Halloweenの悪魔
-王様の椅子-




番人からノートをもらった後、安心して廊下を歩けるようになった僕はできるだけあちこちを探検することに決めていた。
今日みたいにアルが剣のお稽古で出かけているときは退屈しのぎになってちょうどいい。
前のようにお客様扱いだったら案内係であるルナやフレアの手を煩わせてしまうけれど、今はもうお城の住人と同じ扱い。
だから、誰かに気を使うこともなく、ゆっくり散歩できるのだ。
ということで。
僕は今日も見たことのない模様が続く廊下の真ん中に立ち尽くしていた。
「……また迷子になっちゃったんだな」
お城の中はしょっちゅうレイアウトが変わるので、こればっかりはしかたない。
危険がないことはわかっているから、あわてる必要はないんだけど。
それでも、迷子というのはやっぱりどこかが不安になってしまうものなのだ。
呼べばルナが来てくれることになっているけど、何度も道案内をしてもらうのは悪いし、なによりも一人でちゃんと戻れるようになりたいので、もう少し頑張ることにした。
「まずは落ち着いて。アルの勉強部屋かニーマさんがいる午後のお茶の部屋を思い浮かべればいいんだよね」
ちゃんと戻れるはずなんだからと自分に言い聞かせながら三回深呼吸をして、イメージしやすいように目を閉じようとした。
けれど。
その瞬間、誰もいなかったはずの廊下にポワッと人影が現れて、僕は思わず身体を引いた。
お客さんだったら側に案内係の鳥や蝶がついているはずだけど、そういうのはまったく見えない。
でも、変な人ならお城には入れない。
「……ってことはお城で働いている人だよね」
だったらついでに道を聞いてしまおうと思ったんだけど。
近寄ってきたその人を見て、僕はまた一歩引いてしまった。
シーツの真ん中に穴を開けて顔を出したみたいな変わった服が、なんとなく幽霊を連想させたからだ。
首から上と手の半分しか見えないというのに、覗いていた指先のツメは10本それぞれ長さが違う。しかも、とがっていたり、まるかったり、色を塗ってあったり。中には途中でパッキリ折れてしまったようにまっすぐなのもある。
近寄れば近寄るほどおばけと浮浪者の中間って感じで、僕はさらに一歩あとずさりしてしまった。
大きなお城だから幽霊の一人や二人いてもおかしくはない。
でも、目の前の人は不思議と気味の悪い雰囲気はない。
……どうしよう。
悩んだけれど、黙って向かい合っているのも変だし、話しかけてみようかなと考えていたら、その人が先に口を開いた。
「ふざけてるのかと思ったが、本当に人間の子供だな」
ひとりごとみたいにそう言って。
でも、ものすごく不満そうに僕を見下ろした。
目線は30センチくらい上。
長めの髪は灰色で、毎朝ちゃんととかしてないだろうなって感じのボサボサ。
顔のほとんどを隠しているのに、隙間から少しだけ覗いている灰色の目ははっきりわかるほど冷たかった。
どうやら僕は嫌われているらしい。
そう察するには十分なほど。
「あの―――」
あんまりじっと顔を見るのは失礼だと思いながら視線を少し下にずらず。
本当はその人がちょっと怖かったのかもしれないけど、とにかく今は自己紹介をって思って。
でも、その先を言う前に向こうから返事があった。
「知ってる。アルデュラに連れてこられたんだろう?」
王子様であるアルを呼び捨てにする人なんだから、親戚か何かなんだろう。
「レンって言います。はじめまして」
右手を差し出してみたけど、前髪が長すぎて見えないのか、それとも握手の習慣がないのか、その人は腰に手を当てて立っているだけで指先さえ動かす気配はない。
でも、こうしてすぐ手が届くような距離に立つと顔の輪郭や頬や口元がちゃんと確認できて僕はすごくホッとした。
どう見ても幽霊なんかじゃなく、中学生か高校生くらいの男の子。
ううん、もしかしたら女の子かもしれない。
「あの……」
名前を聞こうと思って口を開くと、その人はまるっきりなんでも分かってるみたいな口ぶりで「ああ」と言って。
それから。
「王の椅子だ」
ひどく面倒くさそうにそう告げた。
「……あ……じゃあ……」
王様の椅子の名前はイリスさん。
前にアルがそう教えてくれたのを思い出したけれど。
勝手に呼ぶのも馴れ馴れしいような気がして、口を開いたままそこで止まってしまった。
だって、王様の椅子は偉いのだ。
「イリスさん」なんて普通に呼んでいいのかどうかも分からない。
なんと呼ぶべきなのか、あの時アルにちゃんと聞いておけばよかった。
反省しつつも悩んでいたら、イリスさんはいっそう見下ろすように顎を上げて顔をしかめた。
「それにしてもひどい方向音痴だな。だいたい何のためにそれを持ってる?」
指し示された人差し指の先をゆっくりと視線で辿ると、アルからもらったペンダントがポッと光った。
「あ……」
それではじめて道案内もできるんだってことを知ったけれど。
「ありがとうございます。せっかくもらったのに、僕、まだ使い方をあんまり分かってな……あれ?」
光っている部分を手に持ったまま顔を上げた時にはもうイリスさんの姿は見えなくなっていて、僕はひどくがっかりしてしまった。



