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「こっ、こんにちは!」
最初の「こ」はかすれてしまい、最後のほうは声がひっくり返った。
ノックをしてから30数えた。
でも、返事がない。
ノブを回してみたけど、中から鍵がかかっている。
しかたがないのでもう一回大きな声で呼んでみた。
「こんにちはっ! もし、ここがエンデの森だったら、僕、この間、空から落っこちてきた、レンっていう者ですがっ」
ドアがビリビリするくらい声を張り上げ、また30数えて。
それでも反応がなかったので、もう一回おんなじことを言ってみた。
そしたら。
『うるさい!』
とつぜん聞こえた声に心臓が大きく鳴った。
間違いない。
フェルトの羽つきぬいぐるみの人だ。
「虫さんっ、虫さーんっ!! ちょっとだけ話がしたいんですっ!! お願いします! 大事な! ものすごく大事な話がっ! あるんです!!」
そろそろのどが痛い。
でも、今がんばらないとアルに薬を持っていってあげられない。
「虫さんっ、聞こえてますかっ、あのっ」
お願いします、少しだけでいいから話を聞いて……って。
言いかけたとき、ドアの向こうから声だけ届いた。
『確かに先日落ちてきた人の子だな。まったく、二度もやって来るとは』
すごく呆れた感じだったけど、つづきは「大事な用なら聞いてやらなくもない」って言葉だった。
「ありがとうございます」
かすれた声だったせいかお礼はちゃんと聞いてもらえなかったみたいで、まだ言い終わっていないのに向こうから質問がきた。
『エンデの話をどこで聞いた?』
「えと、……僕はよくわからなくて、僕の友達の家の人が教えてくれて……あの、本に書いてあったから、それを見せてもらって」
あせってしまって順序良く話すことができない。
言い直そうかと思っていたら、次の質問がきた。
『ならば我が君主の名も分かるな?』
答えたら用件を聞いてやろうと言われた瞬間、血の気が引いた。
そんなのぜんぜんわからない。
こんなことならミミズク司書さんに聞いておけばよかった。
「ごめんなさい、それは―――」
わからないんですって言いかけたけど。
不意に耳を過ぎったものがあった。
スノードームに吸い込まれたときに聞こえたあの声だ。
「あ……エンデの王子様は『ル・ルーク』だって―――」
いっぱいいっぱいだったからぜんぜん気づかなかったけど、言ったあとすぐに怒られてしまった。
『ル・ルーク様と言え』
「あ……ごめんなさい」
あわてて『ル・ルーク様』と言い直したら、ものすごく『しかたない』って感じの声が返った。
『周りをよく見て、おまえ以外誰もいないのを確かめてから入れ』
本当はとびはねたいくらいうれしかったけど、それはがまんして、扉のうしろのほうまでぐるっと一周してみた。
朝早くだから、人の気配なんてまったくない。
よし大丈夫って気持ちで一度うなずいてからノブを回した。
その瞬間、ペンダントがかすかに光ってドキッとした。
すっかり忘れていたけど、中には悪いヤツがいるんだった。
でも、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「失礼します」
深呼吸をしてからそっと開いたドアの向こうには、やっぱり犬ぬいぐるみの人の姿があった。
フェルトの羽はとてもゆっくり動いていて、地面から1メートルくらいのところでふんわり浮いている。
僕の世界の鳥や虫だったら、とっくに草の中に落っこちてるだろう。
「どうやってここへ来た?」
ぼんやりフェルト部分を見ていたら、ちょっと厳しい声が飛んできた。
ぬいぐるみの人の説明によれば、「一度くらいの偶然はあるかもしれないが、招待されていない者が二度もたどり着くことはない」ってことらしい。
「あの、お城に『冒険者の往路』っていうのがあって、道案内をしてくれる道具らしいんですけど」
ガラスとかクリスタルとかそういうものでできた透明のドームで、そこから中に入ると空に出て、飛びながら落っこちるとここへ来ることができるんだって。
話しているうちに自分でもぜんぜんわからなくなって首をかしげてしまったけど。
「道案内をするクリスタルのドーム?……ハノーツのことか」
ぬいぐるみの人はすぐにうなずいて、「なるほどな」っていう顔をした。
でも、僕にはちっともわからなかった。
「ハノーツっていう名前なの?」
「知らないのか。……まあ、人の子では無理ないな」
ひとりごとみたいにつぶやいたあと、ピタリと羽を止める。
タネもしかけもないのに空中にぽつんと浮いているぬいぐるみは、かなり不思議な感じだ。
「それで? 王子の名は誰に聞いた?」
前に会った時よりなんとなく冷たい。
きっと森に用事がある人の審査はとても厳しいんだろう。
僕も慎重に答えなければ。
「えっと、ジアードのお城を出るときに」
声だけだったから誰かはわからないと答える前に、ぬいぐるみの人は今度も「ああそうか」という顔でうなずいた。
「城には言伝えがいたな」
だったら知っていて当然だと、やっぱりひとりごとみたいにつぶやいたけど、僕は首をかしげてしまった。
『ことづたえ』ってなんだろう。
お城にはかならずいるものなんだろうか。
