Halloweenの悪魔
光る蝶




-4-

なんだかとても悲しそうに見えたけど、理由を聞いていいのかわからなかった。
僕が見ていることに気付いたんだろう。
ルシルさんはちゃんと自分からわけを話してくれた。
「弟が最後に手紙を書いたのが、この村なのです」
兵士の宿舎で果ての地の様子を聞いたとき、絶対にそうだって思ったらしい。
透き通った水の湧く泉、赤茶色のつる草、石造りの家、宝石の取れる山、大きな森。
全部手紙のとおりだった。
「亡くなっているのはもうわかっています。でも、どんなところで暮らしていたのかどうしても知りたくて―――」
たくさんの店や宿屋が並び、活気があって賑やかだった場所はすっかり荒地になって、その頃を思わせるものは何も残っていないみたいだけど。
友達はいたのか、楽しいことはあったのか。
どんな些細なことでもいいから知りたかった、って言っていた。
「この仕事が終わったら、お墓を作るつもりなんです」
亡骸はなくとも最後くらいはきちんとしてあげたいから、代わりに山の石をもらっていくつもりだって言って森の向こうを指差した。
「たかが石とはいえ、泥棒と思われても困りますから、陛下から許可もいただいてきました」
「だから、王様にお願いに行ったの?」
「はい。叶ったのはきっとレン様のお祈りのおかげです」
「そうだったらいいな」
笑い返してみたけれど。
お祈りなんてしなくてもきっと王様はルシルさんのお願いを聞いてくれただろうって思った。


もらって帰るのはどんな石がいいかなって話していたら、急に外が騒がしくなった。
「失礼します!」
声と同時に入ってきたのは、隊の人に両脇を支えられた男の人。
うつむいていたから最初はわからなかったけど、茶色い布がポケットからはみ出していたので僕をここまで案内してくれたおじさんだってわかった。
「ケガしちゃったんですか?」
「ああ、いやあ、そういうわけじゃないんだがね」
布を枝につける手伝いをしていたら、何もないところから妖魔が噴き出したらしい。
大丈夫って笑ったけど、顔はちょっと青ざめていた。
「なんだか見たことのないものがぶわっと押しよせてきてな。もう何がなんだかわからなくなっちまって」
「そんなにたくさんいるの?」
最初に見てからずいぶん経つけど、黒いモヤモヤやニョロニョロは今でも怖い。
出てきたらどうしようって思ったけど。
「いや、兵隊さんの話だと、そりゃあ全部幻覚らしい」
「幻覚?」
今までの調査からわかっているのは、「まやかしもの」は黒いすすのような粉を噴く妖魔で、吸い込むと現実にないものを見てしまうらしい。
妖魔自体はものすごく大きいわけでもないし、たくさんいるわけでもないけれど、突然コッソリ現れて粉を振り落としながら飛んでいくので、とても厄介なのだという。
「これくらいで済んでよかったですよ」
ルシルさんたちより前に派遣されてきた調査隊の人たちは全員その粉のせいで具合が悪くなってしまい、お城に戻らざるをえなかったらしい。
「いえね、あれが現れたとき、ちょうど何かに突き飛ばされたもんで……」
その勢いで目の前にあった木の洞(うろ)に転がり込んだので、あまり吸い込まずに済んだんだって。
一気に説明したあと、おじさんは椅子に腰を下ろして大きな深呼吸をした。
「突風かなんかですか?」
森には突き飛ばすような生き物はいないはずだって、おじさんを抱えてきたうちの一人が首をかしげた。
「いやあ、はっきりとは……んだども、蝶が飛んでたのは見えたんで」
「蝶?」
「そうです」
おじさんがごつごつした両手をひらひらと動かし、蝶の真似をする。
黒と灰色がグルグルと渦になった暗闇の中で、蝶だけが明るく光っていたらしい。
「森にはチョウがいるの?」
あんなに真っ黒な葉っぱしかないのに食べるものはあるんだろうかってちょっと心配になっていたら、みんなが一斉に首を振った。
「いいえ。あの森に生き物はおりません」
先に調査に来た人たちの報告書にも「生物なし」と書かれていたし、ルシルさんたちの調査の結果も同じだという。
「いんや、でもあれは確かに蝶だったで……少し動きが妙だったけども」
