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受付と市場の間にはたくさんの案内板。
あっちこっちを向いた矢印型の看板にはそれぞれお店の名前が書かれていた。
それに触ると目的の場所まで連れていってくれるらしい。
「毎日好きなところに店を出すから、案内札もそのたびに変わる」
「ふうん。お城の中と同じだね」
どうやらそれも王様の趣味らしい。
『たくさん迷子になった者は偉大な冒険者になれる』
こちらにはそういう言い伝えがあって、アルのお父さんは子供の頃とても憧れたのだという。
「王を引退したあとは冒険者になるって言ってるからな」
今でも迷子になる気満々なのだとアルが呆れ顔で話してくれた。
でも、もしそれが本当なら、僕は王様より先に冒険者になってしまうだろう。
なにしろ誰も歩き間違わないようなお城の廊下の真ん中で、一人だけ何度も迷子になってしまうのだから。
「レンが旅に出るなら俺も一緒にいくぞ」
わくわく顔でこっちを見ながら、アルは返事を待っている。
そういうところはやっぱりお父さんに似ているんだろう。
「ありがとう。アルが一緒なら心強いよ」
黒いモヤモヤが出ないところなら、僕もあちこち行ってみたいけど。
どんなに小さな妖魔でも自分ではどうすることもできないっていうのが問題だ。
「退治薬を持ち歩けばいい」
「それって殺虫剤みたいなもの?」
「そうだ。『シューッ』ってするんじゃないけどな」
そんな話をしながら歩いていたら、斜め後ろ方向50メートルくらいの場所にある赤い窓が開き、帽子をかぶった人がアルを手招きした。
「お城からのお届け物です」
あれをもらって受け取りのサインをしないといけないらしい。
「ここで待ってろ。すぐ戻る」
そう言い残してアルは走っていってしまった。
看板を見あげながら一人でぼんやりしていたら、不意に後ろから呼び止められた。
「そこのお客人」
立っていたのは片目だけメガネをした男の人。
服装はちょっと古めかしいけど、大学の先生とか、テレビで政治の話をする人みたいな雰囲気だった。
「客人」と言うからには用事があるのは僕のほうなんだろうと思い、「はい」と軽い返事をしてまっすぐ向き直ってみたけれど。
話は予想していた以上に真面目なものだった。
「アルデュラ様は陛下のご子息。城の中ではお客様扱いだったとしても、貴方様はもともと貴族でも何でもありません。城下ではアルデュラ様の後ろを歩かねばならないのですよ」
こちらのしきたりについてはまだよく分からない。
そういうものなんだろうって思って頷いたけれど。
「余計なことを言うな。レンは隣りでいい」
戻ってきたアルがすぐにそれを否定した。
ギュッと僕の手を握って。
アドバイスをしてくれた人をまっすぐに見上げた目はちょっと怒っているみたいだった。
「ですが、アルデュラ様」
男の人はとても丁寧で紳士的。話し方だって嫌な感じはしなかったけど。
アルはあまりよく思わなかったんだろう。
「聞こえなかったのか? レンは、俺の、隣だ」
そこだけゆっくりと、でも、ものすごくはっきり言うものだから、相手もちょっと困ってしまったようだ。
「いいよ、アル。それがこちらの決まりなら僕は別に……」
歩く場所なんてどこでも同じなんだからって言ってみたけど。
アルは僕を見て、とても真剣な顔で言った。
「どこの世界でも友達は隣りだ」
男の人は少し困ったように、そして、どこか心配そうにアルを見ていた。
そして、もう一度、静かに口を開いた。
「ですが、陛下がお聞きになったら―――」
その声もすごく優しいものだったけど、アルはやっぱりきつい口調で言い返した。
「王なら友達に後ろを歩けなんて言わない。絶対に、言わない」
