Halloweenの悪魔
ル・ルーク殿下


-2-

全員がきちんと座ったのを確認すると、うさぎのグランさんが三角の口を開いた。
「まず主殿に理解していただきたいのは、我々自身は森を傷つけるわけにはいかないということだ。仮にもここの守り番を務める身ならば当然のことなのだが」
たとえほんの少しであっても走り回って草を散らしたり、追いかけまわして幹にぶつかったりすることはできないのだと言って大きく一つうなずくと、他のみんなもうんうんと首をたてに動かした。
「少し前のことだが、大風と雷のせいで壁にいくつか穴が開いてしまってな。それに乗じて森に紛れ込んだ者がおるのだが」
みんながいっせいにこちらを向いたのは、たぶん僕が前に穴の一つから落っこちたことを聞いているからなんだろう。
でも、今回の話は僕のことじゃなかった。
「それが、とにかく不躾な輩でな」
ぬいぐるみの人たちは森の中では暴れないようにしているので、むりやり追い出したりはせず、穴から入ってきた人たちが自分から出て行くのを待っていた。
でも、森が案外住みやすかったのか、そのまま居座ってしまったらしい。
しかも、果物やナッツを勝手に採ったりするだけじゃなく、木を切って小屋を建てはじめたので、退治することに決めたのだという。
「とはいっても、主殿はまだ子供。咎者(とがもの)を追うのは無理であろう。だが、王城から来ているのであれば、誰かに手伝いを求めることくらいは可能なはず。そう思ったのでな、茶会の席で頼むことにしたのだ」
いきなりむずかしい話になってしまったなと思いながら、最近ずっと持ち歩いている小さなノートを取り出した。
言われたことの半分も聞き取れていなかったけど、僕から誰かに頼まなければいけないってことはわかったからだ。
とりあえず一つずつ確認して書きとめていこう。
苔のおかげでアルが助かったんだから、僕も少しくらい何か役に立つことをしなければ。
「えっと……退治の手伝いをお願いをする相手は誰でもいいんですか? 僕が勝手に決めちゃっても平気なんですか?」
だったら、ばあやさんに相談すればすぐに解決しそうだって思ったんだけど。
聞いたとたんにうさぎ耳がタテにびよーんと長くなった。
そのあと、ひっぱったゴムを急に離したときみたいにビュンと縮んだ。
グランさんは横に広くなった耳のまましばらく考えて込んでいたけど。
「なるほど。こちらの希望に合った者を選出してくれるというわけか。見た目はいかにも頼りない幼な子だが、なかなか気配りができる」
王城の従者なら多少厳しい条件だったとしても問題なく選べるだろう、なるほど、なるほど、ふんふん、って感じに一人でうなずく。
そんなことは考えてなかったのになって思いながらも、新たな疑問に首をかしげた。
「あの……オウジョウって?」
うさぎの人にだけ聞こえるくらいの声で言ったつもりだったんだけど。
次の瞬間にはあきれた顔のぬいぐるみに取り囲まれていた。
「王城は王城だ」
「言伝え(ことづたえ)がいるところだ」
「殿下の御名も予め聞かされていたではないか」
横からも後ろからもいろんなことを言われて、よけいにわからなくなった。
「えっと……コトヅタエって……?」
話をすればするほど謎の単語が増えていく。
「言伝えは御使い(みつかい)の一つだ」
「本当に何も知らんのだな」
「それでよく茶会に招待されようなどと思ったな」
「……ごめんなさい」
エネルが起きてくれたらもうちょっとやさしい対応をしてもらえたかもしれないって思ったけど。
「あの、でも、教えてもらえたらちゃんと覚えます」
今、こちらの世界のことを勉強している最中なんですって言ったら、僕を囲んでいたぬいぐるみがまたそろって「うん、うん」とうなずいた。
「それならまあ良い」
「そうだな。何と言ってもまだ子供だ。多少のことは仕方あるまい」
「だが、エネル様の主ならば覚えておいて損はないぞ」
「はい」
みんながわらわらと自分の席に戻るのを見ながら、小さく息を吐いた。
この様子だと、今日は覚えることがたくさんありそうだ。
昨日、たくさん寝ておいてよかった。
「さて、『王城』だが。おまえたちの土地を統治する者が住居にしている建物のことだ。統治者とは『治めている者』のことだ。分かるな?」
「はい。えっと……王様」
「そうだ」
タヌキの人がうなずくのを確認してから、『オウジョウはおしろ』とメモをした。
