Halloweenの悪魔
神殿プール


-1-

次の週末もやっぱりみんな出かけていて、残った人たちもすごく忙しそうだった。
アルは朝から呪文の特訓で、さっき様子を見に行ったら、何かを失敗してしまったのかちょっと焦げていた。
「どうしようかな。エネルはまだ寝てるしなぁ……」
僕一人きりだけど、今日は迷子の心配がない。
ばあやさんが出かける前に置いていってくれた特製の糸をつけているからだ。
とても強力な呪文つきなので、絶対に外には出られない。
どんなに思いっきり足を踏み外しても、落っこちるのはお城の敷地の中だから安心だった。
市場にいけないのはちょっと残念だけど、今日は100メートル歩いただけでもひからびてしまいそうなほど暑いから、まあいいやって思うことにした。
そんなわけで、冒険者になるための勉強のつもりで「ジアードの歴史」という本を開いてみたんだけど。
「……読めない字ばっかりだ」
いつもなら僕にもわかる本を選んでもらうけど、ミミズク司書さんは『王立図書館』の地下倉庫に日照りについての文献を探しに行ってしまって留守だった。
「しかたないなぁ」
大きなドアを押して廊下に出ると、お城の中がやけにどんよりしていた。
全体的に灰色がかっていて、なんだか空気まで重いような気がする。
何かあったのかなって思いながらお茶の部屋に行ったら、ニーマさんが一人で黙々とお茶の準備をしていた。
「僕、お皿並べるの手伝うよ」
「あら、レン様! よかった。魔術師さんが全員不在なので、食器が思うように動かなくて、本当にもう間に合わないんじゃないかと―――黄色いお皿、ピンクの小さいお花のお皿、斜め上あたりに白と水色のお皿でお願いしますね。スプーンとフォークを置く分をあけて……そうそう、お上手ですわ!」
とても忙しそうだけど、ニーマさんは休むことなくしゃべっていた。
「だって、ずっと一人でつまらなかったんですもの」
話し相手がいたほうが仕事がはかどるからって言うニーマさんの手は、確かに僕にはよく見えないくらい早く動いていた。
でも。
「僕、図書室から来たんだけど、あのへんだけ廊下が灰色だったんだ」
どうしてだろうって尋ねると、さっと手を止めて心配そうな顔になった。
「イリス様が……ちょっとお体の調子が良くないみたいで、洗濯室の倉庫のところもちょっとカサカサした感じだったんですよね」
王様の椅子であるイリスさんは、普段は自分の部屋に篭りきりであまりみんなの前に現れない。
でも、具合いが悪いときはお城がくすんでしまうのですぐにわかるらしい。
「外側は呪文で常に同じ状態を保っておりますけど、今は魔術師さんたちもみんな忙しくて、隅のほうまでは手が回らないので……イリス様は平気だっておっしゃってましたから、お体のほうはぜんぜん大丈夫なんですけど」
でも、よそではその話はしないようにって頼まれてしまった。
「うん、約束する。でも、どっちみち今日は糸がついてるから外へは出られないんだ」
「あら、そうでしたね」
王様の椅子が寝込んでしまうようなことがあれば国は傾くと言われている。
だから、町の人たちにとってもイリスさんの不調は大問題なのだ。
