Halloweenの悪魔
光る蝶




-1-

エネルに会うため、僕は前よりもたくさんお城に来るようになった。
もちろん毎日というわけにはいかないし、週末でなければ本当に短い時間しかいられないけど、できるだけ一緒に遊ぼうって決めていた。
アルもおやつを用意して待っててくれるけど、「エネルのために来た」という点だけは不満らしく、いつも少しだけ口を尖らせる。
「今日は泊まっていけるだろ?」
エネルが眠ってしまったあと、静かに部屋を出て長い廊下を歩き出す。
僕の世界だと今は土曜日。
普段ならこのままずっとアルの家で過ごすけど、日曜に予定が入っているので一旦帰ることになっていた。
「明日、父さんと一緒に髪を切りにいくことになってるんだ」
終わってからもう一回来るけど、たぶん午後のお茶の頃になると告げると、アルがまた不満そうな顔をした。
「そんなのメリナに言って、日曜日をもう一回つなぎなおしてもらえばいいだけだろ」
アルは簡単に言うけれど、実際はとても難しい呪文なのだ。
しかも、調整で使った分の時間はあとで貯めてもとに戻さなければならない。
そんなときに何か大きな事件が起こってたくさんの時間が必要になったらみんなが困ってしまう。
前にフェイさんからそう聞いてからはあんまりお願いしないようにしていた。
「僕ばっかり使わせてもらうわけにはいかないし、今日は泊まって明日の朝うちに帰るよ。その分、月曜に少し早めに来るから」
どうせエネルに会いに来るつもりだし、学校が終わったら寄り道しないで帰ってくればいい。
「約束だからな」
「うん。約束」
ゆびきりしたあと、また並んで廊下を歩き出した。
このあとアルは剣の稽古で、僕は宿題をやるために図書室へ行くことになっていた。
エネルはもうしばらくお昼寝だろう。
起きるのはたぶんおやつの頃。
お城で働く人たちもお客さんも、「エネルが好きだといいけれど」って言って、珍しいお菓子や果物を持ってきてくれるから、僕もアルもとても楽しみにしていた。
「今日はどんなのがあるかな」
あれこれ考えて頭がいっぱいだったから、ちょっと集中力が足りなかったかもしれない。
平らな廊下を歩いていたはずなのにいきなりガクンと足を踏み外した。
「うあっ」
落っこちながらめいっぱい叫んだあと、最初に思ったのは「またやってしまった」で、その次は「あれ?」だった。
勢いよく下降して尻もちをついた感じだったのに、どこも痛くない。
それどころか、なんだかフカッとして気持ちよかった。
おそるおそる目を開けると、よく知っている笑顔が待っていた。
「ごきげんよう、レン様」
少し屈みこむようにして立っていたのはルシルさん。
王騎士の制服姿だった。
「こんにちは、あの……」
どこに落ちたのかは分かっていなかったけど、少なくとも一人で帰り道を探す必要はなさそうだってことにホッとした。
「ごめんなさい。僕、また迷子になってしまって……」
周りを見回すと、近くの扉にアルの家の紋章が見えた。
どうやらまだお城の中にいるらしい。
よかったと思いながら地面に降りたら、お尻の下のフカフカと目が合った。
ツヤツヤした真っ黒な毛皮で、犬とクマの中間って感じのそれは、大きくてものすごく強そうだった。
「これは私の従者でトールーグと申します。呼び名はトルグ。わたくしの隊で副長を務めております。どうぞお見知りおきを」
僕を降ろしたあとルシルさんの隣りに移動して姿勢よく座り直し、恭しく頭を下げる。その動きはとても優雅だった。
従者で副長。
ということは、剣は持ってないけど騎士なのかもしれない。
「僕、レンです。踏んじゃってごめんなさい。痛くなかったですか?」
尋ねてみたけれど、トルグはちょっと首をかしげただけ。
「申し訳ありません。初対面の方の言葉はすぐには理解できないのです」
お向かいの家のジョンも家族以外の言うことはわからないから、たぶんそんな感じなんだろう。
ルシルさんから僕の挨拶を伝えなおすと、トルグはペコリと頭を下げてくれた。
こちらを見る目がとても優しそうだ。
「真っ黒でかっこいいなぁ。触ってもいいですか?」
