Halloweenの悪魔
-アルと市場へ-


-3-


おなかがいっぱいになるほどお茶を飲んだあと、まだまだ盛り上がっている市場の人たちに「ごちそうさまでした」と挨拶をしてから、アルがよく遊びにいくというお菓子屋さんに向かった。
そこはテントでもワゴンでもなく、オレンジと赤と黄色のレンガでできた普通のお店。
「こんにちは」
ドアを押すと最初に目に入ったのは僕の背よりずっと大きい砂時計のようなビン。
ガラスの中では色とりどりのキャンディーが光を放ちながらクルクルと舞い踊っていた。
「レンを連れてきたぞ」
アルが声をかけたのは少し奥まった場所にあるティーテーブル。
そこに向かい合っていた優しそうなおばさんとお姉さんがパッと同時に僕らを見た。
「まあ、アルデュラ様。こちらがレン様? なんてお可愛らしい。お噂に違わず本当に宝石のよう」
「おそろいのお召し物もとてもよくお似合いだわ」
人数が二人に減っただけで、さっきと同じ待遇だった。
「俺と似合ってるだろ?」
「もちろんですとも」
やっぱり少し笑われたけど、アルはご機嫌だった。
「あちらの世界ではみなさんこのようにお可愛らしくていらっしゃるのですか?」
僕に向かって聞いているんだけど。
「あ……ええと」
なんて答えたらいいのかわからなくて考え込んでいたら、アルが代わりに口を開いた。
「レンは特別だ」
その自信満々はちょっと恥ずかしかったけど。
「そうですよね。そうじゃなかったら、どこを見て歩いたらいいのかわかりませんもの」
笑いながら椅子を勧められて、テーブルでお菓子とお茶を出してもらったけど。
ここでもやっぱりアルはあんまり行儀がよくなくて、いきなりお店に置いてあった飾りの大きなパンをかじってしまった。
「アル、勝手に食べちゃダメだよ!」
「あとで金払うんだからいいだろ」
王子様だからなのか、アルは昔からこういうところがあるのがちょっと困る。
「順序が違うよ。ちゃんとお金を払ってから食べないとダメなんだから。だいたい値札をつけてないのは売り物じゃないってことでしょう?」
お姉さんは「構いませんよ」って言ってくれたけど。
「たとえば、ここに来た誰かが何も言わずに僕を食べちゃって、『あとでお金払うんだからいいだろ』って言ったらアルはどうする?」
なんだか変な説明だって自分で思ったけど。
「そんなの絶対ダメに決まってる!」
アルにはちゃんと通じたみたいで、そのあと二人に「ごめんなさい」って謝っていた。
それから二人で相談して、お詫びにお手伝いをしようってことになって。
「じゃあ、こちらをお願いしますね」
「わかった」
アルは呪文を使ってクッキーに顔を書きはじめたけど、なんの特技もない僕はこういうときにちょっと困ってしまう。
「僕でもできることはありますか?」って聞こうとしたとき、お姉さんが両手でパンのようなものを持ってきた。
「焼きあがったお菓子を表に掛けてきていただけますか?」
「あ、はい!」
渡されたのはクッキーのようなもので作られた「いらっしゃいませ」のプレート。
とてもいい香りがした。
「こんなにおいしそうな匂いがしたら、みんな思わず入っちゃうよね」
まだ温かいそれを持って表に出る。
ドアにはいくつか掛けるところがついていて、どこならちょうどいいかなって迷っている間も通っていく人が足を止めて珍しそうにこちらを見た。
「こんにちは」
挨拶をするとみんな少し驚いたけれど、すぐににっこり笑って返事をしてくれた。
「もうちょっと上がいいんじゃないかね?」
おじさんの一人がアドバイスしてくれて、
「このへんですか?」
「そうそう。いいね。とてもおいしそうに見えるよ」
「うん、そこがいいね」
みんなの意見が一致したところにお菓子を飾ることができた。
「人間の子だね?」
「はい。お城に遊びに来てるんです」
「ああ、アルデュラ様のね」
またここでも「アルデュラ様の」なんだけど。
もうすっかり慣れてしまって、最近ではあんまり気にならなくなった。
「レンって言います」
「ああ、レン様ね」
「そうそう、レン様だ」
「宝石で天使で太陽のレン様だね」
なんだか聞いたことのある単語が並んだなって思っていると、町の人がいろいろ説明してくれた。
どうやらお城に来たお客さんが帰りにこのへんのお店に寄っていろんな話をしていくらしい。
特にルシルさんとマカ夫人は、必ず買い物をして自分のお屋敷に戻るから、いろんなことが筒抜けだった。
「よく迷子になるんだって?」
「あー……はい。今日は気をつけます」
おじさんたちはそんな話をしながらお店に入ってお菓子を買って、ついでにおばさんやお姉さんとも挨拶してから帰っていった。