目には見えないけどオーラみたいなものがビシバシ発射されていて、絶対に何にも言い返せない雰囲気だった。
ケンカになったらどうしようって思ったけれど。
男の人は少しだけ笑うと、「失礼いたしました」と言って去っていった。
いつもはそうでもないんだけど。
こういう時、アルはやっぱり王子様だなって思う。
「行くぞ、レン」
そのあとはアルと手をつないだまま通りを歩いた。
「やっぱり隣がいいよな」って何度も言って、何度も笑って。
アルがとても楽しそうだから、僕もこれでよかったんだなって思った。
「ね、さっき、何が届いたの?」
アルが見せてくれたのは小さな包み。
開けると中からいろんな種類のコインが出てきた。
どうやら、お金を持ってくるの忘れていたらしい。
「何か買うの?」
「メリナに頼まれた」
包みの中にはお客様用のお菓子を買ってくるようにというメモも一緒に入っていた。
このまま買い物に行くんだろうって思ったけど。
角を曲がる直前に、アルがクルッとこっちに向き直った。
「ちょっとがんばれよ」
ものすごく真剣な様子に少し驚いてしまって、一歩あとずさりしながら「何を?」と聞き返そうとしたけれど。
それより前に、あちこちから甲高い声が響いてきた。
「まあ、アルデュラ様!」
「そちらはもしかして!」
「来て! マーリ、ファーロ、リーシャ! アルデュラ様が!」
あっという間に僕らはたくさんの人たちに囲まれてしまった。
「こっちはレン。俺の一番の友達」
アルがそう紹介すると、僕はすぐにぎゅうぎゅうともみくちゃにされてしまった。
「イリス様がもうお認めに?」
「まあ、それは! 楽しみが増えますわね」
「なんてお可愛らしいんでしょう」
「見てよ、この髪と瞳!」
僕たちを囲む人たちはだんだん増えて、そのうちに周りの景色はぜんぜん見えなくなった。
なでられたり、顔を覗きこまれたり、お茶をもらったり、お菓子や果物をごちそうになったり。
その間中、前からも後ろからも横からも斜めからも話し声は途切れなくて。
「さあさあ、こちらも召し上がれ。今朝採れたばかりなのよ」
「ありがとうございます」
一言返すたびに「やんちゃなお年頃ですのにお行儀もよくて!」とか、「それにしても、おそろいのお召し物なんて!」とか。
なでられたり、つままれたり、ひっぱられたり、匂いを嗅がれたり。
アルが「がんばれ」と言った意味が分かった気がした。
僕がみんなに構われている間もアルはお城にいるとき以上に落ち着きがなくて、食べてる途中でも立ち上がったり、隣のワゴンや道端に並んだ樽を覗いたり。
「アル、座って食べなよ」
そう言われたら、今度は呪文でお尻に椅子をくっつけたまま飛び回ったり。
「……アル、それは『座ってる』って言わないと思うよ」
小さな声で注意しても。
「そういえばレン様のほうがお年はちょっと上かしら?」
「背もほんの少しだけ高いような気がするわ」
アルにはぜんぜん聞こえていないみたいなのに、周りの人だけがしっかり反応する。
「本当にお可愛らしくて」
「必ずまた遊びに来てくださいね」
こんなふうに、みんなが僕たちを「可愛い可愛い」って言うのにはちゃんと理由があった。
こちらの世界はたいていものすごく寿命が長いから、子供はあんまりたくさん生まれないのだ。
「増えすぎると住む所もなくなって何かと大変でしょう?」
「森が開けば小さな世界もたくさん繋がって土地も増えるんでしょうけど、最近はそんなこともないからねえ……」
暮らしていく場所に見合っただけの住人しか授からない。
そういう仕組みなのだ。
子供が欲しい人はたくさんいるけど、生まれないものはしかたない。
だから、よそのうちの子でも可愛がる。
おかげでみんなが「自分の店の品物だけど」と言って花や果物やガラス細工や木の実やハンカチをお土産にくれるから、30分もすると僕のポケットとフードはパンパンになってしまった。
