Halloweenの悪魔
バジ先生



-3-


一時間くらい勉強したあとでお茶になった。
先生が教えるのに飽きてしまったからだ。
「まったく、貴方は……」
ばあやさんが思いっきり呆れてたけど、バジ先生は涼しい顔でそれを流した。
「バジは怒られ慣れてるからな」
「そんな感じだね」
そういえば王様もそうだったっけ。
ばあやさんはいつだって忙しいのに、そのうえみんなを怒らなくちゃいけなくて大変だ。

アルとバジ先生がドラゴンナッツ入りクッキーの最後の一個を取り合っている間、僕はずっと黒い眼帯を眺めていた。
聞いてもいいのか迷ったんだけど、やっぱり好奇心が勝ってしまった。
「左目はケガしたんですか?」
勇者みたいな職業の人はみんな黒い眼帯をするのかもしれないってちょっと考えたけど、それはやっぱり違ってた。
「怪我っていうかなぁ」
そのあとの説明はちょっと長かった。
バジ先生の目は世界から与えられた特別なもので、普通の人なら絶対に見つけられない閉ざされた場所への入り口なんかも探すことができる。
だけど、今は左目を「世界に返して」しまったから、見つけられる確率もちょっと減ってしまった。
……というような話だ。
「どうして返してしまったんですか?」
冒険をしているんだから、絶対に両方あったほうがいい。
いろんなものを見つけられるならなおさらだ。
でも。
「大事なもんと交換したんだ」
バジ先生は少し困ったみたいに笑ってそう答えた。
どうしても必要なものと取り替えたならしかたないのかもしれないけど。
それにしても片目で生活するのは大変じゃないんだろうか。
ためしに左だけ瞑ってみたら、距離がよくわからなくて目の前のものも上手く触れなかった。
「うーん……けっこう難しいなぁ」
僕ならまっすぐ歩くことだってできそうにない。
そんな状態でもがまんしようって思うくらいだ。
きっとものすごくいい物と交換したんだろう。
「ね、アルは何だと思う?」
こっそり聞いてみたら、あっさり「フェイだろ」って返事があった。
「フェイさん?」
「死にそうになってたから助けたって聞いた」
「あー、そうなのかぁ」
だったら確かに大切だ。
家族みたいなものだって言ってたんだから。
「俺だってレンが助かるなら片目くらいぜんぜん平気だぞ」
神妙な顔でこっちを見て深く頷いた。
一つ目生活はとても大変そうだし、僕ならちょっとムリって思ってしまうけど。
アルはこんなときでも自信満々だし、バジ先生はぜんぜん後悔してなさそうだ。
こちらではそれが普通なのかもしれないけど。
僕にはやっぱりちょっと怖いなって考えていたら、ばあやさんがこっそり教えてくれた。
「バジークほどの腕があれば視力は術で補えますから、ご心配は無用です」
「そっか。よかった」
その時、ふわりと誰かが僕の頭をなでたけど。
誰の手だったのかはわからなかった。
クッキーの取り合いは結局アルが勝ったみたいで、バリパリといい音をさせて頬張っていた。
「バジ、今度はいつまで城にいられるんだ?」
口の中のものをお茶で流し込んだばかりなのに、アルはまた別のクッキーをつまみあげた。
「まあ、しばらくは」
バジ先生はもうおなかが一杯なのか、退屈そうに大あくびをしながら椅子にふんぞり返って、せっけんを高く投げ上げている。
ポーンと勢いよくバジ先生の手を離れるけど、絶対に天井にはぶつからないし、途中で速度が変わったりする。ちょっと不思議な感じだ。
フェイさんへのお土産なのにうっかり壊したりするんじゃないかって心配になったけど。
「ただの石鹸だからな。割れても困らん。それに、どうせ俺が洗ってやるんだし」
どうやらフェイさんの手足をきれいにするのはバジ先生の仕事らしい。
手は肘より少し上くらいまで、足は腿の真ん中あたりまでをゴシゴシ洗うんだって説明してくれた。
背中ならともかく手と足なら自分でも洗えるのにって思ったんだけど。
「他のヤツにやってもらったほうがよく落ちる。メリナがそう言ってた。けど、すごく痛いらしいぞ」
そう言ったあと、アルが思いっきり顔をしかめた。
「バジ先生、大きいから力も強そうだもんなぁ」
痛いのは誰だって嫌だ。
フェイさんが嫌っているのもそれが理由かもしれないって思って一人で頷いた。


