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「やっぱり……」
すっかり割れてはいなかったものの、てっぺんから真ん中くらいまで大きなひびが入っていた。
しかも、僕にぶつかった底のところは平らに変形してしまっていた。
「……もうダメだよね」
両手で持ったたまごはまだちゃんと温かくて、それに気づいた時なんだかとても悲しくなった。
僕がちゃんとつかまえていれば巣に戻せたかもしれないのに。
「ごめんね……」
せめてどこかに埋めてあげよう。
空から降ってきたんだからお日様がたくさん当たるところがいい。
そう思ってシャベルの代わりになりそうな木を探し始めたけれど。
その時、手の中の卵がごそごそっと動いた。
「うわっ」
びっくりして投げ出しそうになってしまったけど、たまごだったことは忘れていなかったので思いとどまった。
手のひらに大事に乗せたまましばらくじっと眺めていたら、1分くらいでパリンと殻が割れて、ふわふわしたものが顔を出した。
「よかったぁ。生きてたんだね!」
それは淡い水色のヒヨコにちっちゃな透明の羽がついている不思議な生き物で、ときどき「ぴ」とか「き」とか、そんな音で小さく鳴いた。
「ふわふわだなぁ」
触っているのかどうかがわからないくらいやわらかい。
思わず頬ずりしたら、今度は「きゅ」という明るい声を出して羽をパタパタさせた。
アルは嬉しいときにパタパタするから、これもきっとそうなんだろう。
もう一度「よかった」とつぶやいて目の高さまでもちあげてみた。
足もおなかも頭も大丈夫。
そして、背中もしっぽもキレイな水色だった。
「ケガはしてないみたいだから、巣を見つけて帰してあげないと」
でも、どうやって探せばいいんだろう。
悩みながら梢を見上げてみたけれど、葉っぱの間にぽっかり浮かんだ空はひどく遠くて、とても自分の羽で飛んでいけるとは思えなかった。
「……お城に戻って相談してみようかな」
そう決めたのはいいけど、今度は帰り方が分からないことに気づく。
僕が今立っているところにはまあるく日が差し込んで明るかったけれど、道らしい道は見当たらない上に、一歩でも木々の中に足を踏み入れるとあたりは真っ暗って感じだった。
「あそこに入るの、なんかやだなぁ……」
でも、道を探さないと帰れない。
がんばろうって決めてうなずいたとき、後ろから声を掛けられた。
「なにをぼんやり立っているんだね、人の子。早く殻をしまって森を出ないと賊たちに盗られてしまうぞ」
振り返ったら、犬のヌイグルミみたいなのが飛んでいた。
色は薄い茶色。しっぽはふさふさ。
背中には丸い羽を4枚くっつけていたけど、どう見ても材料はフェルトって感じだった。
「えと……こんにちは。僕、レンって言います。この子を家に帰したいんですが、どうすればいいか知りませんか?」
どんなことでもいいから教えてくださいって頼んでみたけど、羽つき犬ぬいぐるみの人は首を振った。
「森に親などいるはずがない。ここにいるのは虫だけだ」
そう言って自分を指差した。
顔も体もしっぽもヌイグルミの犬なのに、羽があるせいなのか区分は虫らしい。
ちょっとびっくりだ。
「たまごは上から落ちてきたから、家は空のほうかもしれないんだけど」
「だとしても今はおまえの手の中だ。そうなったらもう戻れないのだ、人の子よ。そんなことも知らないのか?」
「……こっちのことはあんまり詳しくなくて」
まあ、そうだろうねというつぶやきがかすかに聞こえたけど、ぬいぐるみ犬の人の機嫌は良くなったように見えた。
「まあ、それはいい。とにかく、おまえはその子の主になったのだ」
「え?」
『あるじ』は主人のことだ。
こちらでも同じ意味なのかはわからないけど。
「それも知らないのか? たまごは拾ったものが主になるんだ。とは言ってもおまえの家臣は赤ん坊で生まれてきたのだから育ててやらないことにはどうしようもない」
「えー?」
もっと大きくなってから出てきたのなら手もかからなかったのに……って言われても。
本当にとっても困った。
だって、何を食べるのかも分からない。
「あの、もうちょっと聞いても……」
せめてこの子が何の赤ちゃんなのかだけでも知りたいと思ったんだけど。
「空から降ってきたたまごが何者なのかを、ただの虫であるおれが知ってるとでも?
