Halloweenの悪魔
エンデの森


-7-

普段ならお城は大騒ぎだったはず。
でも、今日はひっそりした玄関の広間にニーマさんの悲鳴が響き渡っただけだった。
「アルデュラ様! アルデュラ様っ!」
赤くなったほっぺに手を当てたニーマさんが一瞬でまっさおになった。 
「とにかくすぐにベッドへ」
移動呪文でアルの部屋を今いる場所に持ってきて、お医者さんの手配をする。
ドラゴン隊の二人はまだ息を切らしていたけど、ゼーゼー言いながらもアルが倒れるまでのことを詳しく伝えた。
「なるほど。でしたら、状況はかなり深刻ですな。最悪の場合を想定して、早めに手を打たなければ」
カツカツと靴音を立てて部屋の隅まで歩くと、かけられていた鏡に向かって今聞いたことを話した。
「……ということですので、特別緊急事態扱いで陛下とメリナ殿にお知らせし、フェイシェン殿には帰城の要請を。城全体およびアルデュラ様が通ってきた場所すべてには浄化の呪文が必要です。さらに現地に衛生部隊を派遣し、一帯を封鎖してください。風が届く範囲の町や村の責任者に体調に異変を来たした者がいないか確認を。それから―――」
ときどき聞こえる「ウィヴリルク様」という言葉で相手がイリスさんの魔術師さんらしいことがわかったけれど、あとの話は僕にはむずかしすぎた。
その間に茶色い口ひげのお医者さんがやって来て、手早く、でも、とても丁寧にアルの診察をした。
熱を測る以外にも、口に何かの葉っぱを入れて色が変わるのを確かめたり、腕やお腹の肌の色を見たりしていたけど、そのたびに眉の間のしわはどんどん深くなっていった。
「どうですか? アルデュラ様のご容態は?」
専属魔術師さんとの打ち合わせを終えた執事さんが、黒くなった葉っぱをビンに入れるお医者さんの手元を覗き込む。
そのあとは二人でひそひそ何か話していたけど、険しい表情は最後まで消えなかった。
「やはりそうでございますか」
「間違いありません。ただ、腹部の斑がきわめて薄いことからしても子供以外にはうつることはないと思われますので―――」
聞きとれたのはそこだけだったけど。
その瞬間、ニーマさんがさらに青くなってこっちを見た。
なんだろうって思っていたらお医者さんと目が合って、すぐに僕とエネルも同じ診察をされた。
なんだかちょっと怖くて、それだけで熱が出てしまいそうだったけど。
「……うーむ……」
お医者さんの反応はアルの時とはぜんぜん違っていた。
途中で何度も何度も首を傾げながら、3回も検査をやり直したのだ。
「何か重大な問題が?」
執事さんがまたないしょ話みたいにこっそり尋ねたけれど、返ってきた声は普通の大きさだった。
「いいえ。いったいどういうことなのか……驚くほど何の兆候もありませんね」
「レン様もエネルもですか?」
「ええ。お二方とも」
よかったねって思いながらエネルと顔を見合わせた。
ちっとも具合なんて悪くないんだから当たり前なんだけど。
「だっ、だっ、だ、大丈夫、ということ、なんですか?」
ニーマさんが舌をかみそうな勢いで聞き返したときも、お医者さんはちょっと納得していないような顔でうなずいただけだった。
「まったくもって不思議ですな。実はイリス様のように見た目とお年が異なるということは?」
僕とエネルにそんなことまで聞いたけど。
「エネルはこの間たまごからかえったばっかりです。本当にまだちっちゃいです」
うそじゃないよって言うと、先生は「まあ、そうでしょうね」って同意した。
それから、ニーマさんの「レン様は人間ですし、まだあちらの世界にお住まいですから」という説明にもうなずいた。
「なるほど……」
また「うーむ」と腕組みをして首をかしげる。
「そうですな……まあ、あとから発症するということも絶対にないとはいえませんし、念のためしばらく隣の部屋に控えていただきましょう。それと、アルデュラ様の看病のほうはできるだけ年配の方に。この病は体力の低下が急激で著しいですから、水分と栄養補給のため、大竜の実をご用意いただくのがよいかと。あとは―――」
専門的な言葉でニーマさんにたくさんの指示を出したあと、もう一回僕らのほうを見た。
「よろしいですか、ご友人殿。許可が下りるまで絶対に外にはお出にならないように。そちらのひよこ殿も」
そう言うと、専属魔術師さんに詳細を報告するため、執事さんといっしょに東の塔へ行ってしまった。
僕とエネルは隣の部屋に連れていかれて、みんなが来るまでお留守番だ。
「エネル、いいって言われるまでいっしょにここにいてね」
「きゅぅ」
