Halloweenの悪魔
エンデの森


-4-

ここまで終わったらもう安心らしく、役場の人もみんないそいそとお祭りの準備にとりかかった。
見下ろした家のあちこちから、うきうきした気分が丘を登って伝わってくる。
丘の上のお屋敷の中からは甘い匂いが流れてきて、急におなかが減ってしまった。
「アルはもう帰ってきますか?」
早くいっしょにお菓子を食べたいなって思っていたのが顔に出てしまったのかもしれない。
町長さんの笑い方は、「にっこり」ではなく「くすっ」だった。
「もう2杯ほどお茶を召し上がった頃にお戻りになると思います。残りのお役目はほとんどが形だけのものですが、時間は少しかかりますので」
まずは町の代表者3名とアルでささっと岩山の見回りをし、どこにも妖気が残っていないかを確認する。
みんなの意見が「もう大丈夫」ってことでまとまったら、穴にフタをして、封印の呪文で鍵をかける。
見張り台に戻り、近道の扉をくぐり、青いカーペットの上を歩いて丘に戻ったら、封印の証しとなる石を町長さんに渡す。
そのあと、さっきの茶色いヒゲの人が閉式の宣言をして全部終わりだ。
「封印の呪文はそれほど難しくありませんので、もう皆の心の中は祝賀パーティー一色でしょう」
ドラゴン隊はこのあとも閉会の音楽を演奏しなければいけないので、全員が姿勢よく立っていたけど、さっきまでピンとしていたシッポは思い思いの方向に楽しげに揺れていた。
「では、レン様。もう一杯お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
岩山の周りはまだキラキラした紙ふぶきのようなものがたくさん舞っていたけれど、見張り台はとてもよく見えた。
真っ青な空の下、アルは儀式担当の役場の人たちと何か話していた。
もうこちらに背中を向けていたけど、風にひるがえったマントの裏側の青もツヤツヤの黒い髪も、少しもすすけてはいなかった。
「……よかった。後ろも焦げてないみたい」
思わず口に出してしまったら、町長さんがまたくすっと笑った。