……それじゃ、早く森を出ることだな」
出口はあっちだ、とふかふかした茶色い手で森の奥を指すと、クルリと背中を向けて忙しそうに飛んでいってしまった。
「あ……ありがとうございました」
僕がそう答えた時にはもう、ふわふわした茶色い背中は木立の間に消えていた。
「とにかくすぐにお城に戻って誰かに相談してみよう。……ええと、出口はこっちだっけ」
ぐるりとあたりを見回したけれど、指し示された方向が一番暗い。
悪い人には見えなかったし、きっと教えてもらったとおりにすればいいんだろうけど。
「……ちょっと怖いなぁ」
知らない場所、真っ暗な森、赤ちゃんヒヨコ。
困ったことだらけで心細くて。
もう少しで泣いてしまいそうだったけど。
「きゅ」
僕の手の中でまんまるな目が心配そうに見上げているので、頑張らなくちゃと思い直した。
とりあえず、たまごの殻はかけらまで一つ残らずハンカチに。
そして、破れたパーカを脱いでフードのついた方を前にもってきて着なおした。
「うわ、背中も袖も黄緑色になっちゃった」
さっきコケの上で弾んでしまったせいだ。
よく見たら、手や顔にもけっこうたくさんついていた。
「……でも、ちょっといい匂いだからいいか」
しばらくここに入っててねってフードの底に水色ひよこと包んだ殻を入れると、また小さく「きゅ」と鳴いた。
「僕の言ってること分かるのかな? だったらすごいや」
生まれたばっかりなのに。
そう思いながらフードの中をじっくり見てみると、水色ひよこにはくちばしがないことに気づいた。
うさぎコウモリのときのルナみたいな感じだ。
「どんな種類の鳥なんだろうなぁ……」
羽つき犬の区分が「虫」だっていうくらいだから、僕が想像している鳥とはぜんぜん違うものなのかもしれない。
そういえば、お城にいた鳥には頭のところにユニコーンみたいな角が生えていたっけ。
あれこれ思い巡らせてみたけど。
「うーん……まあ、いっか」
いろんなことが謎すぎて、途中でどうでもよくなってしまった。
最初はおそるおそる。
でも、歩いているうちにだんだん楽しくなってきたなって思ったところだったのに。
出口と言われたほうを目指していると、後ろでガサガサと草を揺らす音がした。
「……今、何かいた?」
ひとりごとのつもりでつぶやいた時、いつもは目に見えないペンダントが首のところでブワッと光った。
その瞬間、ザザッと何かが引いて、あたりはまたシーンと静まり返った。
「そういえば、このペンダントって……」
悪い人たちが近寄らないようにってアルがくれたんだ。
ということは。
「……逃げないとまずい」
心臓はバクバクしていたけど、水色ひよこと殻がフードからこぼれ落ちないようにしっかりと押さえて全力で走った。
のどから変な音が出るほど息が切れて、もうこれ以上はムリと思った時、木々の隙間から明かりが差し込むのが見えた。
「出口、だっ!」
ザッと草を踏み倒して飛び出した。
同時に背中の方でパタンと音がした。
転げ出た先は思いきり太陽が降り注ぐ丘の上。
大きな木を中心にしてクリーム色の道が十字に伸びている。
さっきのヤツが追いかけてきていないことを確認するために振り返ったけど。
まっくらな森は消えてなくなっていた。
「あれ?……どこ、行っちゃ、ったんだろう」
はあはあ肩で息をしながらも後ろに10歩もどってみたけど、やっぱりそこは丘の上。
何度見ても木が一本立っているだけで、深い茂みもぎっしり生えた木々もどこにも見えなかった。
「えっと……でも、追ってきてないなら、別にいいかな」
森の行方は気になったけど、ペンダントももう光ってないし、大丈夫ってことなんだろう。
だったら、今はお城に帰ることを考えないと。
ポケットを探してみたけど、電話用のコインは持っていなかった。
「外に行くつもりはなかったからなぁ……」
僕が立っているのは大きくて緩やかな丘のてっぺん。
景色がすごく良くて、近にある町の屋根や道もはっきりわかった。
なのに、お城らしきものは一番高い塔の先っぽさえ見当たらない。
「ってことは、すごく遠い場所に落っこちたんだな」
歩いて帰ることになったら大変だ。
でも、とりあえず帰るべき場所が「ジアード」という地名なのはわかっている。
「ここはどこですか」って誰かに聞いて、同じ国の中だったら電話を借りて誰かに迎えにきてもらえばいい。
「じゃあ、町へ行こう。危ないから顔を出しちゃダメだよ」