何が起こっているのかわからないせいなのか、それとも心配だからなのか、エネルは何度も何度も僕を見上げる。
ちゃんと説明してあげられたらよかったけど。
「ごめんね。僕にもよくわからないんだ」
エネルをだっこしたまま、ふかふかのソファの上に座り込んだ。
アルの部屋は静まり返っていて、反対に廊下は大騒ぎで。
何人かの足音がバタバタと行きかう音がずっと響いていた。



どれくらい経っただろう。
執事さんがアルの部屋からやってきて、どんな病気なのかを教えてくれた。
「アルデュラ様が患っていらっしゃるのは『風伝いの病』と呼ばれるものの一種で、闇から湧く毒によってもたらされると言われております」
ずっと昔、まだ前の王様だった頃にあちこちで大流行して、たくさんの人が死んだ。
子供の犠牲者は特に多くて、たいていは発症してから3日ももたなかった。
それと同じものだという。
「発疹の色からすると以前ほど毒気は強くないというのが医師の見解です。ただ、いくつか奇妙な点があるため、あるいは妖術か何かで低年齢の者だけに発症するよう作り変えたものではないかという見方も―――」
とにかく、子供以外はまずかかることはないというのがお医者さんの意見らしい。
それなら今お城にいる人たちのほとんどは安心だ。
「じゃあ、アルを治せばいいだけなんだね。薬があればいいの? どこへ行けば買えるの?」
何か手伝えることがないかなって思ったんだけど。
聞いた瞬間、執事さんの顔が曇った。
「残念ながら、特効薬のようなものは―――」
「え……?」
だったら、どうやって治すのって。
聞くことができなかった。
成長途中の体だと毒はあっという間に広がってしまうっていう説明を聞いたばかりだ。
ぶわっと涙があふれてきた。
「大丈夫です、レン様。アルデュラ様はお強いですから」
ハンカチでそっと僕の顔を拭いたあと、ニーマさんはいつもより少し大きな声で言った。
「泣いているばかりでは何も変わりません。解決策を探しましょう」
対外的なことは専属魔術師さんがやってくれているし、他の人がかからないよういするための浄化の呪文も終わった。
あとはアルのことだけ考えればいいんだからって、僕の手を取ったニーマさんはいつもの10倍くらいきりっとしていて、とても頼もしかった。
「……うん」
最初にアルの看病をしてくれる人を手配した。
前に流行したときには看護師さんとして活躍したという庭師のおじいさんの奥さんだ。
夜中もずっと一人でみるのは大変だろうって思ったけど。
「アルデュラ様お一人ですから、そう手はかかりませんよ。お任せください」
奥さんはそう言って手際よくお湯やお水や食べ物の準備を始めた。
お医者さんがすすめていた「大竜の実」は、前に王様がエネルのために送ってくれたココナツみたいな甘い果物だ。
市場に買いにいくのかと思ってたけど、庭のどこかになっているらしく、小さめのをいくつか取ってきていた。
奥さんとアルの看病を交替したお医者さんは、専属魔術師さんのいる東の塔で待機するらしい。
万が一のときには城の外へも診察に行かなければならないからだ。
執事さんのところには式典をした丘の町長さんから電話が入った。
『幸いこの辺りには動物も含めて子供はいません。町の者全員に確認しましたが、現時点では体調に異変がある者は一人もおりません』
病気にかかってしまったのは本当にアル一人だけらしい。
どうしてなのか不思議でしかたなかった。
「レン様がご無事ということは、人間にはうつらないんでしょうか」
「言葉を交わせる種族は全てが感染対象になるはずです。もちろんエネルも含まれます」
エネルはそもそも何のひよこなのかもわからないんだけど、僕と同じでぜんぜん平気そうだ。
「不思議ですよね。この間生まれたばかりのエネルが真っ先にかかりそうですのに」
少しも影響がないのには、何か理由があるはずだってニーマさんが言う。
「アルが呪文で男の人を引き上げたから。一番そばにいたせいかも」
「ですが、レン様はお顔を近づけて声を聞いたんですよね?」
「あ……そうだった。じゃあ、呪文を使った人だけ病気になるとか?」
魔術を使える人だけがうつる病気とか、そういうものだってありそうだって思ったんだけど。
「闇の毒は空気にまじって飛んでいきますから、風下にいたら誰でもうつるはずです」
「だったら違うかな……」
だいたいあれだけ近くにいたら風の向きなんて関係ないだろう。
僕もニーマさんもしばらくの間「うーん、うーん」ってうなっていたけど。
そのうちに何を考えたらいいのかさえ分からなくなってきた。
