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「……なんだったんだろう」
不思議な空間。不思議な人。
今だって迷子には違いないんだけど、それでもここはちゃんと僕の知ってる土地だって気がする。
いつもアルと遊んでいるお城と同じ匂い、同じ空気。
でも、さっきの場所はぜんぜん違った。
どことも繋がってなくて、自分もだんだん暗闇に吸い込まれてしまうような、そんな感じ。
「……とにかく今は迷子から脱出しないと」
とりあえず見晴らしのいい場所を探そうと思い、ガサガサと葉っぱをかきわけて歩いていたら、10メートルも進まないうちにドンッと何かにぶつかった。
「ごめんなさい!」
顔を上げると土星の輪みたいな帽子を被ったおじさんがいた。
手には虹色の大きなゼービーンズ。
「おやおや、これは珍しい。こんなところで人の子に会えるとは。はじめまして、私はジェフリー。この先の植物園で働いているんだ」
明るい声。気さくな笑顔。
市場にいた人たちと同じで、とても優しそうだった。
「あ……はじめまして。僕はレンです」
名前を言うと、おじさんはうんうんと二回くらい頷いたけれど。
「今日は天気もいいし、絶好の散歩日和だが、それにしても君はこのへんの子ではないだろう?」
どこから来たのかと尋ねられて、そこではじめてものすごく大事なことに気付いた。
「……あの……友達の家に遊びに来てて、近くの市場で買い物を……」
何も知らないのだ。
お城の名前も、町の場所も、それどころか何ていう国なのかさえ。
いったい僕は図書室で何の勉強をしていたんだろう。
楽しげに降り注ぐ日差しの中、僕の頭の中だけが真っ白だった。
「ごめんなさい……ぜんぜんわからないんです」
やっとそう答えると、ジェフリーさんはにっこりと笑って僕の前に屈みこんだ。
「こちらにはまだあまり慣れていないんだね。では、そのご友人の家はどんな仕事を?」
この近くの家なら職業を聞けばわかるからって言われて、やっと少しだけホッとした。
「仕事というか、お父さんは王様です」
これならきっとすぐにわかってもらえるはず。
そう思ったのに。
「そう。では、お友達の名は?」
その質問に思わず「え?」と呟いてしまった。
だって、自分の国の王子様の名前ならみんな知っているはず。
なのに、どうして聞くのだろう。
とても不思議だったけれど、知ってることだからちゃんと答えた。
「アルデュラです。アルデュラ・ル・キュラス=ヴィセ・ラ・ジアード」
答えた瞬間、それまでニコニコと僕を見ていた目がまんまるになった。
「レン君、その名前は誰から聞きましたか?」
何かまずいことを言ったんだろうか。
またちょっと心臓がドキドキした。
名前を言っただけなのに、なんで驚かれてしまうんだろう。
それとも、こちらでは名前は本人以外から聞くことが多いんだろうか。
いろいろわからないことだらけだったけど、とりあえず迷子状態を解消することが先なので質問に答えた。
「もちろん本人からです」
だって、友達なんだから名前くらい教えてもらうのが当たり前。
おじさんがまた驚いた顔をしたら、そう言おうって思ったけど。
「そうですか」
今度は納得してくれたようだった。
でも、そのすぐあとに「正式な名前を教えてもらうのがとても重要なことだというのは知っていますか」と尋ねられた。
「はい。名前が大事だっていうのはアルから聞きました」
それについての返事は「だったらいいんです」というものだったけど、にっこり笑ったあとは、帽子を取って恭しいお辞儀をした。
「では、この国について簡単なご説明をいたしましょう。まず、王都は『ジアード』。今、私たちが立っているこの土地の名です」
お城の名前も「ジアード城」。
そのまんまだった。
「『ジアード』って言ってみてください」
「ジアード?」
アルの名前と一緒だからすぐに覚えられる。
そう思っていたら、
「確かにこの都に認められた方のようですね」
また謎の言葉が。
「え?」
聞き返したら、それについての説明もしてくれた。
「よそで暮らしている者だと『ジアード』と言いたくてもできないのです。口から出るとき勝手に正式名称である『ラ・ジアード』に変換されてしまうのですよ」
それでこの土地の住人かどうか簡単に判別できる。
誰かに尋ねられた時も『ジアードの者だ』と言えば出身を疑われることはなく、スムーズにここに戻ってこられるだろうってことも教えてもらった。
「ちゃんと決まりがあるんですね。すごいなぁ」
「王都は特別なんですよ。イリス様の強いご加護がありますから」
イリスさんは年中灰色で不機嫌だけど、王様を選ぶ人だけあって、やっぱりとてもすごいらしい。
「それで、市場へはアルデュラ様と?」
「はい。二人できました」
