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そんなことをしているうちに儀式の準備が整ったらしい。
いつの間にか風も弱くなっていた。
僕が王様椅子の片方に座るのを見届けてから、町長さんも後ろのほうの席に腰を下ろした。
「儀式についてもわたくしがご案内役を務めさせていただきますので、何なりとお聞きください」
隣に座ってくれたらもっと話しやすいのにって思ったけど、王様椅子と普通の椅子は並んで置かないのが決まりらしい。
儀式の作法は他にもいろいろ複雑で、分厚い説明書があるのだという。
「町長さんは全部読んだんですか?」
「はい。もう何度も」
それでもなかなか覚えられなくて、今でも何かあるたびに読み直しているって言っていた。
「あれもお作法の一つなんですよ」
手で差した先には町役場の人たち6人。
ぐるぐる巻きの大きなカーペットを担いできた。
「いち、にー、さん」という合図でお屋敷の前からコロコロ転がすと、見張り台に続く道の途中にある半透明のドアの前まで伸びる。
その真っ青な布は儀式を終えて帰ってくるアルの通り道。
万が一、アルの洋服に妖魔の小さいやつがくっついてきてしまったりしても、カーペットの上に出たとたんにシュワッと消えるらしい。
呪文を織り込んだ特別な敷物なのだ。
「でも、見張り台はずっと向こうだよ。あそこのドアまではどうやって来るの?」
周りにはモサモサ茂った森があるだけで道のようなものは見当たらない。
「今、アルデュラ様が立っていらっしゃる台の後方にも扉が一つございます」
本当なら儀式の台のすぐそばまで敷きたいんだけど、さすがに遠すぎるので近道用の扉をつけて間を省略していることも教えてくれた。
「じゃあ、後ろを振り返ってドアを開けたら、すぐさっきのカーペットの上に出られるんですね」
近道ドアはどこにでもつけられるわけではないけれど、術をかけておけば決められた人しか通ることはできないから防犯上もとても便利なのだ。
「僕のうちにもあればいいのになぁ」
そしたら学校だってスーパーだっておじいちゃんとおばあちゃんの家だってあっという間なのに。
他にもどこかに近道を作ってあるのかなって思いながらキョロキョロしていたら、テラスに向かってキビキビと歩いてくる茶色いヒゲの人が目に入った。
なんだろうと思って見ていたら、僕のいる場所とアルのいる方角に一度ずつ頭を下げたあと、大げさな動作で巻き物みたいなものを広げた。
「これよりぃー、祓いのぉー、儀式をぉー、執り行いますー」
丘の下にある町まで聞こえるほど大きな声が響くと、ドラゴン隊がささっと二手にわかれてテラスの両側に並び、青と銀のラッパやシンバルを高く持ち上げた。
それを合図にみんな立ち上がったから、僕もあわてて真似しようとしたけれど、町長さんのすらりとした手に止められた。
「レン様はご来賓ですから、儀式が終わるまでお座りになっていてください」
僕だけ立たないのはちょっと悪いなって気もしたけど、「そういう決まり」らしいので言うとおりにした。
左手からドラゴン隊長さんが歩いてくる。
草原を走ったときと同じふかふかした動きで真ん中に立った。
左と右に並ぶドラゴン隊をしっかり一回ずつ見て、胸ポケットから取り出した指揮棒をさっと振り上げる。
むずかしい儀式の音楽だからベートーベンみたいなババーンとした曲なんだろうって予想したけど、空に響いたのは明るくて楽しげなファンファーレ。
僕が「わぁ」って言って、エネルが「きゅー」って鳴いて。
そしたら、立ったまま斜め後ろに控えていた町長さんが、「アルデュラ様専用の曲なんですよ」って説明してくれた。
生まれたその日に有名な音楽家から贈られたものらしい。
今流れているのは一部をアレンジしたもので、アルが儀式をするときはいつもこの曲を使うことになっている。
「元気がよくてアルにぴったりだね!」
「さようでございますね」
町長さんはにっこり笑いながらドラゴン隊を見ていたけど、ほかの人たちはみんなちょっと緊張した顔になっていた。
すっかり忘れていたけど、これから行うのはとても大事な儀式なのだ。
あわてて気持ちを引きしめ、口を閉じて両手をひざに置いた。
肩の上にいたエネルもピッと行儀よく座りなおした。
しばらく黙って音楽を聴いていたら、なんだかどんどん緊張してきてしまった。
僕なんてここで見ているだけで何にもしないんだからって自分に言い聞かせてみたけど、ぜんぜん効きめがない。
どうしようって思ったとき、町長さんがまた話しかけてくれた。
