Halloweenの悪魔
月曜日のハンカチ





アルと遊ぶのはたいてい土曜の夕方から日曜日の夜まで。
それより長くお城にいることはめったにない。
だけど、今週の月曜は学校が休みだから、夜までアルと一緒に過ごす約束をしていた。
「週末じゃない日にアルの家にいるのってなんだか不思議な感じだな」
一人で廊下を歩きながら大きな窓の外を見る。
アルはサンディールと一緒にお昼のお茶会に出す果物を採りにいっていて、僕は置いていかれてしまった。
その実はちょっと複雑な場所に生えているので、よそ見をしていると迷子になりやすいと庭師のおじいさんに言われたからだ。
「今日は迷子にならないようにしないと」
午後一番で『王様の友達の会』が催されるので、たくさんのお客さんがお城を訪ねてくる。お茶会のような気軽な集まりだと言っていたけど、ばあやさんも執事さんもニーマさんもルナもフレアもとても忙しいらしい。
庭師のおじいさんも広間に飾る花を用意するため、朝早くから庭とお城を行ったり来たりしていた。
「話し相手もいないし、ちょうどいいから持ってきた宿題を済ませてしまおうかな」
今のうちに終わらせてしまえばアルともゆっくり遊べる。
そう思って早足で図書室へ向かったが、廊下を曲がったとたんに声をかけられた。
「あら、アルデュラ様の! ごきげんよう。あちらで朝のお茶はいかが?」
立っていたのはルシルさんだった。
今日の羽は透き通った淡い紫。キラキラしてとてもきれいだ。
「こんにちは。お誘いありがとうございます。でも、僕、これから図書室へ行くんです」
算数の宿題なのだと言うと、「あら、楽しそうね」と言われた。
ルシルさんは数字がとても好きらしい。
できることなら、僕もそうなりたいと思う。
「でも、お勉強の邪魔をするわけにはまいりませんわ。また今度ご一緒しましょう」
「はい」
ルシルさんは見た目だけじゃなく、声もとてもきれいだ。
前にアルにそう話したら、「すっごい呪文を使うから気をつけろよ」と言われてしまったけど、それがどんなものなのかは教えてもらえなかった。
でも、アルがそこまで言うくらいだから、きっとものすごいんだろう。
なんと言っても『王様の友達の会』に入ってるくらいだから。
そんなことを考えて歩いていたら、角を曲がりそこねた。
一度間違ってしまうと、最初より遠くなるので大失敗だ。
今度は気をつけようと思いながら図書室の方向を確認していると、また後ろから声をかけられた。
「まあ、アルデュラ様の……少し御髪が伸びたのではなくて?」
そこには今日はじめて会うふんわりした巻き髪の人。
こんなしゃべり方だけど、服装は男の人のものだ。
「こんにちは。ええと、髪は金曜日に切りに行きます」
自己紹介をしようか迷ったけど、名乗ってもきっと「アルデュラ様の」のままなんだろう。
だとしたら、あんまり必要ないかもしれないって悩んでいる間にも話はどんどんふくらんでいく。
「おっしゃってくださればわたくしの侍女がご希望通りに整えますのに」
こんな髪型はいかがですか、と立てた指先からカタログのようなものを出してめくってみせてくれた。
「あら、素敵。その時は切った髪をいただいても?」
「それならわたくしも」
いつの間にか他の人も来て、僕らを囲んでいた。
本当かどうかわからないけど、光るものを庭に埋めると妖魔除けになるらしい。
それ以外にも使い道があるみたいで、「緩く編んだら金色の小鳥になりそう」とか、「花びらにするのもよくってよ」なんて話をしていた。
「楽しそうですわね、みなさま」
巻貝のように髪を結い上げたのは、いつも僕と話をしてくれるマカ夫人。
『夫人』という呼び名だけど、結婚はしていないみたいなのが不思議だ。
「ごきげんよう。3ヶ月ぶりかしら……あら、そちらのハンカチは?」
その言葉に、僕の周りにいた人たちが一斉にマカ夫人の手元を覗き込む。
「テラスにあったどなたかの忘れ物ですの」
そう言うと、ハンカチは一度ひらりと広がってまた自動的に畳まれた。
「呪文がかかっていますのね?」
「ええ。それに、なんだか愛らしい香りがしますのよ?」
「あら、本当」
