Halloweenの悪魔
光る蝶




-5-

仕切りの向こうから戻ったルシルさんは、さっきよりずっと明るい色の服を着ていた。
暗くてあんまりよく見えないような場所でも妖魔と間違われないようにわざと目立つ格好をしているんだって言っていた。
「それで用件はなんだ、オーレスト」
オーレストさんは他の人たちみたいに軍隊っぽい敬礼はしない。
軽くうなずいたあと、森を横切って岩の前で消えたあの黒い影についての報告をはじめた。
「テントに入ってすぐだったからな。他のやつらは残して一人で追いかけようとしたんだが―――」
「オーレスト。私も一応上官だ。友人のような口を利くな」
「ああ……失礼しました」
それさえ直せばすぐにでも昇格できるのに、ってルシルさんにため息をつかれても、オーレストさんはまったく興味なさそうな感じで。
「俺の出世なんて気にかけてくれなくていいですよ」
今の状態で満足してますからと言ったあと、すぐにまたさっきの影の話に戻した。
「幻覚の類ではなく、実体があるように見えました。魔族の姿に似た形をしていましたが、生気はまったく感じられませんね」
おそらくは山か森で死んだ者の体を妖魔が『乗り物』として使っているだけだろうというのがオーレストさんの意見だ。
「しかし、黒い部分にも妖魔らしい禍々しさはなく、強いて言うなら妖魔の死骸でも巻きつけたような雰囲気で―――」
動くたびにパラパラと何かが剥がれて落ちるような、そんな感じだったと説明する。
「それで、おまえの見解は?」
妖魔として退治すべきと思うかと聞かれたオーレストさんは少しだけ首をかしげた。
「まだ結論は……森から引き上げる時も影が幻覚の粉の残らない道へ誘導してくれたようだと言っている者もおりますが、それもわれわれを油断させるための罠とも考えられますし。……隊長はどう思われますか?」
オーレストさんが体半分くらい後ろに下がったのは、自分の陰になってしまっているルシルさんの顔をよく見るためなんだろう。
実際、ルシルさんは何かを迷っていたみたいで、すぐには返事をしなかった。
「私は……あれ自体が妖魔だとは思わないが」
考えながら慎重に答えを返す。
でも、オーレストさんの口調はさっきより強くなった。
「根拠は?」
「理由はない。見た目の印象だ」
問いつめられてもルシルさんが困った顔を見せることはなかったけど、オーレストさんの眉の間にはくっきりとしわが浮かんでいた。
怒っているとかじゃなくて、すごく何か言いたそうな感じだった。
「隊長」
「なんだ?」
「幻覚の粉は吸い込んでないですよね?」
引いていた体を元に戻し、少しだけ低い位置にあるルシルさんの顔を覗き込む。
長いまつげの下から瞳の中に飛び込むつもりなんじゃないかって思うほど近くで見つめていた。
「その質問の意図は?」
目を逸らさずに尋ね返したけど、本当は答えなんてわかっていたんだろう。
オーレストさんの返事を聞く前にため息をついた。
「あれを擁護するのが気に入らない。根拠のないものは疑ってかかる主義だったんじゃないのか?」
前に来ていた調査隊からの報告書には、光る蝶や森を歩く人影のことなど一行も書かれていなかったのに、たった一度、それも遠くからチラリと見ただけでいったい何が分かるんだって、オーレストさんはものすごく不満そうな表情を投げつけた。
「そもそも死者の体を操っているのだとしたら背丈が低すぎるだろ」
「子供かもしれない」
「けどな、さっき村で聞いた時は―――」
「言葉遣いに気をつけろと言ったはずだ」
またそれかよ、と小さなつぶやきが聞こえたけど。
肩でひとつ息を吐いたあとは丁寧な口調で続きを話した。
「さきほど村の者から聞きました。この辺りではずいぶん長いこと子供は生まれていないそうです。よそから来た者のうち成年に満たない者は、鉱山で諍いが起きた時に全員町から離れたと言ってました。亡骸などあるはずがないと」
「鉱山の件が起こる前なら―――」
「よく考えろ。その頃はまだ妖魔なんて出なかったんだ。森番だっていた。薪を取りに森に入るヤツだっていた。子供が死んでるのに気付かないわけないだろ?」
僕にはオーレストさんが怒ってる理由がわからなかった。
でも、ルシルさんはやっぱり「全部承知してる」って顔で目を閉じた。
言葉づかいを直せとも言わなかった。
「隊長、なんでここへ志願してきたんですか?」
丁寧な言い方だったけど、優しい感じではなかった。
このままケンカになったらどうしようって心配になるくらいに。
「なぜそんなことを聞く?」
「何かを隠してるように思えてならないからです」
「隠し事など―――」
「俺はそんなに頼りにならないですか?」
「……いや」
とても信頼しているってルシルさんは答えていたけど。
オーレストさんは苦い顔で首を振った。



すっかり暗くなった頃、オーレストさんは一人でテントに戻った。
ルシルさんが僕らと宿舎に泊まることになったからだ。
「今夜は風が不安定ですので、念のため朝までご一緒させていただきます」
ここではいつでも風向きが同じだ。
泉のもとになっている水が湧いている場所から村へ、村から丘へ、丘から森、森から山へ向かって吹いている。
そのおかげで妖魔が森を出ることはないらしい。
「森から風が来たら、一緒に妖魔も飛んできちゃうのかな?」
「村の方のお話では、そういうことは今まで一度もないそうですよ」
「よかったぁ」
森の側にあるテントにいる人たちのことはまだちょっと心配だったけど、みんな騎士なんだから大丈夫だって思うことにした。
「明日に備えて早くお休みください。アルデュラ様が首を長くして待っていらっしゃるでしょうから」
戻ったらたくさん遊ばないといけないでしょう、ってルシルさんが笑う。
「そうだね。じゃあ、もう寝ようかな」
3つあるベッドは、窓際がルシルさん、入口側がトルグで僕はやっぱり真ん中だった。
「おやすみなさい、ルシルさん、トルグ」
トルグに頭をなでられながら布団にもぐった。
ルシルさんはにっこり笑って「おやすみなさい」を返してくれたけれど。
夜中に僕が目を覚ました時も、まだベッドに腰かけたままで窓の外を見つめていた。



