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僕には何なのかすぐにわかった。
懐かしい感じがしたからだ。
テントの上に落ちてきたそれは、天井を揺らしながらスタスタと歩き、タッと軽い音を立てて石畳の上に降り立った。
「レン、迎えに来たぞ!」
片手を挙げたのはやっぱりアルで、笑顔を見た瞬間、全部の力が一気に抜けてペタリと地面に座り込んでしまった。
ほうっと大きく息を吐いて周りを見回すと、立っていた人たち全員がひれ伏していて、きつく巻かれていたはずのロープはいつの間にかほどかれて落ちていた。
「そっか……アルって王子様だもんね」
今さらだけど。
こんなふうにかしこまっている人たちを見たのは初めてだった。
お城に来る人も市場の人も、みんなアルとはとても親しげで、家族か友達みたいだからだ。
「いちいち伏せたりひざまずいたりしなくていいぞ。面倒くさいし、話しにくい」
俺は王じゃないんだからと言われてやっとみんな恐る恐る顔を上げて、はあっと小さく息を吐く。
「城から遠くなればなるほどよそよそしくなる」
子供の頃はそうでもなかったのに、とアルがまた口を尖らせた。
アルの気持ちもわかるけど。
でも、王子様に対してはこういう態度のところのほうが多いんじゃないだろうか。
「大丈夫だったか?」
「うん。いろいろびっくりしたけど」
しばらく顔を覗き込んでいたアルは、僕を立ち上がらせようとはしないで、自分も隣りに腰を下ろした。
アルの友達だって言ったけど信じてもらえなかったことを話すと、「ふうん」という顔をした後、町中に聞こえるような大きな声で言った。
「こいつはレン。俺の一番だ」
お城ですぐ側にいる人たちとは違って、ここではアルの言葉はちょっとわかりにくかったらしい。
「アルデュラ様の配下の者でしたか」
「では、城を逃げ出してきたので?」
みんなそれぞれ違うものをイメージしているのか、言うことが少し食い違ってた。
「家臣じゃない。友達だ」
短い説明に町の人は「いっそう分からない」という顔をする。
アルはふうっとわざとらしいほど大きなため息をついたあと、「友達が何か知らないのか?」って大真面目な顔で尋ねた。
「はあ、もちろん存じております……ですが」
人間ではないですか、と誰かが小さな声でつぶやくのが聞こえ、なんだか自分がすごくダメなものになってしまった気がした。
でも。
「何か言ったか?」
アルの目元がはっきりわかるほどキュッとつりあがって、町の人たちはみんな大慌て。
「いえ、ご友人で、アルデュラ様の一番様のレン様ですね」
「もちろん承知しましたですとも」
なんだか変な言葉遣いになっていた。
アルが満足そうにうなずいたあとも、まだ本当はあんまり分かってないみたいに見えたけど。
それでも、もう僕を見る目もそれほど冷たくはなくて。
すぐ隣に座って「ケガしなかったか?」とか「あとでルナたちが迎えに来るからな」なんて心配そうにこちらを覗き込むアルを地面に正座したまま不思議そうに眺めていた。
「ありがとう、アル。ぜんぜん大丈夫だよ。でも、なんでこの町にいるってわかったの?」
スノードームが教えてくれたのならすごいなって思ったけど、やっぱりそういうことではなかった。
「知ってる場所だったからな」
僕の周りだけドームいっぱいに大きく映っていたらしい。
最初にいた森には見覚えがなかったけど、町に入ったらすぐにわかったと言っていた。
「前にメリナと来たことがある」
僕みたいに直接ドームの中に入ることはできなかったけど、ここへの扉は持っていたから来るのは簡単だったらしい。
「でも、なんでテントの上に出てきたの?」
空から降ってくるなんてアルらしいなとは思ったけど。
尋ねたら、「誰もいないから急に出てきても邪魔にならなくていいんだ」と説明してくれた。
二人でそんな話をしていたら、裾の長い服を着たおじいさんが走って広場にやってきた。
「司祭様、こちらです」
テントの入口にいた人が手で中を指し示す。
あらかじめ誰かがいろいろ説明してくれたんだろう。
司祭様は自己紹介のあと、ものすごく丁寧に謝ってくれた。
「いいんです。僕も自分のことをうまく伝えられなくて……」
どう言えばいいのかわからなかったと話すと、困ったような表情を浮かべた。
「大変申し訳ないことですが、この町の者は昔レン様の種族の者に騙されたことがありまして―――」
ずいぶん昔だけど、旅の術師と人間の二人組がこの町の住民を生贄として闇に埋めたことがあったらしい。
「それ以来、人間は町に入れないように術をかけてあったのです」
なのに僕が当たり前のようにテントに来ておばさんに話しかけたりしたから、悪い術を使って入り込んだのではないかと思われたらしい。
「レンは冒険者だからな。土地に呼ばれればどこにでも入れる。今はまだ修行中でバジがいろいろ教えている最中だから、たまに迷子になったりしてるけどな」
この国で冒険者は憧れの職業だ。
しかも、バジ先生に教わっているなんてとてもすごいことなんだろう。
僕を見るみんなの目がパッと明るいものに変わった。
「呼ばれたっていうか、丘の上あたりに落っこちてしまって……」
アルがいいことばかり言いすぎな気がしたので、そこだけ訂正したんだけど、司祭さまはさっきよりもっと明るい顔になった。
「さようでございましたか。レン様をお呼びしたのがあの丘なら、すぐ側に位置するこの町にもきっと良いことがあるでしょう」
『冒険者を呼ぶ場所には良いものが眠っている』
昔から伝えられていることわざなのだという。
僕は森に落っこちただけで誰かに呼ばれたわけじゃなかったし、それ以前に冒険者になれるかどうかも疑わしかったけど。
