Halloweenの悪魔
王様の息子


-1-

いつだって元気があまっているのがアルの良いところだ。
だけど。
「ねえ、ニーマさん」
「なんですか?」
「今日、アルがすごく静かなんだけど」
ぜったいにおかしいって思ったのは大当たりだった。
「あー、それですか」
理由を話している間、ニーマさんはずっと心配そうな顔だった。
「予定では朝一番に王様がお城に帰ってきて、ご一緒にピクニックにいくはずだったんです。でも……」
会議が長引いて戻ってこられなくなったらしい。
ここしばらくジアードは晴れの日ばかりで、カラカラに乾いてしまった土地があちこちで崩れはじめたのだ。
解決策を話し合っているのも全体の半分近くが砂漠になってしまった街の会議場だって言っていた。
「とても遠い所ですし、しばらくはお戻りになれないかもしれませんねえ……」
そんなことがなかったとしても王様はとても忙しい。
アルとの約束だって僕が知っているだけで5回は延期されているんだから、がっかりしてしまうのも当然だ。
なのに、外から来ている家庭教師の先生たちは「王のご子息がそんな暗い顔をなさってはいけません」とか、「国のためですからしかたありません」とか、そんなことしか言わないらしい。
「まだご家族に甘えたいお年頃ですのに……それで、アルデュラ様はどちらに?」
せめておいしいお茶でも入れましょうってニーマさんが言ってくれたけど。
「ええと……『なんとかの式典』っていうのの準備があるからって」
忙しい王様の代わりに出なければならないからって、その日使うむずかしい呪文の練習に行ってしまった。
「裏庭でやってるっていうから、さっきちらっとだけ見てきたんだけど」
少なくともあんまりうまくいっていないようだった。
「ああ、あれですかぁ……」
『なんとかの式典』のことも呪文のこともニーマさんはよく知っていた。
大人でもかなりむずかしくて、「私なら一生かかってもできない自信があります」とも言っていた。
「でも、『陛下のご子息ともあろうお方がこれくらいできなくてどうするんですか』って……」
ドレスを着た若い先生は、とても厳しい口調でアルを叱ってた。
こっちに背中を向けていたから、アルがどんな顔をしていたかはわからないけど、僕ならきっとやる気をなくしてしまうだろう。
「大事な儀式ですから教えるほうも責任重大なんでしょうね」
気持ちはわかるけれどって言いながらも、ちょっと気の毒そうな顔になる。
「元気がないってことくらい見たらわかるはずなのに」
休ませてあげられないのかなって思ったけど、どうやらそれもむずかしいらしい。
「式典までもうあまり日にちがありませんから……メリナ様がいらっしゃったなら、もっとわかりやすく教えてくださるんでしょうけど」
ばあやさんも最近は留守ばかりだ。
「崩れ始めてしまった土地を呪文で固めるために出向かれていますので」
とても強い魔術師なので、こういう時は真っ先にあてにされてしまう。
毎日あちこちに派遣されてぜんぜんお休みなんてないだろうってニーマさんがため息をついた。
「お城にいても一番頼りにされてるのにね」
「仕事は有能な者ばかりに集中するものなんです」
ルナもフレアも土地固めのために派遣され、サンディールや庭師さんまで借り出されたらしい。
「土地の周囲に木を植えて崩れるのを防ぐんですって」
「ふうん、みんな大変なんだなぁ……」
このままだとお城の全員がいなくなってしまうかもしれない。
誰も歩いていない廊下や庭を思い浮かべたらなんだか寂しい気持ちになってしまった。
「ニーマさんは大丈夫?」
「それを私にお聞きになるんですか?」
派遣されるのは「有能な者」だと申し上げたじゃないですかって笑っていたけど。
「だって、ニーマさんまで忙しくなっちゃったら、誰もアルの心配をしてくれなくなるよ」
お母さんがいなくて、お父さんも忙しくて、ナニーのばあやさんも、護衛のルナとフレアも、一緒に遊んでくれるサンディールや庭師のおじいさんもいないなんて。
「あとはニーマさんだけだもの」