「すごいな、レン」
「うん。でも、不思議なことにちっとも重くないんだよね」
僕が困らないように呪文をかけてくれたらしい。
実物より小さくなる呪文。重さを感じない呪文。
飛び跳ねてもポケットからこぼれたりしない呪文。
「お城に戻ったらばあやさんたちに見せなくちゃ」
僕の家には持って帰れないだろうけど。
飾りやハンカチはアルの部屋に置かせてもらえばいいし、果物やおかしは夕飯の後にみんなで食べればいい。
楽しみだなって思っていたら、アルが突然立ち上がって、それと同時に周りからまた一斉に声がした。
「あら、サン」
「サンディールだわ」
「今日はお休みなの?」
「何してるんだ?」
振り向いたのはすごく背が高くてがっしりした男の人。
でも、長い上着の下から竜のしっぽが出ていた。
「ああ、なんだかやけに賑やかだと思ったら……アルデュラ様でしたか」
顔は日に焼けていて、とても誠実そうな感じ。
誰なのかなって思いながらじっと見ていたら、アルがその人を引っ張ってきて紹介してくれた。
「門番で庭師見習いのサンディールだ。サンディとかサンとか適当に呼ばれてる」
つまり、口からものすごく大きな雷を吐けるくらい強いけど、自分の幅が分からなくて時々お城の壁を壊してしまったり、お茶にするためのハーブを育てたりしているっていう、あの門番さんだ。
やっと会えたのが嬉しくて、食べていたお菓子を慌てて飲み込んだ。
「はじめまして。僕は―――」
右手を差し出したら、あったかくて大きな手が握り返してくれた。
「レン様ですね。お噂はかねがね」
きっと前もってアルが話してくれたんだろうって思ったけど。
「とても素直で可愛らしい坊っちゃんだと」
その説明があまりにアルっぽくなかったから、チラッと隣りを見てみるとやっぱり「俺じゃない」って顔で首を振った。
「ルナだろ」
そういえば、門番さんと仲良しでよく一緒にご飯を食べるって言ってたっけ。
だったら納得だ。
「お休みだから買い物に来たんですか?」
「ああ、まあ」
門番さんが持っていたのは普段着っぽい服。でも、どう見ても小さい感じだった。
また首を傾げていたら、今度は後ろにいた女の人が「きっとルナのですよ」とこっそり教えてくれた。
門番さんはルナがお城に来た時に世話係だったので、今も特別に仲がいいらしい。
いつもルナのものばかり買っていくのだと別の人がそっと耳打ちしてくれた。
「ルナもルビーみたいにタマゴの時にお城に来たの?」
アルに聞いてみたけど、答えてくれたのは門番さんだった。
「今のアルデュラ様よりももう少し小さかったと思います」
よくよく聞いたら、その頃はお父さんもまだ王様じゃなくて結婚もしていなかったらしい。アルが知ってるはずはなかった。
「小さい頃のルナときたら、それはもうかわいらしくてねえ。どこから連れてきたんだろうってみんなで噂したものさ」
「ふうん。そうなんだ」
いつも僕と一緒にいるのはうさぎコウモリのルナ。
ドラゴンの時のルナもどんな姿かは知ってるけど、直接自分の目で見たことはない。
人型のルナにいたっては顔さえ知らなかった。
「髪が銀色で目が紫なのよ」
「今でも王騎士とは思えないほど可愛らしいのよねえ」
「そうなの?」ってアルに聞いたら、意外にもあっさりと「うん」っていう返事があった。
「メリナもフェイも『イリスと同じくらい可愛い』って言うな」
俺はレンが一番だと思うけどって。
そんなことを真面目な顔で付け足すから、門番さんもお店のおばさんたちもみんな一斉に笑ってしまった。
「フェイさんもかなりカッコイイと思うんだけどなぁ」
それにアルのお父さんもお兄さんみたいで素敵だし、ニーマさんだってすごくかわいいし。
「もしかして、お城で働く人って見た目がすごく大事なのかな」
