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その次の週末、バジークさんがお城に戻ってくることを知った。
「バジにしては早かったな」
いつもはどんなに一生懸命呼び戻してもなかなか帰ってこないらしい。
急ぎの用事がある時はどうするんだろうって心配になったけど。
「大丈夫だ。王なら無理やり連れ戻せる」
「そう。だったらよかった」
そういうときのための契約なのだ。よほど変な場所にいない限り、だいたい呼び出せるという。
ダメなのは妖魔の多いところ。
どんな連絡をしてもぜんぜん伝わらないらしい。
「妖魔に吸い取られちゃうのかな?」
「かもな」
「でも、どれくらいだと多いって言うんだろう?」
僕が知ってるのは王様の狩場とお城の番人の庭。
どっちもすごくたくさんいたはず。
なのに。
「そうですねぇ……あれくらいだと『ちょっと多め』ってところじゃないでしょうか。本当にたくさんいるところは視界が真っ黒になるほどだって言いますし」
そういう危険な場所は『世界』の配慮により、普通の土地とは切り離されている。
「うっかり溢れ出てきたりしたら困るので、『裏側』に隔離しているって言われてるんですよ」
「ふうん」
「まあ、とにかく普段から人の行き来がないところは穴とか扉が少ないので連絡がつきにくいんです」
「そっかぁ。なんとなくだけど分かった気がする」
だとしても、契約していればたいていのところで呼び戻すことができるのだ。
ちょっとうらやましいって思うけど、それは言わない約束なので黙ってた。
でも、ばあやさんには僕の気持ちがわかったんだろう。
王様とバジークさんの契約について説明してくれた時もずっと「そんなの別にたいしたものではありませんよ」っていう顔をしてくれた。
「陛下も主従の契約についてはあまりお気が進まないご様子なのですが、バジークの場合、用があってもどこにいるのか分からないということがあまりに続いたものですから―――」
必要に迫られたのでしかたなく儀式をしただけで、バジークさんが他の従者みたいに定期的にお城に帰ってきていたら、一生契約なんてしなかったはずだって話してくれた。
「じゃあ、お城には王様と契約してない人もいるんですか?」
「ええ、何人も。レン様がよくご存知の相手だと……そうそう、フレアとか」
ニーマさんも「そんなの別に」っていう口ぶりだった。
「しなくてもいいものなの?」
「はい。仕事には差し支えありませんし、フレアの場合はルナ経由でなら簡単に呼び出せますし」
そういえばルナとフレアの間には糸がついてるんだった。
「でも、ニーマさんはしたんだよね?」
だとすると、やっぱりお城で働く人はしておいたほうがいいんだろうなって思ったんだけど。
「私も契約そのものにはぜんぜんこだわりはないんですけど、スウィード様とだったらちょっとしてみたいかなって思ったので」
「どうして?」
「だって、王様と契約なんてちょっと格好よくありません?」
してもしなくても仕事上は何も変わらないし、王様に対する尊敬の気持ちだってまったく同じだからって言ってニーマさんがニッコリ笑う。
それを聞いて僕もちょっと安心した。
「最近は『どうしても契約しなくちゃダメ』って言う者も減りましたよ。まあ、すっごいおじいちゃんとかおばあちゃんは別ですけど」
ニーマさんが言うには「そういうことにこだわるのは時代遅れ」らしい。
お城の近くの町の人ならきっとみんなそう思っているだろうって。
「レン様のところではそういう『お約束』のようなものはないんですか?」
「えー……」
そもそも近くに王様なんていないからよくわからない。
兄弟の間でも糸なんてついてないし、誰かと何かを約束したら遠くにいた人が戻ってきてくれたりもしない。
「じゃあ、『私は絶対に貴方を裏切りません』っていう誓いの儀式みたいなものは?」
宣誓みたいなことなら友達同士でもたまにするけど。
ちゃんとした儀式ってわけじゃないよなって思ったんだけど。
「レンの家で教えてもらったぞ」
アルがピンッて小指を立てた。
「あー……ゆびきりかぁ」
そういえば母さんが好きだったっけ。
僕が生まれるずっと前に父さんから教えてもらってすごく気に入ったんだって話してくれた。