「誰だって『暑くてちょっとだるいなぁ』って時はありますから。イリス様も今日はちょっとそんなご気分なんでしょう」
「そうだよね。僕もあんまり外へ出たくない感じだな」
たいしたことがなくても、変なふうに噂が広まれば町の人たちはパニックを起こしてしまうかもしれない。
いろいろ難しいのだ。
「呪文以外で何かお城が明るくなる方法があるといいのにね。なんかすごくいいことがあったらパッときれいな色になるとか」
本当はフェイさんたちがもう少し忙しくなくなればいいんだろうけど、当分それはムリそうだし。
「いいこと、ですか……あ! そういえば、今朝早くルシル殿がお見えになって―――」
また元気にしゃべり出したニーマさんの話題は、僕にもちょっとうれしいことだった。
弟がくれた蝶は、あの日からずっとルシルさんの髪を飾っているけど、最近ではときどきひらりと動くようになったらしい。
「『王騎士なのにあんな安物を』なんて言う者もおりますけど、でも、ご本人はぜんぜん気になさってなくて―――」
あの蝶はばあやさんのお墨付きだ。
僕が聞いた時も、「とてもよいものですよ」っていつも以上にしっかりと断言していた。
長い間、妖魔にまとわりつかれながら、ほんの少しも黒く染まらなかった髪飾りは、この先、多くの災いからルシルさんを守ってくれるだろうって。
「そうですよね。だって、自分の命が消えたあとまで『これだけは妖魔に染まらないように』って、一生懸命守り抜いたものですから」
いつか大好きなルシルさんの髪を飾れるように。
大切に大切にその手に握り締めていた。
弟のことを知らない僕にも、どんなにルシルさんを好きだったかすぐにわかるほど。
「いいなぁ」
「レン様も欲しいですか?」
ニーマさんに聞かれたけど。
「ううん。僕はあげるほうがいい」
前にアルが「バジはいつだってフェイにばっかりだ」って文句を言っていたから、僕が一人で遠くに出かけたらちゃんとお土産を持って帰ろうって決めている。
「遠くでなくてもよろしいんじゃありませんか? たとえば番人のお庭とか」
最近は庭師さんとかサンディールとか、小鳥たちのお世話をしてくれる人たちとか、お城で働いている人が庭に出入りするようになったから、前よりもいろんなものをお土産にできるだろうって教えてくれた。
「お花も珍しい種類のものが増えたようですし」
「そうなんだ?」
「ええ。アルデュラ様からご依頼があって、サンディールも時間のある時は頑張って手入れしているようです」
僕らが行けない間に荒れ果てると困るので、何日かに一回、交代で様子を見に行ってもらうことにしたのだという。
「お城の人なら誰でも入れるの?」
「大丈夫みたいですよ。今まで入場拒否された者はおりませんし」
入るための条件はアルが決めたので詳細はわからなかったけど。
「今はまだ試験的な運用なので、最終案ができたら教えてくださるみたいです」
「アルって意外とむずかしいこと考えてるんだね」
すごいなぁって思ったけど。
「あら、きっと『俺が好きな相手だけ入ってもいい』みたいな分かりやすいものですよ」
だってアルデュラ様ですから、って。
ニーマさんはちょっとだけ肩をすくめながら、くすくす笑った。


