Halloweenの悪魔
光る蝶




-8-

二人とも泣き止んだあとで、ルシルさんが短い剣を取り出した。
「お城に戻られる前に少し整えましょう」
そう言われて頭を触ったらなんとなくデコボコで、鏡を見なくてもそろってないことはよくわかった。
「こちらにお座りください」
いつの間に敷かれたのか、足元には薄紫の布が広がっていた。
靴を脱いで乗ったけど、土を掘っている時に汚したのか足が全体的に黒くなっていてあまり意味がなかった。
「じっとしていてくださいね」
「うん」
目の前を何度も通り過ぎる白い指。
でも、あちこちにたくさんの傷が散らばっている。
じっと見すぎてしまったんだろう。
「あまり器用なほうではありませんので、些細なことですぐに傷を作ってしまうだけなんですよ」
ルシルさんが少し赤い瞳でにっこり笑った。
「アルの羽にも大きいのがあるんだ」
「ええ。レン様をお守りした時にできたと伺いました」
「うん。僕のせい」
思い出してちょっと落ち込みそうになってしまったとき、ルシルさんがとても楽しそうに笑った。
「アルデュラ様ご自慢の傷ですから」
誰かに尋ねられるたびに最初から全部話して聞かせるらしい。
「レン様がご無事だったことが本当に嬉しかったのでしょう」
「僕が泣いてたことも話した?」
「いいえ。そんなことをしたら、お城に戻られたあとアルデュラ様が大泣きしたことをメリナ様から暴露されてしまいますもの」
アルだって怖かったはずだ。
ケガもすごく痛かっただろう。
でも、僕には何も言わなかった。
泣き顔も見せなかった。
「アルは強いよね」
「ええ、とても。でも、それはレン様がいらっしゃるからこそでしょう?」
大切に思っている相手だから、大事であればあるほど強くなれる。
そういうものですよって言って、ルシルさんは弟の顔を見つめた。


そのあと、僕の髪を切りながらルシルさんが2回「あっ」って言って。
3回目の「あっ」でトルグに短剣を取り上げられた。
「申し訳ありません。器用なほうではなくて」
本当にごめんなさいって感じで僕の頭を眺めるルシルさんにちょっとあきれた顔を向けながら、トルグが自分の爪で髪をそろえてくれた。
シャッシャッと気持ちのよい音がリズミカルに続いたあと、「できあがったようです」とルシルさんが肩や服についた髪を払ってくれた。
「うわー、トルグって美容師さんにもなれるね」
水筒の水で作った鏡を見ながら感心してしまった。
「髪、いただいてもよろしいですか?」
「うん、もちろん」
弟の体についていたのと同じ種類のものには効果があるようだから、全ての妖魔が片付くまでの間はテントの入口にでもかけておくことにするって言って、集めた髪をビンに入れた。
「本当に効き目あるといいな」
くっついたのを払うくらいならともかく、ぶんぶん飛んでいるのは強そうだから、あんまり期待できない気がするけど。
ほんのちょっとだとしても役に立つなら、うれしいって思った。


テントに戻ると、ビンの中身はあっという間になくなってしまった。
隊の人たちが小分けにして持っていったからだ。
「じゃあ、見回りに行って参ります!」
みんな元気に出て言ったけど、30分もしないうちに代わる代わる戻ってきた。
「お守り、よく効きますよ」
穴が塞がっていることは確認できたから、あとは森に残った弱い妖魔を消すだけ。
「でも、昼間だからかちっとも見つからないんですよね」
どこにいるのかさっぱりわからなくて大変だっていう話もしてくれたけど。
「あの……トルグが」
『髪を持ってるから妖魔が近寄ってこないんじゃないのか?』って言ってるみたいに見えたから、他の人にも伝えてみたけど。
「あー、そうかもしれませんねぇ。ぜんぜん気がつかなかったなぁ」
その返事に大きなため息をついたのは、やっぱりトルグだけだった。


ルシルさんがテントに戻ったあとトルグがざっと森を一周し、30分くらいで妖魔の気配はほとんど消えた。
「残りは木の根や岩の隙間に隠れられるようなごく小さなものだけになりましたから」
一通り安全確認を終えたルシルさんは、弟を故郷に運ぶために隊を離れることになった。
もちろんトルグも一緒だ。
「オーレスト、あとを頼むぞ」
「ああ。昼過ぎにはすっかり片付くだろうし、あとは報告書でも書きながら、せいぜい羽を伸ばしておきますよ」
二人が仕事の引継ぎをしているのを見ながら、小さな声でトルグに話しかけた。
「オーレストさん、けっこういい人だと思うけどな」
他の人よりずっと頼りになるし、ルシルさんがひび割れに落ちそうになった時も助けてあげてたし。
「それにルシルさんのこと、いつもすごく心配してると思うんだ」
どうかなって気持ちをこめてトルグを見つめてみたけど。
返事は「ふん」という鼻息だけ。
僕にはトルグの声が聞こえないからとか、そういうことじゃなくて。
たぶん本当に「ふん」だけだったと思う。


