Halloweenの悪魔
ル・ルーク殿下


-3-

お城に帰ったとき、アルは眠っていた。
王様といっしょに苔のお茶を飲んだあと、ばあやさんの呪文でまたムリやり寝かしつけられたらしい。
「もうしばらく安静にって言われておりますのに、お世話をする者が少しでも目を離すとすぐ遊びに出かけようとなさって」
庭師さんの奥さんが新しいタオルをサイドテーブルに並べながらくすくす笑った。
「そっかぁ」
アルはもともとじっとしているのが得意じゃない。
何日もベッドの上にいたっていうだけでもけっこうすごいことだと思う。
「背中がムズムズするっておっしゃってねえ」
「それは僕にもなんとなくわかるな」
本当はアルにもエンデの話を聞いて欲しかったけど、しかたがないので隣の部屋にばあやさんだけ呼んで静かに今日の報告をすることにした。
僕一人だと心配だから、ニーマさんにもいっしょに来てもらった。
「何か召し上がりますか?」
ばあやさんに聞かれたけど、お茶をたくさんもらったからお腹はいっぱいだった。
そう伝えると、ニーマさんが「じゃあ、エンデの香りを楽しみましょう」って、苔とエネルが入ってるかごベッドを窓際に置いた。
漂う森の匂いに、ばあやさんも少し目を細める。
すうっと吸い込むとお腹の中がきれいになるような空気だから、僕も一回深呼吸をしてから話し始めた。
「それでね、頼みたいことがあって、グランさんは『トガモなんとか』って言ってたんだけど」
ちゃんと書き取れなかったんだって伝えながらメモ帳を見せたら、ばあやさんは頬に手を当てて考え込んでいたけど。
しばらくしてから「具体的に何をすることだとおっしゃっていましたか?」って尋ねた。
「えと、森にね、穴があいて変な人がまぎれこんだんだって。本当は自分たちで追い出したいんだけど、木とか草とかを傷つけたらダメだから、誰かにお願いしようってことになって」
そこまで話したら、ばあやさんはすぐ「ああ」って顔になってうなずいた。
「でしたら、それは『咎者追い』ではありませんか?」
「あ! そう、それだ!」
答えがわかったニーマさんも「なるほど!」って顔になった。
それから二人して「さすがばあやさん」ってうなずきあった。
「咎者っていうのは、悪いことをする者たちのことを言うんですよ」
「そっかぁ。僕、どういう意味かぜんぜんわからなかったんだ」
「あまり使わない言葉ですものねぇ」
アルもきっと知らないだろうって言って、ニーマさんもばあやさんも笑った。
一番大事な部分がわかったので、少しホッとしながら他のところを思い出そうとしたら、ノートをのぞき込んでいたばあやさんが「おや?」って顔をした。
「レン様、その帳面をよく見せていただけますか?」
ばあやさんはひらがなも読めるんだ、すごいなって感心したけど。
興味があったのは文字じゃなくて、鹿の人がノートのすみっこに書いた模様だった。
「呪文がかけられているようです。解いてもよろしいですか?」
「え? ほんと?」
ただのらくがきじゃなかったんだなって思いながらうなずくと、線がほどけて空中にまるく広がった。
細い黒で囲われた中に浮かんできたのはお茶会のテーブル。
色がうすくてよく見えなかったけど、うさぎのグランさんの声ははっきり聞こえた。
『―――は、森に馴染む者のみを選出してもらうことにしよう。それならば―――』
「あ、そう! この話!」
驚いたことに重要なところは全部再生されるようになっていた。
「より正確に伝えるために必要な箇所を封じておいてくれたのでしょう」
エンデ式でとても珍しい呪文だと言って、ばあやさんは解ける前の模様を思い出しながら手帳に書き写していた。
「よかったですね、レン様」
「うん。そういえば、みんな僕のノートのぞいてたんだ」
ひらがなは読めなくても、ぜんぜん書き取れてないってことはわかったんだろう。
でも、誰も怒った顔なんてしてなかった。
「やさしい人ばっかりでよかったなぁ」