一瞬、そんなことも思ったけれど。
「ルナは剣術の大会で優勝して、スウィード様の従者になったんですよ」
何十年かに一回行われるその大会は腕に自信がある人ばっかりが集まる。
そんな中、ルナはドラゴンの力を使わずに剣の腕だけで各地から選りすぐった猛者たちを倒したらしい。
「一週間かけて勝ち上がるんですよ。あの大会の時は見物客もいつもの何倍もいて、それはもう賑やかだったの」
そのことは、ある程度の年の人ならみんな知っているという。
ついでに。
「ルナがあまりに可愛らしくて、相手が剣を抜くのを忘れてしまったという伝説まであるのよ」
「勝者に贈られる剣を受け取ったときなんて、歓声で地響きがしたくらい」
どうやらこのあたりではとても有名な話らしい。
「もちろん今のほうがずっと強いけどな」
「そうなのかぁ……」
一応、頷いたけれど。
どんなに頑張って想像してみても僕の頭に浮かんでくるのはうさぎコウモリのルナばかりでぜんぜんピンとこなかった。
「サンディールだってルナのことは可愛いと思ってるんでしょう?」
服を買ってあげるほど仲がいいんだし、ルナが小さな頃から世話をしてきたんだからそんなの当たり前って思ったんだけど。
「あ、ああー、まあ……弟みたいなもんなので……それじゃ、俺は夕飯の買い物に……」
おばさんをはじめ、町の人がみんなクスクスって笑うから、門番さんはちょっと困ったように頭をかきながら別の通りに行ってしまった。
「しっぽ、歩くのに邪魔そうだったよね」
「サンディは小さくなるのが苦手だからな」
ルナやフレアならそんなことはないらしい。
でも、門番さんのようにとりあえずでも人間くらいの大きさに変われるのは、とてもすごいことなのだという。
ドラゴンの従者はお城にたくさんいるけれど、たいては誰かに術をかけてもらわないと変身できないらしい。
「そうだよね」
僕なんて何にも変われないから、本当にすごいって思う。
「レンは真っ白な羽が出せるだろ」
こっちの世界ではきっと僕一人だけだって、アルはとても得意気に言うんだけど。
それだって、アルのお父さんがくっつけてくれてるだけで、僕が自分でどうにかできるものじゃない。
そう言ってみたけど。
「いくら王様だって本当に白い羽なんて作れやしませんよ」
おばさんに思いっきり笑われてしまった。
「ごめんなさい。僕、まだそういうのはあんまりわからなくて」
ここでは何が当たり前で何がすごいのか。
何度も遊びに来てるのに未だにさっぱりわからない。
「いいんですよ。レン様くらいのお年でこちらのことに詳しすぎるのは妖術師と悪い契約をしているみたいでむしろ良く思われないものですから」
それくらいでちょうどいいって言われてホッとした。
「それに、そんなことはお城に入られるまでに少しずつお勉強なさればいいんです」
「どうかそれまでお健やかに」
「そのままご成長なさってくださいね」
「ちょっと想像して御覧なさいよ。太陽の髪に空の瞳に白い羽なんて!」
「ご成長なさったお二人が並ばれることを思ったら、ドキドキして眠れなくなりそう」
なぜだかどんどん盛り上がっていく町の人たちを見て、なんだか急に心配になってきた。
「僕、お城に帰るまでにたくさん覚えなくちゃいけないことがあるのかな」
ただでさえ何にも知らないのに、だとしたら本当に困ってしまう。
そう思ってアルにこっそり尋ねてみたけど。
「何をだ?」
逆にまんまるな目で聞き返されてしまって、その後は二人して首をかしげた。
「……アルもわからないなら別にいいや」
考えても仕方なさそうなのでそれは保留にして、帰ってからばあやさんに確認することにした。
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