Halloweenの悪魔
-- 優しい子 --



-4-


次の日から僕はなんとなく元気が出ないまま一週間を過ごした。
「こんにちは」
再びお城を訪ねたのは土曜の午後。
でも、アルは不在だった。
剣の稽古なのかと思ったけれど、ばあやさんは首を振った。
「最近お出かけになることが多くて。今日はどちらにいらっしゃるのか……」
今週はずっとそんなだったらしい。
「散歩かな。それとも買い物かな」
どこへ行ってるにしても、おやつの時間には戻ってくるだろう。
それまで図書室で待とうと考えていたら、ばあやさんに引き止められた。
「お探しいたしますので少しお待ちください」
人差し指を立てて空中に円を描くと、ぽっかりと黒い穴が開く。
そこにエプロンのポケットから取り出した塩のようなものを投げ入れた。
「さあ、生まれた場所にお帰り」
細かい粒がパッと散ったあと、穴の向こうに真っ白な地面が浮かび上がった。
「あ……ソラを拾った町だ」
まだはっきりと覚えている。
一面の砂とまばらな草。
僕が塩だと思ったのは、どうやらアルの靴についていた土らしい。
「では、レン様。こちらからどうぞ」
ばあやさんの言葉とともに小さな穴は四角く広がると、扉になって僕の前に現れた。
「お気をつけていってらっしゃいませ。遅くともお夕食までにはお戻りになるようアルデュラ様にお伝えください」
「うん、ありがとう」
アルが見つからなかった時のためにお城への電話用コインももらったけど、あの町なら真ん中にある広場に立って大声で呼べばどこにいても聞こえるだろう。
「じゃあ、行ってきます」
まだ悲しい気持ちは残っていたけど、にっこり笑うばあやさんに見送られて扉をくぐった。


町には今日も乾いた風が吹いていて、ソラを拾った日のことを思い出す。
お城より日暮れの時間が早いのか、真っ白な砂は紫とオレンジのまざった夕焼け空を映して、ほんのりと暖かい色に染まっていた。
少し離れたところに低い壁。
ソラが捨てられていた場所だ。
「えっと、アルが行きそうなところは……っと」
ぐるりと辺りを見回していたら、積み上げた白い石の向こうに真っ黒な髪が揺れていることに気付いた。
全体的に白い土地だから、黒はとても目立つ。
声をかけて走っていこうと思ったけど、よくよく見てみると、アルは塀の陰に隠れて何かを観察していた。
「アル、何して……」
足音がしないようそっと近寄って小さな声で話しかけてみたけど。
「しっ」
いきなり怒られてしまった。
目線が指し示した先には小さな男の子と女の子。
白い砂に半分埋もれかかった干草を眺めていた。
「きっと、あいつらが捨てたんだ」
男の子はたぶんアルと同じくらい。
一緒にいる女の子は妹だろう。少し身長差があった。
「俺が気づいたのは木曜だけど、たぶんああやって毎日ここに来てる」
立ち尽くしている男の子はキュッと口を結んだまま、女の子はひどく悲しそうな顔で、小さなカゴから取り出した花とパンのかけらをそっと干草の上に置いた。
そこにソラはいないのに。
ううん。
ソラはもう、どこにもいないのに。
悲しい気持ちを一生懸命飲み込んでいたら、不意にギュッと手を握られた。
「行くぞ」
屈んでいたアルが突然に立ち上がって。
「え?」
「つかまえる」
そう言うと、パッと手を離して飛び出していった。