あと、『トウチシャは王様』も。
ゆっくりなら大丈夫。一個一個頭に入れていこう。
そう思ったんだけど。
次の説明で早速ペンを握ったまま固まってしまった。
「それから、『言伝え』は世界の意思を伝えるために遣わされた者のことだ」
だって、今度の説明はまったく意味不明だったのだ。
しかも、これを解決するために何を聞いたらいいのかさえわからない。
「えっと……」
どうしよう。困った。
でも、今までの話を合わせて考えると、コトヅタエはお城にいるのだ。
「その人は何をするのが仕事なんですか?」
騎士とか執事とか魔術師とか庭師とか門番とか。
聞けばだいたいの見当がつくだろうと予想したのは正解だった。
「世界の意思を伝えるのが仕事に決まっているだろう」
「一番大きな役目は統治者を選ぶことだ」
トウチシャが王様のことだっていうのはさっき聞いた。
ということは。
「あー……イリスさんのことかぁ……」
そう言えば、前にエンデールさんに「コトヅタエから王子様の名前を聞いたんだろう」みたいなことを言われたっけ。
それで、確かにあの声はイリスさんだった。
「わかりました。ありがとうございます」
僕たちは『王様の椅子』と呼んでいるんですって説明をしたら、グランさんがまた「なるほど」と言った。
「言伝えの半身は四つ足だったな」
「動かない時は椅子そのものだ」
「その呼び名は頷ける」
本当に話せば話すほど謎が増えていく。
『ハンシン』のあたりについて詳しく聞きたいなと思ったけど、尋ねる前に話を戻されてしまった。
「理解したようなら先へ進もう。そうそう、咎者追いの条件だったな。急がねば。日が高くなってきた」
時間がないので、とリスの人が少し早口で続きの催促をする。
そのあと、うさぎのグランさんとタヌキの人がひそひそと何か話していたけど。
「そうだな。では森に馴染む者のみを選出してもらうことにしよう。それならば多少葉や草が散ろうが世界の機嫌を損ねることはないだろう。もちろん軍隊およびそれに準ずる者の立ち入りおよび金物の武器の持ち込みは禁止とする」
二人でうなずき合ったあと、息継ぎさえしていないようなスピードでそう告げた。
一応メモはしてみたけど、ちんぷんかんぷんだ。
ちゃんと聞き取れたとしても、やっぱりわからなかったかもしれないけど。
もう一回お願いしますって言うために顔を上げたら、前が見えないほどぬいぐるみの顔がひしめいていた。
みんな真ん丸い目でノートに書き込まれたひらがなを見ていたのだ。
「下界の文字とはあのようなものであったか?」
「前に見たのとは随分違うようです」
「気をつけろ。暗号かも知れん」
ひそひそ話してはうなずき合う。
そのたびにフェルトの羽がパタって閉じて、また開く。
みんな同じタイミングで同じ動きだ。
書きとめるのに必死でなかったら笑っていたかもしれない。
「見慣れぬ筆記具だ」
「紙から薬のような匂いがするぞ」
「珍妙な物を使っておるな」
またしても羽はパタパタ。
鼻もくんくん。
鹿の人なんて自分の席に戻る前に爪の先でノートの隅に模様のようなものを書いていった。
「あの」
さっきの話をもう一度、って。
勇気を出してお願いしようって思ったのに。
「おや、時間だ」
「茶会はお開きだな」
「では、今日はこれまでということで」
「気をつけて帰られよ」
まだ聞きたいことがたくさんあるのにそのまま追い出されることになってしまった。
「あの、ちょっと待ってください。僕もうちょっとちゃんと―――」
まだ座っていたのにイタチの人に椅子を引かれ、モモンガの人に背中を押される。
「我々はすぐに中心の木に行かねばならぬのでな。出口までの案内はエンデールだけだが構わぬだろう」
「あ、はい、それはいいんですけど―――」
答えた瞬間に、カップやポットは消えてなくなっていた。
みんな忙しそうに席を立ち、しっぽの毛を整えたり、耳を立て直したりしている。
扉に着くまでにエンデールさんにもう一回聞いてみよう。
それでもダメなら、言われたことを忘れないうちにお城に戻らないと。
少しでも頭を振ったらポロポロとこぼれてしまいそうだし、なるべくそっと歩こう。
そんなことを考えていたせいで、エネルのことをすっかり忘れてしまっていた。
「あ……」
あわてて振り返ったら、エネルの寝台はたぬきの人が大事に抱えていた。
他の人もすっかり取り囲んで寝顔をのぞきこんでいる。
しかも。