顔を寄せて匂いを嗅いでから、みんなで一斉にクスクス笑いはじめた。
「アルデュラ様のですわね」
「ええ、きっと」
「だって……ほら」
今度は僕の伸びた髪をふわりと持ち上げ、その先端に代わる代わるキスをした。
それから、またクスクスって笑って。
「本当に仲がよろしくて」
「今日のお茶もそのお話でもちきりかしら」
「だって、一番楽しいお話ですもの」
本当になんだかとても楽しそうで、こんなときに口を挟むのは失礼かもしれないって思ったけど、どうしても気になったので勇気を出して聞いてみた。
「ハンカチは何の匂いなんですか?」
そういえば、今日は月曜日。
前に聞いた時にアルが何の匂いなのかを教えてくれなかった、まさにその日だ。
「とても愛らしい香りがしましてよ?」
「でも、レン様にはおわかりにならないかもしれませんわ」
マカ夫人のほっそりした指がたたまれたハンカチを差し出した。
淡いブルーで、きれいにアイロンがかけてあって。
雲のような模様がふんわりゆっくり流れていた。
だから、洗い立ての洗濯物みたいな感じかなって思いながら鼻先を当ててみたけど。
「……別に何のにおいもしないみたい」
かなり近づけても洗剤の匂いはもちろん、布っぽい匂いさえしなかった。
そもそもこれが本当にアルのハンカチなら、サイダーやアイスクリームみたいなお菓子の匂いがするはずだ。
だって、毎朝ちがう呪文をかけて甘い香りにしているんだから。
実は他の人のものなんじゃないかって思ったその時、ちょうどいいタイミングでアルがポワッと淡い煙を撒き散らしながら現れた。
「ごきげんよう、アルデュラ様。テラスにハンカチをお忘れではなくて?」
僕の隣りに立ったアルをお客さんたちがまた一斉に取り囲む。
声をかけられたアルはみんなをぐるっと見回してから、「俺のだ」と言ってハンカチを受け取った。
「とても愛らしい香りがしましてよ」
「上手に呪文をおかけになりましたね」
褒められたアルはちょっと得意気な顔をしたけど。
「でも、今日はレンがいるからチョコレートに変えておく」
口の中で短い呪文を唱え、薄いブルーだったハンカチから雲の模様を消し、代わりにチョコレート色をした点線で縁取りをつけた。
「チョコミントだね」
おいしそうな匂いが僕のところまで漂ってくる。
さっき朝ごはんを食べたばっかりなのに、またちょっとおなかが空いてしまいそうだ。
「今日はいつもよりうまくできたぞ」
ほらって言いながら鼻先に差し出されたハンカチは本当にいい香りがした。
「うん。すごくおいしそうな匂いがするよ」
すごいねって言った瞬間、アルが後ろから僕の首に抱きついた。
褒められたのが嬉しかったのかなって思ったけど、そういうことでもなかったみたいで。
ギュッとしがみついたまま「やっぱり本物だな」って笑っていた。
その間、お客さんはみんなニコニコ笑いながらこちらを見ていたから、僕はなんだか少し恥ずかしくなってしまった。
「アル、くすぐったいよ」
遠回しに離れてくれるように頼んだけど、気づいてくれる気配がない。
って、思ったけど。
「大丈夫だ。そのうち慣れる」
その返事からすると、本当は気づいていたのに僕の言い分は聞いてくれなかっただけかもしれない。
だとしたら、ちょっとため息だ。
「僕、宿題するから図書室に行くよ?」
お昼までに済ませたいと説明すると、アルも大きく頷いた。
「じゃあ、俺も」
僕の首に腕を回したまま室内用ミニサイズの羽でパタパタ飛んでるアルを背中にくっつけたまま、もう一度図書室の方向を確認した。
「それじゃあ、僕たちはこれで」
挨拶をすると、またみんなに微笑まれた。
「お勉強が早く終わったらお茶にいらっしゃって?」
「絶対よ?」
「はい。ありがとうございます」
ひらひらと振られた扇から花びらが舞い、光の雫が散る。
華やかな人たちに見送られながら二つ目の角を曲がる時、僕は一人で小さく首を傾げた。

結局、月曜日のハンカチは何の匂いだったんだろう。



                                     fin〜

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