Halloweenの悪魔
エンデの森


-10-

僕の前に立っていた犬ぬいぐるみの人も「やれやれ」という感じで顔をしかめた。
やがて、ガサガサと葉っぱが揺れて、ひょっこり薄グレーの毛皮が覗いた。
「なんだ、それは。人間ではないのか?」
大きな木の下に羽つきウサギのぬいぐるみ。
思いっきりギュギュッと太い眉を寄せていた。
「本当だ、本当だ」
「子供とは言え人間を森に入れるなど、まったくどういうつもりなのだ」
あとから現われたのはリスとモモンガ。
「何事だ?」
「その黄緑のものはなんなのです?」
「見たことのない生き物だな。苔の化身か?」
「前のが片付かぬうちに、また不届き者が迷い込んだか」
振り返ったら後ろにも4つ。フェレットが二つとたぬきと鹿。
見た目がぬいぐるみっぽいってことも、フェルトの羽がついているのも全員同じだ。
いつの間にか僕らを囲んで立っていて、みんな同じように顔をしかめている。
このまま帰してもらうのは無理かもしれない。
一秒だって早く戻ったほうがいいのに。
なんて説明しよう。
どうやってお願いしたら、このまま森を出られるだろう。
急に心臓がドクドク変な音を立て始めたけれど。
そのときコホンと軽い咳払いが聞こえた。
犬ぬいぐるみの人だった。
「見張りを怠ったわけではない。招き入れたのだ。人間の子どもがレンとかいう名前で、それはどうでもいいのだが、あちらの布切れにくるまっているお方がエネル様だ」
エネルが「きゅ!」と鳴くと、とたんに「おお」というどよめきが起こった。
ここではエネルという名前はそれだけで特別らしい。
「エネル様は前に一度この森に降り立たれたことがあってな。苔がたいそうお気に召したというのでご案内した」
3分の1くらいは作り話かなって感じだったけど。
僕らを囲んでいた人たちはものすごく「なるほど!」って顔でうなずいた。
「そうでございましたか」
「楽しんでいただけて何よりでございます」
「よろしければお茶かお食事をご一緒に」
みんな急にやさしくなったんだけど。
僕は一秒だって早くアルのところへ行きたかった。
「……あの……僕、もう、エネルを連れて帰らないと」
言ったとたんにギロッとにらまれた。
どうやら、やさしいのはエネルにだけらしい。
どうしようって思っていたら、また犬ぬいぐるみの人がコホンと咳払いをした。
「エネル様はそろそろ午睡のお時間だそうだ」
『ごすい』がなんだかわからなかったけど、まかせておけば大丈夫だって思ったから、とりあえずうなずいて様子をみた。
「そうでございますか。まだお小さいですからな。それはともかく、人間の分際でエネル様を呼び捨てにするなど、まったくもってあるまじきこと」
ごめんなさい、ってあやまってしまおう。
それですぐに帰してもらえるなら別にいいって思った。
でも。
エネルが突然「きゅううううううっっ」と大きな声を上げたので、みんながびくっと飛び跳ねた。
薄い板の上にぬいぐるみを円形に並べて、真ん中をバンって叩いたらこんな感じだろう。
「これは……そうとは知らず大変失礼いたしました」
「人間のほうが主なのか。なんだか解せぬが」
「拾い主とあらばしかたない、と言うよりほかないな」
僕にはちっともわからない「きゅううう」をエンデの人たちはちゃんと理解できるみたいで、口々にあれこれつぶやいている。
「ならば、明日にでも改めてご招待を」
この誘いを受けなければお城には帰してもらえない気配だったから、僕もエネルも真面目な顔でうなずいた。
「では、2の太陽が半分になる頃に。いつだか分かるな?」
帰ってから誰かに正確な時間を聞かなければいけないけど、今の時期に2番目に昇る太陽は月みたいに細くなったりまるくなったりすることは僕ももう知っていた。
「えっと……朝ごはんと昼ごはんのちょうど間くらい」
「そうだ」
お茶会の約束を終えて、みんなも満足したらしい。
急にニコニコ笑顔になってサッと僕のほうに手を差しのべた。
ううん、僕のほうじゃなく、僕の肩に乗っているエネルのほうに、だ。
「では、わたくしめが出口までお送りいたしましょう」
フェレットぬいぐるみの人が先に立って歩き出そうとしたけど、犬ぬいぐるみの人がちょっと大きな声でビシッと止めた。
「客の対応は見回り番であるおれの仕事だからな。みなは自分の持ち場に戻れ」
ぬいぐるみたちがいっせいに不満そうな顔になる。
怒ってるっていう感じじゃなくて、「ほらほらもうこんな時間だから、遊んでいないで宿題をやりなさい」ってお母さんに言われたときみたいな感じだ。
とにかくそのおかげで僕らはまっすぐ扉のある場所まで戻ることができた。
「えっと、今日はいろいろたくさんありがとうございました」
犬ぬいぐるみの人はやっぱり「礼など言われる覚えはない」って知らん顔してたけど。
本当はすごくやさしい人なんだっていうことはもうわかっている。
「明日はわざわざ上から落ちてくる必要はないぞ」
ちゃんと招かれているのだから、近くまで来れば扉は見えるって説明までしてくれた。
「ありがとうございます」
明日はエネルと二人で丘にきて、頂上の木のところで待てばいい。
お茶会に招待されたんだから、お土産も持ってこないと。
何がいいかはニーマさんと相談して決めよう。
「じゃあ、明日また来ます」
もう一度「ありがとうございました」って言ってから扉に手をかけたけど。
お城に帰る方法をぜんぜん考えていないってことに気がついた。
丘に電話はないから一番近い町へ出よう。
コインは持ってきていないけど、前に行ったあの町ならアルの友達だって言えば電話代を借りられるかもしれない。
「……うん、そうしよう」
ぬいぐるみの人に聞こえないくらい小さな声でつぶやいてからドアを開けた。
そしたら。
「あれ……?」
少し離れたところでひざまずいてお祈りをしている人がいた。
ニーマさんだった。
「レン様!」
いつだってとても明るく笑っているのに。
駆け寄ってきたニーマさんは、黄緑色になったエネルと僕を見て、ほっとしたような、でも今にも泣きそうな顔になった。
そして、僕の前まで来ると、あけっぱなしの扉の方に向かって何も言わずに深くお辞儀をした。
片足を引いて、ドレスの裾を少しつまんで。
「ありがとうございます」
やっと言ったお礼は、最後のほうがかすれて聞こえなくて。
ポタポタと涙が落ちてエプロンに染みができた。
僕もエネルもあわててニーマさんのまねをしてお辞儀をしたけど。
ちょっとだけ顔を上げたとき、扉を押さえて立っていた犬ぬいぐるみの人がなんだかものすごく困った顔でジリジリとあとずさりしているのが見えた。
そして。
「いや、おれは、何も」
それだけ言うと、バタンとドアを閉めてしまった。