「置いていくが良いぞ。我らが大切にお育てする」
「そもそも人間の子供ごときが主というのがどうかしているのだ」
「そうだ、そうだ。人の子では何一つ教えることができないだろう?」
口々にそんなことまで言うものだから、つい。
「ダメ! エネルは僕の家族なんだから! 今ちょっと頭がいっぱいだったからうっかりしただけで、エネルは僕の弟だし、すごく大事なんだから!」
自分でもびっくりするくらい大きな声を出してしまった。
ぬいぐるみの人たちもかなり驚いたんだろう。
全員がまんまるい目になっていて、口も三角や四角に開いていた。
「あ……ごめんなさい」
あわてて謝ったけど、気持ちがいっぱいいっぱいで今度はうまく声が出なかった。
もう一回ちゃんと謝ろうと思ったら、言葉の代わりに涙がにじんだ。
「ま、まあ、よい。まだ子供だからな。少々不躾なのは目を瞑ろう」
急に声がやさしくなったのは、僕が本当に泣きそうだったからなのかもしれない。
「そんな顔をするでない。大事にしているならば我らとて無理に取り上げたりはせん」
「寝台ごと持ち帰るがよいぞ。呪文がかかっているのでな、揺れも落ちもしない」
僕を囲んだハの字に下がったまゆ毛。
それを見ているうちに、こぼれそうだった涙も少しずつ引いていった。
「あの……ありがとうございます。お布団借りていきます」
エンデールさんと同じで、本当はみんな優しいんだろう。
やっと返事をすると、いっせいにホッとした顔でまゆ毛を戻した。


次に会う時間を決めて、それまでに返事をすると約束して。
あわただしいお別れをしたあと、エンデールさんに見送られて森を出た。
静かにドアが閉まって、ホッと息を吐く。
眠っているエネルのかごを抱えたまま丘のてっぺんに座り込んだ。
「……もう一回教えてって言えなかったなぁ」
どうしようって思いながらポケットに入れていたノートを開く。
一人になってから落ち着いて見てみると、書いてあることの半分も読めなかった。
そうじゃなくてもあんまり書き取れなかったのに。
その上、読めなかったら何の役にも立たない。
「困ったなぁ」
最後の一行は「もりになじむ ぐんたいおよびそれ ぶきわ」。
話の内容はなんとなく覚えているから、それについての説明はできそうだけど。
「……これ、なんだっけ?」
その上の行が本当にぐちゃぐちゃで。
最初の2文字はしっかり書いてあったけど、あとのほうはなんだかちっともわからない。
「トガ、トガモ?……そういえば、『トガモノオキ』みたいな感じだった」
エネルを起こして聞いてみようかと思ったけど、よく考えたらその話をしていたときはもう眠っていたからわかるはずがない。
「でも、『戸が物置』ってなんか変だよなぁ」
僕が座り込んでいるのが見えたのか、エンデールさんの作ってくれた温室で待っていたニーマさんがヤギといっしょに来てくれた。
「おかえりなさいませ、レン様。いかがでしたか?」
「あー……えっとね」
とにかく忘れないうちに頭の中にあるものを全部出してしまおう。
お茶会の様子は後回しにして、頼まれごとについて覚えていることを一気に話した。
「―――って感じだったんだけど。なんの頼みだったかわかる?」
ノートも開いて見せたけど、ニーマさんはひらがななんて知らないのでぜんぜん読めなかった。
「そうですねぇ……とりあえず、その『トガなんとか』っていうのは、最初のほうは合ってるんですよね?」
「うん。『と』と『が』は大丈夫」
字も他のものには読めないし、僕の耳に残っている音とも合っていると思う。
「じゃあ、『戸が物差し』とか。うーん……それって何なのって感じですよねぇ」
そもそも頼みごとだったんですよねぇ、ってニーマさんが首を傾げる。
「うん、そう」
折り入って頼みごとがあるって言われてはじめた話なのだ。
間違いない。
「それなら、『戸がもうちょっと右』っていうのはどうです?」
そう言ってもう消えてしまった扉のほうを指差した。
「横から引っ張ったり押してみたりするってこと?」
「うーん……それくらい中からでもできますよねぇ」
そのうち「それなら」ってニーマさんが言って。
新しい案が浮かんだんだろうって思ったのに。
「お城に帰って相談しましょう」
最後はやっぱりばあやさん。
そういうことらしかった。



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