Halloweenの悪魔
水色ひよこ




-1-

そのあともバジ先生はしばらく遠くに出かけなかった。
けど、留守の間にたまった仕事を片付けなければならなかったのでお城にも来なかった。
「大丈夫だ。メリナに頼んでおいた。きっとまた教えてくれる」
「うん。いつもありがとう」
お城の長い廊下をあてもなく歩きながら隣りを見る。
アルはいろんなことに気がつくし、いつだってすぐに対策を考えてくれる。
まだ小さいのにえらいなって思ったけど、背の大きさはもうあんまり変わらなくなっていた。
「僕のほうがお兄さんのはずなんだけどなぁ……」
「なんだ?」
「……ううん、なんでもない。何して遊ぼうか?」
外でサッカーでもしようかって思ったけど、今にも雨が降り出しそうな天気だ。
しかも、ニーマさんやルナたちもみんな特別に忙しい日らしく、なんだか慌しい雰囲気だった。
「北の方で変な妖魔が出たらしい。ルシルが退治に行きたいって頼みにきてた」
ルシルさんがお城へお茶を飲みにくるのは休みの日だけ。
今日はきっとムリだろう。
「みんな忙しいんだなぁ」
こんなときアルはいつも何をしているんだろう。
考えたらちょっと寂しい気持ちになってしまった。
お城にはテレビやゲームはないし、学校に行っていないから同じくらいの年の友達もいない。
一人で本を読んで一人で散歩して、一人でお茶を飲んで一人でご飯を食べる。
みんなが仕事中なら話し相手もいない。
「……ルビー、早く生まれたらいいね」
そしたらいつでも一緒に遊べるのに。
闇の竜の子供は元気いっぱいらしいから、アルだって退屈しないだろう。
「あれからまたちょっと大きくなったぞ」
くすんだ灰色だったルビーのたまごはいつの間にか真っ黒になった。しかもピカピカでキラキラだ。
なんだかすごいものが生まれてくるんじゃないかって僕は思ってるけど、みんなは「デスと同じ黒いドラゴンですよ」って笑う。
闇の竜のたまごは真っ黒でピカピカでキラキラなのが普通だからだ。
「たまごが割れるのはあと少しだって言ってたぞ」
「お父さんが?」
「そうだ」
王様はもともと竜使いの家系なのだ。
もちろんアルもそうなんだけど、まだ小さいから修行中ってところだろうか。
「どんなかなぁ」
お城にはたくさんのドラゴンがいるけど、赤ちゃんは見たことがない。
今のたまごから想像すると、ソフトボールを二つくっつけたくらいの大きさで生まれてくるのかもしれない。
「まっさきにレンに見せてやるからな」
「うん。楽しみだな」
ルビーの話が終わったとき、僕らはお城の後ろ側にある塔の手前にいた。
無断で歩けるのはそこまでなので、引き返そうとしたらアルが僕の手を取った。
「物置に行こう」
「物置?」
にっかり笑った顔を見た時に、本当は入っちゃダメなんだろうってことはなんとなくわかっていた。
でも。
「すごくおもしろいぞ」
その言葉に負けてしまった。