王様とピクニックに行けなくてがっかりして、そのうえ呪文の練習で怒られて。
そんな時に一人きりで夕飯を食べるアルを想像したら悲しくなってしまった。
「大丈夫ですよ。ルナたちが出向いた先のご領主の方々が代わりにお勉強などを見てくださる先生を派遣してくださってますから、お食事はその方たちと―――」
だけど、アルのことを怒ってたのはその中の一人だ。
今、アルに必要なのは心から心配してくれて、『王様の子供なのに』なんて言わない人。
「……よそから来た人じゃダメだと思うんだけどな」
なんとなく口を尖らせてしまったら、ニーマさんは僕の前にかがんでにっこり笑った。
「大丈夫ですよ。だって、レン様がいらっしゃるじゃありませんか」
「……そうかな」
「そうですとも。もう少ししたら休憩の時間ですから、おいしいお茶を入れましょう。そしたら、アルデュラ様をお迎えにいってくださいね」
「うん!」
アルの好きなおやつをたくさん作ってもらおう。
おなかがいっぱいになったら少しは元気だって出るかもしれない。
「じゃあ、僕、キッチン行って頼んでくる!」
お茶を飲みながらおもしろいたくさん話をしよう。
次の週末にはお弁当を持って遊びにいこう。
王様の代わりにはなれないけど、アルが少しでも楽しいって思ってくれるように。


アルは僕が迎えにいくより早くお茶の部屋にやってきた。
どんな呪文を練習していたのかわからないけど、髪の毛がいつもよりはねていて、袖も破れていた。
「ちょっと失敗した」
いつもは自信満々なのに。
きゅっと口を結んだアルを見ていたら、僕のほうが悲しくなってしまった。
「大人でも難しい呪文だってニーマさんから聞いたよ。そんなに大変だったら『いやだ』って言っちゃえばいいのに」
「そういうわけにはいかない。もうすぐだしな」
今日もやっぱり「王の息子だから」ってアルは言う。
でも、とても疲れた顔をしていた。
大きなあくび。
目もすっかり眠そうだった。
「僕、おやつもらってくるね」
ちょうどできた頃だろう。
今ならあったかいのが食べられるはず。
「俺も一緒に行くぞ」
またどこかに落ちたら困るだろって、こんなときまで僕の心配をしてくれる。
「ありがとう。でも、大丈夫。今日は迷子にならない気がするんだ。アルはここで待ってて」
そう言って出たんだけど。
あと少しでキッチンに着くっていうときに目の前の風景がクルリとひっくり返って。
まばたきを一回した後にはもう見たことのない壁に変わっていた。
「そうですね。やっぱりそれは少々……」
僕が立っているのは広い部屋のすみっこにあるついたての陰。
「覚えが早いのはけっこうですが、少々あきっぽいご様子で」
「ええ、わたくしの時もよそ見ばかりで……」
向こう側でひそひそ話す声の片方は男の人。
もう片方の女の人はたぶんさっきアルを怒ってた先生だ。
はじめは何の話かわからなかった。
でも。
「まったくおっしゃる通りです。それも途中で堂々とあくびを……甘やかされてお育ちになったのでアルデュラ様はあんなご性格に―――」
わざとらしいくらい大きなため息が耳に入った次の瞬間、僕は思いっきり怒鳴ってしまった。
「ちょっと疲れてただけなのに、そんな言い方するなんてひどいよ!」
ついたてが自動的にパッと畳まれて、向こうにいた二人が同時に僕の顔を見た。
「なんですか、この人間の子供は……」
何かの魔法なのか、空気が一瞬で冷たくなる。
ぜったいに気のせいなんかじゃなくて、大げさに言っていいなら凍りついてしまいそうなほどに。
「だいたい立ち聞きなんて、育ちの悪さがうかがえますわ」
「まったく、不躾にもほどがありますね。このような者を城に招き入れるなど、陛下も何を考えていらっしゃるのやら」
悪口はまだまだ続きそうだった。
教えている子を悪く言う先生なんてぜったいにダメだと思う。
でも、頭にきすぎて言葉がまとまらなかった。
立ち尽くしていたら、男の人がため息をついた。
「こういう時に君がすべきことはなんだね?」
ちゃんと謝れるね、って言われてよけいに頭に来た。
