Halloweenの悪魔
-アルと市場へ-


-1-


ときどきこちらを振り返りながら、アルは長い長い廊下を走っていく。
もちろん手は繋いだままだから、僕は何度も前のめりになってしまった。
そのままお城の敷地の外に転げ出しそうな勢いだったけど。
「お待ちください。アルデュラ様、レン様」
ばあやさんがちゃんと先回りしていて、やんわりと僕らを止めた。
「なんでだよ。イリスが呪文をくれたら外へ出てもいいって約束だろ?」
廊下の真ん中、ちょっと空中に浮かび上がったままアルが口を尖らせた。
「お止めするつもりはありません。ですが、レン様はイリス様のご挨拶をお受けになって外出するのですから、町の者に声もかけられるでしょう。それなりのお支度をしなくては」
ばあやさんはそう言ったけれど。
イリスさんからは『こんにちは』とか『はじめまして』とか、挨拶らしい言葉は何もなかった。
なんだか急に心配になってしまったけれど。
「大丈夫ですよ。イリス様には普通のことですから」
いつもどおりの優しい笑顔を見せた後、ばあやさんはおもむろに天井に向かって話しかけた。
「ニーマ、これからお二人で『門番の市場』までお出かけになります。お支度の手伝いを」
天井ではなく壁からにゅっと現れたニーマさんは、なぜだかものすごく顔を輝かせていた。
「イリス様がお認めになったんですね! では、早速お着替えの準備をいたします!」
人差し指を立て、ポンポンといくつも衣服のカタログのようなものを宙に広げるニーマさんの隣ではアルが天井に付きそうなくらい飛び上がっていた。
「すっごいカッコイイやつにしろよ!」
楽しげに騒いでいる二人を横目に、ばあやさんだけはやっぱり冷静で。
「とりあえず本日はスウィード様もご不在ですし、あくまでもお忍びということで。お召し物もそれに合わせたものにいたしましょう」
その後、二人であれこれと相談していたけど。
『門番の市場』はお城の人たちにとっては庭のような場所だし、みんなが話しかけやすい雰囲気にしたほうがいいだろうという結論になったようだ。
「では、普段のお可愛らしさをアピールするため、あえて今のままというのはどうでしょう?」
ばあやさんもちょっと考えてから返事をした。
「そうですね。一目で人の子だと判るもののなら、城下の者たちの反応も窺うことができて良いかもしれません」
すぐ近くをちょっと散歩するだけなのに、こんなに真剣に服の話をするのはなんだか不思議だ。
「アルは何着ていくの?」
「俺はこのままだろ」
「どうして僕の服だけ相談してるんだろう?」
「さあ」
あんまり関心がないみたいだったけど。
人間の子供はとても珍しいから、ちょっと気を使ってるんだろうっていう返事だけはしてくれた。

結局、僕は今のままパーカとハーフパンツという格好で。
反対にアルが僕とおそろいの服を着ることになった。
しかも、これから作るらしい。
「では、レン様。申し訳ありませんが、しばらくの間そちらにお立ちください」
言われたとおりにばあやさんの指し示した鏡の前に立つと、中からシュルリと透明の紙が出てきた。
そう。僕が着ている服の型紙だ。
「本来、こちらの衣類は作製方法が異なるのですが」
今回は僕とおそろいの服なので作り方も同じにしてみるのだという。
その後はたくさんの糸と針とはさみと布地が勝手に動いて、仕上がりまであっという間だった。
出来上がったのはおそろいで、でも色違いの服。
下に着ているハイネックのTシャツはもちろん、靴やくつしたまでおんなじだった。
「似合ってるか?」
仕上がったばかりの服をばあやさんに着せてもらいながら、アルが尋ねて。
「サイズもぴったりでよくお似合いですよ、アルデュラ様」
ニーマさんがそう答えたけど。
「服じゃなくて!」
そう言いながらちょっと口を尖らせたら、みんなが笑った。
僕にはその意味がわからなかったけど、毎日一緒にいるばあやさんたちには通じたんだろう。
「ええ、レン様ともとてもよくお似合いです」
並んで手をつないで歩かれたらいいですよってニーマさんが付け足すと、アルはすぐに機嫌を直した。
「さあ、では明るいうちにお出かけしてください。今日はお天気もいいですし、城下の者たちも喜ぶことでしょう。ご幼少の頃からお顔を存じ上げているというのは大変光栄なことですから」
アルと僕の髪を直しながら、ばあやさんがにっこりと笑った。
「そうそう、そうですよね。レン様ならお行儀も申し分ありませんし、何よりも、お可愛らしいうちからお披露目しておけば、正式にお城に入られた折にもきっと『最初にお会いした時はまだお小さくて』なんていう楽しいお話で盛り上がるに違いあり……」
そこまで言った時、コホンと咳払いが響いて、ニーマさんは慌てて口を閉じた。