ギギギと軋みながら動く重い重いドアを開けると、少しほこりっぽい空気が流れ出てきた。
「わー、広いね。けど、ちょっと暗いみたい」
中の様子がわかっているアルはさっさと奥へ入ってしまったけど、僕は壁伝いに明かりを探した。
「ないなぁ……燭台がなければ小さなランプでもいいんだけど―――」
物置だけどお城の中だ。
意外とシャンデリアみたいなものがついてるかもしれない。
そう思って天井に目をやったら、空中にぽっかり浮いた白いひび割れのようなものを見つけた。
「なんだか今すぐ割れそう」
小さな雷みたいにキザギザに入ったひびは僕が見ている間にピシッと小さな音を立てて少しずつ大きくなる。
このままにしていたら本当に割れてカケラが落ちてくるかもしれない。
「アル、大変。ちょっと来てよ! そこ、ひびが入ってるよ」
荷物に埋もれて羽の先しか見えなくなっているアルを慌てて呼び戻した。
「ひび? どこだ?」
僕が指を差した場所にアルの視線が届く直前。
それはさっと消えてしまった。
あとにはまるで何もなかったかのように天井が広がっているだけ。
「あー……見えなくなっちゃった」
「明るくすれば見えるかもな」
アルの爪の先が何かの文字を刻むとカーテンが全開になり、その瞬間、僕が見ていたところがきらりと瞬いた。
窓際に置いてあった何かに光が反射したのだ。
「もう完全に消えたな。どこかにしまってあった扉が出てきたのかもしれない」
本のような形で棚に収められているものなら、何かの拍子にペラリとめくれて飛び出すこともあるからってアルが言う。
「ほうっておいても大丈夫なのかな?」
「ここには危ないものは置いてない。心配は無用だ」
「だったらいいけど。でも、『危ないもの』ってどんなの?」
「そうだな」
たとえば片付けられなかった妖魔を閉じ込めた瓶とか、『闇』を封じ込めた地図とか。
もちろんお城にあるものなら第一級レベルの魔術師でなければ開けられないくらい強い鍵がかかっているから、うっかり触ってしまっても問題はないらしい。
「じゃあ、気にしなくても大丈夫だね」
アルが力強くうなずくのを見て僕も微笑んだ。
「それよりこっちだ」
向こうに昔の遊戯盤があるからと言って、僕を案内したのは部屋の奥。
チェスのような対戦型のゲームだけど、「駒に三角の耳や角がついていたりしてかわいいんだ」って言っていた。
「このへんだったはずだ」
変な模様の木の箱なんだと言いながらアルが棚の上を探している。
その隣でキョロキョロしていた僕の目にとまったのはぜんぜん違う物だった。
「アル、これ何かな?」
ほこりを被ったテーブルの上に大きなスノードームのようなものが置かれていた。
外側はガラスのようなもので覆われ、中にはぼんやりと緑色のものが浮かんでいる。
でも、白っぽく曇っていて、どんなに目を凝らしてもそれが何なのかはわからなかった。
「待ってろ。本棚に説明書がないか見てくる」
そう言うと、アルは壁際にくっついている細い螺旋階段を上がっていった。
飛んでいけば早いのにって思ったけど。
「ここで羽をバタバタさせるのはちょっと危ないもんなぁ」
空中にまで変な配置でぎっしり置かれている不思議なものたちにぶつかって、一緒に落っこちてしまいそうだ。
壁から30センチくらいのところに浮かんでいる時計は残念ながら止まっていた。
お茶の時間まではまだかなりあるだろうって思いながら、シャツの裾でドームのほこりを拭いた。
「あ、何か書いてある」
白と薄い銀色のマーブル模様の土台には『冒険者の往路』と記されている。
往路の意味がわからなかったけど、あとで説明書を読めば解決するだろう。
「拭いたら少し見えるようになったな」
半透明くらいになったガラスを覗き込むと、ものすごく高いところにある展望台から双眼鏡で街を見下ろすみたいな感じだった。
緑色のぼんやりした塊はたぶん山とか森とかだと思うけど、本当に小さくしか見えない。
もっとよく拭いたらいいかもしれないと思って、きゅっきゅと音が出るほど磨いてみたけど、今度はあんまり変わらなかった。
「ガラスを外して中側を掃除しないとダメなのかな」
分解できないかと思ってクルリと角度を変えてみたら、天井で何かがキラッと光った。
「あ、さっきの!」
同じ位置、同じ形。
でも、今度はもっとはっきりとひび割れが浮かんでいた。
「これが映ってたのかぁ……」
壊れてしまったらどうしようと心配になったけど、ひびの元はどうやらドームの中にあるらしい。
外側のガラスは傷なんてなくてとてもキレイだった。
「あ……これ、空のひびなんだ」
おでこがくっつくくらい近くに寄って、もう一度中を覗き込む。
青い空の真ん中に白いひび。
その前を時々スーッと雲が横切っていく。
ぼんやりした緑はやっぱり陸地なんだろう。
ひび割れよりもずっと下のほうにあった。
「空が壊れるとどうなるんだろうな」
ガラガラ崩れて落ちてきたら危ないんじゃないだろうか。
だんだん心配になってきて、なんだかそわそわしてしまった。
ルナかばあやさんを呼びに行こうと体を半分後ろに向けたその時、ひび割れたところから何か丸いものが出てくるのが見えた。
正確には楕円形で、ほんのり青色。
「……たまごだ」
僕がつぶやいたのと同時に、それは隙間からポロリとこぼれ落ちた。
「あっ!!」
思わず手を伸ばした。
ドームの中なんだからつかめるはずなんてないのに―――


