Halloweenの悪魔
バジ先生



-2-

図書室の本の挿絵はどれも面白くて、あれこれ見ていたら時間が経つのも忘れてしまった。
だから、「来たぞ」ってアルに声をかけられた時もちょっと首を傾げてしまった。
「何が来たの?」
「バジ」
「あっ! ほんと?!」
急に夢から覚めたみたいにブワッと現実があふれ出た。
僕のためにわざわざ戻って来てくれたんだから、挨拶だけでもまっさきにしておかないと。
「こっちだ」
呪文で本を片付けると、アルは右手で僕の指先をつかんだ。
そして、すぐに反対の手で壁を――正確には「壁の真ん中に出現した大きな扉」を、思いっきりバーンと開けた。
「レンをつれてきたぞ」
振り返ったのは片方の目に黒い眼帯をした大きな男の人。
まさに「冒険者」か「勇者」って感じだ。
「はじめまして、僕―――」
少し緊張しながら口を開いたけど。
自己紹介をする前に「ああ、おまえか」って言われてしまった。
しかも。
「なんかちっちぇーな。つか、普通にガキじゃねえか?」
かがんで僕の顔を覗き込む。
体は大きいのに、なんだか全然おとなの人っぽくない。
すごく珍しそうにじいっとこちらを見ていた。
「はじめに人の子だと伝えたはずですが」
「そうだったか?」
「俺の友達だって言ったぞ」
「ああ、そういやあ、んなことも聞いた気がするな」
のんきそうだ。
というか、人の話をあんまり聞かない人なのかもしれない。
しかも。
「で。フェイシェンは?」
僕の用事にはぜんぜん興味なさそうだった。
「いなくなった」
「またか」
「しかたない。バジが来るってフェイにはわかるんだから」
バジークさんがさっきから片手でもてあそんでいるのは、透明でまるいもの。
最初はクリスタルかなって思ったけど、それにしてはちょっと柔らかそうだ。
「それはなんですか?」
なんだかすごく気になっていきなり尋ねてしまったけど、普通に返事をしてくれた。
「石鹸だ」
目の前で見せてくれたけど、どうも僕が知っているせっけんとはちょっと違う。
反対側の手にパシッと移したとき、ぽよん、と少しゆがんでいたし、ときどき大きさも変わる。
「何洗うんだ?」
アルもちょっと興味津々。指でつついたり、かじろうとしたりしていた。
でも。
「フェイシェンの手と足」
答えを聞いた瞬間、どうでもよくなったみたいで。
「なーんだ」
そう言ったかと思うと、ものすごくつまらなさそうにそっぽを向いた。
なんで手と足なのか僕にはよくわからなかったけど。
フェイさんは魔術師兼執事見習いでお城の庭の見回りとかもしていたし、汚れてしまうこともあるんだろうって勝手に理由をつけた。
「バジはいつもフェイへの土産ばっかだな」
「そういうもんだろ」
表向きは家族みたいなものなんだからっていう説明があったけど、それには思わず首を傾げた。
「本当は何なんですか?」
表向きとわざわざ付け足すくらいだから、実際はきっと別のものなんだろう。
こちらのしきたりとか、そういうので特別な何かがあるのかもしれない。
これからいろいろ勉強しなくちゃと思っていたところだったのですごく知りたかったんだけど。
「子供のくせにあんまり立ち入ったこと聞くんじゃねえよ」
どうやら失礼な質問だったようだ。
「ごめんなさい」
でも、バジークさんはぜんぜん機嫌を損ねたりはしてなくて、どっちかっていうとちょっと困ったような顔で笑ってた。
「俺は別に構わないんだが、バカ正直に説明すると『子供に変な話をするな』って怒るだろうからな」
誰がだろうって思ったとき、バジークさんがものすごーく苦い顔でチラリと振り返った。
その先には忙しそうに何かの本をめくっているばあやさんの後ろ姿。
「メリナじゃしかたないな」
アルがそう言うと、ちょっと離れたところでは執事さんが頷いて、ニーマさんが「あはは」と笑った。
「じゃあ、フェイが帰ってくる前にやることやっちまわないとな」
とりあえず必要最低限の対策からやろうと言われ、僕も元気よく頷いた。
「よろしくお願いします、バジーク先生」
返事をした瞬間にみんなが一斉にプッとふき出した。
アルやニーマさんはともかく、ばあやさんと執事さんまで。
「なにか変だった?」
アルのほうを見たら、笑った顔のまま「バジに『先生』が似合わないだけだ」と解説してくれた。
じゃあ、その呼び方はやめたほうがいいかなって少し迷ったけど。
「たまには『先生』と呼ばれるのも良いでしょう。貴方もそろそろ上に立つ者としての自覚を持たないと」
ばあやさんが深くうなずいたので、やっぱりこれでいいやと思いなおした。
「けど、そういうのはなぁ……」
バジークさん本人はもごもごとつぶやいて、ちょっと苦笑いだ。
ばあやさんは昔は魔術の先生をしていて、バジークさんも生徒の一人だったから、反対意見は出せないみたいだった。
王様やイリスさん専属の魔術師も一緒に教わっていたらしい。
そう考えるとばあやさんはとてもすごい人だ。
「誰が一番いい生徒だったんだ?」
アルが遠慮なく尋ねる。
「皆それぞれとても優秀でしたよ」
得意なものは人によって違うので、単純に比べることはできないんだってばあやさんが言う。
もちろんテストもあったけど、僕らの学校のように点数がつくようなものではなかったから順位もつけられない。
「自分のやりたい勉強を好きなだけする。そういう学校でしたので」
「ふうん、それなら楽しそうだな」
「レン様もご興味を持たれたことがありましたら、たくさんお勉強なさってください。それでは、バジーク先生。頼みましたよ」
ばあやさんににっこり微笑まれて、バジーク先生は「勘弁してくれよ」と頭をかいた。


