Halloween の 悪魔
++ アルの名前 ++



-1-


生まれて初めて、あんまりよく知らない相手とケンカをした。
相手はアルの親戚で、しかも僕より小さい子だ。
はじめはちょっとした言い合いだったのに、それだけじゃおさまらなくなって取っ組み合いになってしまった。

はじまりはごく普通の朝。
時計が鳴る少し前に目が覚めて、アルと二人で朝ごはんを食べ、ミミズク司書さんのいる図書室で宿題を済ませたところまでは予定通り。
その後だって、本当ならいつもどおりお茶会のテーブルにつくはずだった。
「メリナからの伝言だ。伯父上が来たらしい。ちょっとあいさつしてくる」
虹色の小鳥に連れられてアルが図書室から消えたのはニーマさんが呼びにくる時間の少し前。
一人になった僕はちょっと退屈になってしまった。
「せっかくいい天気なのになぁ」
アルが一緒なら庭で遊べたのに。
頬づえをついて空を見ていたら、開け放した窓の外から子供の声が聞こえてきた。
「誰だろう?」
お城で子供の声がするのは珍しい。
出窓から体を乗り出し、下を覗き込むとボールが転がっていくのが見えた。
「アルデュラ様のご親戚のエレフ様とシィ様です」
ミミズク司書さんの説明を聞きながら視線を移すと、そこには二人の男の子。
僕よりも少し大きい子がエレフ、アルより少し小さい子がシィだという。
蹴るたびに形が変わるふわふわしたボールでサッカーのようなことをしていた。
「楽しそう。僕もまぜてもらおうっと。アルが戻ってきたら『中庭に行った』って伝えてもらえますか?」
ミミズク司書さんにお願いして承諾をもらうと勢いよく図書室を飛び出し、外に続く階段を降りた。
男の子たちはすぐに見つかった。
「こんにちは。一緒に遊んでいい?」
息を切して駆け寄った時、そこにいたのはシィ一人だけ。大きいほうの子はボールを拾いにいってしまったらしく、姿が見えなかった。
「僕はアルの友達でレンって言うんだ。よろしくね」
自己紹介をして右手を差し出してみたけど、シィは思いっきり顔をしかめてから、ふんわりした髪をぶんっと降ってそっぽを向いてしまった。
「シィ君っていうんだよね? さっき図書室で司書さんに教えてもらったんだけど……」
人見知りしているだけかもしれない。
そう思ったから、少し屈んで目線の高さを同じにして、できるだけ親しげに話しかけてみたんだけど。
「おまえとはあそばない」
僕はもうすっかり嫌われているようだった。
理由も分からなかったし、もうちょっと頑張って話しかけてみようと思い、その子の顔が向いてるほうに移動したら、いきなり空気の塊みたいなものをぶつけられた。
「わっ」
痛くはなかったけど、目に思いっきり乾いた風が当たって驚いてしまった。
「ええと、僕はこちらのことをあまり知らないから、君に失礼なことをしたかもしれないけど、それなら何がダメだったのかちゃんと話してよ」
直したら仲良くなれるかもしれないんだからと言ったとたん、今度はバカにしたような笑い声が響いた。
「何かおかしい?」
前にもこんなふうに笑われたことがあった。
どこだっただろうって考えていると、小さなその子はわざと顎を上げて僕を見下すような目線を投げた。
「人間なんて仲良くする価値はない。それに『アルデュラ様をたぶらかすようなヤツならなおさらだ』ってみんな言ってる」
どうやら僕のことは誰かから聞いて知っているらしい。
会う前から悪い印象を持っている相手といい関係になるのは、まったく何も知らない相手と友達になるよりもきっとむずかしい。
それよりも「たぶらかす」っていうのはどういうことだろう。
いい意味じゃないのは言い方でなんとなくわかったけど。
「君の言う『みんな』っていうのは君のお兄さんとか、ほかの家族のこと?」
会ったこともない人から悪く思われているのは僕だっていい気はしない。
しかも「みんな」というからには一人や二人じゃないはずだ。
でも。
「『みんな』は『みんな』だ」
小さい子だからうまく説明できないのか、答えはそんな感じで。
しかも。
「そんなのを許す王様もおかしいってみんな言ってる。『もともとダメな王様だからしかたないけど』って笑うやつもいるけど」
「……何それ」