そう思った時にはもう僕の体はたまごと一緒に落下していた。


目を凝らしてもよく見えなかった緑の場所があっという間に近づいてくる。
このまま地面にぶつかったら絶対に死んでしまう。
僕が落っこちたことなんてアルだって気づくはずがないから、父さんに知らせてもらうこともできない。
行方不明ってことにされてしまうんだろうか。
アルが怒られたりはしないだろうか。
やっぱり黙って物置に入ったりしなければよかった。
父さん、母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんなさい。
いろんなことがザッと頭を駆け巡って、ギュッと目を閉じたけれど。
その瞬間、バサリと音がした。
背中の羽が開いたのだ。
「……王様に作ってもらった服を着てなくても出るんだ」
頭だけで振り返るとちゃんと白い翼が広がっていた。
「でも、パーカが破れちゃったな」
羽がバサリと風を切るたびに布がヒラヒラ宙を泳ぐ。
きっと後ろはボロボロだろう。
それでも落っこちてしまうよりずっといい。
気を取り直して地上を目指した。
でも、「助かった」って思ったのは最初だけ。
空は風がものすごく強くて、ぜんぜんうまく飛ぶことができなかったのだ。
「あ? わっ、うわ……あっ!!」
バランスを崩してクルクルと前転し、目まで回ってきた。
どっちが空でどっちが地面なのかすっかりわからなくなって。
もう一度「もう絶対にダメだ」って思った時、目の端っこに飛び込んできた緑色の中に勢いよく突っ込んだ。
ザザザッと音がして、体がガサガサしたもので包まれる。
痛いとか怖いとかそんなことより、とにかくびっくりして心臓がバクバク鳴っていた。
ゆっくり息を吸って、吐いて。
恐る恐る目を開けると自分の足と空が見えた。
「……大丈夫。僕、まだ生きてる」
体に当たっていたのはみっしり重なったたくさんの葉。
木のてっぺんに大きな鳥の巣みたいな形で乗っかっている葉っぱの群れに頭を下にした状態で落っこちたのだ。
羽はもう消えていて、もう一度出す方法がわからない。
「どうしよう……」
隙間から下を覗いてみたけど、枝や葉がたくさんあって地面らしいものは少しも見当たらなかった。
うまく羽を出せたとしてもこれでは突っかかってしまうだろう。
飛ぶのは諦めて、普通に降りる決心をした。
足を滑らせなければ大丈夫。
三回つぶやいてからそっと枝を伝っていったんだけど。
「うっ、わああああっ!」
あとちょっとというところで思いっきり踏み外してしまった。
自分の背よりずっと高いところ。
今日三回目の「もう絶対ダメだ」が頭をよぎったけど。
「うっ、あ?」
薄明るい緑色のものに僕の体は跳ね返された。
ポヨンポヨンと何度も弾んだ後でようやく静止した。
背中の下はとても弾力のあるコケのようなもので、ずっと寝ていたいくらい気持ちいい。
足を伸ばして、手を上に挙げて、ごろごろと転がってみた。
どこも痛くないし、血も出ていない。
ホッとしたあとで、そっとため息をついた。
「……たまご、見失っちゃったな」
あと少しで手が届きそうだったのに。
どこかに落ちて割れてしまったにちがいない。
ひどくがっかりしながら立ち上がった。
周りはうっそうとした森。
僕が立っているところ以外は光さえ当たってなかった。
ちょっと怖いなと思いながら服についた黄緑色を払っていたら、頭のてっぺんに何かが落ちてきた。
「痛っ!!」
反射的にそう言ってしまったけれど。
「……そうでもないや」
安心するのと同時に、『ぐしゃ』という音がしたことに気づいた。
おそるおそる頭の上に手をやってみると、そこには壊れた何かがあって。
そっと掴んで下ろしてみると、あの水色のたまごだった。



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