すっかり支度が整うと、ばあやさんは僕とアルを並んで立たせ、頭から靴先まで一つ一つチェックしてから、ゆっくりと一つ頷いた。
「それでは門までお送りいたしましょう」
廊下を歩く間、ばあやさんからいくつか注意事項を教わった。
「アルとはぐれないように」とか「知らない人にはついていかないように」とか「変な扉をみつけても勝手に開けて外に出ないように」とか、そういうことだ。
「こちらの扉はレン様の世界のものとは性質が異なります。むやみに開けたり、外に出たりはなさらないでください」
向こう側はどんな危ない場所か分からないからという説明は、ニョロニョロやモヤモヤがたくさんいる場所へ吸い出されそうになったことのある僕にはものすごく納得できた。
「ドアは開けないように、と。あとはいつもみたいに迷わないように気をつけなくちゃ」
一人で勝手に歩き回ったりしない限り大丈夫だとは思うけど、やっぱりちょっと心配だ。
注意事項をもう一度頭の中でおさらいしていたら、アルが「ずっと一緒にいるから心配ない」って言ってくれた。
「それに、イリスの加護が効いてるから少しくらいなら迷っても大丈夫だ」
「少しってどれくらい?」
首をかしげながら、アルの部屋の窓から見える風景を思い描いた。
『手前から三つ目の高い塔まで』というような説明なら僕でも分かるって思ったけど。
アルの返事は予想していた以上にあいまいだった。
「わりと遠くまで」
すぐ傍でそれを聞いていたばあやさんは笑ってたいけど、すぐに「少なくともレン様が週末の間に歩いて行けるような場所でしたら大丈夫です」と教えてくれた。
「よかった」
お城から一万歩以内とか言われたら数え間違えないようにするのが大変そうだけど、それならあまり気にしなくて良さそうだ。
万が一、アルとはぐれてしまうようなことになってもきっと大事にはならないだろう。
「では、こちらからどうぞ」
指し示されたドアは『花の小門』へ続く近道。ばあやさんの部屋のドアから数えて3つ隣だ。
『門番の市場』へはその扉か、もしくは玄関にある3つ目の大扉を使うらしい。
普通に歩いていこうと思ったら、城の庭を横切るだけで半日かかってしまうからだ。
「広いと大変だね」
ついでにハーブを育てている門番さんに挨拶したいと思ったけれど、今日は非番で城には来ていないからと言われてちょっとガッカリした。
「そっかぁ……」
ハーブティーのお礼はまた今度、門番さんが庭で水撒きでもしている時にしよう。
そう思った時、ばあやさんの手がドアノブにかかった。
「それでは、いってらっしゃいませ」
にっこり笑ったばあやさんの向こうからパアッと外の光が漏れてきて、次の瞬間には僕らはもう土の上に立っていた。
「うわぁ、いい匂い!」
目の前には可愛らしい扉。
楕円形のドアの周りには銀色のフレームがついていて、白バラに似た小さな花がたくさん咲いていた。
「出る時、楽しい散歩ができる呪文をかけてくれる」
アルの言葉通り、僕らがそこをくぐる時にふわふわの花びらをたくさん降らせてくれた。