20分くらい経った頃、ルシルさんがやってきた。
次の仕事についてお願いごとがあって、お城に来ていたらしい。
「こちらにレン様がいらっしゃってると伺いましたので、ご挨拶に参りました」
チョウの羽はしまっていたけど、長い巻き髪を右側だけに垂らしていてとてもきれいだった。
バジ先生に「ご無沙汰しております」と丁寧な挨拶をしたあと、僕の斜め前の席に座った。
「何のお話をなさっていたんですか?」
「えっと、バジ先生のこととか」
そのときルシルさんがクスッと笑った。
たぶん他のみんなと同じ理由なんだろう。
そんなに先生らしくないかなって思ったけど、生徒より先に勉強に飽きてしまうくらいだから、やっぱり似合ってないのかもしれない。
ルシルさんはお茶のカップを手にしたまま、ちょっといたずらっ子みたいに笑ってバジ先生に話しかけた。
「バジーク先生はフェイシェン殿のどこがお好きなんですか?」
バジ先生は「おまえまでそういう呼び方をするな」って嫌な顔をしたけど、質問にはちゃんと答えてくれた。
「外見は余裕シャクシャクなのに中はパツンパツンのところ」
「あら、そうなんですの?」
ルシルさんの声はとてもはずんでいたけど。
「……僕、よくわかんないです」
正直にそう言ってしまった。
でも。
「子供にはわからなくていいんだ」
ふふん、って感じに笑っただけだった。
こういう時に限らず、バジ先生はいつでもすごく楽しそうだ。
体は大きいし、真面目な顔をしていたらちょっと怖そうなのに、実際はぜんぜんそうじゃなくて、アルと真剣にクッキーを取り合ったりもしてしまう。
本当はかなり偉い人らしいのに、みんなが気軽に声をかけるのもそのせいなんだろう。
でも、フェイさんだけはバジ先生が近づくと嫌な顔をするらしい。
どうしてなんだろうってルシルさんに聞いてみたら、またクスクスって笑った。
「ファゼル公はフェイシェン殿を構いすぎなんですよ」
ファゼル公というのはバジ先生のことだ。
苗字は「エルクハート」だけど、それだとフェイさんも同じだから区別するために2番目の名前で呼んでいるらしい。
「年の離れた弟のようでついあれこれと世話を焼きたくなってしまうお気持ちはとてもよくわかりますけれど」
アルが今よりずっと小さい頃は僕も同じだったから、それにはすごく頷けた。
「ルシルさんは何人兄弟ですか?」
さっきの話し方からしても、きっとお姉さんなんだろう。
弟かな、妹かな、年は近いのかな、似てるのかな、っていろんなことを考えている途中で。
「弟が一人おりました」
そんな答えが返ってきた。
ルシルさんはいつもと同じように笑っていたけど、僕は大変なことに気付いてしまった。
だって、「おりました」なのだ。
つまり、今はいないってこと。
なんて言ったらいいのかわからなくて、ルシルさんを見上げたまま止まっていたら、さっきよりももっとにっこり笑ってくれた。
「本当にレン様はお優しくて。そんなお顔をなさらなくてもいいんですよ」
「ごめんなさい」
弟はずいぶん前に家を出て、そのまま消息がわからなくなったらしい。
家族はもともと弟とルシルさんの二人きり。
どうしても生きていることを期待してしまうけれど、本当はもうとっくに死んでいるってことも分かっていると言っていた。
「わたくしと弟との間には糸がついていました。でも、今はもう―――」
そっと引っぱってみても向こうからは何の反応も返ってこなくて、緩んだままになる。
結ばれているはずの端っこに何もついていないことを確かめるのが怖くて、最後まで引っ張ることができないんだと言ったときもルシルさんは穏やかに笑っていたけど。
僕はもう一度小さな声で「ごめんなさい」とつぶやいてしまった。