「それではご心配なさっているでしょうね。すぐに町の広場に出てお迎えを頼みましょう。お城でレン様のお世話係はどなたが?」
アルの友達だとわかったからなのか、呼び方もいつの間にか「レン様」になっていた。
本当は「君」で呼んでもらえませんかって頼もうと思ったけど、ジェフリーさんが言う通り、今頃アルは一生懸命僕を探しているだろう。
とにかく一秒でも早く戻らないと。
「あの……今はお城の人と同じ扱いなので世話係はいないんです。でも前はルナかフレアが――」
全部を話す前にジェフリーさんが追加の質問をした。
「城の従者になったということですか?」
また目が丸くなっていたけど。
でも、それは誤解だ。
「いいえ、そういうことじゃないんですが」
アルがお城の番人のところへ行ってノートに僕の名前を書いてもらったのだと説明すると、こちらを見ていた目はいっそう丸くなった。
「陛下やイリス様はそれをご存知で?」
「あ……はい。たぶん」
確認はしていないけど、番人のお屋敷に行く途中で王様やイリスさんに言ってアルを強引に呼び戻す話まで出ていたくらいだからきっと知っているはず。
ジェフリーさんは「そうですか」を3回くらい呟いたあと、抱えていた虹色のジェリービーンズを小さく変身させてエプロンのポケットに入れた。
それから、真新しい手袋を取り出して両手に填めると、恭しく道案内をしてくれた。
「あの……僕は確かにアルの友達なんですが、でも、普通の人なので」
呼び方も「レン君」でいいし、話し方も市場のおじさんやおばさんみたいなほうがいいと言ったら、ジェフリーさんはまたにっこり笑った。
「アルデュラ様も以前同じことをおっしゃいました」
自分は王様の子供だけど、別にえらくはないからって。
アルはどこへ行ってもみんなにそう話す。
口ぶりと態度はちょっと偉そうだけど、誰にでも気軽に声をかけるし、見下したりもしない。
「僕はアルのそういうところがいいなって思うんです」
そう言ったらジェフリーさんも「そうだね」って微笑んで。
それから、きっと今の王様に負けないくらい立派な城主になるだろうって頷いた。
五分くらい歩いただろうか。
途中、2枚のカーテンをくぐって案内されたのは大きな噴水がある賑やかな町。
どの家の屋根も黄色と黄緑とオレンジで、あの果樹園の葉っぱみたいに塗り分けられていた。
高い塔のある横に長い建物は、何かの工場。
煙突からはほのかに甘い香りのする蒸気が立ち上っていた。
「あそこではね、あの果実の枝からとれる繊維で編み物をしているんだよ」
そうなのかって思うより前に、大きな疑問にぶつかった。
「葉っぱと実しかない植物なんだって信じてたんだけどな……」
うっかり口に出してしまったら、ジェフリーさんが本当におかしそうに笑った。
「大抵の人はそう思うだろうね」
あの木の幹と枝が見えるのは限られた種族だけ。
普通は触ることもできないので、僕のように幹があるはずの場所をさくさく突っ切ることができてしまうのだという。
工場で働いているのはその特別な種族の人たちばかり。
よその土地にはない糸や布ができあがるらしい。
「ここの名産品なんだよ。糸にする過程で特殊な加工をするんだがね、おかげで使い勝手がとてもいいんだ」
専用の呪文と果樹園の真ん中に湧き出る泉から汲み上げた水が必要だけど、出来上がったものは呪文がかかりやすく、とても便利らしい。
「市場で見なかったかな。風船みたいな買い物袋とか、布製の羽のついたカバンとか」
「あ! 僕、それにお土産を入れてもらいました」
そういえば、ナプキン二枚をランチボックスの羽にしてもらったこともあったっけ。
あれもきっとここで作った布なんだろう。
「そっかぁ……今まで気付かなかったことが分かるとなんだか楽しいな」
お城に帰ったら、この国のことや町のことをもっとたくさん勉強しよう。
あれこれ思い巡らせていたら、ジェフリーさんが6本足の不思議な動物の看板のあるお店の前で足を止めた。
「あれはね、宿屋のマークなんだよ」
僕が6本足の動物と思ったのは、どうやらベッドらしい。
「アルの部屋のベッドって足は6個だったかなぁ……」
ぜんぜん思い出せなくて首を傾げていると、ジェフリーさんがポケットから小さなブロンズ色の玉を取り出した。
「呼び鈴になるようなものを持っているかい?」
それが電話番号の代わりになるらしい。
お城から持ってきたものなら何でもいいと言われたので、ネックレスを取り出すと、後ろから甲高い声が響いた。
「おや、まあ……陛下ご本人の呪文入りかい?」
宿屋のおばさんだった。
こぼれ落ちそうなほど目をまんまるにしている。
「やあ、マージュ。こちらはアルデュラ様のご友人だよ」
「こんにちは。レンって言います」
ペコリと頭を下げると、ハッとしたように「あら、人の子なのね」と言ったけど。