アルを待っている間に、町の人たちが丘にやってきた。
それぞれ手には自分のカップを持ち、胸ポケットにフォークとスプーンを入れている。
「町の者もこちらでアルデュラ様をお迎えしたいとのことです。よろしかったらご一緒させていただけませんか?」
町長さんがそっと僕に尋ねた。
もちろん断わる理由なんてない。
「はい、ぜひ。アルも喜ぶと思います」
大勢のほうがきっと楽しいから、って言いながら、僕も自分のお茶のカップを持ってテラスを降りた。
「僕、レンって言います。肩に乗ってるのはエネルです。よろしくお願いします」
少し緊張しながら自己紹介をしたら、僕とエネルはあっという間に囲まれてしまった。
「アルデュラ様以外の子を見るのは久しぶりですわ。お連れのひよこちゃんもまだずいぶんと小さいんですね」
「うん。エネルはこの間たまごから出てきたばっかりなんです」
空から降ってきて、僕の頭の上に落っこちたんだよって説明したら、みんながいっせいににっこり笑う。
「本当にお可愛らしい。ふわふわしてらして」
ぜったいエネルのことだと思ったのに、なでられたのは僕だった。
「アルデュラさまのご自慢ですものね」
「二人分のお席をご用意するようにというご連絡の折りにも、レン様のお話ばかりで」
アルはいつだってそんな感じだから、別に気にすることはなかったんだけど。
なんだか恥ずかしくなってしまって、話を変えた。
「ええと、この町には子供は一人もいないんですか? ひよこも子猫も?」
「ええ。ひよこも子猫も子馬も子鳥もおりません」
よほど不思議そうな顔をしてしまったんだろう。
他の人がもっと詳しい説明をしてくれた。
「ここだけじゃなくて、周りの村にもいないんですよ。一番最近生まれたのが一昨年で、石切り場の守り役のところの番犬です。でも、このあたりはたまに生まれるだけまだいいんですよ」
よそではもう何年も、それこそねずみの赤ちゃんだって生まれていないところがあるという。
「このあたりでも最近は雨の量が減ってしまって、いろいろ不安なことはあるんですが……」
小さなため息をつくと、周りで聞いていた人たちまでみんな暗い顔になってしまった。
王様たちが対策を練っている水の話は、僕が思っているよりもずっと大変なのかもしれない。
「そんなわけで、とにかく妖気だけでも祓っておきませんと。万が一にでも水不足になって、町民の気持ちがすさむようなことがあれば、あっという間に闇に飲まれてしまいますから」
今日は今までの儀式と比べて特別大事だったらしい。
責任も重大だったのだ。
「アルデュラ様は本当にご立派になられて。未だかつてないほどの大きな邪気で、一時はどうなることかとご心配申し上げましたが―――」
「あら、わたくしは少しも心配なんてしておりませんでしたわよ。アルデュラ様が下見にいらした折りに、『レンの目と同じ色の空にしてやる』っておっしゃってましたもの」
「ええ、本当に素晴らしい。こんなに晴れやかな景色は生まれてから一度も見たことがありませんわ」
みんなが口々にアルをほめて、お茶で乾杯をした。
頭の上には青い青い空が広がっていて、目をつむって大きく息を吸ったら、羽なんて持ってなくたってふんわり飛んでいけそうだった。
「きっとレン様のお顔を思い浮かべながら呪文を唱えられたんでしょうね」
そうじゃなければこんなにそっくりになるはずがないって言うんだけど。
「僕の目ってこういう色?」
「あら、鏡をご覧になったことはありませんの?」
僕の前で人差し指を立て、そのあと空に向ける。
それを追うようにして顔を上げたけれど、やっぱりぜんぜん違う気がした。
「鏡は顔を洗うとき見ます。でも……」
ぜったいこんなにきれいじゃないですって言ってみたいけど、僕に賛成してくれる人はいなかった。
「まあ、レン様ったらご謙遜を」
「控えめなところがまたお可愛らしくて」
「アルデュラ様のおっしゃったとおりだねぇ」
みんなに頭をなでられながら、『けんそん』ってなんだろうって首をかしげた。
そのあともみんなが代わる代わる僕の目をのぞきこんで、「ああ、なるほど」とか「どうりで眩いほどですわ」なんて言うので、なんだかだんだん恥ずかしくなってしまった。
「あの、僕、ちょっと……」
ちょっと離れたところでニコニコしている町長さんのところへ行って、こっそりトイレの場所を聞いた。
お茶もたくさん飲んだし、閉会式が始まる前に行っておくことにしたのだ。
「ああ、それでしたら……」
町長さんの説明は簡単だった。
お客様用はテラスの後ろの扉を入ってちょっと歩いたところで、そう遠くはないらしい。
「専用通路をお使いになれば1分もかかりませんが、お天気もいいですし、帰りはぜひ中庭の小道を抜けていらしてください。町の紋章になっている花がちょうど見頃で、とてもよい香りがいたしますから」
封印の呪文が終わったら青と白の花火が上がるので、それを見たあとで戻っても閉会の式には十分間に合うって言われて、安心して寄り道することにした。
「案内の者をおつけいたしましょう」
迷子にならないようにって言ってくれたけど、丁寧に断わった。
「ありがとうございます。でも、一人で平気です」
町の人たちが次々と丘に来ていたから、役場の人はみんなとても忙しそうだったのだ。
中庭は僕の斜め後ろにあるつる草のアーチの向こう側。
ここからでも見えるくらいすぐ近くだし。
それに、今日はいつもよりずっと足がしっかり地面にくっついていて、どこを歩いても迷子にならないって気がした。
「いってきます」
町長さんに手を振ってから、30秒くらいでトイレについた。
本当にあっという間だ。
しかも、用を済ませて手を洗って、入ってきたときと反対側のドアを開けたらもう中庭で。
「帰りもぜんぜん大丈夫だ」
5段くらいしかない階段を降りて散歩用の小道に出る。
僕のおなかより少し下くらいの高さでコスモスみたいな花が揺れていた。
花びらはあの大理石とよく似ていて、風が吹くたびにキラキラ光る。
中庭の向こうのなだらかな丘の斜面まで一面の花畑で、その間を蝶や小鳥が飛びかっていた。
「きれいだなぁ。それにすごくいい匂い」
バラとかユリっていうよりは、フルーツみたいなちょっと甘くておいしそうな感じ。
ここから採れたはちみつをパンに塗ったら、ジャムみたいな味がするかもしれないなって思いながら、顔を近づけてクンクンしていたら、とつぜん後ろから声をかけられた。
「こんにちは。アルデュラ様の友達なんだってね?」
少し離れて立っていたのは40歳くらいの男の人。
カップもフォークも持ってなかったけど、町の人なんだろう。
Tシャツみたいな服とサンダルっぽい靴がいかにも近所の人って雰囲気だった。
「こんにちは。僕、レンって言います」
ちょっと変わった人なのかもしれないって思ったのは、3日分くらい伸ばしたままのヒゲのせいじゃなくて、ニコニコしながら聞いていたのに自分の名前は教えてくれなかったせい。
それと、「花を見にきたんですか?」って尋ねたときに、「え? ああ、そう、そうなんだ」って、びっくりしたみたいな声で返事をしたからだった。
よく見ると、右手の甲にギザギザ模様のやけどみたいな痕があった。
古い傷って感じだったし、痛くはなさそうだったけど、なぜかそこから目が離せなかった。
僕がじっと見ていたことに気づいたんだろう。
おじさんはちょっとあわてたようすでズボンのポケットに右手を入れると、少し困ったみたいに笑った。
本当は傷のことを気にしてるんだろう。
そう思ったから、あやまろうとしたんだけど。
「今日は、アルデュラ様専属の護衛は一緒じゃないんだね」
「あ……はい。ルナもフレアも最近はすごく忙しくてあんまりお城にいないから」
おじさんがぜんぜん別の話をはじめたので、言えなくなってしまった。
「他の騎士の方々は? 魔術師の方もいないの?」
「今日はみんないなかったです」
「大変だねえ、ご飯どうしてるの?」
「コックさんもお世話係の人もいるから、ぜんぜん平気」
僕が答えている間もおじさんはずっとニコニコしたままで、怒っているようには見えなかったけど。
「偉い人はいないの?」
「執事さんがいます」
「門兵とか警備兵はいるんだろう?」
「門番さんはいつも二人いるけど、今日は一人だけだったかな。……警備の人は、よくわからないや。フェイさんもいないし、他の見回りの人もいなかったかも」
ときどき周りを見回して、また僕の顔を見て。
中庭の出入り口になっている門の方に目をやって、首からかけていた時計を確認して。
なんだかすごく落ち着かない感じだった。
「じゃあ、お城はずいぶん静かなんじゃないかい?」
「あ、うん。廊下とか誰も歩いてないから、全力で鬼ごっことかしても平気なんだ」
「それは楽しそうだね」
そう言ったあともまた時計を見て、後ろを振り返って。
もしかしたら閉会式がはじまるのを待っているのかなって思ったから、「いっしょに町長さんのところでお茶を飲みませんか?」って誘ってみたんだけど。
「あ、いや、いいんだよ」ってすぐに断わられてしまった。
「その……友達と、そう、待ち合わせをね、してるんだ。だから、あとで行くよ。君は式典に間に合うように戻ったほうがいい。みんな待ってるだろうからね」
そう言うとじりじり3歩くらいあとずさりして、そのままサッといなくなってしまった。
あとを追いかけてみようか迷ったんだけど。
そのときパーンという音がして。
「いけない。終わりの式がはじまっちゃう」
青と白の花火を見上げながら、あわてて走りだした。
中庭の端にある門のあたりで2番目の花火が上がって、その瞬間におじさんのことも傷のこともすっかり忘れてしまった。