お茶のしたくがすっかり整ったあと、僕は一人で番人の庭へ行くことにした。
「この間エネルと一緒に行ったとき、朝しか出ない小さい太陽の下くらいに大きい柱みたいのが見えて気になってたんだ。あれ、なんだと思う?」
「ということは、お花畑の向こう側ですよね?」
「うん」
でも、ニーマさんは柱なんて見たことがないって首を振った。
「一昨日の朝に行ったばかりですけど、特にそれっぽいものは……アルデュラ様も『花畑の向こうにはまだ何にもないから手入れはいらない』っておっしゃってましたし」
「そっかぁ。じゃあ、僕の気のせいかな」
番人の庭は行くたびに少しずつ景色が変わるけれど、広くなったあとは必ず新しい通路ができる。
でも、あのとき柱の方に向かう道は見当たらなかった。
やっぱり気のせいだったんだなって思いながら、焼きたてのクッキーを持って庭へ出かけた。


「よかった。ここはわりと涼しいや」
朝しか出ない小さな太陽はまだ空にあったけど、今日は半円形だった。
僕が太陽って思ってるだけで、本当は昼間も見える月なのかもしれない。
白い柱は確かそこからまっすぐ下あたりのはず。
目を凝らしたり細めたり、一回つむってからまた開けてみたりしたけど、どんなに探してもそれっぽいものは見つからなかった。
「やっぱ、気のせいかぁ……」
がっかりして足元を見た瞬間、すぐに前とは違うことに気がついた。
そっちに向かう新しい通路ができていたのだ。
地面は誰かが草を踏んだようなあとがついているだけで道というほどでもなかったけど、頭の上にはひらひらの花びらが降るかわいいピンク色のバラのアーチが二メートルくらいの間隔で並んでいた。
「庭師のおじいさんが作ったのかな」
そういえば、市場へ行くときに使う裏門にちょっと似ている。
この花もいい匂いだなと思いながら一つずつくぐっていったけど、途中でアーチが少しずつ小さくなっていることに気づいた。
10個目くらいで少し屈んで、そこからはだんだん腰を折り曲げて、最後には手をついて進むくらい低くなってしまった。
どうやら、お城の人が作ったものじゃなく、アーチ型に成長する植物らしい。
「服、汚れてないといいけど」
アルから借りた服ならニーマさんの呪文一つで済むけれど、今日は自分の服だから落とすのが大変だ。
ほとんど腹ばい状態で最後の一個をくぐって立ち上がると、目の前には白い風景が広がっていた。
ニーマさんは見たことがないって言ってたけど。
「やっぱりあった!」
ギリシアの神話に出てくるみたいなスラリとした柱。
あちこちに伸びている階段も通路も全部真っ白で、流れる水のような彫刻がついていた。
「あとでアルにも教えてあげよう!」
この庭も最近はあんまり広がっていなかったから、きっと喜ぶだろう。
お弁当を持って、お昼寝が終わったエネルも連れて来ればもっと楽しいはず。
「だったら下見をしておかなくちゃ」
いくら番人の庭でも、エネルはまだ小さいんだから。
一人で歩いても大丈夫かどうかくらいは調べておこう。
そう思って、建物の周りをぐるりと歩いてみることにした。
でも、二つ目の柱を曲がったあたりで、すぐに大変なことに気づいた。
「なくなっちゃった……」
さっきまであった柱が一つもなくなってしまったのだ。
「このへんに建物があったはず……いたっ」
よそ見をしていたせいで勢いよくつまずいてしまった。
すごくわかりにくいけど、足元に透き通った階段があったのだ。
面白い建物だなって思いながら来た道を少し戻ると、今度は柱が縦に半分だけ見えた。
「こっちからだと透けちゃうんだ」
どうやら見る位置によって白かったり透明になったりするらしい。
せめてガラスくらいのレベルで見えたら危なくないのに。
「お城からペンキを借りてきて塗っちゃおうかな」
アルは大丈夫そうだけど、エネルは飛び回っているときに柱にぶつかってしまうかもしれないし。
「よし。ペンキだ!」
勝手に塗るのはダメだけど、アルの庭なんだから、アルが「うん」って言えば大丈夫なはず。
「じゃあ、一回戻って、アルの呪文の練習が終わったら相談して……」
一緒にペンキを塗るのも楽しそうだなって思っていたら、後ろから飛んできた鳥が柱のあるところに突っ込んでいくのが見えた。
「あっ、危ないっ!」
思いっきり叫んだけど。
「……あ……れ?」
小鳥は当たり前のようにそのまま飛んでいった。
「ここ、柱があったはずなのに……痛っ」
声を上げた瞬間、半分透明のちょうちょが同じ場所を通り抜けていった。
どうやらぶつかるのは僕だけらしい。
もしかして、僕だけ柱にきらわれてるんじゃないだろうか。
「……なんかショックだ」
少しさみしい気持ちになりながらも、いったんニーマさんのところに戻ることにした。
時間があったらいっしょに来てもらおう。
「ニーマさんも透明なところを通れるなら、やっぱり僕だけってことだよなぁ」
もしそうだったらちょっとショックだけど。
早く確認したくて足は早くなった。
でも。
そのあとまっすぐお茶の部屋に帰ることはできなかった。
庭から長い廊下へ出る扉を開けたところで、膝を抱えて座り込んでいる人を見つけてしまったからだ。



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