「ところでレン様、妖魔をご覧になったことはありますか?」
「はい。王様の研究用の、もやもやしたのとか、ニョロニョロしたのとか」
思い出したら急に背中が寒くなった。
自分でも気づかないうちにブルッて震えてしまったのかもしれない。
町長さんは自分の椅子をちょっと持ち上げると、すぐ斜め後ろまで移動させてくれた。
「今のうちに簡単に儀式のご案内をいたしますので、ちょっと座らせていただきますね」
これならちょっとだけ後ろを向くと、すぐ町長さんの顔が見えるから安心だ。
「はい」って返事をすると、すぐに説明がはじまった。
「今、岩山の洞窟に溜まっている黒いものは、陛下が研究のために管理されている妖魔のようにはっきりとした形はありません。……そうですね、レン様がご覧になった『もやもや』をさらにもっと薄めたようなものだと思っていただければ良いかと思います」
黒い煙みたいなもので、空気がすすけているようにしか見えないけれど、もっと濃くなるとギュッて固まって生き物のような形になるという。
「薄いとは言っても町のあちこちに飛んでいくようなことがあると困りますから、わざと一箇所に留まるようにしてあるのです」
妖気の穴はアルの立っている見張り台のすぐそば。
だから、術は効きやすい。
最初の呪文で岩山の周りに囲いを作り、2番目の呪文で穴のフタを外し、3番目の呪文でそこから追い出し、全部出たのを確認してから祓いの呪文で消滅させる。
「蓋を外すと、岩山と洞窟は細い通路でつながります。周囲から黒い靄が全て消え、山の頂上から光の筋が見えれば成功です」
明るければ明るいほど、大きければ大きいほどいいらしい。
「山が焼けちゃったりしないのかな?」
「大丈夫ですよ。祓いの術は妖気以外のものに影響を及ぼさないのです」
「そうなのかぁ」
でも、呪文が失敗したら燃えてしまうこともあるんだろう。
練習のあと、たまにアルの髪が焦げていたのを思い出したけど、たくさん説明してもらったせいか全体的にはなんとなく大丈夫そうって気分になった。
音楽が止んで、みんなが見張り台に注目する。
空にはまだ雲が流れていたけど、こちらに背中を向けて立っているアルは髪の毛一本だって揺れていなかった。
「風が止んだようですね」
まだ両脇に並んだままのドラゴンたちは、全員がしっぽの先までピンと張りつめていた。
屋上に出ている町の人たちもみんな岩山のある方角を向いて空をあおいでいる。
たぶん森がジャマで直接アルの姿を見ることができないんだろう。
光が上がったら乾杯をするためなのか、ほとんどの人がグラスを持っていた。
「術がはじまったようです」
そっとつぶやかれた言葉に自然と背中が伸びた。
僕にしっぽがあったら、きっとドラゴン隊の誰にも負けないくらいピンとしていただろう。
シーンとした空気の中、雲だけがゆっくりと動いている。
呪文を唱えているはずのアルは時間が止まったみたいに少しも動かない。
僕はみんなに聞こえそうなほどドキドキしていたけど、エネルがカチカチに固まっているのを見て少しだけ息を抜くことができた。
頭の中で町長さんの話をおさらいしながら、『順番どおりに呪文を唱えたら、最後にはドッカーンって噴火する』っていうのを想像してみたんだけど。
「ぅえっ?!」
みんな静まり返っている中、突然変な声を出してしまった。
だって、ズズズズズって大きなヘビが這うような振動が僕の足とお尻に伝わってきて、目の前がグラグラと揺れたあと、黒い煙のようなものが岩山のてっぺんからあふれてきたのだ。
「あれが妖気です。周りを囲んでいる森が結界になっておりますので、町のほうまでは届きません。どうぞご安心ください」
そう言われたけど。
モワモワとかモクモクみたいなふんわりした感じじゃなく、たくさんのヘビがのたうちながら落ちてくるような気持ち悪さだった。
「でも、アルが……っ」
目の前に広がる不気味な光景にザーッと血が引いていく。
「大丈夫ですよ。アルデュラ様が練習なさっていたのは、あれを祓うための呪文ですから」
それは僕だってわかっていた。
でも。
黒いニュルニュルはどんどんあふれ、ものすごいスピードで増えていく。
あっという間に岩山の下の方を隠し、それからアルの立っている見張り台の脚をじわじわと昇りはじめた。
動きもだんだん速くなり、最後には駆け上がるようにしてアルの立っている台の上に広がったかと思うと、マントに包まれた体を一瞬で飲み込んで、あたりを真っ黒にした。
それでもまだあふれ続ける黒いものは、生き物のようにグネグネとうごめきながら森の中側全部を黒く覆い尽くした。
