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落っこちたとか、飛ばされたとか、そんな感じはぜんぜんしなかった。
なのに、朝ごはんの時間になって、アルを追いかけて寝室を出たときにはもう乾いた土の上に立っていた。
見たこともない景色。
でも、なぜだか僕にはすぐにわかった。
「……『果ての地』だ」
絶対ここへ来るって気がしてた。
まさかこんなに早くとは思わなかったけど。
「エネルを連れてなくてよかった」
目が覚めてすぐにカゴを覗いたけど、まだ眠っていたからそっとしておいた。
アルと二人で顔を見合わせて目で合図して。
起こさないように静かに着替えて、そっとドアを開けた。
先に部屋を出たのはアルで、僕も10歩くらい遅れて廊下に足を踏み出した。
それだけだったのに。
「本当にどこでも迷子になっちゃうなぁ」
自分でもびっくりしてしまうけど、もう来てしまったんだからしかたない。
どっちへ行こうか考えながら辺りを見回した。
朝早くなのか夕方なのかわからないけど、空は薄灰色で少し暗かった。
僕の足元は大きな丘で、風が吹くたびに細かい土がサラサラと崩れている。
「もっと楽しい感じだとよかったのに」
斜面を下ったところは小石がコロコロしている荒地で、ところどころに短い草が生えている以外は何にもない。
ずっと向こうにある黒っぽい塊はたぶん森で、その後ろ側には不自然な形に削られた山がある。
それより先は霧で灰色に曇ってた。
「きっと果ての地はあそこで終わりなんだ」
はじっこまではさすがに見えなかったけれど、なんとなくそう思った。
どんなに目をこらしてもかすんで見えない感じが、ソラを拾った町と同じだったからだ。
「でも、最初に思ったよりさみしいところじゃないみたいだ」
後ろを振り返ったら村があったのだ。
石でできた背の低い家。
長い垣根は後ろ側の畑の周りにもついていて、丘から見るとなんだか迷路みたいだった。
畑のすぐそばには大きな池。
その周りには地面を這うように生えた赤茶色の植物がつやつやした葉を揺らしていた。
「風はちょっと強いけど、普通の村って感じだな」
黒いニョロニョロがぶんぶん飛んでいるところにルシルさんとトルグが二人きりだったら嫌だなって思っていたけど、どうやら大丈夫らしい。
「じゃあ、二人を探そう」
まずはそこからだ。
だって、たぶん僕はそのために来たんだから。
飛んでくる砂が入らないように半分目をつむって歩き、ときどきつまずきながら村まで来ると、丘から一番近い家の前に立つ。
「こんにちは。誰かいませんか?」
ずっと風が耳に当っているせいで、家の中の音は聞こえない。
砂埃がはいらないようになのか、窓もないから様子がまったくわからなかった。
急に心配になったけれど、すぐに「はいはい、お待ちくださいな」という明るい返事が聞こえてホッとした。
ギギギときしむドアを開けたおばあさんは僕を見ると思いっきり目を丸くした。
「あれまあ……きれいな髪だねえ」
少し腰が曲がっているせいで、僕とあんまり背が変わらない。
声と同じで明るくて優しそうな人だった。
「こんにちは。僕、レンっていいます」
「はいはい、こんにちは。ずいぶん小さいけど、あんたもお城の兵隊さんかい?」
どうやらルシルさんたちを知っているらしい。
これなら早く見つかりそうだ。
「ううん。僕はルシルさんって人を探してるんです。トルグっていう名前の犬と熊の間みたいな黒い獣騎士が一緒なんですけど」
そこまで言ってから思った。
ここに熊も犬もいなかったら、どんな感じだかぜんぜん分からない。
そのせいなのか、おばあさんはトルグについては何もコメントしなかった。
「ルシルねえ……聞いたような気もするんだけど、誰だっけねえ……」
はて、と言ったきり固まってしまったおばあさんの後ろから、ギコギコカッタンという音といっしょに男の人の声が聞こえてきた。
「ばあちゃん、兵隊さんの中で一番偉い格好してたべっぴんさんだよ。ほら、紫色の剣を持ってた若い女の」
声はおじさんっぽかったけど、「ばあちゃん」って呼んでいるくらいだから孫なんだろう。