ニーマさんが緊急用の扉を用意してくれたので、お城の玄関まで7歩くらいで着いた。
「お帰りなさいませ、レン様」
「ニーマ殿もご苦労でした」
出迎えてくれたのは、執事さんとミミズク司書さん。
黄緑になったエネルに気づくと、二人ともホッと息を吐いた。
「アルデュラ様は昨日とお変わりありません。メリナ殿も間もなく戻られるそうです」
ほんの数メートル廊下を歩き、アルの部屋に向かう。
「ほんと? よかったぁ!」
ばあやさんが帰ってくるならもう安心だねって言う僕にうなずきながら、ニーマさんが目元を拭く。
「ウィヴリル=ク様が術を施してくださいましたので、苔はこの上に」
ミミズク司書さんが羽の先で指したのは大きなテーブルクロス。
呪文つきだから苔が飛び散っても簡単に集められるらしい。
その説明を聞いてから、エネルを真ん中に置き、包んでいたハンカチをほどいた。
「じゃあ、そっとね」
「きゅ」
ふるふると体をゆすると思った以上にたくさん黄緑色の粉が落ちる。
「ずいぶんと分けていただきましたな」
執事さんの言うとおり、まるめたら小さなエネルが作れそうなくらいあった。
「森にすごくやさしい人がいたんだ。あと、エネルががんばったんだ」
こんもりつもった黄緑の粉をお医者さんが小さな匙ですくう。
ワゴンのような小さなテーブルには、何かの実験みたいに小さなグラスやビーカーのようなものが並んでいたけれど、苔が本物かどうかを確認したのはやっぱり革表紙のドクターだった。
ドクターがぶわっと光り、通訳代わりのミミズク司書さんが重々しくうなずくとお医者さんが慎重な様子で粉を水に入れ、スプーンでかきまぜた。
「意外と美味かもしれませんな」
薄い黄緑色になった水の匂いを嗅いだあと、小さな声でつぶやいたのもお医者さんだった。
庭師の奥さんが小さなコップをお医者さんから受け取り、ベッドに運ぶ。
カーテンで囲われたベッドは中がぜんぜん見えなかったけど、アルには意識がないから飲ませるのはちょっと大変だったみたいで、こちらに戻ったのは10分くらいたってからだった。
「アル、ちゃんと飲んだ?」
「はい。残さずお飲みになりました」
空になったコップのにおいを嗅がせてもらったけど、ハーブティーみたいでおいしそうだった。
「もっと草っぽい感じだと思ってた」
「私もです」
コップに鼻を近づけたニーマさんがうなずくと、執事さんも同じようにして匂いを嗅いでいた。
珍しいものだからみんな興味津々だ。
テーブルに置かれたあとは、エネルが小さな手を縁にかけて中をのぞき込んでいた。
「入っちゃだめだよ?」
「きゅ」
羽も体も丁寧に拭き取ってもらってすっかり水色に戻ったエネルは、なんだか眠そうな顔をしていた。
夕べもあんまり寝ていないし、何度も大きな声を出したし、ちょっと疲れたのかもしれない。
そう思っていたら、ニーマさんが寝床を持ってきてくれた。
アルのことが心配だからか、エネルは最初首を振っていたけど。
「目を覚ましたら、エネルも起こしてあげるから」
「……きゅ」
約束するよって言ったあと、10秒もしないうちにすやすやと眠ってしまった。
「そういえば、レン様は朝のお食事がまだでしたね」
ちゃんと召し上がらないとダメですよって言われたけど、僕は「もうちょっとしたら」って答えた。
「エネルが起きたらいっしょに食べるよ」
お昼くらいには目を覚ますだろう。
もしかしたら、アルも気がつくかもしれないし、って思ったんだけど。
「ニーマさんは朝ご飯食べたの?」
ふと気になって聞いてみたら、ニーマさんだけじゃなく、執事さんも食べてないってことがわかった。
「じゃあ、軽くつまめるものをご用意いたしますね」
部屋の隅に小さなテーブルが用意され、執事さんが人数分の椅子を並べた。
ピリピリした空気はすっかりなくなり、お医者さんもミミズク司書さんもおいしそうにお茶を飲んだ。
みんなのカップから一杯目がなくなる頃にはアルの呼吸もすっかり穏やかになって、体温計を持っていったお医者さんも満足そうに深くうなずいた。
「熱も下がり始めましたな」
笑顔で振り返った先生に「もう大丈夫」って言われたとき、僕だけじゃなく、ニーマさんまでわんわん泣き出してしまった。
「あとは安静にして、目を覚まされたらお好きなものをたくさん召し上がっていただいてください」
泣きながら「はい」と答えるニーマさんを見て、執事さんも庭師の奥さんも少し涙ぐんでいた。
そのあと王様とも連絡が取れて、「できるだけ早く戻る」って返事があった。
「今のところ他の町から病気の報告はありませんし、ウィヴリル様も大事にはならないだろうとおっしゃっています。ただ、草原の穴や消えた男のことはこれから念入りに調べないと……」
王様やばあやさんたちが戻ってからじっくり相談することになるだろう。
そう言った執事さんはなんだかとてもむずかしい顔をしていた。
「陰謀の匂いがしますね」
ニーマさんが赤い目のまま顔をしかめたから、
「うん。インボウの匂いだね」
僕も力いっぱいうなずいてみた。