ルシルさんが帰ったあとで見回りにきたルナに聞いてみた。
引っ張っても緩んでいたら死んでしまったってことなのか、って。
「そうですね。残念ですが、おそらくはもう―――」
ためしにルナの糸を引っ張ったら、何にもない空中ににょきっと金色のものが出てきた。
フレアのしっぽの先だ。
前にもこうやって説明してもらったことがあった。
確かあの時は迷子の話をしてたっけ。
「休憩中だったのに悪いな、フレア」
ドラゴンサイズのフレアの体は家具が置かれた部屋にはちょっと大きすぎたので、顔だけ出してからまた消えていった。
「ときどきこうして相手の様子を確認したりするのです」
仕事中などは「忙しい」ということが分かる状態に切り替えておくので、引っ張っても出てこないらしい。
「普段とは手ごたえが違いますから」
他にもいくつかパターンがあって、糸の反応で大体の状況が判るらしい。
それさえも教えたくない時はまったく無反応という状態にもできる。
「そうなのかぁ」
携帯電話だってマナーモードにしたり、電源を切ったりする。
きっとそんな感じなんだろうって思ったから、大きく頷いておいた。
「ねえ、ルナ。引っ張ったときに―――」
緩んでたら悲しいよねって。
言いかけた時、ルシルさんの笑顔を思い出してしまって、最後までちゃんと聞くことができなかったけれど。
「そうですね。フレアとは一緒に育ったわけではありませんが」
それでもどんなに辛いだろうって言ったあと、ルナは静かにルシルさんが出ていったドアを見つめた。


ちょっとしんみりしてしまった頃、フェイさんがお城に帰ってきた。
ばあやさんに呼ばれてお茶の部屋に来たフェイさんは、いつもと同じ落ち着いた声で「ただいま戻りました」とお辞儀をしたけれど。
バジ先生を発見した途端、ものすごく嫌そうな顔になった。
まったく噂どおりだ。
優雅に笑っているフェイさんしか知らない僕には、なんだかとても不思議な感じだった。
「フェイさん」
服を引っ張って屈んでもらって、ないしょ話をするみたいに耳のところで「どうしてバジ先生を嫌いなの?」って聞いてみたら。
「うっとうしいからですよ」
いつものとびきり優しい笑顔で、でも、けっこう大きな声でそう答えた。
これではバジ先生にだって思いっきり聞こえたはず。
ドキドキしながら振り返ってみたけど、大ざっぱな性格のせいなのかちっとも気にしてないみたいで、当たり前のようにぜんぜん違う話を始めた。
「フェイ、そろそろ髪を切れ。俺が長いの嫌いだって知ってるだろ?」
声がのんきそうだからか、ピリっとした空気になることもない。
フェイさんは優雅な仕草で振り返ると、バジ先生を見てにっこり笑った。
「だから伸ばしているんですよ。ご存知ありませんでしたか、ファゼル公」
ケンカになるんじゃないかってあせったけど。
よく見ると、慌てているのは僕一人だけ。
バジ先生も他の人たちもみんな普通にお茶を飲んでいた。
「バジとフェイはいつもあんなだ」
アルも慣れた様子でナッツをかじっているだけ。
本当にどうってことなさそうな感じだった。
「そっかぁ……でも、もっと仲良くなれないのかな」
すごく大ざっぱだし、口もちょっと悪いかもしれないけど、バジ先生は面白いし、偉そうにすることもなくてとてもいい人だ。
髪を切れとかいろいろ言われるのが嫌なのかなと思ったけど、あんなにきっぱり断れるんだったらぜんぜん平気そうなのに。
「なんか不思議だね」
「そうだな」
考えても結論は出そうになかったから、アルと相談して「性格が合わないんだ」ってことに決めかけたんだけど。
「ニーマさんはどう思う?」
他の人の意見も聞いてみようって思って、念のため確認をしたら。
「ええっと、そうですねぇ……アルデュラ様とレン様がもう少し大きくなられたら……」
そのときには詳しいいきさつも耳に入ることがあるかもしれない、って。
そんな返事だった。
「大人の事情ってヤツだな」
「そうみたいだね」
きっとものすごく難しい理由なのだ。
だったら仕方ないって諦めかけた。
でも。
「そのうち俺が誰かから聞き出してレンにも教えてやるからな」
アルがとても張り切っていたから、もしかしたら大人になる前に謎がとけるかもしれないって、ちょっとだけ期待している。

                                               〜 fin 〜


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