弟を背負ったトルグとルシルさんを見送ったあと、表への扉が開くまでの間はオーレストさんが僕の護衛をしてくれた。
「ルシルさん、ちょっと元気になってよかったな」
「ね?」って感じでオーレストさんを見上げてみたけど。
「……なんで俺はこんなガキに負けてんだろうなぁ……」
ため息まじりのつぶやきが頭の上を通っていっただけ。
なんて返事をしようか迷ったけど、なんだかすごく落ち込んでいるみたいだったから、聞こえないふりをしておくことにした。


しばらくすると目の前に十字の光が見え、やがてゆっくりとお城の紋章に変わった。
「迎えが来たようだな」
すっかり扉の形になるまでのんびり待っていたんだけど。
ちゃんとしたドアになる前に向こうから勢いよく何かが飛び出してきた。
「ケガしなかったか?」
気がついたときにはもう、アルが僕の首にギュッとしがみついていた。
「うん。みんなが助けてくれたからぜんぜん平気」
アルの後ろにはルナがいて、オーレストさんと挨拶を交わしていた。
それが終わると、「それではお気をつけて」とオーレストさんにしてはすごく恭しく僕らを見送ってくれた。


果ての地から扉を4つくぐってお城に戻った。
不思議なことに、僕がアルの寝室を出てから1時間も経っていなかった。
「表の世界と繋がっていない場所とはそういうものなのです」
時間まで全部切り離されているから、こちらより早く過ぎることもあれば、反対にものすごくゆっくりだったり、さらにはまったく止まっていたりすることもあるのだとルナが教えてくれた。
たった1時間でも何も言わずにいなくなってしまったんだから怒ってるんじゃないかって思ったけど、アルの目はキラキラで嬉しそうだった。
どうしてだろうって思ったけど、すぐに謎は解けた。
「それだったら、もう髪は切らなくていいな!」
「あー……そうだね。でも、必要なくなったって父さんに言わなくちゃいけないから、一度家に帰るよ」
「すぐ戻るよな?」
「父さんと一緒にご飯を食べてからね」
日曜日の朝食はいつもより遅いから、今帰ればちょうどいい。
食べたら父さんとキャッチボールして、庭の草取りを手伝おう。
そんなふうに思ったのは、きっとルシルさんと弟のことがあったせい。
「わかった。じゃあ、午後のお茶の時間だな」
夕方よりは早いからそれでもいいって、アルにしては珍しくあっさり承知してくれた。



午後、父さんが髪を切りに出かけたのを見送ってから、またお城に戻ってきた。
ちょうどお茶の時間がはじまる前で、ドレスに剣を携えたルシルさんの姿も見えた。
「ごきげんよう、レン様」
そういえば、最近は「アルデュラ様の」がついてないなって思っていたら、ルシルさんが突然僕の前に片膝をついた。
「わたくしの正式な名はルシル・ラーダ・ウィン・フェザードと申します。王騎士になったときに陛下から賜りました。覚えておいていただけますか?」
「はい。あ……あの―――」
こういう時は自分もフルネームを名乗らないといけないんだろうって思ったけど。
ルシルさんは指先でそっと僕の口に触れ、その先を止めた。
「わたくしの名前だけ覚えていただきたいのです」
「じゃあ……僕は『レン』のままで」
にっこり笑ったルシルさんはいつもよりずっときれいに見えた。


そのあと、立ったまま少し話をした。
弟のお葬式は明日で、それまでは自分の家の自分のベッドに寝かせてあげるんだって言っていた。
果ての地はあれから何日も経っていて、今はもう妖魔もすっかり片付いたらしい。
あとはみんなが通れる扉をつけたら終わりだという。
そんな話をしていたら目の前でパッと光が散って、お城の案内係が現れた。
「フェザード様、陛下がお呼びです」
「すぐに参ります」
答えたルシルさんは凛々しい騎士の顔。
まっすぐ前を見た瞳がとてもきれいだった。
こんなお姉さんなら弟もきっと自慢だっただろう。
「レン様」
「あ、はい」
見とれていたのに気づかれたんだって思ってちょっとあわてたけど、そうではなかった。
「もしもレン様の御身に大事がございましたら、わたくしとラグドの兵が全力でお守りいたします」
どうかそのことだけは覚えておいてくださいって、いつもの優しい笑顔を見せた。
「では、レン様。また後ほど」
王様とのお話が終わったらゆっくりお茶をしましょうって約束したあと、ルシルさんはパッと王騎士の制服姿に変わってキラキラしながら消えていった。
背中には薄紫色の羽。
そして、髪にはあの蝶が飾られていた。