「僕は迷子になってしまっただけで、立ち聞きをするつもりなんてありませんでした。それよりもみんながいないところで悪口を言うほうが良くないと思います」
僕が謝ったら、先生たちもアルに謝ってくれますかって。
言ったとたんに二人の目がつりあがった。
「んまあ……呆れた。こんな子供ではアルデュラ様のご友人としてふさわしくありませんね」
「陛下にもきちんとご報告しなければ。とりあえずは執事室で話しましょう」
いきなり腕をつかまれて引っ張られた。
「はなしてください。僕、自分で歩けます」
「途中で逃げようなどと思わないことです」
「そんなことしません。僕も王様に伝えたいことがあるから」
こんな先生じゃアルがかわいそうだ。
ばあやさんが忙しかったとしても、せめてみんながいいって思う人に変えてもらわないと。
「まったく身の程知らずな……陛下が君のような下賎の者の話を聞くとでも?」
「王様ならちゃんと僕の話を聞いてくれます」
答えたとたんに二人ともバカにしたような笑いを浮かべた。
でも。
「ええ、もちろんですとも。スウィード様はレン様とお話するのが大好きだとおっしゃっていましたから」
にっこり笑って立っていたのはニーマさんだった。
僕があんまり遅いから迎えにきてくれたのだ。
「執事室でしたら、わたくしもご一緒に参ります」
渡すものがあるからって見せてくれたのは小さなランプ。
昼間なのに赤々と灯っていた。
「変わった火だね。あ、今度はハート型だ」
さっきまでものすごくいやな気分だったけど、ニーマさんの顔を見たらすごく落ち着いた。
4人で廊下を歩きながら執事さんのいる部屋に向かう。
ガラスの中の明かりは絶えずいろいろな色と形に変わりながら揺れていた。
「メリナ様の呪文つきなんですよ。これと同じ炎を使った燭台やランプが城内にはたくさんありますから、先に頼んでおけばお茶の部屋にいながらにしていろいろな情報が手に入ります」
アルの具合が悪そうだったら早めに勉強をやめてもらうこともできるからって、僕だけに聞こえるくらいの小さな声で教えてくれた。
「ふうん。すごい火なんだね」
頼みを聞いてくれるランプなんて、本当に魔法って感じだ。


執事さんの部屋に入ると、大きな椅子にちょこんとアルが座っていた。
お茶の途中で呼ばれたらしい。
「アルはなんの用事?」
さらに半分くらい元気がなくなっていたし、顔色もあんまりよくなかった。
「たいしたことじゃない」
詳しいことは話してくれなかったけど、やっぱり具合が悪いんだろう。
お茶のあとの練習は休むと言いに来たようで、執事さんが先生にお休みの届け出を渡していた。
「休まれるのは結構ですが、このようなペースでは到底式には間に合いません。万が一の場合、こちらに落ち度はないことをきちんと陛下にお伝えいただかないと―――」
「それはもちろん」
けれど、返事を聞いたあともあきれた顔のままだったし、執事さんを見る目も冷たかった。
「まったく、陛下がご不在なのを良いことに甘やかしてばかりで……」
ぶつぶつと口の中でつぶやいていた文句だって執事さんには聞こえていただろう。
なのに何も言い返さずにアルのおでこの熱を測っていた。
言われっぱなしなのはちょっと悔しいって思ったけど、今はアルの具合のほうが大事だ。
「僕、何か手伝える?」
執事さんに聞いたつもりだったけど、魔術の偉い先生は「とんでもない」という顔で大げさに首を振った。
「貴方などに手伝えることはありませんよ。人間の、それも子供になんて」
「立ち聞きするような卑しいご性質では、たとえ人間でなくても高等術は身につかないでしょうけれど」
クスクス笑う声はとても小さいものだった。
でも、アルは急に立ち上がって先生を睨みつけ、「もうおまえたちには教わらない!」って思いっきり叫んだ。
「なんですか、アルデュラ様。いったいどうなさったというのです?」
ピリッとした空気が流れ、ニーマさんも執事さんも少し困った顔になった。


「ずいぶんと賑やかだね」
ドアを半分開けて立っていたのは王様だった。
すぐ後ろにばあやさんの姿も見えた。
「おかえりなさいませ」
みんなは頭を下げたけれど、アルだけはどっしりと立ったまま。