そのとき、ルシルさんをはじめ、そこにいた人たちみんなが何かを考えているような仕草で顔を見合わせた。
「わかりました。詳細は明日にでも調べてみます。とりあえず今はお休みになったほうがいいでしょう。ご自宅にはわたくしからその旨ご連絡いたしますので、しばらくはこちらに」
幻覚が残っていて森のほうに歩いていったりすると危険ですから、と言われて、おじさんがポリポリ頭をかいた。
「手伝うつもりが、ご迷惑をおかけしちまって……」
申し訳なさそうに仕切りの向こうに姿を消した後、ルシルさんがきりっとした表情でみんなに向き直った。
「それで、近くにそれらしい妖魔はいたのか?」
「いえ、私が駆けつけた時にはもう……」
「彼が倒れていた場所は?」
「ここにある大木の洞の中です」
森の見取り図のようなものに若い男の人が赤い印を入れてルシルさんに渡す。
テントの中は一気に緊張したムードに変わっていた。
「テントからそう離れていないな。森の奥ならともかく、こんな浅い場所にまで出没するのか」
「このあたりは光の当たる場所を通らずに来ることはできませんから、初日にベーネが言っていたとおり直接闇に通じる抜け道のようなものがあるのかもしれません」
その言葉に大きくうなずいている人がいた。
ベーネさんだ。
ここへ来た最初の日に妖魔と出くわして、一度倒れたらしい。
「あの時も光るものを見たと言っていたな?」
「はい。蝶だったかどうかまではわかりませんが、黒い影のまんなかにぼんやりと……」
妖魔に追いかけられて森の奥へ入り込みそうになったとき、その光が出口を教えてくれて助かったのだという。
「わかった。だが、闇に飲まれたら厄介だ。あとは明朝、日が高くなってから調べよう。今のうちに森にいる者全員を呼び戻しておけ」
「はっ」
敬礼みたいなものなのか、二人とも同時に右手を一度胸に当ててから出て行った。


「ルシルさん、ここで話すときはいつもと違う人みたい」
服装も違うし、話し方も、声も、動きもぜんぶがシャキッとしていて、僕まで思わず背中が伸びてしまう。
「普段の口調では暢気すぎて場の空気が緩んでしまいますので」
似合いませんか、と聞かれてあわてて首を振った。
「ううん。すごくかっこいい」
王騎士のときのルシルさんはクールで素敵だってニーマさんも言ってたけど、本当にその通りだと思う。
「ありがとうございます、レン様。では、あまり遅くならないうちに村へ参りましょう」
トルグも入れて三人でテントを出る。
空はご飯を食べる前よりまた少し暗くなっていた。
ものすごい曇りの日くらいの明るさだ。
ルシルさんが右側、トルグが左側、僕はまんなかに入れてもらって並んで歩く。
少し丘が近くなったなって思った頃、もう一度森のほうを見たら、呼び戻された人たちがテントに入って行くのが見えた。
「ルシルさんたちの前にも調査の人が来たんですか?」
「はい。一月ほど前のことです」
最初に派遣されてきたのは、開拓地調査の専門家が5人ほど。
ここはもともと闇から生まれた土地ではなく、表にあった場所がちょっと迷子になっていただけだから、領土のすみっこにくっつけてしまえば妖魔が出てくる穴も自然に塞がるだろうと思われていた。
でも、調査の人たちがみんな幻覚のせいで具合が悪くなってしまったので、「まずは妖魔を退治しよう」ってことになったらしい。
「調査隊はあと少しで全員が闇に引きずり込まれるという危険な状態だったようです。わたくしの隊でも初日にベーネが―――」
話は途中だったし、僕が振り返ったのもみんなちゃんとテントに戻ったかを確認したかっただけだ。
でも。
「森にまだ誰かいるよ」
「まさか……確かに全員揃ってテントに入ったはずですが」
「でも、ほら。あそこ」
テントから少し離れたあたり。
木の間を人影がゆっくり移動していくのが見えた。
「本当に……何か動いていますね」
トルグも立ち止まって目を凝らしていた。
「影の真ん中で何か光ってる」
四葉のクローバーみたいな形だけど植物っぽくはないし、蝶のようにひらひらした感じでもない。
ときどき黒い影に埋もれながら、中心部にぼんやり浮かんでいるだけだ。
