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最初に口を開いたのは、僕の後ろにいたアルだった。
「レン」
ありがとうって言って、後ろから手を伸ばして、鼻をすすっている僕の顔をハンカチでごしごし拭いた。
「でも、一個違うぞ」
「……なにが?」
「レンと友達になるんだって決めたのは俺だ。レンの学校全部よりもっとたくさんの中から選んだんだ」
その時はものすごいだだをこねてみんなを困らせたんだって。
真っ黒でキラキラな目が見上げた先、立っていた王様はもう悲しそうな顔はしていなかった。
にっこり笑ってから、僕の前で少しかがんで「ありがとう」と言った。
「良い友達を持ったな、アルデュラ」
僕にハンカチを渡しながらこっくりとうなずいたアルは、もういつもの自信満々の顔だった。
「メリナ、すまないが時間の調整を」
王様が握った手を開くと、シンプルな懐中時計が現れた。
大きめのふたの裏に映っているのはよちよち歩きの頃のアル。
動いているからビデオみたいなものなんだろうなって思っていたら、小さな口からとつぜん火をふいたので驚いた。
「お茶会一回分ほどでよろしければ、先ほど手配いたしましたが」
「いつ?」
「レン様が最初に口をお開きになったときに」
とても大事なお話のようでしたから、って言ったばあやさんの顔はまさに「全部お見通し」って感じだった。
そのあと王様はアルに「少し話をしよう」と言い、僕に向かって「しばらくアルデュラを借りるよ」と微笑んだ。
部屋を出ていくアルと王様を見送ったら一気に力が抜けて、一番近くの椅子に座りこんでしまった。
「お疲れさまでした、レン様。たくさん召し上がってください。頑張ったあとはお腹が空きますから」
ニーマさんが用意してくれたのは、湯気の立つ紅茶とクリームたっぷりのふわふわケーキ。
「その前にお顔を」
ばあやさんが温かいタオルを渡す。
お礼を言おうとしたらしゃっくりが出てしまって、結局何も言わずに受け取ってしまった。
ほかほかのタオルを頬に当てるとふんわり優しい香りが広がった。
僕の顔がきれいになるまでの間、ばあやさんはニーマさんが用意したランプの火を眺めていたけど、途中で険しい表情になった。
「お二方には先生として城にお越しいただきましたが、どうやらアルデュラ様とは合わないようですね」
うしろに控えていた先生二人をチラリと見たあと、またランプに視線を戻してふうっとため息を吐く。
よく見ると、炎の中には男の人と女の人が映っていた。
どうやら僕が迷子になった時のついたての裏でのやりとりのようだった。
一度大きく揺れたあとは場面が変わって、今度は呪文の練習中に怒られているアル。
「必要なところだけを抜き出して見せてくれるんですよ」
顔を拭き終わったタオルを受け取りながら、ニーマさんがこっそり僕に教えてくれた。
「監視カメラみたいなもの?」
きっとそうだって思ったけど。
「『かんしかめら』ってなんですか?」
こちらにはそういう名前のものはないらしい。
「えーっとね……最初にセットしておくの。そしたら、そこで起こったことを録画してくれるんだ」
「あー、じゃあ、同じようなものですね」
ランプは誰かがセットしなくても勝手に動いてくれるみたいだからもっと便利だ。
場所も時間も関係なくて大事な部分だけを見られるっていうのも本当にすごい。
僕とニーマさんがランプとカメラについて語り合っている間、ばあやさんと先生たちは厳しい顔をしていた。
こちらに背中を向け、小さな声でひそひそ話しつづけている。
ほとんど聞こえなかったけど。
「……ですが、メリナ様。陛下に向かってあのような不躾な口を利く子供をアルデュラ様のお側に置いておくのは―――」
そんなところだけ耳に入ってしまい、暗い気持ちになった。
だって、先生たちの言うとおりだ。
もうアルと遊ばせてもらえないかもしれないって思って悲しくなりはじめた時、ばあやさんと執事さんが先生の言葉をきっぱり否定した。
「ご心配は無用です。あの程度のことでしたら何も問題はありませんし、スウィード様はむしろお喜びでしょう。何より、周囲の顔色を窺い、正しいと信じたことさえ飲み込んでしまうような者にこのお役目は務まりませんから」
「まったくです。将来を考えれば必要なご気質と言えますな。陛下もきっとそうお考えでしょう」
先生たちはそれ以上言い返すこともなく、執事さんと案内係の黄色い鳥につれられて部屋を出ていった。
部屋に残ったのは僕とニーマさんとばあやさんの3人。
「さあ、レン様。どうぞ冷めないうちに」
あざやかな色の紅茶はまだ湯気がたっぷり立っている。
ケーキは焼き立てであったかいのに、かかっているアイスクリームはとても冷たくて、本当においしかった。
「スウィード様がご幼少の頃に大好きだったおやつなんですって」
「そっかぁ。すごくおいしいもんね」
今頃、アルも王様と一緒に食べているだろう。
ひさしぶりに会えたお父さんと飲むお茶は特別おいしいはず。
「……僕、自分の家に帰ったほうがいいかな?」