「ええ、もちろんです」
そっと手を伸ばすと最初に思ったよりもっとやわらかかった。
「ふかふかだ。それにすごくあったかい」
思わずギュッて抱きついたらトルグに頭をなでられてしまった。
「レン様はとてもお可愛らしいと申しております」
トルグの声は僕には聞こえなかったけど、通訳されると確かにそう言われた気がするのがすごく不思議だ。
そう思っていたら。
「なれなれしいぞ」
いつの間に来たのか、アルが隣りに立っていた。
普段より釣りあがった目でトルグを見下ろしている。
しかも。
「勝手にさわるな。レンは俺のともだちだ」
いきなりそんなことを言うから、ルシルさんに笑われてしまった。
「お可愛らしいと申し上げたのがお気に召しませんでしたか?」
トルグはきっと僕より年上だろうし、別に不思議なことじゃないのにって思ったけど。
どうやらそれが理由ではなかったらしい。
「俺には一回も言ったことないぞ」
アルの声はなんとなくトゲトゲしていたけど、トルグはさっきと同じ優しい目をしていたし、ルシルさんも笑ったままだ。
「アルデュラ様がいきなり噛み付いたりなさるからでしょう」
「そんなのずっと昔の話だろ」
二人の話を聞きながら思った。
今は呪文で変えているけど、アルの本当の歯はギザギザなのだ。
たとえ小さい頃だったとしても噛まれたらかなり痛いに違いない。
「ほら。ごらんください、レン様」
ルシルさんがそっと人差し指を置いたのはトルグの前足。
背中に比べると短めの毛が、まあるい形に薄くなっているのが分かった。
「これって……」
今の話からしても間違いないって思ったけど。
「はい。アルデュラ様の歯型です」
「本当に?」
「本当だ」
普段はぜんぜん構わないけど、こういう時に自信満々なのはどうかと思う。
噛まれたのが僕だったら二度とアルには近寄らないだろうし、こんなに優しい目で見たりもしないだろう。
「じゃあ、すごく痛かったよね。傷、早く消えるといいね」
そっとさすったらトルグが反対側の手でまた僕の頭をなでてくれた。
「ありがとう、トルグ」
返事の代わりにふさふさのしっぽが大きな背中の向こうでふわりと揺れる。
しっぽも豪華だなって思いながらじっと見ていたら、ルシルさんが僕の顔を見てにっこり笑った。
「レン様でしたら背中にお乗りになっても大丈夫ですよ。今度、お時間のあるときにお散歩に行きましょう」
「ホント?」
いつならいいの、って尋ねようとしたとき、隣りで「シャキッ」という聞きなれない音がした。
なんだろうと思って振り返ったら、さっきまで平らだったアルの歯が全部ギザギザになっていて。
だから。
「またかみついたりしたら絶交だからね」
先にダメって言っておいた。


そのあとルナが迎えにきて、アルだけを連れていった。
剣の稽古の時間が過ぎているのをすっかり忘れていたからだ。
「散歩の時は俺も行くからな」
しぶしぶという顔で消えていくアルに手を振ってから、僕はもう一度トルグの横に立った。
「背中も広いなぁ」
骨がどこにあるのかわからないくらい毛皮が厚くて、さわり心地もすごくいい。
「トルグの毛は戦闘の時には硬くなるんですよ」
「そうなの? それならケガしなくて安心だね」
ルシルさんも子供の頃はよく背中に乗せてもらったらしい。
「わたくしが生まれた時にはもう成獣でしたから、とても大きく感じたものです」
トルグはルシルさんの家に代々伝わる紋章に描かれた「守護者」に見た目が似ているせいで、いつでもとても歓迎された。
家の出入りも自由、お母さんが留守の時はトルグが子守をすることもあった。
両親が亡くなり、弟が別の村に働きに行ってしまってから、トルグはルシルさんの家で暮らすようになったらしい。
「一人になったわたくしの生活を見かねたのでしょう」
それはもうひどい有様でしたから、って何かを思い出したように笑った。
「そっかぁ。でも、トルグがいてくれたら安心だよね」
今ではすっかりルシルさんの相棒で、仕事の時はいつも一緒。
お城のお茶会のときにトルグを見かけないのは、一番仲良しの庭師のおじいさんとボードゲームをしているせいだ。
