Halloweenの悪魔
エーネの空




-2-

ニーマさんがお皿に半透明のジュースと果肉を入れている間、水色ひよこは不思議そうに眺めていたけど。
アルが大きなスプーンでくり抜いた中味をおいしそうに食べはじめると、「わかった」という顔で自分も口をつけた。
ミルクがたっぷり染み込んだゼリーみたいな実は、口の先でつつくとプルンと揺れる。
口も小さいし、食べにくくないのかなって思ったけど、ひよこは鼻先も口も汚すことなくきれいにたいらげた。
「食べるの上手だね。手も口もぜんぜん汚れてないや」
ハンカチを用意していたのに、どうやら必要なさそうだ。
感心していたら、ばあやさんがにっこり笑った。
「レン様にはそれより大事なお役目がありますよ」
なんだろうって首をかしげたけど、すぐにわかった。
「そっか、名前だね!」
かわいくて元気なのがいい。
でも、それだけじゃダメかもしれないってことにもすぐ気がついた。
こちらでは名前はとても重要だから、ものすごくちゃんとしたのを考えないといけないはずだ。
「うーん……どういうのがいいのかなぁ」
悩んでいたら執事さんがアドバイスをしてくれた。
「こちらでは生まれた日の暦や場所、親兄弟の名や出身などにちなんだものが一般的ですな」
幸運に恵まれやすいと言われているらしい。
でも、たまごがどこで生まれたかはもちろん、お父さんお母さんがどんな種類なのかもわからない。
「ルビーは目の色から決めたんだよね?」
「そうだ」
それもただの「ルビー」じゃなくて、祝福の呪文がついた「ルビー」だ。
どうやったらつけられるのかとかそういうことはよくわからないけど、ただの「ルビー」と祝福の「ルビー」は聞いた感じがちょっと違う。
呼んだり呼ばれたのを聞いたりした時になんだかいい気分になれるのだ。
「僕、呪文は使えないからなぁ……」
「だったら最初から祝福がついてる言葉を名前にすればいい」
図書室で良い言葉を調べてこようってアルが僕の手を引っ張った。
「そうだね」
それなら僕にもできそうだし、うまくつけられたらお城の人たちにもたくさん呼んでもらえるだろう。
ついでに話しかけたり遊んだりしてくれるかもしれない。
部屋を出ていこうとしたら、ばあやさんが「ちょっとお待ちください」って人差し指を立てた。
短いため息みたいな呪文のあと、取り出したのは小さな手帳のようなもの。
手帳といってもかなり厚みがあって、ちょっとした辞書くらいな感じだった。
「ここには精霊や大地から受け取った名前が記してあります。もしもこの子を選ぶ名前があればそれを差し上げましょう」
「メリナの台帳ならとっておきだぞ」
でも、特別な祝福を持っているのは、つけるのがものすごく難しいらしい。
名前のほうで相手を選ぶからだ。
「断わられたら、もうそれで呼ぶことはできないの?」
「そうだ」
アルの話だと「呼んでもうわすべりする」らしい。
「呼ばれた本人もどうしても自分の名前だとは思えないんですよ」
「ふうん。じゃあ、合うの以外はつけられないようになってるんだね」
帳面はひよこの頭の上でしばらくパラパラと勝手にめくれていたけど、真ん中よりかなり後ろのほうでピタリと止まった。
「この子を選んだ名があったようですよ」
見開きいっぱいに光っていたのは「エーネ」という文字。
「エーネ?」
「世界がどこかに隠し持ってるって言われてる特別な場所なんですよ」
「なんかすごそうだね」
つけられるのはその『エーネ』にちなんだ名。
エーネそのままより名付け親の気持ちがこもったものがいいらしい。
「どんな意味がよろしいのかご希望をおっしゃっていただければ祝福をつけたまま名前にいたしますよ」
「本当? じゃあ……」
体全部がきれいな水色で、雲みたいにふわふわ。
なによりも、真っ青な空のひびから生まれた子だから。
「『エーネの空』っていう意味がいいな」
「うん。それならぴったりだな」
アルがうなずいて、ニーマさんも「あら素敵」って両手を合わせた。
「では、名前は『エネル』ですね」
ばあやさんが呪文で空中に書いた文字はキラキラと光ってひよこの上をくるくる回り、やがてすっとふわふわの頭に吸い込まれて消えた。
「名前も快く承諾したようです」
水色ひよこの頭の上の毛が王冠の形にクルンとはねた。
「最上の名前に選ばれることなんて滅多にないぞ」
「そうなの? じゃあ、すごいね!」
すごい祝福がついてなかったとしても「エネル」なら呼びやすいし。
なによりも。
「すごくかわいい名前だと思うな」
水色ひよこに「ね?」と話しかけたら、僕の言うことがわかるみたいに、「きゅ」と明るい声で鳴いた。
「大変良いお名前になりましたね。あとは……」