五秒後、アルが捕まえたのは男の子のほうだった。
「おまえに話がある」
最初は驚いた顔をしていたけど、アルの目線が自分と同じくらいだったからか、男の子は友達と話すみたいな口調で「なに?」と聞き返した。
女の子は兄さんの服の裾を握ったまま心配そうに二人を見比べているだけ。一歩あとずさりしたまま、そこから動く気配はなかった。
「一週間くらい前、ここで角が6本あるやつを拾った。捨てたのはおまえか?」
その言葉に、アルを見ていた男の子の顔がけわしくなり、女の子の眉間にもギュッとシワが寄った。
怒ったとか不愉快だったとか、そういうことじゃなくて。
二人とも今にも泣き出しそうだった。
「キミが……拾ってくれたの?……今は……」
元気でいるのかと聞かれるより早く、アルが言葉を返す。
「死んだ。拾った次の日だ」
責めるような声色だったせいなのか、それともあの子の最期を思ってのことなのか、女の子が突然わっと泣き出した。
「なんで捨てた?」
「……病気だから……うちでは治せないって……」
答えた声が震えているのがわかった。
「だったら捨ててしまえばいいって思ったのか?」
「ちが……」
アルが怒っている理由を僕はよく分かっていた。
でも、この子たちの気持ちも痛いほど分かった。
「違わないだろ。自分の目の前で死ななければよかっただけだ。『親切な誰かが拾ってかわいがってくれているはず』って勝手に思い込むことができるからな」
自分が悲しくなければそれでよかったんだろうって言われ、男の子も泣き出してしまった。
「アル、気持ちは分かるけど、そんな言い方は――」
ソラが死んでしまったことはとても悲しいけれど、責めたところで結果は変わらない。
そう説明してもアルは首を振った。
「言わなきゃわからないだろ」
「そうだけど、でも……」
「こいつらの代わりにレンが泣いたんだ。レンが許しても俺は許さない」
この子たちが捨てずに最期まで面倒を見ていたら、そんなことなかったはずだってアルは声を荒げたけど。
「でも、もういいよ」
だって、ソラを連れて帰ったら、ばあやさんや庭師のおじいさんがたくさん心配してくれた。
今まで話したこともなかったのに、お城の人たちがみんなお祈りに来てくれた。
そして、いつまでも泣いてる僕をみんなで慰めてくれた。
「僕だって悲しかったけど……でも、ソラに会えたことはよかったって思ってるんだ」
なによりも、拾って看取った僕より、捨てなければならなかったこの子たちのほうがずっと辛いはずだから。
「あの子ね、ソラって名前つけたんだ」
一日しか一緒にいられなかったけど、とても可愛くていい子だったよって。
慰めるつもりでそう話したけれど、二人ともいっそう大きな声で泣いてしまった。
拭いても拭いてもポロポロ涙がこぼれる目で女の子が僕を見上げる。
「一緒に、生まれた、ほかのに、病気、うつるかも、しれないからって」
みんな死んでしまうよりは、まだいいから。
だから捨ててくるように言われたのだと、しゃくりあげながら話してくれた。
「おんなじ種類、じゃなければ、うつらない、はずって……だからっ」
一匹だけで育ててもらったらちゃんと育つかもしれないから。
だから、あの子のために捨ててこい、と。
そう言い聞かせたこの子たちの親はきっと、それが難しい願いだってことも知っていただろうけど。
僕がこの子たちの父さんや母さんだったとしても、他の言葉なんて思い浮かばなかったかもしれない。
「そんなの言い訳だ。結局、面倒だから放棄したってことだろ」
ムッとしたままそう言ったアルはまだ怒ったままだったけど。
その後で二人にゆっくりと話して聞かせた。
お城の庭にソラを埋めたこと、きれいな石を乗せてお墓を作ったこと、みんなで種をまいてお祈りしたこと。
そして、全部言い終えると男の子にキャンディーを一つ渡した。
「墓参りに来たいって思ったら、こいつにそう言え。包み紙が羽になって道案内してくれる」
そんな説明つきで。
「……あり……がとう」
涙で濡れた手がキャンディーを受け取った。
でも、この町はお城からはずいぶん遠い。
近道できる扉を使っても、子供の足では一時間以上かかるだろうってアルが言っていた。
「城に着いたら門番をしてる竜に『ソラの墓参りに来た』って言えよ。そしたら中に入れてくれる」
握り締めたキャンディーにまた涙が落ちたけれど、二人とも顔をあげて大きく頷いた。
遠くてもちゃんと行くからって。
自分の家で生まれたのに捨ててごめんなさいって。
それから、最期まで看病してくれてありがとう、って。



次の日の朝、昨日の男の子と妹と、もう一人、それよりも小さな男の子が門番のサンディールに連れられて庭にやって来た。
一番小さな男の子は末っ子なのだという。
ここまで自分で歩くことができなくて、お兄ちゃんにおぶってもらっていたけど、その背中でもう泣いていた。
三人に種を一粒ずつ渡して、ソラのお墓にまいた。
女の子が泣き出して、一番上の男の子も鼻をすすって、一番下の子はずっと泣いたままで。
三人とも何十分もそこにうずくまって、よれよれになった袖で何度も何度も涙を拭いた。
「きれいなお墓、作ってくれて、ありがとう」
お祈りが終わったあと、三人そろって赤くなった目でお礼を言った。
ばあやさんがお茶を飲んでいくように勧めたけど、上の子が首を振った。
「町の外に出ちゃいけないって言われてるから、ないしょで来たんだ」
早く帰って家の手伝いをしなければいけないからって言ったあと、ソラにお別れを告げた。
「道は覚えたから、また来ます」
今度はソラが生まれた庭に咲いている花を摘んでくると約束して、小さく手を振った。
「気をつけてね」
帰りはサンディールが送ってあげることになった。
お城を出るまでの間、みんな何度もソラのお墓を振り返っていた。
「嫌われて捨てられたんじゃなくてよかった」
「そうだな」
いろいろ思い出していたら何だか悲しくなって、結局また泣いてしまった。
アルは少し困った顔でポケットに手を突っ込み、きれいにアイロンのかかったハンカチを貸してくれた。
「そんなに泣くな」
「……うん、ごめんね」
「レンは優しいからな」
「そんなことないよ」
泣いているだけの僕とは違って、アルはいつだって次にすべきことを考えている。
あの子たちを見つけてお城に案内したのだって、きっと僕とソラのためだ。
「……僕、顔洗ってくるね。アルは先に部屋に戻ってて」
アルは今でも僕より少し小さいけど。
でも、僕なんかよりずっとしっかりしている。
そんなことを考えていたら、なんだか少し落ち込んでしまった。