それから、たぶん3分後くらい。
ペンダントに道案内をしてもらって無事にお茶の部屋に辿り着いたあとすぐ、稽古を終えて戻ってきていたアルに報告した。
「さっきイリスさんに会ったよ」
あんまり仲良くできなかったことを言うべきかどうか迷っていたら、変な質問が飛んできた。
「今日は何色だった?」
「え?」
どうやらイリスさんは毎日髪や目の色が違うらしい。
呪文で変えているんだろうって思ったけど、そういうことでもないらしく。
「気分によって変わるんだ」
「うわぁ……なんだかすごいね」
本当にびっくりだ。
灰色は憂鬱な日らしいってことも教えてもらった。
分かりやすくていいのかもしれないけど。
「何かイヤなことでもあったのかな」
というか、単に僕を嫌っているせいだったらどうしようって思ったけど、アルはそれを笑い飛ばした。
「イリスはいつもだいたい灰色だ」
「そうなの?」
僕が勝手にお城の中を歩き回っていたことが嫌で灰色になってたのなら謝らなくちゃって思ってたけれど、それならあまり気にすることはないのかもしれない。
「あ……でも、人間はあんまり好きじゃないみたいな感じで……」
自分で言っておきながら、なんだか悲しくなってしまった。
しょんぼりしていたらばあやさんが僕の顔を覗き込んだ。
「イリス様はなんとおっしゃったのですか?」
「……『ふざけてるのかと思ったけど本当に人間の子なんだな』っていうようなことを」
挨拶も自己紹介もなくて、いきなりそれだ。
好かれてないのは確実って気がした。
でも、アルの反応は相変わらず「ふーん」で。
イリスさんが人間を好きかどうかはどうでもいいみたいだった。
「『ふざけてる』っていうのは誰のことだ?」
僕に聞いてもわからないってことは察していたんだろう。
ばあやさんを見て尋ねた。
「おそらくスウィード様のことでしょう。レン様を何度もお褒めになっていたので」
とにかくそのことはぜんぜん気にする必要はないからって。
ばあやさんが何度も慰めてくれたので、僕もようやくうなずくことができた。
「まったくイリス様にも困ったものです。失言が多いのは昔からですが……」
それでも前はもっと明るくて、今のように冷たい感じはしなかったらしい。
「瞳も御髪も本来は明るくて、とてもお美しいのですが」
どういうわけか毎日灰色っぽく変えてしまうのだと溜め息をついた。
長年そんなことをしているので、ほとんどの人が本当のイリスさんを知らないと聞いて少し驚いた。
「アルも見たことないの?」
「ない。俺の前ではいつも灰色だ」
それも「あっちこっちからいろんな物をもってきて全部を一緒に溶かしてぐるぐるかき混ぜたみたいな色」らしい。
その説明を聞く限り、さっきのほうがまだマシかもしれない。
「……そっか」
とにかく。
王様の椅子のイリスさんはいつも灰色。アルに対してもそうなら僕にあんな感じなのはむしろ頷けた。
ばあやさんの言うとおり、あんまり気にしないほうがいい。
しかも、アルなんて気にする気配さえない。
「毎日灰色でも俺のことは好きだと思うぞ」
今日も自信満々だった。
「……そうだね。色だけで判断しちゃいけないよね」
僕のことも嫌いじゃなかったらいいなと思いながら、少し心配になったのは他のこと。
自分の髪や目の色が好きじゃないっていうのは、僕の友達にもたくさんいるから別に不思議じゃないけど、明るい人が冷たくなってしまうのはきっと何か原因があるはず。そう思ったからだ。
「誰かにいじめられたのかな?」
でも、お城にはそんな人はいない。
もちろん僕だって全員を知ってるわけじゃないから100%そう言いきることはできないけど。
「フェイがイリスを怒らせてるからじゃないか」
アルの話が本当なら、フェイさんはイリスさんをいじめるのが趣味らしい。
「フェイさん、すごく優しそうなのに……」
いじめるんじゃなくて、ちょっとからかったりするくらいならあるかもしれない。
そんなことを思っていたら、ぽわっと目の前が煙って。
「イリス様が退屈だとおっしゃるので、お相手をしているだけですよ」
恭しく礼をしながら現れたのはフェイさん本人だった。
「……ごめんなさい。勝手にフェイさんの話をして」
「レン様が謝罪なさる必要はありませんよ」
フェイさんはにっこり笑いつつも意味ありげに僕の隣りに視線を送ったけど、アルはぜんぜん謝る気なんてなさそうで。
「だって毎日いじめてるだろ?」
堂々と本人に確認をした。
もちろんフェイさんは「はい」なんて言わない。
「またそのような人聞きの悪いことを。はじめてお会いした時にはもうイリス様は今と同じ色でしたよ」
灰色の原因について何か知っていそうな感じもしたけど、それ以上は教えてくれなかった。
「ふーん。そうなのか」
アルもフェイさん以外にいじめそうな相手は思い浮かばなかったんだろう。
「じゃあ、違うな」とつぶやいて、つまらなさそうに口を尖らせた。