「僕、自分の名前言わなくてよかったのかな?」
ルシルさんが見えなくなってからこっそり聞いてみたら、ばあやさんが静かに首を振った。
「アルデュラ様への気遣いだったのでしょう」
名前を交換しただけで契約が成立するわけではないけど、それさえできない相手からしてみたらやっぱりちょっと寂しく思うだろうからって。
でも、ちらりとアルの顔を見たら「別に」っていう表情だった。
「あら、気にならないんですか?」
ニーマさんはいつもわりと遠慮がないので、思いっきり真正面からそう聞いたけど、アルは「当たり前だろ」と言わんばかりに大きく一つうなずいた。
「レンを守るための契約ならかまわない。今のところルシルは俺よりも強いからな」
「あらあら。本当にレン様にはお優しくて」
「……でも、『今のところ』なんだね」
その質問にもアルはものすごく「当たり前だ」って顔をしていたから、みんなで笑ってしまった。
アルの予定では、5年くらいでルシルさんを追い越すつもりらしい。
剣も魔術もたくさん勉強しているし、もともとがんばり屋さんだけど、それはちょっとどうかなって思う。
でも、そうやって毎日がんばるのはいいことだ。
「僕もいつかルシルさんにお返しができるようになりたいな」
小さい頃からずっと「強くなりたい」って言ってたアルの気持ちも今なら分かる。
妖魔みたいな言葉が通じない相手と戦うんだから、話し合いで解決するなんてことはできない。
やっぱり力は必要なのだ。
よし、僕も……って一人でうなずいたんだけど。
「どうかレン様はそのままご成長なさってください。度を超えた無茶をする者がこれ以上増えると困りますので」
真正面から僕を見たばあやさんがものすごくきっぱりした声で言うので、ちょっと考えてしまった。
「まあ、王と側近連中があれじゃな」
アルがもっともだという表情で腕を組みなおしたけど。
「よそ事ではございません、アルデュラ様。まずご自分からお改めください」
ばあやさんの声はいつもよりちょっと厳しくて、アルも「わかった」って言うしかなかった。
そんな空気の中、ついでにちらりと僕の顔も見るものだから。
「あの、僕はそんなにすごいことできないので」
大丈夫ですって、けっこうハッキリ言ったつもりだったのに。
返ってきたのはため息が一つと、なんとなく諦めたような声。
「そうであることを心から願っております」
なんだかぜんぜん信用されてないみたいでちょっとショックだった。


お茶の時間が近づいて、大きな時計の文字盤がポットとティーカップの模様に変わると、ばあやさんたちはあわてて仕事に戻っていった。
「みんな行っちゃったね」
「忙しい時間だからな」
ぐるりと一回転して二人きりになったのを確認してから、アルに小さな声でそっと報告した。
「オーレストさん、やっぱりルシルさんが好きだって言ってたよ」
本人から聞いたんだから間違いないって説明したら、アルも納得した顔になった。
「ルシルは強いし、いいにおいだしな」
「においも関係あるんだ?」
「ある」
自信満々な返事を聞きながら、ルシルさんにぎゅって抱きしめられたときのことを思い出した。
ふんわりやさしいにおいがして、落ち着いた気持ちになったっけ。
においなんてあんまり気にしたことがなかったけど、実はすごく大事なのかもしれない。
「レンもいいにおいだぞ」
「どんな?」
袖に鼻を当ててみたけど、特別何も感じなかった。
でも、僕のすぐそばでクンクンしていたアルは満足そうにしっかりとうなずいた。
「ムリして何かにたとえるなら、『あったかいにおい』だな」
あんまりよくわからなかったけど。
きっと干したばっかりの毛布みたいな感じなんだろう。
「父さんと草取りしてたからかな。僕の家、ものすごくお天気よかったんだ」
そういえば髪の毛がいつもよりふかふかしている気がする。
「アルはどうかな?」
顔を近づけてみたら、なんだか甘い空気が漂っていた。
「ちょっとおいしそうだね」
アルは力強く「うん」って言ってから、ここへ来る前にキッチンに寄ってもらってきたというクッキーをポケットから出して半分に割った。
「ニーマがあとでたくさん持ってくるぞ」
お茶のために焼いたお菓子はいろんな種類のナッツ入り。
クッキーのかけらを頬張りながら、何の実が入っているのかを当てっこした。
「ちょっと食べたらもっとおなかが空いてきたなぁ」
「そうだな」
そろそろクッキーが運ばれてくる頃かもってアルが言うから、二人してクンクンして『クッキー到着のきざし』をかぎ分けようとしていたら、背中のほうから見られている気配がした。
ちらっと振り返ってみると、いつの間にか真っ白いテラスが僕らのすぐそばまで来ていて、日当たりのいいテーブルで、クッキーを待ちきれずにお茶を飲みはじめていたお客さんたちがニコニコしながらこっちを見ていた。
「なんかおかしかったかな?」
「そんなことないだろ」
顔を寄せて二人でひそひそ確認しあっていたら、またみんながいっせいににっこり笑った。

                                     fin〜


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