Halloweenの悪魔
-- 優しい子 --



-3-


迎えに来たのはアルだった。
涙でぐちゃぐちゃの顔と腕の中の子を見てすぐに事情は察してくれたらしく、王様の紋章が入った小さめの扉を開けると僕の背中をそっと押した。
「戻ってメリナに見てもらおう」
お城の小門の前で一度足を止めたアルは、甘い匂いのするハンカチで僕の頬を拭いてくれたけれど、その間中ひどく心配そうな顔をしていた。


ただいまの挨拶も忘れて、ばあやさんたちのいる部屋に駆け込んだ。
捨てられていたことと、お医者さんには診てもらえなかったこと、薬売りのおばさんから買った実を食べさせたことを話した。
「助かる?」
「どうだ?」
アルと二人でばあやさんと執事さんを交互に見上げたけれど、二人とも「大丈夫ですよ」とは言ってくれなかった。
「……僕、何もできないのかな」
涙を堪えながら手の中を見下ろした。
小さな体はさっきからぐったりしたまま目を開けることもない。
「そんなことはありませんよ。とにかく今はこの子のためにしてあげられることを考えましょう」
すぐにアルが図書室から病気についての本を持ってきた。
大きなテーブルにそれを広げ、みんなで覗き込んだ。
「あった。これだな。えーと……『外の風に当てたほうが腐るのが遅くなる』らしいぞ」
でも、湿気がなさすぎると角やつめはポロポロと崩れてしまう。
この子の角が欠けてしまったのも、あの町の空気が乾燥していたからなんだろう。
とても難しい病気だと書いてあった。
「じゃあ、ベッドは外に作ったほうがいいね」
ばあやさんに用意してもらったいい匂いのする干草を浅い箱に入れ、ふんわりしたタオルで包んでベッドにした。
「今日はずっと僕が一緒についていててあげる。何かあったらアルを呼ぶよ」
「カゼひくぞ」
「大丈夫。ちゃんと毛布持っていくから」
心配しなくていいって言ったけど。
アルは当たり前みたいに一緒についてきた。
「二人のほうが安心だろ?」
呼びにいく手間だって省けるからって、真剣な顔で僕の手を握る。
「うん、そうだね。ありがとう」
二人で相談して、交代でご飯を食べて、交代で眠ることにした。
夕方には庭師さんが、夜中にはメリナさんやニーマさんが様子を見にきてくれた。
今は真夜中。
まぶしいくらいの満月が空に浮かんでいる。
「昼間ほど苦しそうじゃなくてよかった」
タオルに鼻先を押しつけて寝ているようすはとても可愛らしくて、箱の中を覗きこんでいたばあやさんもにっこり笑った。
「よく眠っていますね。レン様がお作りになったベッドが快適なのでしょう」
この子を拾ったのもたった今積んだばかりみたいなふかふかした干草の上だった。
周りには草なんてほんの少ししか生えていないのだから、捨てていった人が寝床として持ってきたものなのだろう。
「……誰かに見つけて欲しかったのかな」
自分たちでは助けてあげられないから、治せる人を探したかったんだろうか。
「そうかもしれませんね」
嫌われて捨てられたんじゃなかったらいいのに。
それなら、今もどこかにこの子が元気になるよう祈っている人がいるはずだから。
元気になったら、一緒に喜んでくれる人がいるはずだから―――

ぼんやりと浮かぶのはあの町の景色。
白い砂。
小さな足跡。
干草の前にひざまずく子供たち。

「……あっ」
それが夢であることに気付いて飛び起きると、隣でばあやさんが笑っていた。
「ほんの少しお休みになっただけですよ」
でも、顔を上げたら薄青い空が広がっていた。
「もう朝なんだ……」
一秒ごとに明るさを増し、やがて庭の真ん中にやわらかな光を届ける。
箱の中で眠っていたはずの子が突然目を開け、小さな体を引き摺ってよたよたと日が当たる場所に向かいはじめた。
足どりは頼りない感じだったけれど、自分で動けるくらい元気になったんだって思ったら、涙が出そうなくらい嬉しかった。
「待って。僕が連れてってあげるから」
そっと抱き上げ、天気のいい日だけ花びらを開くという白い蕾みのそばまで行った。
ゆるやかな風がその甘い香りを運んでくると、小さな鼻がクンクン動いた。
「いい匂いだね。そうだ、治ったら僕がもらった種を一緒に蒔こうよ」
片眼鏡の人がくれた白と透明の種。
花が咲くかどうかはわからないけど、芽が出て大きくなっていくのを見るのはきっと楽しいはず。
「ね?」
そう言ったら、腕の中から僕を見上げて「くぅ」と小さく鳴いた。
クリンとした目がとてもかわいくて、にっこり笑うとまた「くぅ」と言った。
「レン、そいつに名前つけてやれよ」
「あ……」
そういえば、あまりにもあせっていたせいでそこまで気が回らなかった。
でも、せっかく生まれてきたのだから。
こうして僕らと出会ったのだから。
この子に似合う名前をつけてあげよう。
みんなからたくさん呼んでもらえるように。
みんなといろんな話ができるように。
「男の子かな。それとも女の子なのかな」
「それはもっとデカくならないとわからないな」
「じゃあ、男の子でも女の子でもどっちでも大丈夫そうな名前にしようかな」
でも、ルナもフレアも男の子なのに可愛い名前だし。
アルのルビーも男の子だって言うし。
こちらでは男の子が女の子っぽい名前でも、女の子が男の子っぽい名前でもかまわないんだろう。
「どんなのがいいかなぁ……」
きれいな虹色の爪を持っていて。
日向ぼっこが好きで。
太陽が出ると嬉しそうに「くぅ」と鳴く子だから。
「……ソラっていうの、どうかな?」
青い空は嫌なことがあっても見上げたら元気になれる。
早く病気を治して、みんなにそんな気持ちをあげられる子に育ってくれたらいいって思うから。
「だからね、おまえの名前は今日から『ソラ』だよ」
そう言ったら、少しだけ目を開けた。
それから、可愛らしい口がふわんとアクビをして。
「ずっとついてるから、ゆっくりお休み」
その言葉にクリンとした瞳で答えた後、気持ち良さそうにまぶたを閉じて。
それから、「くぅ」と小さく鳴いた。
「今日はいい天気になりそうだね」
大丈夫。
このままぐっすり眠って、もう少し元気になったらご飯を食べて、それから―――