結局、イリスさんが灰色になった理由はうやむやのまま。
その後は、再び意味ありげに笑ったフェイさんによって違う話に切り替わった。
「それよりもアルデュラ様」
「なんだよ?」
僕らの目の前。
フェイさんがいかにもこれから呪文をかけますよ、という顔で長い人差し指を立てた。
じっと見つめているとその先がぽっと明るくなって、そのままこっちに近づいてきたかと思うと、僕の鼻の頭をちょんとつついた。
その瞬間。
目の前でパッと光が散って、心地いい風がザッと吹き抜けた。
ふわっと体が浮いたような気がして少し慌てたけど、その後は別に変わったこともなく、いつもどおり。
「びっくりした……」
目をパチパチさせながら、フェイさんの顔を見て。
今のが何だったのか説明してくれるのを待ったけど。
「じゃあ、もういいんだな!?」
何も言われないうちにアルがいきなり立ち上がって。
「これから町に遊びにいくぞ!」
大はしゃぎしながら僕の手をつかんだ。
「え……あの……っ」
すごい勢いでドアのほうにひっぱられる僕をフェイさんはクスクス笑いながら見送っていたけど。
「イリス様からお預かりした加護の呪文ですよ」
扉が閉まる直前にやっとそう教えてくれた。



                                               〜 fin 〜

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