明け方、ガタンという音で飛び起きた。
特別うるさかったわけじゃない。
なんだかすごく嫌な感じだったからだ。
ルシルさんもトルグもとっくに起きていて、目で何かの合図をしながらそれぞれの剣に呪文をかけているところだった。
「なにかあったの?」
「風向きが変わったようです」
窓の向こうでは枯葉がうずまいていて、ときどきコツコツと小さな石が当たる。
「トルグ、レン様を」
それだけ言い残してルシルさんがあわただしく出ていく。
本当なら背中にはきれいな蝶の羽があるはずなのに、ここではしまいこんだままだなってふいに思った。
「……ねえ、トルグ」
大丈夫かなって聞こうとしたときバサリと音がして、大きなしっぽが僕のお腹に巻きついた。
そのまま持ち上げて背中に乗せてくれるつもりだったんだと思う。
だけど、窓際のベッドの脇に落ちているものに気付いてそれを止めた。
「待って、あれ拾うから」
薄紫色の小さな袋。
ルシルさんのお守りだ。
持っていなくても大丈夫だろうか。
妖魔に飲み込まれたりしないだろうか。
だって、執事さんが言ってたんだ。
前の王様の血を受け継ぐ者は妖魔に引かれやすいって―――
僕がそんなことを考えたのも、トルグのしっぽがゆるんだのもほんの一瞬だった。
でも。
「あっ」
ふわりと宙に浮くこともなかったし、落ちた感じもなかった。
足の下にはずっと、確かに寝室の床があったのに。



「レン様!?」
風がゴウゴウと吹くその場所は、森のすぐそばにあるテントの前。
僕の名前を呼んだのはルシルさんだった。
「どうして―――」
言いかけたけど、僕が説明する前にわかったらしい。
すぐに全部わかった顔になって「お怪我はありませんか?」と聞き直した。
「うん。ぜんぜん平気。これ、ルシルさんに渡さなきゃって思ったら来ちゃったんだ」
差し出したお守りを受け取ったあと、ルシルさんは少し困った顔でギュッと僕を抱きしめた。
「ありがとうございます。でも、この先はご自分のことだけをお考えください」
村に向かって風が吹く。
枯れ葉や砂の粒が舞い上がる真っ暗な空。
村は大丈夫だろうかって思いながら、振り返った丘の上には黒い影があった。
遠すぎて顔や形ははっきりしなかったけど、トルグだってことは僕にもすぐにわかった。
だって、ふかふかのしっぽが思いっきり風になびいていたから。
「トルグ、レン様はここだ!」
ルシルさんの声が風に消される。
でも、トルグはまっすぐにこちらに走ってきてピタリと止まった。
それと同時にテントがふわりと僕らを包み込んだ。
「いいですか、レン様。風が止むまでは絶対にお出にならないでください。テントには守護呪文がかかっておりますから余程のことがない限り安全です」
これにしっかりつかまっていてくださいって言って僕に握らせたのはテントの中を半分に仕切っている布のはじっこ。
手のひらから流れ込んでくるのは、たぶん呪文の成分か何かなんだろう。
さわっているだけですごく安心した。
「布から手を離さない限り、先ほどのように不意に飛んでしまうことはありません。よけいなことはできるだけ考えず、ただわたくしたちが戻るのを待っていてください」
うなずく僕ににっこり微笑むと、ルシルさんは小さな明かりを手首につけ、腰に下げていた剣の向きを直した。
「少し出て参ります」
チラリと目をやった先は窓の向こうの真っ暗な森。
「今から? 明るくなってからじゃダメなの?」
「ベーネを探さねばなりませんので」
風向きが変わった瞬間、ベーネさんが森に引き込まれたらしい。
「初日に倒れた時、粉を吸ってたんだろう。今になって操られるとは思わなかった」
オーレストさんがいまいましそうに顔をしかめる。
「見つけたらすぐに戻りますので、ご心配は無用です」
ルシルさんは明るい声だったけど、他の人たちは深刻な表情をしていた。


森に入る支度を終えると、みんな次々に外へ出ていった。
入れ違いに吹き込んできた風は一段と強くなっていて、僕の不安をいっそう大きくさせた。
「全員で捜索に当たるが、おまえは絶対にテントから出るなよ。足手まといにしかならないからな」
オーレストさんに念を押されて小さくうなずく。
本当は怖くてしかたなかったけど、ルシルさんたちの仕事のじゃまをするわけにはいかない。
僕にできるのはここでじっとしていることと、明るい声でみんなを送り出すことくらいだ。
「気をつけてね」
精一杯元気に言った、その時だった。
「あ!」
突然何かが刺さったみたいに、心臓がドクンと音を立てる。
口を大きく開けたまま、でも、言葉にならなくて窓の外を指差した。
枯れかけた細い木の向こうをふらふらと歩いていく、その人影は確かにベーネさんだった。
僕の指の先を確認すると、トルグとオーレストさんが同時にテントを飛び出した。



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