足された言葉は、僕らの間に流れる空気をいっそう険悪にした。
この子とは友達になれそうにない。
はっきり意識したわけじゃないけど、たぶん心の奥のほうではそう感じていた。
相手は自分より小さいのに、きつい口調になってしまったのもきっとそのせいだ。
「確かに僕は魔術も剣もダメだし、こっちのことも何にも分かってないから役には立たないかもしれないけど、でも、王様はおかしくなんてないよ」
ひとりで町に遊びに行くと、みんな王様が大好きなんだってわかる。
おいしい果物が採れれば「ぜひ王様に」って言って僕に持たせてくれるし、何かあったときには剣を持ってお城を守りにいくと張り切っていた。
僕がアルと友達だからお世辞で言っているわけじゃない。
王様がジアードの領主だった頃からずっと城下の人たちみんなのために尽くしてきたからだ。
王様になってすごく偉くなっても昔と少しも変わらない。
みんなが口をそろえて言うんだから間違いない。
「シィ君、君はまだ小さいから仕方ないのかもしれないけど、自分で確かめもしないで誰かが言ったことをそのまま信じるのはとても愚かなことだと思うよ」
危険な相手じゃないなら、直接会ってみればいい。一緒に遊んだり、たくさん話したりして、それから判断しても遅くはないはず。
「僕はそう思うよ。そうじゃないなら、君の目はいったい何のためについてるの?」
シィは僕よりもちょっと小さいけど、これくらい別に難しい話じゃない。
そう思ったけど。
「なんだよっ、なんにもできない人間の分際でエラそうに!」
叫んだのと同時にキュッと目が釣りあがる。
そういうところはアルと似ているなって思ったけど。
こうやっていちいち突っかかってこられると僕だってムッとしてしまう。
「じゃあ、君は何ができるの?」
「剣だって魔術だってつかえるさ。さっきおまえに飛ばしたヤツの何倍も強いのだって出せるんだから!」
強いことは何よりも価値があるって信じているんだろう。
なんとなく小さかった頃のアルを思い出す。
「そんなの何かできるうちに入らないよ。だって、ちっともすごくないし、いいとも思わないもの。もっと何かの役に立つことはできないの?」
誰かが喜ぶこととか楽しいこととか、そういうのなら僕もうらやましいし、他の人だって認めてくれるだろう。
できるだけ穏やかに言ったつもりだったけど、その瞬間、シィはそのへんに落ちている石を飛ばしてきた。
そのいくつかは僕にも命中し、いくつかは花を折り、お城のガラスまで割った。
「気に入らないからってむやみに当り散らすのはやめなよ!! そんなのすごく小さい子がすることだよ!」
やめさせるつもりで叫んだのに、どうやら逆効果だったようだ。
ブンブンと大きく腕を振り回し、空気をかき混ぜまくっていろんな物を投げつけた。
「やめなよ! 危ないだろ!」
誰かを呼びにいこうかとも思ったけど、そんなことをしているうちに被害はいっそう大きくなるに違いない。
「もう! やめろって言ってるだろ!!」
迷った挙句に掴みかかった。
とりあえず押さえつけてしまえば腕を振り回したりできないだろうって思ったからだ。
予想したとおり、風は止んで宙を飛び交っていたものもすべて地面に落ちたけど。
「人間の分際で気安くさわるな!」
思いっきり腕にかみ付かれた。
アルの歯みたいにとがってなくてよかったって思ったけど、痛いことに変わりはない。
「君こそいくら親戚だからってお城のものを壊すのやめなよ!」
言い合ってるうちにそのまま取っ組み合いに。
相手は小さい子だから僕はかなり手加減したつもりだったけど、シィはすぐに泣き出してしまった。
「……ごめん、大丈夫?」
立たせて服についた土を払いながら尋ねてみたけど、わんわん泣くばかりで返事をしない。
ハンカチを出して顔を拭いて、バサバサになった髪をなでつけ、すっかり身なりを直したあともまだ泣きつづけていた。
「……どうしよう」
ばあやさんかニーマさんに助けを求めにいこうと考えていたら、後ろから「どうかした?」という声が聞こえた。
立っていたのはお兄さんのエレフだ。
片手にふわふわボールを乗せ、片手は腰に当てて、珍しそうに僕を眺めていた。
「あの、ちょっと言い合いになってしまって―――」