「おかえりなさいませ、レン様。花はごらんになりましたか?」
出迎えてくれた町長さんの隣りには、たくさんのお菓子やサンドイッチが並べられていた。
「はい。とてもきれいでいい匂いでした」
花火はまだ続いていて、お屋敷の前の広場では閉会式のあとのパーティの準備が着々と進んでいた。
僕も何か手伝おうと思って袖をまくったとき、青色カーペットのほうから声が聞こえた。
「アルデュラ様がお戻りになります!」
見張り台にはアルのほかに青い服の人が二人と白い上着の人それから、青と白でできた扉が一枚並んでいた。
ドアの両側には青い服の人が一人ずつ立ち、うやうやしくお辞儀をしている。
10歩くらい離れたところから歩いてきた白い上着の人が両手でゆっくりと扉を引き、同じように深く頭を下げて後ろからついてきていたアルを通した。
アルの姿が消えたあと、今度は青カーペットの手前で待っていた役場の人がこちら側の扉に手をかけ、町長さんに目で合図を送った。
町の人たちがいっせいにテーブルにカップを置き、えりを整えて姿勢を正す。
こちらの準備がすっかり整ったのを確認してから、青カーペットの上の人が静かにノブを引いた。
明るい光が漏れ、丘に向かって伸びている道を照らす。
その上を、見張り台にいた人たちを従えたアルが厳かに歩いてくる。
まっすぐ前を向き、いつになく澄ました顔をしていたけど。
声は出さずに「おかえり」って言ってみたら、ちょっとだけニッと笑った。

町長さんがアルを出迎え、封印の証である石を受け取る。
静まり返った空気の中、全部のやりとりが終わって茶色いヒゲの人が閉式の挨拶をした瞬間、パパパパーンとドラゴン隊のラッパが鳴った。
今度はアルのテーマ曲じゃなくて、普通のファンファーレ。
町はもちろん、丘の上でも花火が上がり、パーティのクラッカーみたいな色とりどりのリボンが空に舞った。
パーティの合図だ。
「おかえり、アル!」
みんなが乾杯をする中、今度はちゃんと声に出してそう言った。
さっきまで真面目な顔をしていたアルもパッと笑って、思いっきり僕に飛びついた。
「かっこよかったか?」
僕の首に手を回したまま、キラキラした目で返事を待つ。
「うん、すごく」
そう答えると、さっきよりもっと顔いっぱいに笑った。
町長さんや役場の人たち、見張り台は見えなかったはずの町の人たちまで、みんなが「うんうん」ってうなずいていた。



Home   ■Novels   ■悪魔くんMenu      << Back     Next >>