見た目もぬいぐるみみたいだし、エネルにも親切だし、本当にいい人ばっかりだ。
「あちらにしてみれば、なんとしても咎者を片付けてもらわないと困るのかもしれませんね」
だから、さりげなく細工をしておいたんだろうって言ったばあやさんは少しだけ笑っていた。
「あら、でも本当にお優しいんですよ。私がレン様を待っている間、丘の上にお部屋を用意してくださって。クッションもやわらかくて、木漏れ日がきれいで」
ニーマさんが詳しく話してくれた待合室の様子は本当にとても居心地がよさそうだった。
「ハーブティーもおいしかったですし」
「えー、お茶もあったんだ?」
「ええ。ものすごーくいい香りでしたよ」
ヤギのおやつ用の草まで置いてあったらしい。
新芽ばかりでとてもおいしそうだったって説明してくれた。
「エンデールさん、やさしいなぁ」
ちょっとぶっきらぼうな感じはするけど、ふかふかだからちっとも怖くないし。
ニーマさんと二人で顔を見合わせて笑いあっている間、ばあやさんだけは少しむずかしい表情で考え込んでいた。
「依頼は『森に馴染む者』ですか」
どうやら誰に頼むかで悩んでいたらしい。
ひとりごとの声もすごく「うーん」って感じだった。
苔のこともあるから、エンデの人たちとはできればこれからも仲良くしたい。
だから、この仕事はうまくやらないといけないんだろう。
「スウィード様にご相談する必要がありそうですね」
呪文で出した日記帳のようなものをめくりながら王様の予定を確認していたけど。
そのとき「はい!」と勢いよく手を挙げたのはニーマさんだった。
何が「はい!」なんだろうって不思議だったけど、ばあやさんはすぐに「ああ、なるほど」ってつぶやいた。
「そうでしたね。では、スウィード様のご承認がいただけたら、ニーマにお願いしましょう。それと、できれば一族から手伝いの者を」
「お任せください!」
ニーマさんはもともと花の種族だから森とは相性がいい。
エンデの人たちも快く承諾してくれるだろうっていう話だった。
「そっかぁ」
そういえば種から生まれるんだって前に教えてもらったっけ。
「でも、危なくないかな?」
僕が最初に落っこちたときなんて、お守りのペンダントがぶわって思いっきり光ったんだ。
森の奥でガサガサしてたのがすごく悪いやつだってことはわかってる。
王様の騎士でも軍隊の人でもないニーマさんがそんな相手と戦うのはとても心配だ。
大変なことになってしまったなって思ったけど。
「大丈夫ですよ、レン様。ニーマはこう見えてなかなかの腕前ですから」
「ほんと?」
「はい。どうかご安心ください」
なんと、ばあやさんの保証つきだった。
ということは、実はものすごく強いのかもしれない。
ニーマさん自身もぜんぜん平気って顔で胸を張った。
「お任せください、レン様。捕まえるだけなら結構自信ありますから。お裁縫と違って狩りは得意なんです」
そういえば、アルが小鳥をつかまえに行ったときにもそんなことを言ってた。
だとしてもかなりびっくりだ。
いつものんびりしてるし、優しいし、見た目もふわっとした感じなのに。
戦うニーマさん。
心の中でつぶいやいてから頭の中に登場させてみようとしたけど、どうしてもふんわりしたニーマさんにしかならなかった。
「ところで、レン様。あちらには何名まで連れていっていいんでしょう?」
そういえば、呪文を解いて見た映像の中でもそれは言ってなかった。
「聞くの忘れちゃったな。でも、あんまりたくさんじゃないほうがいいかも」
条件の一つに『軍隊はダメ』っていうのがあった。
その中には、「兵士はダメ」っていうことのほかに、「隊」みたいに人がいっぱいいるのはダメって意味も含んでいる気がするのだ。
だからと言ってあんまり少ないと、ちゃんとトガモなんとかができるか心配だ。
「えっと、エンデの人はたぶん11人だから、その半分くらいでどうかな?」
「半分ってことは5か6ですよね」
「そんなにたくさん頼めない?」
誰だって危ない仕事はいやだもんなって納得しかけたんだけど。