「本当に大丈夫なの?!」
思わず立ち上がって周りを見回した。
僕の声にびっくりした他の人たちも急におろおろしはじめた。
でも、町長さんは静かに二つのカップにお茶を注いだあと、一つを僕の前に置き、もう一つを自分の手に取ってにっこり笑った。
「メリナ様のお墨付きでしたら、間違いはございませんよ」
いれたての香りに目を細めてから一口飲んで、「そうではありませんか?」って僕に聞く。
「でも―――」
『あんな真っ黒な中に入ってるのに大丈夫なわけないよ』って、あとちょっとで言ってしまうところだったけど。
近くにいた役場の人たち全部がものすごく心配そうにこっちを見ていて。
「あ……」
そのとき、みんなを不安にさせたのは僕なんだってわかった。
「えっと……うん、そう。ばあやさんに『カンペキですね』って言われてたから、ぜんぜん大丈夫だった」
たとえば、ばあやさんがそんなにほめてなかったとしても、アルが「失敗しない」って言ったんだから、僕は信じてあげなくちゃいけなかったんだ。
アルはいつだって自信満々だけど、それ以上にとても正直だから。
できないって思ってることを「大丈夫」って言ったりはしない。
それは絶対だ。
目立たないように深呼吸をしてから、エネルの頭をなで、また行儀よく座りなおした。
「えと、お茶、いい匂いですね」
「ええ。ほんのり甘くてとてもおいしいですよ。これも町の特産品なので、ぜひお土産としてお持ち帰りください」
「ありがとうございます」
次のお茶の会のときにお客さんといっしょに飲みますって約束をしてから、カップに顔を近づけた。
町長さんの真似をして、目を細めて匂いをかいで。
一口お茶を飲んだあと、「おいしいです」って言って町の人たちに向かってにっこり笑ってみた。
お茶の残りがあと少しになっても、アルはまだ黒いニュルニュルに埋もれたままだった。
心配する気持ちもまた少しずつ増えはじめていたけど、顔には出さないようにしながら一面真っ黒になってしまった山のほうを見つめていた。
アルが立っていた床も、それを支えている脚や柱も、少しの隙間もないくらいぜんぶ真っ黒だった。
アルは舞台の真ん中あたりのボコッと盛り上がっているところにいて、長い長い呪文を唱えているはず。
ときどきニュルニュルが薄くなって、マントや髪のはじっこが見えるときがあったけど、またすぐに隠れてしまう。
僕のより小さな町長さんのカップがまだ空になっていないことからしても、アルが飲み込まれてからそれほど時間はたっていないんだろう。
なのに、ものすごく長く感じられた。
真っ黒の中はちゃんと息ができるんだろうか。
変なにおいがしたり、ニュルニュルが服の中に入ってきたりしないんだろうか。
あれこれ考え始めて、なんとなく息苦しくなったとき、役場の人が「お!」「あっ」「おおっ」っていっせいに声を上げた。
大きな目を開けてアルのいる場所を見る。
ちょうど真ん中からパックリと裂けるようにひび割れができ、まぶしい光がもれ出していた。
山を覆いつくしていた妖気の間にも次々に光の筋が走る。
グニグニ動いていたものがピタッと止まり、まばたき一つの間に色をなくして白っぽくなった。
さっきまで生き物だったものが一瞬で炭になり、そのまますぐに灰になったみたいな感じだ。
イナズマのような光を放ちながら四方に広がっていたひび割れは、山を覆いつくしたもの全部をザクザクと砕きながら、光の粉を空へ舞い上げる。
ゴオオオオオッという音と共に山のてっぺんから高々と炎が伸び、まっすぐに天まで昇った。
たくさん流れていたはずの雲を一瞬で払うと、竜巻のような風が起こり、光が踊る。
さっきまで妖気に埋め尽くされていたなんて思えないほど、まぶしくて、華やかで。
今にも神様が降りてきそうな風景だった。
町中から「わあっ」と歓声が上がって、町長さんも立ち上がって大きな拍手をした。
「すごいや、アル!」
町の人たちもお屋敷に控えていた人たちも、みんな空を見上げてアルの名前を叫び、拍手や万歳をしていたけど。
僕だけこっそり見張り台のほうに目をやったら、アルがこっちを振り返ってニッカリ笑っていた。
儀式が始まる前は顔なんてほとんど見えなかったのに。
キラキラのおかげで周りが明るくなったせいなのか、『すぐ戻るからな!』って言ったアルの口の動きまで不思議なほどはっきりとわかった。
「待ってるね」って返事をして、うなずいて。
そしたら、アルもにっこり笑ってうなずき返した。
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