Halloweenの悪魔
-- 優しい子 --



-2-


黙々と歩いて、辿り着いた町への入口には白と灰色のレンガでできた低い塀。
そのすぐ横に積まれた干草があまりに不自然な気がして、近寄ってみたらその中でモソッと何かが動いた。
草の間から出た子犬のような小さな手足。
そっと覗きこんでみると見たことのない動物が横たわっていた。
「……なんだろう、これ」
両手の上に乗るくらいの大きさ。毛糸玉を二つピーナツ状態につなげて、ついでに角をたくさんくっ付けたみたいな不思議な生き物だった。
「育ちそうにないから捨てられちまったんだな」
いつの間に来たのか、後ろにはさっきのおじさんが立っていて、気の毒そうに干草を見下ろしていた。
頭には角が6つ。真ん中に大きなもの、その周りを小さな5本の角が囲んでいる。
僕には王冠みたいに見えたけど、普通なら角は一本だけ。
たくさん生えているのは病気の証拠だから、すぐに死んでしまうだろうっておじさんに言われた。
「こんなに小さいのに?」
「ああ、可哀想だがな」
ミルクティー色のふわふわした獣は、どうみても生まれたばかりって感じなのに。
「手当てできないの?」
僕の質問におじさんは首を振った。
詳しいことはわからないけど、たくさん生えたまま大きくなったものなんて一度も見たことがないからきっと治らない病気なんだろうって。
「じゃあ、捨てた人を探せないかな?」
どういう病気で、どんな治療が必要なのか、尋ねたら少しくらいは分かるかもしれない。
そう思って、その子がうずくまっていたあたりをよく見ると、かすかに靴のあとが残っていた。
「小さいね」
「子供だな。二人で来たらしい」
僕よりも少し小さい足跡と、それよりもさらに小さいもの。
「僕、追いかけてみる」
上着を脱いで、目を瞑ったままの赤ちゃん獣をそっと包むと、僕の手よりずっと温かい体から、心臓の音が伝わってきた。


「ほら、こっちだ」
おじさんと二人で目を凝らし、腰を低くして、消えかけた小さな点々をたどっていった。
行き当たった先には大きな扉。
「開いてる」
「町の者全員が使うからな。閉まることはないんだ」
半開きのそこから見えたのは、町のすみっこにあるという牧場。
フサフサの毛を持った馬くらいの大きさの動物がのんびりと干草を食べていた。
「ちゃんと育てばあんなふうになるんだ」
「そっかぁ……大きくなってもかわいいんだね」
みんな角は一本だけ。
毛はもっと濃い目の茶色でふんわりサラサラ。
この子のようにパサパサしていない。
「まあ、こんなぐったりしてちゃねえ……病気だってことはすぐにわかったんだろう」
産まれた子を見た親が子供たちを呼んで、塀の外に捨ててくるように言いつけたんだろうって。
「あそこなら墓を作ってくれるもんがいるしな」
「……そうだけど」
せっかく生まれてきたのに。
こんな簡単に捨てられてしまうんだって思ったら、涙が出た。


「じゃあな。あんまり気を落とすんじゃないぞ」
仕事の時間になってしまったおじさんが、最後に一度僕と小さな子の頭を撫でてくれた。
「いろいろありがとう」
ペコリと一度会釈をして、顔を上げた時にはもうおじさんの姿は消えていた。
手が塞がっていたから顔を拭けなくて、グスグス言いながらお医者さんを探した。
でも、やっと見つけた小さな病院は、ほんの少しもこの子を診てくれなかった。
「こんなものを持ち込まないでくれよ。他の患者さんが気持ち悪がるだろう?」
もう角が腐りはじめているし、爪だって変色していてどうしようもないって、冷たく言われて。
薬や道具の入った大きなカバンを開けることもないまま、僕らを建物から追い出した。
「お願いします。少しでいいから……薬とか、看病の仕方とか―――」
大きな声で頼んでみたけど、返ってきたのは冷たい視線。
「ああもう。先生は忙しいんだから。さっさとお帰り」
せめて水くらい飲ませてあげられないかって思ったけど、それも「死ぬと分かっているやつに水なんてやる必要ないだろう」って断わられてしまった。
「……そんな……」
ぐったりしている小さな体を抱きかかえたまま立ち尽くした。
通り過ぎて行く人たちはみんな「お医者ごっこでもしてるのかい」ってクスクス笑うだけ。
誰もこの子を治してあげたいなんて思ってなかった。
「どうして捨ててしまうんだろう。頑張って看てあげれば助かるかもしれないのに」
涙が落ちて濡れてしまわないように、もう一度その子を包みなおして、そっとなでた。
「自分で立つこともできないんじゃ、邪魔になるだけで畑の手伝いなんてできやしないだろう?」
どこからかそんな声も聞こえた。
働けないなら家に置いておく意味がないって。
「でも……他の仕事なら手伝えるかもしれないし」
「他の仕事? こいつが?」
今度は別の人に鼻で笑われて。
「教えたら覚えるかもしれないよ」
「そんなに使える家畜ならねえ」
「食ってもうまくはないし、使い道はないね」
「いっそ一思いに崖から投げ捨てたほうがいいんじゃないか?」
バカにしたみたいな笑い声。
どうかこの子に聞こえませんようにって泣きそうな気持ちで祈った。
「……こんなの、おかしいよ」
決まった仕事ができなかったら、生きてる意味がないなんて。
なのに、僕が何度そう言っても誰も聞いてくれなくて。
「……もういい」
医者がダメなら薬を売ってるお店を探そう。
そう思ったけれど。
「腐り病の薬がどれほど高価なものか知らないのか? 自分で稼いだわけじゃないのに、そんなことに無駄な金を使うなんていい気なもんだな」
「だいたい、おまえ、人間だろう? 簡単な術すら使えないくせに助けてやれるとでも思ってるのか?」
自分では何一つできないのに、他人の力をあてにするのは図々しいって。
そんな言葉になにも言い返せなくて黙り込んだ。
今まで誰からもそんなひどいことは言われなかった。
でも、それはアルが一緒にいたからだ。
魔術も呪文も使えない人間はダメな種族で、ここではみんなが見下している。
でも、どんなにひどいことを言われてもどんなに悔しくてもそれは事実で、自分ひとりでは何一つできないことを思い知った。