半分スキップしながら、緩やかな坂道を下っていった。
下に広場のようなところがあって、たくさんのワゴンやテントに野菜や果物やお菓子が並んでいるんだろうって思っていたんだけど。
「……ずっと向こうまで花畑だね」
咲き乱れる花の真ん中にゆるやかな小道が一本通っているだけ。
見渡す限り同じ風景だ。
「もしかして、すごく遠い?」
ちょっと心配になって聞いてしまったけど、アルはすぐに首を振った。
「もう着いた」
返事と一緒に空中で何かをつまむような仕草をして。
次の瞬間には花畑の風景がカーテンのようにふわりと舞い上がった。
「うわぁ」
めくられた向こう側はチェック模様の石畳。
角のある馬が荷車を引きながら心地よい足音を響かせていた。
ワゴンの並ぶ場所はさらに100メートルくらい先だったけど、忙しそうに働く人たちのざわめきはしっかりと僕の耳まで届いてくる。
「……すごいなぁ」
目を丸くしたまま立ち尽くしていたら、すぐ脇から声をかけられた。
「許可証を持たない者が中に入れないよう、扉を設けているのですよ。……ようこそ、アルデュラ様とそのお客様」
恭しく僕らを出迎えたのは、グレーと白でちょっとモコモコしたペンギンみたいな可愛らしい感じの受付係さんだった。
シルクハットのような黒い帽子と黒いスーツ姿で、背丈は僕の胸元くらい。
ここで「来訪者の確認」をするのが彼の仕事らしい。
一般のお客さんは役場で発行している許可証を提示し、日付の入ったスタンプを押してもらう。
お城に招かれたお客様はお城で発行した「特別許可証」。
王様の家族や従者は「椅子の加護」だけで自由に市場に立ち入ることができるらしい。
「では、失礼して」
そう言うと、受付係さんは上品な仕草で傍らに置いてあった大き目のビンにミトンの手袋のような指先を入れ、白くてサラサラした砂のようなものを一つまみ僕に振りかけた。
めいっぱい背伸びしてやっと僕の顔あたりに手が届くくらいだったけど。
粉はキラキラと虹色に光って、シュワシュワと四方に弾けながら消えていった。
「これはこれは……」
今日呪文をかけてもらったばかりだから、色とか光とかが普通よりちょっと鮮やかだったのかもしれない。
自分の足元に落ちた光のカケラを見ながら受付係さんはちょっと驚いて、そのあと一段と恭しくお辞儀をした。
その間、アルは受付台帳にらくがきをして遊んでいたけど、受付係さんが粉の入ったビンの蓋を閉め終えるのを待って口を開いた。
「これがレンだ。よく覚えておけ」
アルはなんだかすごく得意気で、いつもよりさらにちょっと偉そうな口調になっている。
受付係さんはとても真面目な顔で「さようでございますか」と頷き、また「これはこれは」とつぶやいた後で一礼した。
何か話すたびに深々とお辞儀をされてしまうのがなんだかおかしくて、あと少しで声を出して笑いそうになったけど、かろうじて堪えて市場の説明を聞いた。
案内図は通路が交差するところにある広場に貼られていること。
お金を引き出したい時には青い窓をノックすること。
赤い小窓をノックすると案内係が顔を出すこと。
「窓の形状は……たとえば、あちらの角にあるようなものです」
手の先で指し示したところに赤いフレームの小さな丸い扉が一つ。
建物についているわけではなくて、空中にぽっかり浮いている。
すぐ下にあるプレートには「案内所」と書かれていたけれど。
「俺がいるから大丈夫だ!」
アルがとても張り切っているので今日のところはお世話になることはなさそうだった。
小さな頃からいつも遊びにきている場所なので、目を瞑っていても歩けると言う。
そんな様子を受付係さんはニコニコしながら見ていたけど。
「他にも何かございましたらご遠慮なく私か案内係までお申し付けください。では、どうぞ楽しいお散歩を」
ミトンの手先を一度自分の胸元に当てた後、サッと広場の方を指し示した。
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げたら、受付係さんがまた「これはこれは」と言ってさっきより深いお辞儀をするものだから、今度こそガマンできずに笑ってしまった。
おかげで広場へ向かう間もずっとニコニコしたまま。
「あんなに楽しい人がいるなら、受付がもっと面倒だったとしてもぜんぜん気にならないね」
同意を求めると、アルも「城にはいないタイプだな」と言って、こっくりと大きく頷いた。



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