それからしばらくしてばあやさんに頼まれたお菓子が焼きあがり、実物の五分の一くらいに小さくラッピングされた。
「じゃあ、こちらをメリナさまに」
その小さな箱と僕のフードに入っているものを大きな袋に移したあと、おばさんは「おまけよ」と言ってクッキーとかキャンディーとかいろいろなものを一緒に入れてくれた。
口のところを赤いリボンで縛った袋はなんだかとても大きくなっていて、抱えない限り引きずってしまう。
代わりにアルが持つって言ってくれたけど、僕と同じくらいの背丈ではあまり状況は変わらない。
「大丈夫ですよ、アルデュラ様。ほら、こうすれば」
おばさんはメリナさんがよくするみたいに人差し指を立てて、何か呪文を唱えた。
すると、お土産で一杯になった大きな袋は風船みたいにふわりと宙に浮いた。
「さあ、レン様はこの紐をお持ちになって」
おばさんが手渡したのは袋の隅から出ているキラキラした糸。
それを掴むとなんだか自分の体まで軽くなったような気がした。
「これなら片手しか使いませんから、手を繋いでお城までお帰りになれますよ」
「うん、そうだな」
アルはとても納得した顔でおばさんを見上げて頷くと、風船を持っていないほうの手を握った。
「ぜひまた遊びにいらしてください。ここならイリス様のお力が十分に届く距離。お一人で歩かれても怖くありませんから」
「はい。ありがとうございます」
こちらの世界はちょっと不思議で、すごく便利だ。
僕の世界でもこんなふうに荷物が風船になったら、どんなにいいだろうって思う。
「アルと一緒だとみんな歓迎してくれるね」
よかったなって呟いたけれど、アルはブンブンって首を振った。
「遊びに来てほしいって思うのは俺の友達だからじゃなくて、レンのことが好きになったからだ」
俺の自慢なんだって、アルが真面目な顔で言って。
「ありがとう。僕もアルのこと、とても自慢に思ってるよ」
そう答えたら、繋いでいた手をギュッと握って僕の頬にキスをしてくれた。
でも、そこは道の真ん中。
歩いている人たちみんなが「あらまあ」って言いながらニコニコしているのが、やっぱり少し恥ずかしかった。