「守護者を側に置いた者は、安全が保証されるかわりに生涯独身だというのが定説なんですよ」
そう言ったルシルさんはなぜか少し得意気だったけど。
「そうなの?」
トルグに聞いてみたら、ちょっと呆れたような表情になった。
「……なんか違うって言ってるみたいだけど」
「あら、よくお分かりになりましたね。トルグはその説に関してはいつも否定的な意見しか申しません」
トルグはルシルさんがいつまでたっても一人でいるのを心配しているみたいだった。
「ルシルさんは結婚したくないんですか?」
「必要ありませんもの」
本当にどうでもよさそうに答えると、トルグがふっと息を吐いて横を向いた。
でも、こんなに美人で優しいルシルさんならいつだってできるだろうし、それでもぜんぜんいいと思う。
「トルグもいるから、さみしくないもんね」
「皆がレン様のように思ってくださるといいんですが……弟もいつも『それじゃお嫁にいけないよ』って呆れておりました」
ルシルさんの弟は、たぶんもうこの世にいない人。
それは前にも聞いていたから、なんて言ったらいいのか分からなかった。
「えっと……弟とはいくつ違うんですか?」
「4つだけでしたが、引っ込み思案でとても大人しい性格でしたので、もっとずっと離れているような気がしておりました」
ルシルさんはどこかさみしそうにニッコリ笑って、それから、少しだけ昔のことを話してくれた。
両親が亡くなってからは弟と二人だけで暮らしていたこと。
食べるものもままならないような状態だったけれど、どうしても騎士になりたくて必死に剣の練習をしたこと。
でも、試験にはなかなか受からなくて、いつまで経ってもその日生きるのが精一杯だったこと。
「『僕が働くから、姉さんはがんばって騎士になって』。ある日弟は突然そう言うと、労働者を集めて村々を回っている馬車に乗り込み、二度と家には戻ってきませんでした」
ちゃんと連絡がとれたのは最初の2年だけ。
住所も仕事もすぐに変わってしまい、やがてルシルさんが出した手紙も宛先不明で戻ってくるようになった。
「それでも弟からの手紙は忘れた頃にポツポツと届きました。『元気でやってるから心配しないで』とか……それだけの、本当に短いものでしたけれど」
聞いたこともない村から届く封筒の中身は、何かの切れ端に色のついた石で書いたような粗末なもの。
それでも、ルシルさんにはどんなプレゼントより嬉しかった。
「早く騎士になって弟を呼び戻そう。そればかり考えておりました。でも」
ルシルさんが地方騎士の試験を通過するのに8年かかった。
そして、そのときにはもう弟の居場所はどんなに調べても分からなかった。
「手紙が届いている間に全部放り出して探しにいけばよかった。今でもそれだけが悔やまれてなりません」
お城で会うルシルさんは優雅できれいで。
だから、きっとどこか大きなお屋敷のお姫さまなんだろうってずっと思っていた。
いつも一緒にお茶を飲むのに、どうして気付かなかったんだろう。
トルグをそっとなでる手には、かすかだけどたくさんの傷が残っている。
そんなことを考えながら、僕はきっと悲しそうな顔をしてしまったんだろう。
ルシルさんはちょっと困ったように微笑んだ。
「申し訳ありません、よけいな話をしてしまって。では、わたくしはこれで」
「もう帰っちゃうんですか?」
何かひとつくらい元気が出るようなことを言ってあげられたらいいのに。
こんなとき、いつだって僕は何もできない。
「今日は陛下にお願いごとがあって参りましたので」
約束の時間になったので会いにいくのだと言って上着を整えた。
「じゃあ、僕、ルシルさんのお願いが叶うようにお祈りしておきます」
「ありがとうございます、レン様。では、ルシル・ラーダが『果ての地』へ赴けるようにと」
そのときのルシルさんはもう優雅なお姫様じゃなくて、どこから見てもすっかり王様の騎士って感じだった。



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