こういう時こそ落ち着いて、順序良く間違いのないように話さなければ。
頭の中で言うべき事をめぐらしていたら、エレフが「ああ、そう」と頷いた。
「つまり、シィがわけの分からない理由で君にあれこれ投げつけたんだね」
「え?」
うなだれていた顔を上げると、いつの間にかエレフの手にはボールの代わりにダイヤ型の鏡のようなものが乗っていて、それをこちらに向けてくれた。
映っていたのは大声で泣いているシィと彼の服のほこりを払う僕。
「シィに代わって非礼を詫びよう」
たしかに謝罪なんだけど、片手は腰に当てたまま。
やっぱりちょっと偉そうだったけど、思い返してみるとアルだっていつもそんなだから、こちらでは普通なんだろう。
「あ……いえ。僕こそ……」
誤解されなくてよかったと思いながら「ごめんなさい」と謝った。
それにしても、僕より少し大きいだけなのにエレフはとても大人びている。
「すまなかったな。人間嫌いはあちこちにいるのでね。シィもどこかで聞きかじったのだろう。だが、君を嫌っている本当の理由はアルデュラ様の一番の友達だってことだろうな」
解説までしてくれたけど、そのせいでますますわからなくなった。
「それって嫌われる理由になるのかな?」
もしかしてアルのことがあんまり好きじゃないから、アルと仲良くしている僕まで嫌いになったんだろうか。
首を傾げていたら、エレフが真面目な顔で付け足した。
「まあ、世俗的な言葉で言うと『焼きもち』ってことだな」
シィはすごく小さい頃からアルのことが大好きだったらしい。
年が近い子がいないので嬉しかったんだろうと説明があった。
「だけど、アルデュラ様は『子供と遊んでもつまらない』の一点張りで、少しもシィの相手をしてくれない。なのに、君と知り合ってからはずっと二人でいると聞いて面白くなかったんだろう」
「そうなのかぁ……」
僕自身に問題があるわけじゃなくてよかったけど。
それが理由なら、仲良くなるのはむずかしそうだ。
アルも一緒に遊んでくれたらいいけど、はっきり嫌だと言ってる以上それはムリだろう。
「……けど、僕も子供なのに」
それ以前にアルも子供だけど。
「自分より小さい子がダメなのかなぁ」
そんな話をする間もシィはエレフにしがみついたまま泣いていたけど、やがて半分だけ振り返ると、また僕にしかめ面をしてみせた。
ぐちゃぐちゃに泣きはらした瞳が僕を見据える。
「なんだよ、人間のくせに!」
どんなに時間が経っても永遠に友達にはなれそうもない感じだった。
「シィ、もうやめるんだ」
エレフに怒られるといっそう不機嫌になってキッと目をつりあげ、僕にだけ敵意のようなものを飛ばしてきた。
目に見えたなら、ビシバシ肌に刺さっているのがわかっただろう。
実際、ちょっとチクチクする感じだった。
エレフがいて本当によかった。
二人だけだったら、またケンカになっていたかもしれない。
「……困ったな」
思わずつぶやいてしまったら、シィの目がまたきつくなった。
それと同時に浴びせられた言葉は僕に大きなショックを与えるものだった。
「できそこない! 『アルデュラ』って音だってちゃんと聞き取れないくせに! 正しい名前が言えなきゃ契約だってできないんだから、そばにいたって永久に役立たずのままだっ」
泣き止んだばかりのシィの声は、ときどきちょっとひっくり返ってよく聞き取れなかった。
いや、ちゃんと聞こえたとしても意味不明なことにかわりはなかっただろう。
「……それっ……て?」
言われたことをよく考えようとしたけど、頭の中は霞がかかって白くなる一方だった。
「なんだ。そんな当たり前のことも知らないんだ? そっか。だれもそれを教えないのだって、できそこないの君が哀れだからなんだろうな」
勝ち誇ったような声を聞きながら、僕はただ呆然と立ち尽くしていた。
名前が言えない?
契約って何?
聞き取れないってどういうこと?
すがるような気持ちでエレフの顔を見たけど、彼は肩をすくめて首を振っただけ。
「君への無礼については後ほどちゃんと叱っておくよ」
それだけ言い残すと、シィの手を引いてフッと消えてしまった。



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