そのときアルも一緒にいて、とても真剣な顔で頷いていた。
「どんな呪文です?」
「呪文っていうか、約束なんだ」
ゆびきりしたら絶対ってわけじゃないけど。
でも、僕の家では頑張って守らなくちゃいけないことは全部ゆびきりだった。
「小指と小指でするんですね。なんて可愛らしいんでしょう」
僕とアルの手を見てニーマさんがクスクス笑う。
「破ったら針を千本飲むんだぞ」
「あら、本当に?」
「ホントじゃないけど、そういう歌なんだ」
すごく興味があるってニーマさんが言うので、僕とアルで歌ってあげた。
「おもしろいですねぇ。もう一回聞かせていただけますか?」
「うん。いいよ」
3回目でニーマさんも一緒に歌って。
すっかり覚えたら今度はニーマさん一人が歌って間違ってないか確認して。
「せっかくだからみんなにも教えてきます」
おかげでこのあとお城でゆびきりが流行ってしまった。
午後はアルと二人で庭に出て、動く花と追いかけっこをした。
「花なのに走るの速いんだなぁ」
走っているっていうよりはくるくるひらひら風に飛ばされてるみたいだけど。
「速さならあれが一番だな」
「他にも動くのがあるんだ?」
「たくさんある。けど、こいつ以外はあんまり動かすと庭師に怒られる」
今日、僕らが追いかけているのはあちこちたくさん動いてもらったほうがいい花だ。
走りながら花びらの粉を落すとチョウが来て庭師さんの仕事を手伝ってくれるらしい。
「便利だね。僕のところのチョウは手伝いなんてしてくれないから」
「きれいだけどな」
結局、思いっきり走り回っても一回も捕まえられなかったけど。
また遊ぼうねと言ったら、ふわりと花びらをなびかせてペコリとお辞儀をしてくれた。
たくさん遊んだから少し勉強をしようかなって思ったけど。
「のど渇いたな」
アルがそう言うので、ニーマさんのいる部屋に戻った。
「ただいまー」
今日のティーカップはさっき追いかけた花の模様。
よく見ると隅には水やりをしているドラゴンの姿も描かれていた。
「そろそろバジークさんが来る頃かな?」
お天気もいいし、テラスでお茶を飲みながら待とうかなって考えていたんだけど。
「到着は夕方になると思います。門に着いたらご連絡いたしますので、それまではアルデュラ様のお部屋か図書室にでもいらしてください」
バジークさんは冒険が仕事なので、『裏側』に行くことも多い。
遠くから戻った時はいきなりお城には入らず、門の前で入念に妖魔払いをするらしい。
「かなり前ですけど、新種の妖魔が荷物に紛れていて大騒ぎになったことがあるんですよ。もう本当にあの時は大変で――」
それ以来、強力な呪文を使える人が門まで出迎えてチェックすることになったのだ。
「今日は誰が行くの?」
「夕方ならちょうどフェイシェンの手が空くでしょうから」
執事としてはまだ見習いだけど、魔術師としてはかなりの腕前だからってばあやさんが頷く。
それなら安心だって思ったけど。
「フェイならさっき家出した。バジの顔見るのがいやだって」
「……またですか。まったく」
前にアルが言ってたとおり、フェイさんとバジークさんは本当に仲が悪いらしい。
「フェイがバジを嫌ってるんだ」
「どうして?」
みんなの話を聞く限り、バジークさんは大ざっぱだけどいい人って感じなのに。
「勝手に名前をつけて適当な契約をしたからだろ」
「……ごめん。僕、あんまり意味わかんないや」
アルの説明はこうだ。
フェイさんには家族がいなくて、ちゃんとした名前もなかったのでバジークさんがつけてあげた。
もちろん戸籍もなかったので、この国で暮らすためにはバジークさんとの契約は仕方のないことだった。
でも、そうすることによって家族扱いになることを聞かされていなかったので怒っている。
……そういう感じだ。
「じゃあ、フェイシェンって名前はバジークさんがつけたんだ?」
「髪が銀色で同じだからって昔話に出てくる姫君から取った」
「……そうなんだ」
適当につけられたのがイヤだったんだろうか。
それとも女の子から取ったから気に入らなかったんだろうか。
「いい名前だと思うんだけどな」
やさしい響きがフェイさんにはとても似合ってるのに。
「その物語ってどんな話なの?」