アルの勉強部屋に移動し、二人分の椅子と机を用意した。
もちろんアルが「俺もやる!」って言ったからだ。
「学校みたいだね」
黒板代わりの宙に浮くボードを見ながら隣を見たけど、学校に行ったことのないアルは「ふうん」と言って首をかしげただけだった。
「よろしくお願いします、バジーク先生!」
「あー……まあ、ほどほどにな」
本当はものすごく嫌そうだったけど、教えてもらっている間だけは先生と呼んでもいいことになった。
「いちいち拒否してると壁から出てきそうだからな」
出てくるのはもちろんばあやさんだ。
でも、いつだってものすごく忙しそうだから僕らを見張ったりしてないはずって思うんだけど。
その意見にはバジークさんだけじゃなく、アルもちょっと眉を寄せて首を振った。
「じゃあ、まずは地理の勉強からだな」
最初に見せてもらったのはジアードの地図。
と言っても、僕が思っていたのとはちょっと違った。
紙の地図ではなく、ミニチュアの模型なのだ。
本を開くとあっというまに大きく広がった。
お城のある大きな土地の周りには扉がたくさんついていて、それを開けるとまた別の土地の模型が飛び出してくる。
「隣の領土に行く時もドアからしか入れないんですか?」
「一度訪れたことのある場所なら自分でつけた扉を使うがな」
はじめて入る土地には公共の扉を使う。
でも、怪しい人はドアがはじいてしまうらしい。
ドアに嫌われると入れないのだ。
開拓者とか冒険者とか呼ばれるのは、初めての場所でもいきなり自分の扉をつけられる人のこと。それはとても重要な仕事だ。
「なんだか場所を覚えるのが難しそうだなぁ」
そもそも僕が生まれた世界と違って地面がまっすぐつながっているわけではないので、その村の隣はあの町というように決まった位置関係があるわけでもない。
しかも設置されているドアは一つの領土に一つだけではないので、ドアによって隣の土地が違うのだ。
しょっちゅう配置が変わるお城の中と同じくらいのレベルで目的地に辿り着けない予感がする。
「……なんかダメな気がしてきた」
弱気になっていたら、バジークさんにペシッと頭を叩かれた。
ダメだと思い込むと、せっかく芽を出した「やる気」を閉じ込めてしまうので、本当にできなくなってしまうんだって。
「気持ちは大事だからな」
「はい、バジーク先生」
「……やっぱりその呼び方はやめろ」
背中がかゆいって言われて僕も困ってしまったけど。
その時、壁からばあやさんの咳払いが聞こえて。
「……じゃあ、せめて『バジ』に先生をつけてくれ」
「はい、バジ先生」
結局、少しだけ省略した呼び方に落ち着いた。


「じゃあ、次は……とりあえずの対策だな」
まずは安全を確保しようということで、迷子の予感がしたらすぐにお城のどこかを思い出す練習をすることになった。
「飛ぶ直前、浮遊中、飛んだ後すぐでまだ自分の周りが揺れてる時なら比較的簡単に戻ってくることができる。城の中で一番印象に残ってるのはどこだ?」
「ええっと……ソラのお墓」
庭師さんにもらった石もとてもきれいだし、みんなが蒔いてくれた種もずいぶん大きくなって、今は緑がキラキラしながら揺れている。
何よりも僕にはとても大事な場所だ。
「じゃあ、それでいいか。あの墓石なら大きさも色合いもちょうどいいしな」
あんまり大きいと漠然としてしまうけど、両手にちょうど乗るくらいの石なら僕でもイメージしやすいからって。
それに、迷い込みそうになった先が「闇」側だった場合、戻ってくるための目印が光るものっていうのはすごくいいらしい。
「なんで俺の部屋じゃないんだ?」
机に両方の手で頬杖をついたアルが目だけ動かして僕を見た。
「え? だって……」
ソラのお墓はお城の庭で一番よく日が当たる真ん中。
いつだって同じ場所にある。
でも。
「アルの部屋は来るたびに違う位置だし、それに、中にいる時はずっと寝てるから」
ほとんど目をつむってるせいで毛布の模様と壁と天井くらいしか覚えてないのだ。
「じゃあ、しかたないな」
アルがあっさり納得したのはけっこう意外だったけど。
理由を聞いてみたら、「俺も天井と壁とレンの顔しか覚えてない」っていう返事があって、「そっか」って思った。


こうして、今日からしばらくは自分が帰ってくるべき場所を正確にイメージできるよう練習することになった。
「焦って頭が真っ白になることもあるからな。条件反射で思い出せるように両手を出したら自動的にあの石が思い出せるようにしておけよ」
今までどおり朝ご飯の前にソラのお墓参りをして、そのあと部屋や廊下や散歩の途中に石の色や形を思い出す。
ぜんぜん難しくないし、自分の家に帰ってしまっても毎日ちゃんと練習できるから安心だ。
「今日は晴れだから、透き通った青色」
想像以上にいい感じだった。
これならいつどこで思い浮かべてもはっきりと思い出せる。
迷子対策の勉強も順調にやっていけそうだってホッとした。



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