司祭さまをはじめとして町のみんながとても嬉しそうにしているので、言わないでおくことにした。
そのあとルナたちが来るまでの間、3つ隣にある集会所でお茶をもらった。
集会所と言ってもレンガの建物とかじゃなくて、やっぱりテントだ。
「前に来た時は何の用事だったの?」
僕はアルに聞いたつもりだったけど、答えたのは司祭さまだった。
「大切な木が弱ってしまい、回復の呪文をかけていただいたのですよ」
指さした先は広場の真ん中。
そこにはてっぺんが見えないほど大きな木が一本立っていた。
「妖魔を避け、闇の力を弱める効果があるので、小さいものを町のあちこちに植えてあります。ですが、種が取れるのはあの親株一本きりなのです」
この辺りには昔から小さな妖魔の出口があるので、あの木がとても重要な役目を果たしているらしい。
「ところが、ある日を境に水をやっても肥料をやっても葉が次々と落ちていくようになってしまいまして、おそらく特殊な病気だろうということになり―――」
ジアードにある役場に相談しに行ったところ、お城からアルとばあやさんが派遣されてきたのだ。
「アルってそんなこともできるんだ? すごいなぁ」
「城で妖魔の研究をしているからな。けど、子供の頃の話だぞ」
そのとき周りの人が一斉にニコニコしたのは、多分、「子供の頃」なんて言うアルが今でも十分子供だからだ。
最初はみんな硬い感じだったけど、司祭さまが僕らに優しくしてくれるせいか、他の人もだんだん親しげな雰囲気になってきた。
「普通に話してもらえるようになってよかったよね。アルと会うのが久しぶりだから緊張してたのかな?」
「なんで緊張するんだ?」
「だって王子様だし」
「メリナならともかく、俺は偉くないぞ」
「……そうなのかな?」
考え込んでいたら、周りの人たちが僕だけにわかるようにそっと首を振った。
「木の回復呪文だって慣れればそんなに難しくない」
「そうなの?」
中に入り込んだ妖魔を消して栄養が行き渡るようにするだけだからって、とても簡単そうに言うんだけど。
ちらっと町の人たちを見たら、内緒話でもするみたいな顔でまた小さく首を振った。
「でも、アルのおかげで今もすごく元気だね。葉っぱもつやつやしてる」
僕が指差すと、テントの端っこに座ったままアルもまぶしそうに梢を見上げた。
「そうだな。伸びててびっくりした」
ばあやさんと派遣されてきたときの5倍くらいになったらしい。
つやつやの葉が揺れるたびに光がチラチラと飛んできてアルの髪や顔に当たる。
それを見ていた司祭さまや町の人たちが優しく目を細めた。
その後はお城にいるときと同じくらい楽しいお茶の会になった。
でも、30分くらい経ったとき、アルが突然立ち上がった。
「着いたらしいな」
そう告げて指差した方角は僕が来たのとは反対の丘。
てっぺんで金色と銀色の何かがキラリと太陽を反射した。
小さな光しか見えなかったけど、それがルナとフレアだってことは不思議と僕にもわかった。
「じゃあ、帰るか。今度レンが来た時は俺がいなくても普通に入れてやれよ。冒険者なんだからな」
司祭様が僕とアルの顔を交互に見てからにっこりと微笑むと、町の人たちもみんなうなずいてくれた。
「ありがとうございました」
近くにいた人たちみんなにお礼を言ってテントを出る。
ルナとフレアの待つ丘はちょっと遠くて、どれくらい歩いたら着くのかわからなかったけど。
「飛んでくぞ」
「え?」
「羽、出せるだろ?」
当たり前のように言われてしまうと「ううん」とは答えにくい。
「あー……どうかな」
いつも勝手に出てくるから自分で出すのはどうやるかわからないんだよなと思いながら、とりあえず後ろ前に着ていたパーカを脱いで、水色ひよこを大事に包んで腕に抱いた。
さっきのが怖かったのかひよこは丸まったきり顔も上げなかったけど、「帰るからね」とそっと話しかけたら、ものすごく小さな声で「きゅ」と鳴いた。
お城に帰ったら真っ先にこの子の育て方を聞かないと。
たまごから出てからずいぶん時間も経ってしまったし、お腹だって空いただろう。
そんなことを考えていたら、アルが僕の背中をちょっと引っ張った。
「ほら、出たぞ」
パサリと軽い音がして、さっき破れた服の切れ目から羽が現れる。
「あー、ホントだ」
あとで引っ張り方を教えてもらおう。
そしたらいつでも自分で出せるようになる。
迷子になっても高いところからならお城が見えるかもしれないし、好きな時に飛べたらけっこう便利だ。
羽と心の準備ができた頃、僕らが立っている場所から半径10メートルくらいのところには人だかりができていた。
広場を囲むようにして立っている背の高い建物の窓からも顔が覗いている。
町中の人がこっちを見ているような空気の中、僕の羽はゆっくりと広がった。
「よし、行くぞ」
先に少しだけ浮き上がったアルの手に掴まって、ふうっと深呼吸。
安定するまで離すなよって言われて、ちょっとドキドキしながら頷いた。
本当のことを言うとすごく心配だったけど、軽く引っぱられた瞬間、体はふわりと宙に浮かび上がった。
「よかった。ちゃんと飛べそう」
「じゃあ、一気に上までいくぞ」
見る見る小さくなっていくテントと石畳。
そして、ぽかんと口を開けて見上げている町の人たち。
王様のパーティーのときもそうだったけど。
「なんか変な感じ」
「白い羽なんて普通は一生見れないからな」
アルはなんだか得意気な様子でにっこり笑ってた。
僕もつられて笑いながら、二人でルナとフレアの待つ丘まで飛んでいった。
〜 fin〜
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