あんなに帰りを待っていた王様の顔を少しも見ていなかった。
「陛下。あの……ご報告したいことが」
すぐに女の先生が王様に駆け寄り、小声で何か話す。
「まだお小さいですから、少々わがままも言ってみたくなるのでしょう。わたくしどもは構わないのですが、式典の日程が―――」
さっきとはぜんぜん違うよそゆきの声がものすごくいやな感じだ。
王様はただうなずいて聞いているだけ。
ときどき椅子のほうに目をやったけど、アルはもうひとりの先生を睨んだまま少しも動かない。
「ですから、どうか陛下からアルデュラ様に……」
話が全部終わると王様がアルの前に立った。
「勉強が捗っていないと聞いたが、そんなに具合が悪いのか?」
「そうでもない」
「だったら先生をあまり困らせてはいけないよ」
怒ってはいなかったけど、心配している様子もなくて、あっさりとそれだけ言うとまた出かけようとする。
すごくわがままな子みたいに言われたのに、王様は平気なんだろうか。
本当はすごくがんばっているのに。
お父さんとの約束が流れてしまっても文句ひとつ言わないのに。
「アルは―――」
やっと口に出した声は震えていた。
怒られたらどうしようとか、そんな理由じゃない。
ものすごく頭に来てたからだ。
「アルは、わがままなんて一個も言ってないよっ!!」
びっくりした視線があちこちから一斉に飛んできて僕に当たった。
「具合が悪いからちょっと休みたいって頼んだだけなのに、どうしてそんな言い方するの?!」
そんなのわがままのうちに入らない。
勉強してるのは大人だって大変な呪文なんだから、うまくできないのだってしかたのないこと。
なのに、全部アルが悪いみたいに言う。
「仕方ありません。アルデュラ様は陛下のご子息なのですから」
わざとらしく肩をすくめて、大きなため息をついてみせる。
自分が王様に怒られないようにすることばっかりで、アルがどんなに大変なのかなんて少しも考えないくせに。
「王様の子供だったら、すごく疲れてるときでも『休みたい』って言っちゃいけないの? すごくむずかしい呪文もちょっと教わっただけで簡単にできなくちゃいけないの?」
言い出したら止まらなくなった。
「王様なんていつもお城にいなくて、アルとだってぜんぜん遊んでくれないのに。こんなときばっかり『王様の子供』だからってがんばらされて、文句ばっかり言われて……そんなのかわいそうだよ!」
王様が忙しいってことくらい僕にだってわかる。
でも、ばあやさんや執事さんやニーマさんやルナやフレアや他の人たちがどんなに優しくしてくれたって、アルの家族はお父さんだけなのに。
「王様の子供じゃなかったら学校だって行けたのに。友達だってもっとたくさん作れたのに。僕みたいに王様の会議で決めた友達じゃなくて、クラス全部の中から、一番気の合う子と仲良くなれたのに!」
普通の子と同じように学校へ行って、野球をしたり、音楽を聞いたり、キャンプに行ったり。
他にもやりたいことはたくさんあっただろう。
それだって、アルは一回も文句なんか言ったことがない。
『王様の子だから』ってそんな理由だけで、いつだって全部がまんしてるのに。
「そんなことばっかり言うなら、アルは僕の家に連れていくんだから。お城みたいに広くないし、コックさんもいなくて、ご飯を作るのは僕と父さんだからときどきおいしくないけど、でもっ、僕のうちなら、こんなふうにアルにばっかりたくさんガマンさせたりしないんだからっ!」
誰にも遠慮なんてしないで「疲れた」って言えばいい。
ゆっくり休んでからまたがんばればいい。
日曜日にはみんなで出かけて、友達もたくさん作って。
今までできなかったことを全部やればいい。
「本当に連れてくんだから! あとで迎えに来たって返してやらないんだからなっ!!」
僕が泣きながら怒っている間、王様はとても悲しそうな顔をしていた。
ばあやさんも先生たちも執事さんも、みんな何も言わなかった。



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