でも、あれは知ってる人の声だった気がする。
だとすれば、僕の知ってる誰かが『ことづたえ』なんだろうか。
あれこれ考えていたら、ぬいぐるみの人が「ぅうん?」と低くうなって眉を寄せた。
「人の子、そこに何を隠しているんだ?」
じっと見つめているのは僕の肩のあたり。
でも、こんなところに何かを入れられるようなポケットなんてついてない。
そう思ったとき、もぞもぞとフードが動いて小さな水色の頭が覗いた。
「あっ……エネル」
そういえば、いっしょに来たことを話してなかった。
もしかしたら怒られるかもしれないって心配になったけど。
「先だっての拾い子だな。まさか、エネルの名を受けたのか?」
ぬいぐるみの人は、ものすごく驚いた顔でふわふわした水色の頭を見ている。
「エネル・ソラ・イセリっていうんです」
「なんの呪文だ?」
「この子の名前です」
説明してもちっとも聞いてない感じで、エネルがきゅうきゅう言いはじめたら、すっかりそちらに向いてしまった。
「エーネに由来する名を持つ落とし子とは……まったく厄介な。エンデに住む者としては無視するわけにもいくまい。仕方がない。おまえの話を聞いてやろう」
「ほんと!?」
心の中が一瞬でパッと明るくなって、気球くらいの大きさに期待がふくらむ。
でも。
アルが病気でどうしても苔が必要なのだという説明を終えたあと、すぐにまた真っ暗になってしまった。
「あれを持ち出すにはエンデの者全員を集めて会議をしなければならない」と言われたからだ。
「返事は次の新芽月に」
『シンメヅキ』がいつなのかはわからないけど、それが今夜だったとしても遅い。
「あのっ……もっと早くならないですか?」
今すぐ返事が欲しいんですってお願いしてみたけど、ぬいぐるみの人は無表情のまま首を振った。
「無理だ」
「でも―――」
「無理と言ったら無理だ」
聞いた瞬間、ぶわっと涙があふれた。
「だって、そんなこと、してる間に、アル、死んじゃ、うよ」
にじんだ風景の中、ぬいぐるみの人は困ったように眉を下げている。
なんとかしなくちゃ。
もう一回ちゃんとお願いをしなくちゃ。
そう思っているのに、もう何にもしゃべれなかった。
「何を言っても無駄だ。そういう決まりだからな」
「待って、おねがい、だって」
「帰れと言ったら帰れ」
ぬいぐるみの手が僕の襟元をつまむ。
ふんわりしていて力なんてなさそうなのに、体は簡単にふわりと浮き上がった。
「おね、がいしますっ……アルが……アルが死んじゃったら、僕―――」
がんばらなくちゃって思ってたのに。
涙がつぎつぎあふれてきて、そのうち声も出なくなった。
「泣くな、人の子。それがここの決まりだ。どうにもできん」
コホンコホンと咳払いが聞こえ、扉の前で僕をぽいっと放したぬいぐるみの人が背中を向ける。
このまま帰るわけにはいかない。もう一度ちゃんとお願いをしよう。
何回も何回も袖でほっぺを拭いて、がんばって話そうとした。
「おね、がいします、どうして、も今、すぐ、だって、アルが」
でも、出てくるのは涙ばっかりで、まともな言葉にならなかった。
悲しくて、くやしくて、そう思えば思うほどちゃんとしゃべれなくて。
最後には草の上に座り込んでわんわん泣いてしまった。
ぬいぐるみの人はその間もずっと背中を向けていたけど。
しばらくするとフェルトの羽越しにチラリと視線が飛んできた。
「だが、まあ、そうだな……たとえばエネル様が苔の上で遊んで帰るくらいなら、会議をする必要もないだろう」
はじめはどういう意味なのかわからなかった。
でも。
「まあ、つまり、その、なんだ……多少、苔の粉がついたとしても咎める者はおらんということだ」
チラチラと向けられる顔はさっきよりもずっと困っているみたいだった。
「あ……ぁ、りが、とうございま、す、あのっ」
「礼など言われる覚えはない。おれは何もしてないからな。いいか、何もしていないんだ」
わかったな、と念を押したあと、ぬいぐるみの人はすぐに僕とエネルをつまみあげて苔の生えている場所まで連れていってくれた。
「エネル、お願いね」
涙と鼻水を拭きながらエネルをそっと地面に下ろすと、任せてといわんばかりに「きゅ!」と鳴いてあちこちを勢いよく転げまわった。
ふわふわの毛の間にみっしりしっかり苔の粉をつめこんで、水色のはずのエネルはすっかり黄緑に、しかもいつもの倍くらいにふくらんだ。
「ありがとうございます。こんなにいっぱい!」
だって、ミミズク司書さんが「ティースプーンの先くらいで十分」って言ってたんだから、これなら何人分にもなるだろう。
粉が落ちないように顔だけ出してハンカチでふんわりくるみ、フードに入れた。
「本当にありがとうございます。今日はすぐ帰らないといけないんですが、あらためてお礼に」
「ああ、もういい。わかったから早く行け。面倒なことにならんうちにな」
せっかく親切にしてもらったんだ。迷惑をかけたらいけない。
誰かに会わないように気をつけて、こっそり森を出ようって思ったのに。
「エンデール、エンデール! 何をしている。よそ者の匂いがするぞ!」
トゲトゲした声を聞いた瞬間、サーッと顔から血が引いていった。
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