「ええと、そうじゃなくてですね……みんな行きたがっちゃって大変だと思うんですよね」
だってエンデの森ですよ、って大きくうなずいたニーマさんの目は、いつもの3倍くらいキラキラだった。
よく考えたら、普通は見られない特別な場所なのだ。
ちょっとくらい危険でも一度は行ってみたいって思ったとしてもぜんぜん不思議じゃない。


午後、ニーマさんとその一族の人たちに王様から『エンデの森へのハケンのナイダク』が出た。
人数も5人か6人でいいだろうってことに決まったので、ニーマさんと僕とで「トガモなんとか」の打ち合わせをした。
と言っても、何時にどこで待ち合わせだよとか、エンデの人たちの名前と見た目はこんなで、一番偉いのはうさぎの人だと思うとか、それくらいだ。
「全員『エンデ』で始まる名前なんですか。覚えるの大変そうですね」
「うん。見た目もみんなウサギだったりしたら、二人くらいしか覚えられなかったかも」
「エンデールさんはもう覚えたからいいとして、ウサギがグランさんで、あとは鹿の方とリスの方とタヌキの方と―――」
メモを取りながら、僕が話したことを復習する。
ニーマさんのノートはお化粧のコンパクトみたいな感じだ。
手のひらサイズで、縦に開く。
そして、小さな花模様のおしゃれな表紙だ。
「フェレットの人は二人いて、背の高さとか顔とかはそっくりだけど色が違うから大丈夫」
「ええと……イタチのお二方は色違い、と。まあ、おおらかな方々みたいですし、ちょっとくらい間違っても大丈夫ですよね」
一通り打ち合わせが終わった頃、案内係のリピピアが僕らを呼びにきた。
ついでに「さっきルシルさまのお使いでトルグさまがいらっしゃったので」って楽しそうに教えてくれた。
「そっかぁ、よかったね」
僕もトルグに会いたいなって思ったけど、もう帰ってしまったらしい。
今はみんなすごく忙しいからしかたない。
リピピアの用事はミミズク司書さんのお使いだった。
大学からエンデについて記述のある書籍を持ってきたので、時間があったら見にきて欲しいという。
ちょうどいいから司書さんにもエンデのことを話してあげようって思って急いで図書室に行ったのに。
「あら、マクマーリー殿はまた戻られてしまったんですね」
扉を開けたとき、僕らの目の前には本と手紙だけが浮いていた。
正確に言うと、空中にゆらゆらしている本の隣りに文字の列が並んでいた。
「なんて書いてあるの?」
「『残念ですが仕事が入りました。時間のある時にまたゆっくりお勉強しましょう』ですって」
「勉強かぁ……」
そういえば最近あんまりやってないなって思っていたら、ニーマさんがいいことを思いついた顔で僕に言った。
「マクマーリー殿はとても教えるのが上手ですから、先生になってもらったらいかがです?」
バジ先生より真面目に教えてくれるはずだからって。
確かに、それは僕もちょっと思うけど。
「でも、司書さんは冒険には行かないんだよね?」
だとしたら、迷子になったときにやるべきこととか、いきなりどこかへ落ちたときはまず何をすればいいかみたいなことは詳しくないだろう。
「うーん、そうですねぇ。やっぱり知識と実践は違いますものね」
結局、一般的な勉強をミミズク司書さんから教わって、バジ先生には冒険の話をしてもらえばいいってことになった。
何にしても、二人がもう少しひまになったらじゃないとダメなんだけど。
「こんな状態ですから、もうしばらくはお忙しいでしょうね……まあ、今日のところはご用意していただいたご本を読みましょう」
表紙にタイトルは書いてなくて、大きさは普通だったけど、ちょっと厚め。
辞書っぽく見えたけど、「中身は雑記か随筆みたいな感じ」だって、ニーマさんがパラパラめくりながら説明してくれた。
僕も横からのぞきこんでみたけど、どのページにもびっしりと読めない文字が並んでいるだけで絵はついていない。
「ええと……ここから読めばいいみたいですね」
3分の1くらいのところに白っぽいグレーの羽根が挟んであった。