そのあとは市場の人たちと同じように、「不思議な色だねえ」と僕の髪を触り、「宝石みたいだねえ」と瞳を覗き込んだ。
その間にジェフリーさんは手にした玉でネックレスをこすり、それが銀色に変わるのを確認してからお店のカウンターテーブルの前に立った。
置いてあったのはワイングラスさかさまにしたようなベル。
「これが電話だよ」
こちらを振り返りながらそう教えてくれた。
上に玉を乗せると、すぐにクルクルと円を描いて回って、リーンリーンとキレイな音を立てる。
やがて玉はベルの中に吸い込まれ、代わりに執事さんの顔を映した透明な風船のようなものが姿を現した。
僕が立っていたところからでは二人の話までは聞こえなかったけど、執事さんの顔はすぐにまたシューッとしぼんでベルの中に消えた。
「すぐにお迎えを手配してくださるそうですよ」
「ありがとうございます」
ジェフリーさんと二人で噴水の縁に腰かけて待つことにした。
広場を行ったり来たりするのは色とりどりの服を着た人たちで、カラフルなワゴンが並び、見たことのない動物が馬車を引いている。
眺めているだけでとてもわくわくした。
「賑やかな町だなぁ」
人も馬車もたくさん通って、すごく活気があって。
こんなところなら僕でも毎日楽しく過ごせそうだって思ったけど。
「いつもはこれほどじゃないんだけどねえ」
宿屋のおばさんが可笑しそうに笑う。
どうやらお城からの迎えが来ると聞いて集まってきたようだ。
王様の従者は若い人たちに人気があるらしい。
「陛下の直属の部下は優れた者しか採用されないし、彼らと結婚すればたまにはお城にも出入りできるだろうからね」
若者が華やかな生活に憧れるのは仕方のないこと。
どこの世界もそんなものだろうと髪を直す若い女の子を見ながらジェフリーさんが笑う。
「そっかぁ……」
そんな話をしていたら、五メートルくらい先に僕のペンダントと同じ紋章が入ったドアが現れた。
一瞬、時間が止まったみたいにみんなが足を止め、息を呑んでこちらを見守った。
「お迎えに参りました」
開いたドアの前に立っていたのは、肩よりも短い銀髪と紫色の瞳の背の高い男の人。
確かに初めて見る顔なのに、すごくよく知ってるような気がした。
「……もしかして、ルナ?」
「遅くなって申し訳ありません」
声までいつもとは違ってたけど。
にっこり笑うのを見て、やっぱりルナだって思った。
「お城の騎士って感じだなぁ……」
僕もしばらく見とれてしまったけど、町の人たちはもっとすごくて、本当にピッタリと静止していた。
しかも視線は全部こちらに集中している。
でも、ルナはぜんぜん気にならないみたいで、ごく普通にジェフリーさんにお礼を述べた。
「ご連絡ありがとうございます」
「いいえ、レン君とお話できて楽しかったですよ」
そんな会話の合間もあちこちから「きゃあ」。
少しでも微笑むとまた「きゃあ」。
まったくルナは大人気だ。
市場のおばさんたちが言ってたみたいに可愛らしくはなかったけど、本当に隅々まで王様の従者って感じだった。
『王騎士の制服』は全体的に明るいグレーと濃いグレー。ところどころが黒と銀で一番上だけが飾りボタン。
そこにはルナの瞳と同じ色の宝石がはめこまれていて、本当によく似合っていた。
「では、参りましょうか。アルデュラ様がお待ちですので」
「いつもごめんね」
小さな声で謝ってみたけれど、ルナはいつもどおりに優しい笑顔を見せた。
「今度はどちらまでお迎えに行けるのかと、とても楽しみにしていますよ」
ちらりと視線を移すと女の子たちがぽわんとルナに見とれている。
強くて、優しくて、かっこよくて。
みんなの噂どおりだなって改めて思いながら、差し出された手を取った。
「それじゃあ……お世話になりました」
ジェフリーさんとおばさんにお礼を言って、ルナと一緒に紋章入りのドアをくぐった。
たった一歩で降り立ったのは町が一望できる場所。
ずっと気付いていなかっただけで、市場もお城も丘の上にあったのだ。
そこには一層大きくなった風船を持ったアルが、なんだかそわそわした様子で待っていた。
「ごめんね。勝手にいなくなって」
開いていた扉の向こうを眺めようとしたら落ちてしまったのだと説明すると、アルはホッとした顔で頷いた。
「市場の扉なら大丈夫だ。イリスの加護もかかってるし、そんなに遠くへは行けない」
今までどこにいたのかと聞かれ、丘からあの果樹園を探す。
「ええと……あのカラフルな葉っぱのあたりかな。その手前にある煙突の町にも行ったよ」
とても楽しかったよと言ったら、アルはパッと顔を輝やかせた。
「だったら、次は俺も行く!」
今度は一緒だぞって言いながら、キラキラした目で町々を見下ろした。
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