残った苔はびんに入れて保存することになった。
アルが病気にかかってしまったあたりにはたまたま子供がいなかったけど、まだ安心はできない。
これからどこかで同じ病気が流行してしまうかもしれないからだ。
「ビンにいれておけば少しずつ増えるって言ってたよね?」
「ええ。増えてもいいように少し大き目の入れ物にして、日当たりのいいところに置いておきましょう」
大事そうにビンを持って窓のほうに歩いていくニーマさんは、なんだかはずんだ足取りだった。
「色がきれいだからでしょうか。そばにいると癒されますね」
「じゃあ、アルのベッドから見えるところに置こうよ」
「ええ、そうしましょう」
早く良くなりますようにって二人でお祈りしてから、寝ているアルのところに戻った。
大きなベッドの、わりとはじっこに寝ているアルの顔をのぞきこむと、寝息はもうすっかりスヤスヤって感じに変わっている。
「よかった」
いっしょにご飯を食べられたらいいなって思いながらそばに置いた椅子に座っていたけど、急に大事なことを思い出した。
「あ!」
「どうなさいました?」
ニーマさんがちょっとびっくりした顔で振り返った。
「僕、ちょっと物置部屋に行ってくる。きれいなハンカチ貸してもらえる?」
「物置、ですか?」
「うん」
自分のはもう黄緑色になってしまったので使えない。
そう言ったら、すぐに「ああ、そうですね」ってうなずいて、戸棚から真っ白なハンカチを出してくれた。
「鍵は開けたままになっていますから」
「うん、わかった」
ハンカチだけを持って部屋を飛び出した。
もちろん『冒険者の往路』にお礼を言うためだ。
「……あ、違った!」
スノードームの本当の名前は、今日エンデールさんから教わったんだっけ。
儀式のあと、いろいろあって大変だったけど、こうやって新しいことを覚えられるのは楽しいなって思いながら足を早めた。