唇をかみしめたままその場を立ち去った。
町はどこもかしこも吸い込むと一気にのどが渇きそうなほど乾燥した風ばかりが吹いている。
「ぜんぜん気持ち悪くなんてないのに」
病気のせいでくすんでしまった毛皮の小さな狼みたいな子。
確かに爪は部分的に違う色になっていたけど、シャボン玉の表面に浮かぶ虹色みたいで、とてもきれいだと思った。
角の一部はポロッと取れてしまって、毛もボサボサになっていたけど。
ときどき少しだけ目を開けて僕を見上げる、そんな仕草はとても可愛かった。


何分くらい走っただろう。
やっと見つけたのは露店で薬草を売っているおばさん。
「すみません、あの……」
持っているコインを全部使っても痛み止めと呼吸が楽になる実が一つずつ買えただけ。
本当は売り物なのに、おばさんはカップに一杯の水をおまけしてくれた。
全部一緒に小さな口の中に流し込むと少しだけむせたけど、なんとか飲み込んでくれた。
シューシューと変な音を立てていた呼吸はすぐに穏やかな寝息に変わって、その場に座り込んでしまいそうなほどホッとした。
「よかった。少し楽になったみたい」
それでも薬草屋さんは「もう長くはもたないだろうね」って悲しい顔で言った。
「早く楽にしてやったほうがいいかもしれないよ」
長く苦しむのは可哀想だって諭されても、「うん」なんて言えるはずはなかった。
「ぼうやの気持ちは分かるよ。でも、仕方がないんだ。最近じゃ、ずいぶん速いペースで土地が狭くなっているから、どうしてもね」
せっかく生まれてきたけれど、土地がこの子を抱えきれなくなってしまったんだろうって、薬草屋さんはまた悲しげに僕の腕の中を見つめた。
そして、「優しい子ほど早く『世界』の手元に戻っていってしまうんだよ」ってつぶやいて、指先で小さな背中を撫でてくれた。

『世界』ってなんだろう。
どうしてこんな小さな子さえ生かしておいてはくれないんだろう。
またこぼれそうになる涙をこらえていたら、ふと母さんが亡くなった日のことを思い出した。
あの日も今日みたいに泣いてばかりいる僕に誰かが言った。
『レティシアはとても優しいから、他の人よりも早く神様に呼ばれてしまったのかもしれないね』って。
僕はまだ今よりずっと小さくて。
神様に気に入られて天国に召されたのなら、もう病気で苦しむこともないんだろうって思うだけだった。
『僕と父さんと一緒にいた頃よりもっと幸せでいられるなら、それでもいいよ』って、答えたような気がする。
でも。
「……どうしようもないことは確かにあると思います。それに僕はこちらのことはよく分からないけど……」
優しい子ほど早く死んでしまう世界は、きっと間違ってる。
僕以外の全員が「そんなことはない」って言っても。
やっぱり間違ってると思うから。
「……薬と水、ありがとうございました」
誰もいない場所まで走って。
泣きながら電話をかけた。
それ以外何もできない自分が悔しくて、情けなかった。



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