の文章そのままに見えるようになるらしい。
「たとえばこれ、レン様には何と読めますか?」
「……『友達』?」
「ええ、そうですよね。でも、こちらの言葉では『心の一部』という意味なんですよ」
「へえ、すごいなぁ」
つまり、こちらの人には『友達=心の一部』ということだ。
僕だってアルがいなくなったりしたら、きっと気持ちの中にぽっかり穴が空いてしまうから、確かにそうだよなって思う。
「それで、これは何の招待状?」
広げられ紙には、『お城の一番長い廊下の突き当たり』→『黄色いドア』→『道』という説明書きのあとに、いかにも手書きっぽいニョロっとした一本線が書かれているだけだ。
道の先には家と鳥の絵があって、そこから伸びている別の道は点線になっている。
「イタズラ描きみたいだぞ」
「何かのゲームかな?」
二人で考えてみたけどぜんぜん分からなかったから、ニーマさんに聞いてみたら、それが地図のようなものだってことがわかった。
「気に入った相手には『庭』をプレゼントしてくれるんですよ」
番人からもらった場所ならとても安全だから楽しい散歩コースになるだろうって執事さんも言う。
ピクニックでも行ったらどうだろうという提案にアルと二人で顔を見合わせた。
「地図に書かれているところまで辿り着くと、その先にまた道ができるから楽しいですよ」
今は点線になっている部分がそれで、たくさん道ができると『庭』も大きくなるらしい。
「ふーん」
「面白そうだね」
また二人で顔を見合わせて頷いた。
さっそく探検……って思ったんだけど。
「じゃあ、まずはキッチンだ」
「え?」
びっくりしている僕を置いてアルはさっさと一人でいなくなってしまった。
「きっとランチのご用意ですよ。レン様はわたくしと一緒に他の持ち物の準備をしましょう」
「はい」
カバンの中に入れてくれたのは、おやつと小さな袋。
「ここには『足跡にかける呪文』が入っていますので、迷子になったら中に入っている粉をご自分の足跡に振り掛けてください」
そうすれば歩いてきたとおりに引き返せるらしい。
もう絶対に迷子にはならないようにするつもりだって話したけれど。
ばあやさんが心配なのは、どうやら僕じゃないようだった。
「アルデュラ様は寄り道がお好きですので、脇道に逸れないよう、くれぐれもお気をつけて」
今のところ地図には道が一本しかないけど、アルなら道じゃないところでも歩いていってしまうに違いない。
僕の家に遊びに来てもちょっと目を離すとお隣の庭をずんずん突っ切ったりしてしまうから、確かに注意が必要だ。
「本当は昼食と一緒に食器やテーブルクロスも一緒に行かせたいのですけど、それにはルナかフレアが先導しないと……」
番人がくれた『道』には持ち主とそこに名前が書かれた人しか入れない。
つまり、今はアルと僕だけだ。
そんなわけで、キッチンから戻ってきたアルが抱えていた大きなランチボックスを見て、ちょっと心配になってしまった。
「二人で持てるかな?」
平らな道だけならいいけど、上り坂だったりしたら大変かもしれない。
そう思ったんだけど。
「大丈夫。羽をつけてもらった」
アルがつまんだのは取っ手の部分に結ばれている二枚のナプキン。
僕の背中に生えてくるような羽ならまだしも、どう見ても普通のナプキンなのに……って、ちょっと疑問だったんだけど。
「これで飛ぶの?」
そう尋ねたときもアルは「そんなの当たり前だろ」って顔だった。
きっとこちらでは普通のことなんだろう。
実際、アルが手を離すと、すぐに畳まれていた布は開いて、ふわりと宙に浮き上がった。
「それじゃあ、出発!」
「いってきます!」
一番長い廊下を二人で一緒に歩いて、突き当たりにあった黄色いドアを開けた。
「わあ……」
お城の窓の向こうはちょっと曇っていたのに、番人がくれた道は真っ青な空が広がっていて本当に気持ちよかった。
二十分くらい歩いた頃、アルが「おなかが空いた」と言うのでランチの準備をした。
見たことのない花が風車みたいにクルクル回って、その間をハートやダイヤ型をした羽の蝶がくぐり抜ける花畑の真ん中だ。
「すごいね。これ、本物だよね?」
「ぜんぶ番人が作ったんだったらすごいけどな」
でも、きっと実際に存在するどこかの土地の一部が切り取られているだけだろうって、そんな話をしながら。
「お城の庭に負けないくらいきれいだよね」
「そうだな」
アルと二人きりだってことを忘れそうなほど賑やかな昼食を楽しんだ。
食後に花畑で鬼ごっこをしてから、また二人で歩き出した。
黄色くて背の高い花で作られたトンネルを抜けると目の前には大きな家。
「地図と同じだ」
でも、そこに描かれた絵よりずっと立派で、お屋敷と言うのがぴったりな感じだった。