水色ひよこに言い聞かせると、ちょっと凛々しい声で「ぴ」と返事があった。
一気に丘を駆け下り、大きな石の門をくぐる。
町はちょうどお昼の時間らしく、道端に並んだ横に長い大きなテントの中でたくさんの人たちがサンドイッチやおまんじゅうのようなものを食べていた。
「あの、すみません。道を教えていただきたいんですが」
そっとテントの隅っこに入り、近くに座っていた女の人に声を掛けた。
「いやだ……あんた、人間だね?」
なんだかすごく驚いた顔が僕を見る。
どうしてだろうって思っていたら、おばさんは半分だけ腰を浮かせて椅子を避けながら後ずさりした。
「僕はレンって言います。ちょっと迷子になってしまって」
人間が嫌いな土地はたくさんある。
前にそう教えてもらった。
だとしても、道くらいは聞けるだろうって思ってたけど。
「ちょっと来て! 人間が!」
おばさんの一声で僕はあっという間にしかめっつらの大人たちに囲まれてしまった。
しかも、手を掴まれて、後ろで縛られて。
「おまえ一人か? いったいどうやってここに来た?」
次は質問攻め。
「えっと……友達の家に遊びに来て、物置にあったガラスの玉みたいなのを覗いていたら中に落っこちてしまって」
簡単に説明したんだけど、それを聞いた人たちはもっと険しい表情でひそひそと話をしはじめてしまう。
「よそものが入れるはずはない。昨夜から出入り口は全部閉じているんだ」
「前に何かの用でここへ来たことがあって扉を持ってるってことも―――」
「まさか。人間が出入りしたなんて話は聞いたことがない」
なんだか難しい顔でまたひそひそと相談をしたあと、後ろにいた人に指示して近くの小屋から箱を持ってこさせた。
その後、ぐるりと僕を取り囲んでいた人たちに渡されたのはナイフやスコップや火かき棒のようなもの。
それが一斉に僕に突きつけられた。
「俺たちを闇に引き入れるつもりか?」
「妖術師と契約してるんだろう?」
投げられる質問の声もどんどん冷たくなる。
何か答えないと……って思ったけど、聞かれていることの意味がわからない。
口を半分開けたまま立ち尽くしていたら、おじさんの眉間のしわがもっと深くなった。
「騙されるな。最近じゃ、子供の皮をかぶった妖魔が村を襲うこともあるんだからな」
「そんなことになったら厄介だぞ。さっさと処分してしまえ」
一番近くにいた体格のいい三人が口々に叫ぶ。
他の人たちはお互い顔を見合わせたりして迷っている様子だったけど、手にした武器を下げることはなかった。
「待って……違うんです。あの、僕、アルの……王様の子供の友達で……」
こういう時にアルの名前を正しく呼べないのはとても困る。
友達なのにおかしいって思われてしまったら、もっと状況は悪くなってしまう。
「よくもまあ、そんな見え透いた嘘を」
「とりあえず司祭様のところに連れていこう」
「まずは封印だ。呪文のかかったロープを持ってこい!」
バタバタと二人分の足音が遠ざかる。
言いたいことはたくさんあるのに、全部奥の方でつかえてしまって出てこなかった。
怖くて泣きたくて、僕には力いっぱい叫ぶことしかできなかった。
「でもっ、違うんです、本当にっ!!」
必死で説明したけど誰も聞いてくれなくて、到着したロープはグルグルと僕の体に巻かれていく。
司祭様という人のところへ連れていかれて、もしもまた「処分してしまえ」と言われたら、きっと僕は殺されてしまうんだ。
空から落っこちても、枝から足を滑らせてもちゃんと助かったのに。
なんでこんなことになるんだろう。
グルグル考えていたら、胸元から水色の鼻先が覗いた。
「あ……」
そうだった。
この子だけでもどこかへ逃がしてあげないと。
「……ん? なんだ、これは。おい、こいつ何か妙なものを連れているぞ」
「鳥のヒナか。焼いて食っちまえ」
ナイフを突きつけたまま立っていた若い男の人はそう叫ぶと、ひよこに手を伸ばした。
「やめて! この子はさっき拾ったばっかりで僕とは関係ないんです!!」
のどが裂けそうなくらい大声で怒鳴った瞬間。
頭の上でバタンと大きな音がして、テントの中にザッと風が吹き抜けた。
「なんだ?!」
どこか甘い香りのする空気がぶわっと押しよせて、町の人たちもみんな一斉に顔を上げた。
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