問題はそれなんじゃないかという予想のもとに聞いてみたら。
「性格の悪い姫が妖魔の手先になってたくさんの国を滅ぼす話」
「……えー」
それはあんまりだ。僕でも嫌だって思うだろう。
でも、すぐにニーマさんから訂正が入った。
「そうじゃありませんよ、アルデュラ様」
くすくす笑っているところを見ると、アルの説明はいろいろ間違っているんだろう。
「短くまとめると、悪い魔女の呪いで自分を見失ってしまった王女様がものすごーくカッコイイ騎士の手で更生して幸せになるお話です」
それならおとぎ話としてもいい感じだし、同じようにフェイさんにも幸せになって欲しいという願いがこめられているのなら素敵だなって思う。
「たくさんの国を滅ぼすのは本当?」
「国じゃなくて村ですけど、あちこちで戦争を起こして民を巻き込むくだりはありましたね」
でも、最終的にお姫様は自分の命を削ってケガした人たちを助けるらしい。
「本をご覧になりますか?」
「うん!」
すぐに三人で図書室に行き、ミミズク司書さんに本の場所を教えてもらった。
ニーマさんの目の高さくらいの棚にあったそれはとても大きな本。
「初級呪文が使えるようにならないと文字は読めないでしょうけど」
「わからなかったらアルに教えてもらうから」
広げると動く挿絵が飛び出してきそうだった。
「姫君はこれだ」
「あ、本当だ。フェイさんにちょっと似てるかも」
むしろフェイさんよりガッシリしていて、「昔話のお姫様」っていうイメージからはちょっと遠い雰囲気だ。
「だって、戦を司る家系の跡取りですから。これくらいじゃないと真実味がありませんもの」
「ふうん、そうなのかぁ」
妹たちもみんなそうなのかなと思って他の挿絵を探していたら、突然うしろから声がかかった。
「リドレッド様はスラリとしたお美しい方でしたが、体つきに関しては一般的なご令嬢よりしっかりなさっていました」
ミミズク司書さんの机にお茶のセットを置いたあと、ばあやさんはこちらに向き直って指先で大きめの円を描いた。
その中に見えたのは王様とお妃様。
王様は今よりももっとお兄さんぽくて、お妃様は髪こそオレンジ色だったけど、顔はアルにそっくりだった。
「本の姫よりは細いな。でも、レンのうちよりずっとがっしりしてるな」
「僕の母さんは普通より細かったから」
立体的な写真を見ながら、家族って不思議だなって思った。
だって、お母さんの髪の毛のくせがアルとまったく同じなのだ。
「アルデュラ様もものすごく怒ると赤い髪になるんですって」
お父さんが黒い髪だからオレンジよりはちょっと暗い色で赤になったんだろうっていうのはニーマさんの推測だけど。
言われてみると、なるほどなって思った。
「でも、赤くなったの見たことないなぁ」
どんな感じなのかを聞いてみたけど、アルはブンブン首を振った。
「俺も見たことない」
色が変わったのは一度だけ。
運ばれてきたご飯のトレイをイリスさんがひっくり返してしまい、赤ちゃんだったアルがものすごく怒ったらしい。
「俺のご飯だったからな」
「……それは、まあ、すごく大事なことだよね」
人間の赤ちゃんだって怒ったり泣いたりしそうだ。
僕だったらびっくりして固まってしまうかも。
「アルって小さい頃はイリスさんと一緒にご飯食べてたんだ?」
「うん。いつもイリスが食べさせてた」
アルがたまごから出た時、もうお母さんはいなかった。
だから、ばあやさんとイリスさんが代わりに世話をしてくれたのだ。
「優しいんだね」
僕と会ったときはものすごく灰色だったけど。
「生きてたときに頼まれたって言ってた」
「お母さんに?」
「そうだ」
イリスさんは謎の人だ。
いつも灰色で、あんまりしゃべらなくて、顔だって見せてくれない。
でも、アルはたくさん世話をしてもらったんだ。
「俺のことは好きだと思うぞ」って自信満々で言えるくらい、すごく優しくしてもらったんだろう。
「イリスさん、なんだかいい人に思えてきた」
「そうか? 城で一番わがままだぞ」
王様に聞いたら一番はアルだって言いそうな気がしたけど。
それは黙っておくことにした。
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