ほんの少し見えた希望。
でも。
「ソラ……どうしたの?」
目を離したのは、ふんわり浮かんだ雲を見上げるほんの少しの間だけ。
なのに。
もう一度視線をソラに戻したとき、呼吸のたびにかすかに上下していた体は動かなくなっていた。
「……ソラ?」
声をかけて。
背中をなでて。
「……しっかりして、ソラ!!」
何度も何度も呼んだけれど。
そのあと、ソラが再び息をすることはなかった。


駆けつけたばあやさんとニーマさんはそっとソラを覗きこんでから悲しそうに首を振った。
「だって、さっきは気持ち良さそうにあくびして―――」
まだこんなに小さいのに。
どうして『世界』はソラを連れていってしまうんだろう。
「やだ……やだよ……呪文で何とかならないの? ソラを助けてあげて!」
元気になったら一緒に種をまこうって約束したのに。
たくさん名前を呼んで、たくさん話をしようって思っていたのに。
「レン様。残念ながら、どんなに難しい呪文を使っても命を与えることはできないのです」
復活の術は存在するけれど。
それは死んだ者を動かすだけで、生き返らせるということじゃない。
ばあやさんが僕を抱きしめたままそう説明してくれた。
「……イヤだ……だって、せっかく仲良くなったのに。僕、何にもしてあげられ――――」
その後は言葉にならなかった。
庭の真ん中で泣きじゃくる僕を、お城の人たちが窓から気の毒そうに見下ろしていた。


どんなに時間が経っても涙は止まりそうになかったけれど。
日が高くて暖かいうちに新しい家を用意してあげたほうがいいと言われて、鼻をすすりながらアルとお墓の穴を掘った。
ソラが気持ち良さそうに眠ったのは、お城の庭で一番長く日が当たる場所。
だから、そこを借りることにした。
「こんな真ん中にお墓を作っていいのかな」
みんなに踏まれたらかわいそうだと思ったけれど。
庭師のおじいさんがそこだけ丸く区切って花壇みたいにして、誰も上を歩けないようにしてくれた。
「それじゃあ、目印にこれを置こうかね」
とっておきだと言って持ってきてくれたのは、僕の両手にちょうど乗る大きさの卵型のキレイな石。
晴れた日には青い色に、曇りの日は薄紫に、雨の日は透明になるというその石は、夜にはキラキラと光の粒が見えるという。
「ありがとう、おじいさん」
きっとソラも気に入ってくれるだろう。
そう思いながらそっと石を両手で包むと、ほんのり温かく感じた。
「さあ、そろそろ眠らせてやりなされ」
「……うん」
降り注ぐ光の中。
暖まった土の上にそっとソラの体を横たえた。
6本あった角のうち5つは、ボロボロに崩れてなくなってしまったけど。
真ん中の一本だけは少しだけ形をとどめていたから。
そこに花で作った冠を載せてあげた。
「何もできなくてごめんね。でも、もしよかったら、今度は僕の家に生まれてきてね」
子犬だったら毎日一緒に散歩をして、子猫だったら毎晩一緒のベッドで寝よう。
「もしも鳥だったら……その時はこのお城で生まれてくれたら、僕も一緒に空の散歩ができるんだけどな」
犬でも猫でも鳥でもうさぎでも、なんでもいい。
ソラがなりたいもので。
でも、できれば長く生きてくれるものがいい。
それなら、今度はもっとたくさん一緒にいられるから。
「またね、ソラ」
何もしてあげられなくてごめんね。
心の中で何度も謝った。
「お別れは済みましたかな」
「……はい」
名残り惜しかったけれど、そっと土をかけてお祈りをした。
この次に生まれてくる時は幸せでありますように。
角が6本あってツメの色が全部違っていたとしても。
どうか、出会った人みんなから愛されますように。


アルと二人。
その日は星が出るまでソラのお墓の前で過ごした。
仕事の合間にはお城のみんなが代わる代わるお祈りに来てくれた。
ソラと蒔く約束をした種を袋から取り出して、石の周りに埋めながら。
次に生まれてくる時のために、それぞれ一つずつ幸せを願う呪文を贈ってくれた。



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