そのまま手を繋いでしばらく歩いたけれど。
お菓子屋さんから100メートルくらいのところを曲がった路地でアルは急に立ち止まった。
「メリナたちにお土産を買っていく。すぐ戻るからレンはここで待ってろ」
術が使えないと中に入れないお店だからと言って、僕の手から買い物袋代わりの風船だけ取って目の前のドアの中に消えてしまった。
たくさん人が通る表通りとアルが消えた路地の角に立って道行く人たちを眺めていると、突然隣にドアが現れた。
「うわ……」
思わず叫んでしまったけれど、中から出てきたのは果物を入れた大きなカゴを持ったおじさん。斜め前にあるワゴンにそれを補充するらしい。
「わー、キレイな色」
赤、黄色、緑、オレンジ、ピンク、白。大きなジェリービーンズみたいな不思議な果物からは甘い香りが漂っていた。
「なってるところが見たければ、そこから覗いてみるといいよ」
ワゴンごと取り出すこともあるという扉は、車でもらくらく通り抜けられるほどの大きさ。まだ完全には閉まっていなかったので、ノブのあるほうに行けば向こう側が見えそうだ。
「あら、採れたてね」
「いらっしゃい。今持ってきたばっかりだよ」
お客さんのほうに向き直ってしまったおじさんに「ありがとう」を言いそびれてしまったなと思いながら隙間を覗き込んだ瞬間。
「……うあっ」
息を呑んだときにはもう僕の体は向こう側に落っこちていた。
パタン、と後で音がして。
嫌な予感とともに振り返った時には扉そのものが消えてしまっていた。
「あー……もしかして」
また迷子だ。
間違いない。
『扉を見つけてもむやみに開けたり、外に出たりはなさらないでください』
ばあやさんの言葉が今になって思い出された。
「外に出るつもりはなかったんだけどな」
言い訳なんかしたところで誰も聞いてない。
というか、ここはどこなんだろう。
目の前には大きなジェリービーンズのような色とりどりの実がたくさん揺れている。
葉っぱは黄緑とオレンジと黄色だけど、幹は見当たらない。
「……こういう植物なんだろうな」
小さい実はみんな白。
大きくなるに従ってだんだん色が濃くなってカラフルになるらしいってことは分かった。
「まあ、いいか」
どう見てもあのおじさんの果樹園。危ない場所ではなさそうだ。
落ち着いてお城に戻ればいい。
「ええと、迷子の時は……」
僕にはペンダントもあるし……って思ったけど。
今日に限って手に持っても反応がない。
お城の中なら行くべき方向にひっぱってくれるのに。
「もしかしてお城以外の道はわからないのかな?」
そう尋ねたときだけポッと光った。
「そっか。じゃあ、仕方ないね」
元いた場所から遠くないことを祈りつつ、生い茂った葉っぱの間を歩く。
とりあえず広い場所まで出れば、お城の塔の先っぽくらいは見えるんじゃないかって思ったからだ。
「天気もいいし、散歩だと思えば楽しいし」
そんなことを考えながら、色とりどりの木の実の間を歩いていた……はずだったんだけど。
「うあっ!!」
突然、どこかに落ちたような浮遊感があって、目の前がまっくらになった。
でも、足が地面から離れた気配はない。
「……貧血、とかじゃないよね」
別にどこも具合悪くない。
なのに目の前は真っ暗だ。
しかも、なんだか空気が違う。
匂いがするとか、煙いとか、息苦しいとか、そういうことじゃないんだけど。
「……なんだか『死んだ空気』って感じだ」
吸ってもぜんぜんおいしくない。
ここで呼吸し続けたら、僕まで死んでしまうんじゃないかと思い始めたとき。
突然、目の前にぽうっと明かりが灯った。
「またお会いしましたね」
立っていたのは、さっき市場で僕に声をかけた大学教授のような雰囲気の片眼鏡の男の人だった。
「あ……こんにちは」
「先ほどは失礼を」
「いいえ。僕は別に……あ、でも」
もし、この人の言うとおりだとするなら、アルがどんなに言い張ったとしてもやっぱりまずいんじゃないだろうか。
「僕が隣りを歩くことで、アルが叱られたりすることはないんですか?」
そう尋ねると、男の人は少し意外そうな顔をした。
「少なくとも陛下の目が行き届いた地なら、そんなことはないだろうね」
あるとするなら、別の王様が統治する国。
そうでなければ、故意にアルを貶めようとする者がいるところ。
「君の行動を批判することで彼の感情を煽る者もいる。君は自身の目で目の前にいるのがどんな相手なのかを見極めなければならないだろう」
良くも悪くもアルは真っ直ぐな性格だ。自分が「いい」と思ってることを簡単に曲げたりしない。
だからこそ一緒にいる僕が良い方向に導かなければならないのだと言われた。
「それはとても難しいことだがね」
まずはいろいろな土地を歩き、たくさんのものを見て、世界がどんな場所なのかを知ること。
焦る必要はないから、僕のペースでゆっくりと一つ一つ感じていけばいい。
そんなアドバイスをしてくれた。
「じゃあ、これからはできるだけたくさん出かけるようにします」
加護の呪文もかけもらったことだし、もう一人でもあちこちに行けるはず。
今日はちょっと失敗だったけれど、次回こそ見慣れない扉には気をつけて……なんて考えていたら。
「ところで、君には少々『飛び癖』があるようだね」
よく迷い子になるのでは、って言われてドキッとした。
「恥じることはない。別の土地に呼ばれるというのは悪いことではないのだから」
冒険者や勇者と呼ばれる者はみなそうだという説明に少しホッとしたけれど。
僕を見下ろしている目はそんな気の緩みを許してくれない雰囲気だった。
「飛び癖は『闇』も引き寄せる。常に十分な注意が必要だということをしっかりと心に刻んでおきなさい」
『闇』というのは普通の世界とは繋がっていない閉ざされた空間。
普通の生活をしていたら一生足を踏み入れることはないけれど、ときどき迷い込んでしまう者がいるらしい。
ついでに。
「今、君が立っているこの場所がそうなのだがね」
「え……ここ?」
確かに、その名の通り真っ暗で、流れない空気がたまっているような所だ。
でも、普通の人が出入りしないというなら、この人はいったい何なのだろう。
そんな疑問がわき上がって眉を寄せた時、不意に後ろからシャラシャラと軽やかな音が響いてきた。
「珍しいこともあるものだ。種たちが騒いでいる」
つぶやいた視線の先はやっぱり真っ暗で、僕には何も見えなかったけど。
「ちょうどいい。君に贈りものをしよう」
男の人は空中から何かを掴む動作をすると、ポケットから取り出した小さな麻袋にそっと注ぎんだ。
そして、呪文を唱えた後、もう一度別の場所から摘み出したものを同じように中に入れた。
「必要な時には今のように種たちが騒ぐ。そうしたら蒔くといい」
そう言うと、まだシャラシャラと鳴っているそれをしっかりと僕の手に握らせた。
そっと中を覗いてみると、透明と白の2種類の粒が音を立てながら楽しげに弾んでいた。
何の種なのか聞いてみたけど。
「今はまだ決めないほうがいい」
いつか必要なものに変わるはずだから、その時まで待つようにって言われただけ。
でも、弾んでいる様子がとても楽しそうだったせいか、すごく良いものだって思えた。
「アルにも半分あげていいですか?」
そう尋ねたとき、その人は初めて少しだけ笑って、僕の頭に手を伸ばした。
「君のものだ。好きにするといい」
さらりと一度だけ髪を梳いて。
それから、少し名残惜しそうに指を離した。
「僕、レンって言います。あの、もし良かったら名前を―――」
でも、その時にはもう男の人の姿はなくなっていて。
目の前は元の果樹園に戻っていた。



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