部屋を出るとき、アルは『すぐ戻るから』って言ってた。
でも、僕が待っていないほうが王様とゆっくり話ができるに違いない。
って思ったんだけど。
「お引き止めしておかないとアルデュラ様がお怒りになりますから」
退屈でしょうけれどしばらくご辛抱ください、って。
お茶の時間でもあまりテーブルについたことがないばあやさんが珍しく僕の隣りに座ってくれた。
ばあやさんに言われて、ニーマさんも腰を下ろした。
「ごめんね」
忙しいのに邪魔して、って思ったんだけど。
「あら、どうしてです? お仕事よりお茶のほうがいいに決まってるじゃないですか」
私もこのケーキが好きなんですって言いながら、ニーマさんが幸せそうな顔でフォークを取る。
僕らのお皿がすっかりきれいになって、二杯目のお茶が注がれたあと、ばあやさんが少し真面目な顔で口を開いた。
「レン様」
名前を呼ばれたとき、ドキッとした。
どんなにばあやさんの声がやさしかったとしても、自分が何をしたかはわかっていた。
カップを置いて座りなおすと、ばあやさんは少し困ったみたいに笑った。
「スウィード様もアルデュラ様のことはとても大切に思っていらっしゃいますよ」
ばあやさんと目を合わせることもできないまま、だまってうなずいた。
僕が怒っているとき、王様は悲しそうな顔をしていた。
アルとピクニックに行きたかったのは王様だって同じはず。
なのに、どうしてあんな言い方をしてしまったんだろう。
「……ごめんなさい」
あやまってみたけれど、声はすごく小さくなってしまった。
いくらアルをかばいたかったとしても、代わりに誰かを悪者にするのはいけないことだ。
それくらいわかっているのに。
「レン様がお気になさる必要はありません。あの先生方のことも、元はといえば忙しさにかまけて正式な家庭教師試験を怠った私どもに非があります」
そう言っただけで僕を怒ったりはしなかった。
ニーマさんはスプーンでぐるぐるお茶をかき回しながら、小さなため息をついた。
「そうですよ。レン様がおっしゃってくださらなかったら、アルデュラ様はきっと明日もあさっても嫌なお気持ちでお勉強しなければならなかったはずですもの」
だとしても、王様が悲しそうな顔をしたのは僕のせいだ。
「ちゃんとあやまる時間があるといいな……」
思い出したらまた落ち込んできた。
自然と顔が下を向いてしまったら、ばあやさんがそっと髪をなでてくれた。
「アルデュラ様のためを思ってのことですから、スウィード様はきっと喜んでいらっしゃいますよ」
王様にとってアルはたった一人の家族で、一番大切なもの。
アルがたまごから出られた時に安心して遊べる国にしたかったから、王様になる決心をしたのだと教えてくれた。
「スウィード様もアルデュラ様がお戻りを心待ちにしていることはよくわかっていらっしゃいますから」
僕がひどいことを言ったからじゃなく、アルの気持ちを思って少し悲しくなってしまったんだろうって。
「一旦引き受けた以上、忙しくてアルデュラ様と遊べないから王を辞める、などとは言えません。お立場上しかたのないことなのです」
「うん……そんなことになったらみんな困ってしまうよね」
だから、お父さんがアルといられない分、お城の人たちがみんなで大切に育ててきた。
ルナとフレアが遊び相手になったことも、イリスさんにご飯を食べさせてもらった話もアルから聞いた。
「とは言え、お世話係は全員が陛下の従者ですから」
王子様であるアルは甘やかされ放題で、以前は口を開けばわがままばっかりだったと、ばあやさんが笑う。
「本当に? アルは僕の友達全部と比べても一番かもしれないくらいすごくいい子だよ」
話し方や態度はちょっと偉そうだけど、絶対に誰かを見下したりはしない。
明るくてやさしくてはっきりしていて、正義感が強くて勉強熱心で、正直でがんばり屋さんだ。
学校中探したってそんな子はあんまりいないはず。
「そうですか。だとすれば、レン様の前ではずいぶん気をつけていらっしゃるのでしょう」
『歯みがきなんてしたくない』とか『濃い緑色の野菜はいやだ』とか『基礎呪文は面白くないからやらない』とか、そんなことなら今でも毎日欠かさず言っているらしい。
「ふうん。ぜんぜん知らなかったな」
そうやって小さなことでは思いっきりわがままを言っているから、本当はすごく我慢しているんだって気づいてもらえなかったんだ。
「アルは誰かが困るわがままなんて言わないよ」
町の人だってみんな知ってる。
どこへ行っても「とてもいい子だ」ってかわいがられている。
『ごちそうしてくれたものは残しちゃいけないんだ』って言って、外では嫌いな物だってちゃんと食べるのに。
「そうですよねぇ。みんなが忙しいときは少しくらい熱があっても『大丈夫だ』っておっしゃって……スウィード様が何ヶ月もお帰りになれなかった時だって……」
お城は大人ばっかりだから大人の都合が優先されてしまうんだって言いながら、ニーマさんは少ししょんぼりした顔でエプロンのフリルをいじっていた。
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