「僕、ちょっと行ってみる!」
もう少し戻って確認してみようと回れ右をしたけれど。
「レン様、いけません!」
ルシルさんに止められ、たちはだかったトルグにばふっと思いっきりぶつかってしまった。
それと同時に黒い影も少し奥まったところにある大きな岩の前で消えてしまった。
「明日、あの岩あたりを調べてみます」
おじさんたちが妖魔を見失ったという地点からは少し離れているけれど、きっと何か関係があるだろうって。
そう言ったルシルさんはなんだか少し青ざめて見えた。



村の隅にある王様の兵士専用の宿舎はきちんと片付けられていて、豪華ではないけどとてもきれいだった。
「仮設の小屋ですから狭いですが、泉から近いので安心してお休みになれます。わたくしは身支度を整えたらまたテントに戻りますが、レン様はこちらでトルグとお過ごしください」
小さなキッチンとダイニング、それからベッドが3つある寝室。
広くて過ごしやすそうだったけど、テレビもないし、車が走る音もしない。
外から聞こえるのは昼間より少し強くなった風の音ばかりで、しかも周りは窓の少ない家ばかりなので明かりもあまり漏れてこなくてさみしい感じだ。
「二人きりになったら、すごく静かになっちゃうね。僕、ずっと話しかけてもいい?」
トルグに聞いたつもりだったけど、振り返ったらいなかった。
いつの間にかルシルさんの姿も見えない。
あわててあちこち探し回ってみたら、裏口から水音がしたので、そっとドアを開けてみた。
お風呂なら僕も一緒に入ろうって思ったんだけど。
バスタブに浸かっていたのは黒くてふさふさした体じゃなく、白い傷だらけの背中だった。
「あっ……」
「レン様?」
湯気の向こうで振り返ったルシルさんは別に驚いた顔もしていなかった。
「あの……ごめんなさい。トルグもルシルさんもいなくなっちゃったから、探しにきて―――」
あわてて回れ右をして部屋に戻ろうとしたけど。
「こちらこそ申し訳ありません、お見苦しいものを」
そう言われてしまうと、今立ち去るのは逃げるみたいで悪い気がした。
「そんなことはぜんぜん……」
包帯もばんそうこうもしていなかったから、新しい傷じゃないはずだけど、湯気と背中を思い返すと苦い顔になってしまう。
見ているだけで自分まで痛くなる気がしたからだ。
「昔の傷ばかりですのですっかり忘れておりました。わたくしもかなり酷いですが、きっと一番傷が多いのはフェイシェン殿ですよ」
比べ物にならないくらいたくさんあるからって言ったルシルさんは、たぶんさっきの僕と同じくらい痛い顔をしているのだろう。
声が「いたた」って感じだった。
「見たことあるの?」
ルシルさんに背中を向けて、ドアに手をかけたまま聞き返した。
フェイさんはいろいろ謎の人なので、なんとなく気になってしまう。
「はい。以前ご一緒に仕事をさせていただいた折に。厄介な妖魔が多く、皆がフェイシェン殿に頼りきりでしたから、少しお怪我をされて」
手当てをしたのはトルグだけど、ルシルさんも手伝ったので知っているらしい。
「ルシルさんは大丈夫だったの?」
「はい。その時もトルグが守ってくれましたので」
「トルグはすごいんだね」
「ええ、わたくしの自慢です。トルグがいなかったら、少なく見積もっても10回は死んでいたでしょう」
すごく大変な話を軽く笑ったあと、「もうこちらを向かれてもいいですよ」って指先で僕の肩を叩いた。
服を着たんだろうって思って振り返ったけど、ルシルさんは大きな布を適当に体に巻いているだけだった。
でも、ギリシア神話の女神様みたいでとてもきれいだった。
「トルグでしたら、あちらで夕食用の野菜を洗っています」
仕切りの向こう側に泉から引いた水が流れ出ている場所があって、土をついたものはそこで落してからキッチンへ運ぶのだという。
「そっかぁ。よかった」
ひとりになってしまったのかと思ってちょっと心配だったんですって話をしていたら、リビングのほうからドカドカと大きな靴音が聞こえてきた。
「隊長、風呂ですか?」
言い終わらないうちにドアが開き、現れたのは若い男の人。
布を巻いているだけのルシルさんが目に入っても立ち去ろうとしない。