「ああ、あのきれいな子ねえ。それなら兵隊さんのテントにいるよ。ほら、あっち」
指を差したのは今僕が歩いてきた方角。
でも、丘と黒いもさもさした塊と崩れた山以外は何も見えなかった。
「ええと……あの黒いあたり? それとも山のほう?」
一人で行くのはちょっと怖いなって思っていたら、ギーギーカタカタという音が止まって、家の奥からひげのおじさんがやってきた。
「森の手前だ。ちょうど出来上がったんでな、届けがてら案内してやるさ」
袋一杯に入れられているのは茶色くて細長い布。
ギコギコカッタンはどうやら織物をしている音だったらしい。
「これは泉の縁に生えてるツル草からとった糸で作ったもんだ。これがあると黒いヤツらが近寄らねえから便利なんだよ」
その性質を活かし、森の外側から枝に結んでいって妖魔を囲い込む作戦なのだと説明してくれた。
「散らばるとやっかいだからな。まとめて退治しちまおうって寸法だ」
でも、森はけっこう広そうだった。
お城から何人来てるのかわからないけど、結ぶだけでもかなり大変って気がした。
「親玉をつかまえれば一発なんだがな。どうも手ごわいやつらしくてよ。村のもんは森に近寄らないから誰も見たことはないんだがね」
ポリポリと頭をかくおじさんはなんだか少し申し訳なさそうにそう言った。
「大丈夫。きっとルシルさんとトルグがちゃんと退治してくれるよ」
だって、どうしてもここに来たいって王様にお願いしたんだから。
きっとすごい作戦を練ってきているに違いない。
おばあさんが言っていた『兵隊さんのテント』は森よりちょっと手前にあった。
「ほうら、ここだ。それじゃ、俺は倉庫にこいつを届けにいくから」
べっぴんさんを早く見つけろよと言って、おじさんが僕の頭をぽんぽん叩いた。
「ありがとうございました」
テントは確かに僕の目の前だったけど、妖魔が飛び込んでこないように呪文で隠しているらしく、ものすごく気をつけて見ないと入り口がわからないようになっていた。
「僕は入っても大丈夫だよね?」
ちょっとだけ心配しながら布をめくって中を覗き込むと、ものすごく静かな上に薄暗かった。
「こんにちは。ルシルさんはいますか?」
目をこらしながら呼びかけてみたら、ちょっと奥まったところにあるテーブル席に座っていた6人がいっせいに僕を見た。
「レン様?!……どうなさったんですか?!」
勢いよく立ち上がったのはルシルさんだった。
軍服のせいか、髪を後ろでギュッて束ねているせいか、いつもとちょっと雰囲気が違っていたけど。
「外は危ないですから、どうぞ中へ。お怪我はありませんか?」
駆け寄って僕の膝とか顔を確かめてくれたのはいつもと変わりない優しいルシルさん。
今日もふんわりいい匂いがした。
「また迷子になっちゃったんです。でも、すぐにルシルさんに会えてよかった」
僕の声が聞こえたのか、トルグも奥のドアから顔を出した。
「トルグ!」
ギュッて抱きつくとやっぱりふかふかで、心細かった気持ちがあっという間にふんわり軽くなった。
ルシルさんとトルグが僕にお守りのお礼を言っている間、他の人たちは珍しそうにこちらを見ていた。
「それにしても、ここにはまだ自由に出入りできる扉もないですのに、どうやっていらっしゃったのですか?」
聞かれても困ってしまう。
だって、今日は床を踏み外してもいないし、落っこちたりもしていない。
「それ、僕もよくわからないんです」
寝室を一歩出たら知らない場所に立っていたのだ。
「遠い場所には来られないはずだったんだけどな」
僕のどこかに見えないゴムがついていて、お城から離れすぎると引っ張られてびよーんと戻ってくることになっていたのに。
ルシルさんもしばらくの間、首をかしげていたけど。
「お体にご負担がかからぬよう弱めの術にしておいたのかもしれませんね。ちゃんと繋がっていない土地へ来られるほどとはメリナ様も思っていらっしゃらなかったのでしょう」
もしかすると、それはすごく問題なんじゃないかなって心配になったけど、ルシルさんはとても明るい顔で「さすがはアルデュラ様の御眼鏡にかなった方ですわ」ってにっこり笑った。