祝福の言葉は重さがあるので、後ろに何かくっつけてバランスを良くしたほうがいいって言われて考えた。
「うん。じゃあ――」
難しいかなって思ったけど、自分でも不思議なくらいあっさり決めることができた。
正式な名前は「エネル・ソラ・イセリ」。
親や兄弟にちなんだ名前は縁起がいいというので、真ん中はそれ。
「だって、エネルはソラの弟みたいなものだし」
ソラには何もしてあげられなくて、とても悲しくて悔しかった。
あの時の気持ちをずっと忘れずに育てようって思ったから。
「『イセリ』はどういう意味ですか? 地名……ではないですよね?」
そういえば、アルもバジ先生も名前の最後は自分が住んでいる場所だ。
っていうことはここではそういう並び順が普通なのかもしれないけど。
「井芹は僕の苗字。今日から家族だもの」
家に帰ったら父さんにも話そう。
新しい家族ができたって。
ふわふわですごく可愛いんだよって。
「なんだか呪文みたいですね。呼んだらすごくいいことがありそう。『エネル・ソラ・イセリ』。あ、ほら」
ふんわり体が軽くなったみたいって、ニーマさんがつま先でくるりと一回転する。
ひらひらのドレスが空気を集めてきれいに広がった。
「本当? じゃあ、みんなにも呼んでもらえるかな?」
性別とか体格とか、どんな性質で、どんなことが得意なのか。
そういうことはもっと大きくならないと分からないけど。
「こんなに素敵な名前をもらったんですから、きっと良い子に育ちますよ」
晴れた空のヒビから生まれた水色の子。
僕が呼ぶたびにエネルがとても明るい声で「きゅっ」と鳴いて、小さな頭をスリスリこすりつける。
「元気に大きくなってね」
指先でふわふわの頬をなでていると、とても幸せな気持ちになった。
「アルがもらってきたタマゴからもこんな子が生まれるのかな」
まっくろでふわふわで小さくて、ちょこちょこと肩や手に乗ってくれて。
すごく可愛いだろうなって思ったけれど。
「……どうでしょう。何せ闇の竜ですし」
「そもそもこんなに小さくないのでは?」
「見た目もゴツゴツしてそうですよね?」
みんなは違う意見だった。
普通より皮膚が固い上に攻撃的で、扱いはかなり難しいらしい。
「ドラゴンというのは分別がつくまでは基本的に気が荒いものなんです。ルナもお城に来た当初は陛下の手に思いっきり噛みついたらしいですから」
「えー、そうなんだ」
ちらっとルナを見たら、小さなうさぎの口で「はい」と答えた。
いつだって優しくて機嫌が悪いときなんてなさそうな感じなのに、ちょっと意外だ。
「それにしても変わった色ですな。羽は透明で、光の具合によっては薄っすら虹色に見える。しかも変身してるわけでもないのにやけに軽い」
執事さんをはじめ、他のお茶担当の人たちまでみんながエネルを覗き込む。
「確かに形はちょっとドラゴンの子にも似ていますけど、そういえばこんな色は見たことありませんよねえ。しかもここまでふわふわなんて」
ニーマさんたちが顔を見合わせていろんな予想を出し合ってたけど、誰もエネルがどんな大人になるのか分からなかった。
でも、みんなが「とても可愛らしいですね」って言ってくれた。
「成長が楽しみですな」
「本当に」
「スウィード様もずいぶんとはしゃいでいらっしゃいましたし」
誰も見たことがない水色の赤ちゃん。
ドラゴンにしては変わった色で、鳥にしては変わった羽で、誰も何なのかわからないうえにものすごくふわふわだけど。
「どうしたんです? みんなで集まって……わー、なんですか。このちっちゃいのは!」
「何かの赤ちゃんですって。今日生まれたばっかりらしいですよ」
「大きさのわりに軽くないか? 持ち上げてる気がしない」
「飛べるのかしら? こんなにちっちゃい羽で?」
お城ではもう大人気みたいだった。
「これこれ、勝手に触るんじゃありません」
急にいろんな人が来たのでエネルはちょっとびっくり顔。
くりっとした目でみんなを見回している。
「ほんとに不思議なくらいふかふかですね。最初ヌイグルミかと思いましたよ」
「胴体あります? 実は全部毛でできてるんじゃないですか?」
誰に聞いたのか、あとからあとからエネルを見にくる。
「晩ごはんの準備はまだですよね? サンディールに頼んで白い竜の実もらってきましょうか!」
「ここはいいですから、自分の仕事をなさい」
「世話係は誰が? まだ決まってないなら―――」
「それはルナに決まりました」
「えー、やっぱりルナ殿ですかぁ」
「……いいから仕事に戻りなさい」
ばあやさんは呆れた顔をしていたけど。
「よかったね、エネル」
こんなに可愛がってもらえるなら、僕も安心して家に帰れそうだ。