もちろんお城に比べたらずっと小さいけど、白い壁と青い屋根がとてもきれいだった。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいますか?」
開きっぱなしの門からちょっとだけ中を覗いて声をかけてみたけれど、いつまで経ってもひっそりと静まり返っている。
「誰もいないみたいだな」
「うん。でも……」
地図では、お屋敷の上にはインコのような絵が描いてある。
「っていうことは鳥がここの家の持ち主なのかな?」
「だとしても、主なら返事くらいするだろ」
ペットだったら客を出迎えたりしなくても当然だけどって言いながら、アルはズンズンと中に入っていった。
「勝手に入っちゃダメだよ」
「番人がくれた道と家だぞ。もう俺のものだ」
そういうことなのかなぁ、と半信半疑だったけれど。
「……あ、これ!」
辿り着いた玄関のドアには「アルデュラ・ル・キュラス」と名前が刻まれたプレートがかけられていた。
「本当にアルのなんだね」
でも、お屋敷の中には明らかに誰か他の人が住んでいた跡があって、そのままもらってしまうのはなんだか悪い気がした。
玄関に置かれた長いステッキ。
一番近くの部屋の入口にある音符のような帽子掛けには、ハンティングキャップと茶色いコートが掛けてある。
「レン、こっち」
アルについてリビングに入ると暖炉の上には家族の写真。
グレーの髪の紳士と赤い髪の女の人、そして、小さな男の子。
女の人の足元あたりには「ヘレナ」、そのすぐ隣りの男の子の靴先あたりには「キア」と書かれていた。
「奥さんと息子かな」
色褪せてはいたけれど、二人の名前の前には「最愛の」という文字が残っていて、なんだか少し寂しい気持ちになった。
そのまま奥に進むと、明るい窓際には大きなロッキングチェア。
はじめは何気なく見ていたんだけど。
「……これって……」
人の形をした影が背もたれにも肘掛にも残っていることに気がついた時、すっと頭を過ぎっていった光景にギュッと胸が苦しくなった。
窓辺の椅子。その背にもたれて。
ときどき誰かを待っているみたいに庭の向こうにある門を眺める人は髪ももうグレーじゃなくなっていて、写真よりもずっと年をとっていた。
何日もそんな時間が流れて。
でも、館を訪れる人はないまま。
真っ青な空が見えるそこで、そっと目を閉じた。
小鳥の声を聞きながら。
でも、たった一人で。
「ここに座って寝ている間に死んだんだな」
亡くなってからもうずいぶん経っているはずだってアルが呟いた。
身体は風化したけれど影だけはまだ残っているんだろうって。
「……このままでいいのかな」
僕の問いかけにアルは立ったまましばらく考えていたけど。
窓辺にかけられた鳥かごに気付いて、大きく頷いた。
「このままがいいかもな」
主が死んでどれくらいなのか分からないけど、籠に入れられた鳥はまだ元気そうで、ふわふわとした羽をくちばしで楽しそうに整えていた。
「水もご飯も入ってないけど、大丈夫なのかな?」
「食べ物はいらない。光があれば死なない種類だ」
窓辺に置かれたケージには燦々と陽が降り注ぐ。
時が経って太陽が動いても一日中光が当たる場所。
鳥一羽を入れておくにしては大きすぎる籠。
ドアは開けっぱなしで、たくさんの止まり木と二つの巣が入れられて、プレートにはまるで表札のように「キア」という名前が彫られていた。
本物の家族がどうなったのかはわからないけれど。
家の中にはもう女の人が身につけるような物も子供の持ち物も残っていない。
「……飼い主は、ずっと一人だったのかな」
主が座っていたその椅子はただ鳥かごの方を向いていて、それに気づいたとき、また悲しくなった。
静かな部屋の中。
鳥の声だけが明るく響いて光に吸い込まれる。
「……本当に一人きりになっちゃったんだね」
広い広いお屋敷。
椅子の影が薄れるほどの間、毎日毎日。
いなくなった主人のためにさえずっているんだろうか。
「家の外に放してもいいけど、あんまり飛べないからきっとすぐにつかまるだろうしな」
別の生き物に食べられてしまっても、他の誰かに飼われることになっても、亡くなった主人はきっと悲しむだろう。
「じゃあ、やっぱりこのままがいいのかな」
家族がみんないなくなってしまった屋敷で。
どんなにきれいな声で鳴いても聞いてくれる人もいなくて。
この先はもうずっと一人きり。
そう思ったら、涙が止まらなくなった。
アルは少し困った顔をしたけれど、すぐに自分の袖で僕の顔を拭いてくれて。
それから、困った顔のまま僕の手を握った。
「明日また来よう」
「……うん」
自分でもどうしていいのか分からなくて。
アルに手を引かれながら、そのままトボトボとお城に戻った。
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