アルの病気のことがあったせいで出かけていたお城の従者が何人か戻ってきたらしい。
途中で何人かとすれちがったけど、物置のあたりはやっぱり誰もいなかった。
「ただいま、ハノーツ! アル、もう大丈夫だって!」
勢いよくドアを開けて、大きな声で報告した。
透明なドームには空さえ見えない。
たぶん今は案内するような場所がないからなんだろう。
「ありがとう」って言ってから、てっぺんからハンカチで拭きはじめた。
今日あったことを順番に話して、それから、アルが助かってどんなにうれしかったかってことも伝えて。
「案内してくれて本当にありがとう、ハノーツ。僕、一生忘れないよ」
まるい部分を拭き終わってから台座をきれいにした。
テーブルの上も、周りにあるものも軽く拭き、全体的にきれいになってから椅子を持ってきて腰かけた。
ほおづえをついてドームを見上げる。
ちょうど窓の前にある三番目の太陽のせいで、オレンジ色にキラキラしてた。
「僕、ものすごくよく迷子になるんだ。またどこかへ行ったら、どんな場所だったか話しに来るね」
別に理由はないんだけど、ハノーツはきっと冒険の話が好きだって気がした。
「今のところはほとんどお城の中で迷ってるだけなんだけど……あ、この前ね、ルシルさんたちが仕事している場所に……ルシルさんって、王様の騎士ですごくかっこよくてキレイな人なんだけど―――」
どこまで話したのか、どこからが夢だったのか。


物置の中。
窓から差し込むななめの光が、少しほこりっぽい空気を照らしている。
自分がテーブルの上に乗ってるみたいに思えるのは、きっとハノーツから見た世界だからだろう。
扉が開く音と軽やかなステップが聞こえたあと、急に目の前が水色になり、ふんわりと甘い香りがした。
しばらくすると手品みたいにパッと消えて、そのあとに見えたのはアルの笑顔だった。
声は聞こえない。
でも、『よし、きれいになったぞ』って形に口が動いた。
「ハノーツのこと拭いてあげたの、アルだったんだね」
ピカピカになったあと、ハノーツから見た世界は明るくなった。
隣に置かれたランプも山積みの本も、もうすぐ夕方の空も。
それから、テーブルにひじをついて熱心に何かを話すアルの顔も。
全部がすごくいいものみたいにキラキラしていた。
声はやっぱり聞こえなくて、話の内容はぜんぜんわからなかったけど。
夢の最後で。
『お約束いたしましょう。今日のお礼に』って。
答えたハノーツも、うなずいたアルもとてもとても楽しそうだった。
何の話か知りたいなってちょっとだけ思ったけど。
でも、それは二人の約束なんだろうって思ったから聞かなかった。


アルが起き上がれるようになったら、今度はいっしょにお礼に来よう。
元気になったアルを見たら、ハノーツはきっと喜ぶだろう。


                                     fin〜


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