ニーマさんも同じだったみたいで。
「お茶を入れましょうか。それとも逆立ちでもしてみます?」
少し冴えない顔でそんなことを言った。
でも、すぐに「あ!」と明るい声を出した。
「そうだ、本ですよ。本を探しましょう、レン様。何かヒントになるようなことが書いてあるかもしれません」
図書室を隣りに移動させましょうって、片手を腰にあててピッと人差し指を立てる。
その動きはばあやさんにそっくりだった。
張り切るニーマさんに釣られたのか、執事さんもきびきび動き始めた。
「しかし、あの膨大な蔵書の中から役に立ちそうなものを探すのは……司書殿にも連絡を取ってみましょう」
「マクマーリー殿でしたら、今日は王立大学の図書館にいらっしゃるはずです」
連絡はすぐについて、ミミズク司書さんは5分くらいでお城に戻ってきた。
図書室の時計の上についている小さな扉からひょっこり現われたのだ。
王立図書館とは司書さんしか通れない特別な道でつながっているらしい。
ちょっと鳩時計みたいだった。
部屋に入ると同時にくるくると首だけを動かし、あたりの様子を確かめた。
「今日は一段と従者が少ないですな。陛下とメリナ殿に連絡はつきましたか?」
「重要会議中だとかで……」
外部からの接触は一切シャットアウトしていて、いつになったらちゃんと話せるのか分からないという説明に司書さんもため息をついたけれど、すぐに分厚い目録を開き、眼鏡をかけた。
いつもはふんわりしている耳も今日は刺さりそうなほどピッととがっている。
「ウィヴリル=ク様とフェイシェン殿は?」
その質問には、手帳を広げて次にやることをチェックしていた執事さんがひどく言いにくそうに答えた。
「ウィヴリルク様は東の塔にて各部署への指示を出され、該当地に浄化の呪文をかけていらっしゃいます。フェイシェン殿は核を持つ妖魔の退治のため北方に遠征中で」
「どんなに辺境の地でも至急の知らせくらいすぐに届くはずでは?」
司書さんの声はとても落ち着いていて、なんだかとても頼りになりそうだった。
「それが、半時ほど前に4分の1ほど闇に沈みかけたらしくて、フェイシェン様以外は皆安全な場所に避難したという報告が……」
ニーマさんの返事が終わらないうちに、ふんわりした顔の真ん中にある口が苦いものでも食べたみたいにゆがんだ。
「それでは城に呼び寄せるどころか、無事かどうかさえわからないではないか。この非常時にウィヴリル=ク様お一人で全ての術がこなせるはずは無い」
お城の中の空気がいっそう重くなり、ニーマさんも執事さんも黙り込んだ。
司書さんが大げさなほどバサバサッと羽を広げたのは、そんな気分を吹き飛ばすためだったのかもしれない。
そのまま天井まで届く本棚の一番上まで飛ぶと、鍵のついた小さな扉の前で止まった。
「ドクター、緊急事態だ。力を貸してくれ。風伝いの病のうち、闇の底から湧く毒によってもたらされるものについて詳細を知りたいのだ」
金色のノブの隣りをくちばしでこつこつノックすると、ガチャンと重い音がしてギギギと開いた。
現われたのは図書目録よりもさらにずっと分厚い革表紙の本。
司書さんといっしょにテーブルに戻ってきたときにはもう、『風伝い』に関するページが開かれていた。
「どれどれ……月が出ていない時間は見えにくくていかん」
ベストの胸ポケットにさしてあった眼鏡を顔に乗せ、そのうえさらに上着のポケットから虫眼鏡を取り出して本にかざした。
そのあとしばらく「ふむふむ」とか「なるほど」とか「ほほう」とか言いながらページをめくっていたけど、やがて本から顔を上げて僕らのほうを見た。
「薬の代わりになるものは存在するようですな。ただし、『エンデの地でしか採れない苔』と書いてある」
昔々エンデに嫁いだ貴族の娘が実家に持ち帰ったことがあり、古い歴史書におおまかな形状、色などが記されていたらしい。
「『陽の苔』と名付けたのはドクターですが、実物は見たことがなく、匂いでしか本物かどうかの判別はできないと申しております」
苔の香りを写し取った紙がその歴史書に挟まっていて、革表紙のドクターは一度だけそれを嗅いだことがあるという。
でも、今は本ごとなくなってしまっているため、頼れるのはそのときの記憶だけなのだ。
「エンデっていうのはどこにあるの?」
前にどこかで聞いた名前だなって思ったんだけど、あせっているせいか思い出せなかった。
「エンデはこの世界の地名ではありません。エーネのかけらとでも申しましょうか、『世界』が管理する土地なのです」
「でも、お嫁に行った人がいるんだよね?」