「僕、冒険者になると思う?」
「ええ、もちろん。きっとエルクハート公と並ぶほどにおなりですよ」
「バジ先生?」
聞き返した瞬間、ルシルさんがぷっと吹き出した。
何か変なことを言ったかなって思ったけど。
「失礼いたしました。エルクハート公が『先生』というのがどうも―――」
それについてはみんなが同じことを言ってたから、僕も「それかぁ」って納得した。
しばらくそんな話をしていたけど、途中で「ぐう」ってお腹が鳴ってしまい、ルシルさんにもう一度笑われた。
『果ての地』はジアードとは時間の流れが違うらしい。
ちょうどお昼の時間だっていうから、他の人たちと一緒にサンドイッチを食べることになった。
「食料は多目に持ってきているのでたくさんありますよ」
ルシルさんが得意気にサンドイッチの材料をテーブルに並べていたけど。
「……料理も上手なんだね」
作ったのはトルグだった。
大きなパンにふかふかの手で上手に具を挟んで、食べやすい大きさに切りわける。
すごく手際がよくて、あっという間に他の人の分まで用意してしまった。
「トルグは優秀ですから」
たぶん他の人たちはあんまり料理が得意じゃないんだろう。
小さな声で「すみません」とつぶやいてうつむいてしまった。
みんなで囲んだ昼食のテーブルは賑やかで楽しかった。
「はじめまして、僕、レンです」
「お噂はかねがね。アルデュラ様のご友人だとか」
「はい。仕事のじゃまをしてすみません」
「構いませんよ。昼飯が早くて嬉しいくらいだ」
お城から派遣されたのはルシルさんとトルグを入れて10人。
男の人も女の人も、トルグみたいにふかふかしていてどっちかよくわからない人もいた。
「一人は倉庫に。あと二人は森の様子を見に行っています」
ここの妖魔はたいてい夜にならないと出てこないので、昼間のうちに調査をしておくのだという。
「でも、お昼なのに暗いよね」
お天気が悪いからかなって思ったけど。
「ちゃんと表の世界に繋げば明るくなりますよ」
まだ半分隔離されている状態だから光があんまり届かないだけらしい。
これが「闇に近い」ってことなんだなって思った。
「明日の朝になれば表への扉が開きます。それまでレン様は村でお過ごしください」
トルグを護衛につけるからって言われて、それはすごくうれしかったけど。
「ここにいちゃダメなの?」
トルグを借りてしまったら、ルシルさんは一人になってしまう。
もちろん他の騎士の人たちはいるんだけど。
……でも、ちょっと頼りないような気がしたのだ。
「わたくしもできればレン様とご一緒させていただきたいのですが、森の周辺は危険ですから」
泉の近くには妖魔よけのつる草があるので、襲われたことのある者は一人もいないし、絶対に安全だからって説得された。
「ここは表から一時的に切り離されていただけですから、土地そのものに毒はありませんし、水も綺麗です。村なら安心してご滞在できますので」
もともとは一年中やわらかな風が吹くのどかなところだったらしい。
でも、山から宝石が採れるようになり、たくさんの人が出入りするようになって争いが絶えなくなったのだという。
「とても高価な石でしたので、欲を生んでしまったのでしょう。ある日突然、採掘場の穴から妖魔が噴き出して、諍いを起こしていた者たちはみんな闇に飲まれてしまったそうです」
切り離された土地が闇と表の間を漂い続ける間、残った人たちは薄暗い空の下で畑を耕しながら細々と暮らしてきたのだ。
「表に戻れることになり、村は明るい雰囲気ですから、レン様もきっと楽しくお過ごしになれますよ」
「そっかぁ……じゃあ、そうします。よろしくね、トルグ」
僕の返事ににっこりと笑ったあと、ルシルさんはテントの北側についている窓に目をやった。
ギザギザに削れた山が少しずつ崩れて崖の下にカケラを落としているのを見つめながら。
いつかあそこは何もない砂地になってしまうのでしょうね、って。
小さな声でそっとつぶやいた。
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