庭にある水飲み場で顔を洗った。
「……優しいのは僕じゃなくてアルだよね」
ひとりごとのつもりだった。
でも、いつの間にかタオルを持ったばあやさんが後ろに来ていて、僕を励ましてくれた。
「アルデュラ様にはアルデュラ様の、レン様にはレン様の優しさがあって、世の中にはそのどちらも必要なのですよ」
どんな優しさが正しいとか、より優れているとか、そういうことではないのだから。
僕は僕の気持ちを大事にすればいいって言いながら、ばあやさんが濡れた前髪を拭いてくれた。
「このようなことはこれからもきっとたくさんあると思います。その時はできるだけ心を穏やかにして、一番良い方法を考えてください。わたくしでよろしければいつでも喜んでお手伝いいたします」
ソラを捨てた誰かを責めたり恨んだりするのではなく、その時自分ができることを考える。
そういう人になって欲しいと言われた。
「たとえ辛いご経験になったとしても、それはきっとレン様をご成長させることでしょう。そうして積み重ねたものは、いつかアルデュラ様の助けにもなりましょう」
今、無力なことを気にすることはない。
努力さえすればこれからいくらでも「何か」ができるようになるはずだからって。
「レン様なら、きっと大丈夫です」
「はい……がんばります」
返事をした瞬間、目の前はお茶の部屋に変わっていた。
ティースプーンがカップに当たる音に振り返ると、後ろでは執事さんとニーマさんがひそひそ話しながらテーブルのセットをしていた。
「結局、一番気が早いのはメリナ殿ということですな」
「そうみたいですねぇ」
二人の楽しげな声が控えめな音量で聞こえたけど、どうして笑っているのかは僕には分からなかった。



その日の夜はアルが寝た後も目が冴えてしまって、月を見ながらベッドでゴロゴロしていた。
時間が経つのがとても遅く感じられて、このまま朝まで眠れないんじゃないかと思いはじめたとき、寝室に控えめなノックが響いた。
「お茶でもいかがですか?」
顔を出したのはばあやさん。
ぐっすり眠れるようにって、特製のハーブティーを入れてくれた。
「アルデュラ様はよくお休みですね」
布団を掛けなおしてあげながら、ばあやさんが微笑む。
「毎日出かけてたから疲れたのかな」
この一週間は勉強と剣の稽古のあと、おやつも食べずにソラが捨てられていた町を歩いていたらしい。
「お墓参りに来て、あの子供たちの気持ちも少し軽くなったのではないでしょうか」
「うん。ソラも喜んでくれたらいいな」
ソラを捨てた家族。
でも、僕だってそばにいるだけで何もしてやれなかった。
あんなに小さな子なら、なおさらだ。
あの子たちと会えて、みんなも悲しかったことが分かった時、僕もすごくホッとした。
「アルのおかげだね」
大きなベッドで斜めになって眠っているアルの足を見ながら少し笑った。
「そうですね。でも、アルデュラ様が何よりも強く願ったのは、レン様が早くお元気になられることだと思いますよ」
ソラのことで僕ががっかりしていたのをとても気にしていたから、と。
言われて思い出したのはハンカチを差し出したアルの顔。
「……そっか」
アルだけじゃない。ばあやさんたちだってずいぶん心配してくれたんだろう。
今だってこうしてお茶を入れてくれて、僕の話につきあってくれて。
お礼を言おうとして口を開きかけた時、不意に名前を呼ばれた。
「レン様」
空になったお茶のカップを片付けて。
「一度だけでしたら、ソラの姿を見ることができますから」
アルの隣りにもぐりこむと、ばあやさんが布団を掛けてくれた。
なんだか急に眠たくなって、あくびと一緒にふうっと息を吐いたら、呪文が降ってきた。
「お休みなさいませ」
ばあやさんの声が消えたあと、すぐに訪れた深い夢の中。
ソラは同じ年頃の子供たちと一緒に楽しそうに日なたぼっこをしていた。
そこで、おいしいご飯と、暖かいベッドと、とてもすてきな名前をもらったんだと得意気に話していた。
それから、あの兄弟やお城の人たち、みんなが一つずつ蒔いた種が、少しずつ芽を出していくのを。
小さな指を折り曲げながら、楽しそうに数えていた。

ひだまりと、笑顔がいっぱいの、優しい夢。

明日、目が覚めたら、自分にできることを考えよう。
ソラみたいな子がちゃんと生きていかれるように。
ほんの少しでも何か手伝うことができたなら―――

悲しい気持ちも嬉しい気持ちもパンパンに抱えたまま。
あたたかい夢の中でそう思った。



                                               〜 fin 〜

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