「エンデの住民がこちらに来ることはできます。その折に見初められたのでしょう。ですが、我々からあちらを訪れることはできません。扉が無く、道も繋がっていないのです。『世界』またはその従者に招かれない限り、入ることはもちろん、見ることさえできないと言われています」
だとすれば、お嫁さんが里帰りしたときにでも家族に話したんだろう。
革表紙のドクターの中にはエンデのことが詳しく書かれていた。
『続く道に小さな扉があり、そこを開けると鮮やかな緑の森が広がっている。森には番人の虫がいて、昼夜を問わず見回りを―――』
文字を追いながら司書さんが羽の先でゆっくりとページをめくった瞬間、僕の心臓はいきなり止まりそうになった。
見覚えのあるものが描かれていたからだ。
「あ……これ!!」
指差した先には、フェルト製の羽がついたぬいぐるみの絵。
僕が見た犬っぽい感じのものじゃなくて、どっちかっていうとクマみたいだったけど。
「どうかなさいましたか?」
「あの、あのね、たまごのエネルと僕が落っこちたところ、大きな木がたくさんあって、その下に黄緑色のコケがたくさん生えてた。それに―――」
僕にエネルの殻を全部持ち帰るようにと教えてくれた人も、自分のことを『虫』だって言っていた。
「ほほう。それはどのような苔でしたか?」
ミミズク司書さんがピピピッと耳をふるわせる。
すぐ隣りでこっちを見ているニーマさんの目もいつになく真剣だった。
「ええと、ふかふかしてて……そうだ、僕の上着に……今はエネルのベッドに敷いてあるんだけど」
あれからずいぶん経っている。
洗濯だって何度もしてしまっただろうけど、シミくらいは残ってるかもしれない。
ニーマさんにお願いしてアルの部屋からエネルのカゴを持ってきてもらった。
「エネル、ちょっとだけ借りるね」
きちんと敷かれていた服を取り出してそっと広げてみたけど。
やっぱりきれいに洗われてしまっていて、黄緑に染まっていた部分はもうほとんどわからなくなっていた。
「……残ってないみたい」
このへんなんだけどって言って見せると、急に本がぶわっと大きな光を放ち、司書さんの耳もグイッとパーカに向けられた。
いつもは三角の耳が丸く開いていて、ちょっとびっくりしてしまった。
「どうやらエンデの苔に間違いありませんな。それならレン様とエネルが病にかからなかったことの説明もつくというもの」
執事さんに呼ばれ、お医者さんが図書室までやってきた。
エネルの寝床と本を見比べ、うんうんと深くうなずくと、すぐに僕のほうを向いた。
「なるほど。それでしたら、何一つ兆候がないのももっともです。レン様とひよこ殿はこの世で一番闇の毒が効かないお体になっているはずですからね」
再びうんうんとうなずくお医者さんを見ながら、靴のひもを縛りなおした。
「じゃあ、僕、もう外にいけるね!」
できるだけ急がないと。
「ええ、それはもちろん。……何をなさるおつもりで?」
「エンデの森を探してみる」
だいたいの場所はわかってる。
あとはなんとか虫さんを見つけて、必要な分をわけてもらえるように頼むだけだ。
「苔はどれくらあればいいの?」
「文献の通りだとすれば、小さなティースプーンの先ほどで十分のはず。クリスタルのビンに入れて日に当てると少しずつ増えるそうですが」
「わかった」
一人ではあの丘までどうやって行ったらいいのか分からなかったから、ニーマさんもついてきてくれた。
もう大丈夫。
アルは助かるはず。
でも。


お城を飛び出したときにはパンパンに膨らんでいた希望は、あっというまにしぼんでいった。
扉がどこにも見つからなかったのだ。
「……どうして? だって、前はちゃんとここに―――」
丘の上全部を隅から隅まで歩いて、このあたりだったと思う場所では地面を直接手で触ってみた。
でも、探しても探してもどうやってもみつからなくて。
気がついたときにはもう、あたりは真っ暗になっていた。
「レン様、今日はもうお城に戻ってお休みいたしましょう」
「ダメだよ!」
見つかるまでは絶対に帰れない。
僕は必死だった。
でも、ニーマさんはとても悲しそうな顔で首を振った。
「正式なお客様として招かれたとしても、エンデの扉は日が差さない時間には開かないといいます」
夜になってしまったら、もう僕らにできることはないのだ。
「でも……っ」
アルが死んでしまうかもしれないと思ったら心臓がぐしゃっと押しつぶされそうだった。



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