色から言っても司書さんのものだろう。
どうやら、しおりの代わりに使っているらしい。
開いたページの下のほう、きらきらした線が飛んだりはねたりしているところをニーマさんがゆっくりと読みはじめる。
「ええと、『エンデについて記述された文献はきわめて少なく、また、残された文献についてもその内容が確かなものかどうかの判定は難しい』……あら、だったらレン様がご覧になってきたことをお書きになればいいですね」
そういう話が好きな人は多いからきっとたくさん売れますよ、なんて言われたけど。
「僕、こっちの字はまだ書けないんだ」
「そうでしたっけ。じゃあ、それもお勉強しないと。一番簡単なものでしたら、わりとすぐに覚えられますよ」
今日の本は大学のものだから、ちょっとむずかしい。
ニーマさんもすらすら朗読するのはムリそうだって顔をしかめた。
「けっこう古い時代の文字ですし……とりあえず、面白そうなところだけにしましょうか」
マーカー代わりのきらきらの線をちょんと指でつつくと、さっと別の場所に移動した。
「あ、ここがいいみたいですよ」
エンデの昔の王子様の話で『殿下の項』というタイトルらしい。
「ええと、まずご結婚について。『たいそうやんごとなきご身分にあらせられたので、伴侶の選出には殊更の配慮を』……うーん、そうですね。分かりにくいので、私が最初に読んでから、かいつまんでお話しますね」
「うん。そうしてくれるとうれしいな」
司書さんが持ってきただけあって、本当に『大人が読むむずかしい本』っていう感じだ。
ニーマさんはしばらく黙って文字を追っていたけど、2ページくらいを読み終わったところでコホンと咳払いをした。
「では、当時の王子様について」
「うん!」
姿勢よく座りなおして続きを待つ。
ニーマさんもとっておきのお話ですよって顔でひとさし指を立てた。
「エンデの王子様はとてもお美しく、儚げな雰囲気の青年だったようです。でも、身体が弱くて病気ばかりしていたので、『あとつぎは丈夫な子に!』ってことで、魔族からお嫁さんをもらうことになりました」
「ふうん。じゃあ、次の王子様は風邪引いたりしなかったかな?」
森の中の家に、きれいな王子様とお妃様と次の王子様。
もちろんエンデールさんやグランさんみたいな従者もいただろう。
「それについては何も書いてませんねぇ」
「ふうん。じゃあ、今の王子様は孫なのかな? それともひ孫? もっとあとかな?」
「それが、いつの時代のことなのかもまったく書かれてないんですよね。エンデの森の方々は殿下について何かおっしゃってました?」
「ううん。なんにも」
イリスさんからちょっとだけ噂話を聞いたけど、ジャムに落ちたことと病気は関係ないし。
見た目がどんななのかもぜんぜんわからない。
「あ、でも、森を治めていらっしゃるんですから、咎者追いの時はご挨拶にいらっしゃいますよね!」
「そっか! 会えるといいなぁ」
どんな感じの人だろう。
『王子様』って言っても、意外とおじさんってこともあるけど。
「ニーマさんは若くてかっこいい人がいい?」
「ええ、それはもちろん!」
この本に出てくる王子様みたいにはかなげな感じでもいいし、ぜんぜん違って健康的な青年でもいい。
「そうじゃなかったら、学者さんみたいな賢そうな雰囲気もいいですね」
そう言ってから本を置いて、ふんわり宙に浮かせた椅子ごとくるりと回ってみせた。
口元は「ふにふに」じゃなく「うふふ」って感じだ。
「じゃあ、ちょっと楽しみ?」
ただでさえ忙しいところにものすごく大変な仕事を増やしてしまったんじゃないかって心配してたんだけど。
「『ちょっと』じゃなくて『ものすごく』です。明日は張り切って行きますから!」
遊園地のティーカップみたいにくるくる回っているニーマさんは本当に楽しそうで、僕が気にする必要はぜんぜんなさそうだった。



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