ばあやさんに追い払われてみんなが渋々仕事に戻った頃、エネルが眠そうな顔で大きなあくびをした。
「まだ赤ちゃんですものねえ」
巣の代わりにって、ニーマさんが木の皮で編んだ大きな鳥カゴを用意してくれた。
中にはふわふわベッドのほかにも水のみ場や止まり木なんかが入っていて、エネルも一目で気に入ったみたいだった。
でも、今まで包まっていた僕のパーカがよほど気に入ったのか、小さな口にくわえて中に引っ張っていこうとする。
「ダメですよ。それはレン様の―――」
ニーマさんが止めてくれたけど。
「いいよ。もう着れないからエネルにあげる」
一度キレイにしてから敷き直したほうがいいってばあやさんは言ったけど、すぐにでも眠ってしまいそうな様子だったので、洗うのはエネルが起きてからってことになった。
「疲れたんだな。もう寝たぞ」
すっかり丸くなってどこが頭かわからなかったけど、ふわふわの体は規則正しく上下している。
「でも、エーネってどんなところなんだろうなぁ」
テーブルにほお杖をついてカゴの中を眺めながら何気なくつぶやいたら、ばあやさんがいろいろ教えてくれた。
「エーネは広大な土地ですが、空中にあって、私どもの目には見えないと言われています」
下には『エンデ』とよばれる豊かな森があって、外からは入れない一本の道でエーネとつながっているらしい。
エーネもエンデも古い言い伝えにしか出てこなくて、実物は誰も見たことがないみたいだけど。
「すごくいい匂いで、病気に効く薬草が生えていて、毎日ピクニックに行きたくなるくらいきれいな場所らしいですよ。珍しい花とか鳥とかがたくさんいて――」
僕も行ってみたいな……って。
思ったところまでは覚えていたけど。
「レン様? まあ、まあ、アルデュラ様まで」
ばあやさんのやさしい声がちょっと遠くなって。
「お疲れになったんでしょう。お夕食までまだ時間がありますし、エネルと一緒に寝室へ―――」
ニーマさんの声は最後のほうが聞こえなかった。



                                     fin〜

Home   ■Novels   ■悪魔くんMenu      << Back     Next >>