「どうした? 何かあったのか?」
ルシルさんも別にどうってことない様子で声をかけたけど、男の人はその質問には答えず、まじまじと僕の顔を見た。
「なんで子供が? おまえ、隊長の親戚か何かか?」
お昼を食べたときにはいなかった人だ。
ちょっと乱暴な感じの話し方だけど、怒っているというよりは驚いた感じの目だった。
「あの……レンって言います。ルシルさんとはよくお城で一緒にお茶を……」
親戚ではないし、友達と言うのも変だ。
説明するのがむずかしくて困っていたらルシルさんが助けてくれた。
「アルデュラ様のご友人であるレン様だ。おまえも噂くらいは聞いているだろう、オーレスト」
そのとき「あ」って思った。
ルシルさんのことを好きで、トルグにあんまり好かれていない、あのオーレストさんに違いない。
「へえ。人間の子供ってこんなかよ」
珍しそうにこちらに目を向けたその人は、けっこうかっこいい感じだったし、一緒にお昼を食べた人たちに比べたらずっと頼りになりそうだったけど。
「あの、ちゃんと服を着てから話したほうがいいんじゃないかって思うんですけど」
お風呂とわかった後もちっとも出て行こうとしないのは失礼だという気持ちを込めて、ちょっと大きめの声で言ってみた。
なのに。
「気にするな。どうせ見慣れてる」
お互い怪我の手当てをすることなんてしょっちゅうだからなって言われて終わってしまった。
「でも……」
怪我の手当てとお風呂場にズカズカ入ってくるのは違うと思うんだけど。
「なんだ?」
「こっちでは女の人のおふろ、のぞいちゃっても平気なんですか?」
僕のところではダメなんですって話をしたとき、笑ったのはルシルさんだった。
オーレストさんは真顔のままだ。
「平気じゃねえな。けど、隊長なら男みたいなもんだろ」
確かにドレス姿とくらべたら、今日のルシルさんはすごくかっこいい。
でも、絶対に「男みたいなもの」ではないと思う。
トルグがオーレストさんをあまり気に入っていない理由がわかった気がした。
もしも僕がルシルさんの家族だったとしたら、やっぱり大きな「×」をつけるだろう。
「お城にいたらお姫様みたいなのに」
半分抗議のつもりで言ってみたけれど、オーレストさんの返事はぜんぜん心のこもっていない「へー」。
ものすごく興味がなさそうだった。
アルの話が本当だとするなら、オーレストさんはルシルさんを好きなはずなんだけど。
「あの……」
ルシルさんが仕切りの向こうで服を着はじめたのを確認してから、袖を引っ張ってちょっと屈んでもらった。
「僕、オーレストさんはルシルさんのことが好きだって聞いたんですけど」
ひそひそ声で質問をしたら、最初の返事は「はあ?」だったけど。
すぐに眉毛を寄せて僕に尋ねた。
「誰がそんなこと言ったんだよ」
「えっと……お城で……」
やっぱりこれは失礼な質問だったなって、僕も反省しかけたけど。
「城じゃそんな話してんのかよ。……まあ、否定はしないけどな」
あんまり言いふらすなよって念を押しただけで、特に怒ったようすはなかった。
「うん。約束します」
ホッとしながら小指を出したけど、よく考えたらオーレストさんは指きりなんて知らないので、すぐに引っ込めた。
とりあえず、「あんまり」なんだからアル一人だけなら話しても平気だろう。
帰ったらすぐに教えてあげなくちゃってひとりでうなずいた。
「でも、お姫様みたいな時は好きじゃないのかぁ……」
だとしたら不思議だなって思ったけど、屈んだままうなずいた顔は「そんなの当たり前だろ」みたいな表情だった。
「女くさいやつは嫌いなんだ。面倒だからな」
女の子の考えることはややこしくてわかりにくいから僕だって困るときがあるけど、ルシルさんはぜんぜんそんな感じじゃない。
それに。
「ドレスの時だって、すごく人気あるのになぁ」
誰かに取られちゃっても知らないよって気持ちを込めて、少し大きめの声にしてみた。
オーレストさんは何か言いたそうにちょっとだけ口を開いたけど、結局なんにも言わなかった。



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