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シャラン、シャラン、とあちこちから何かが空気を震わせる。
鈴に似ているけど、もっとずっと軽やかで透明な響きだった。
「こんなときになんですが、なかなか美しい音色ですな」
鹿の人ががぼそりとつぶやいた。
周りの人たちもみんなうなずいている。
僕の肩の上に戻ったエネルも気持ち良さそうに目を閉じた。
椅子の上に置いていかれたエンデの王子様もまんまるい目をきらきらさせながら耳を澄ましている。
ここに残っている中で楽しそうじゃないのはエンデールさんだけだ。
エンデールさんは騎士なので、何かあった場合にはル・ルーク殿下を守らなければならないのだとグランさんが小さな声で教えてくれた。
みんなが集まっているひだまりには、外から攻撃されてもすべて跳ね返すようにまるく呪文が張られた。
「主殿、すっかり事が済むまでは森の奥には行きませぬよう」
「はい。大丈夫です」
エネルもちゃんと「みきゅ」と返事をし、グランさんが静かにうなずく。
森の中ではときどきサッと光が飛び、それがお母さんたちの影だと分かったときには本当にびっくりした。
20分くらいして、もう一度ニーマさんが戻ってきたときには森のあちこちがキラキラ光っていた。
「あとはあのあたりだけですね」
「あそこは『エーネの降り口』と言われていてな、この森の中で一番高い場所に出入り口がある」
「網をかけてもよろしいですか?」
「もちろん」
空を見上げていたニーマさんが背中に背負っていた筒からさっきの弓のような道具を取り出した。
でも、中はそれ一個だけで、矢のようなものはやっぱり入っていなかった。
どうするんだろうって思いながら見ていたら、指先からシュルルルルと糸が出て、みるみるうちにくるくると丸まっていった。
「これを使うんですよ」
よほど興味津々な顔をしていたんだろう。
ニーマさんにはすっかり見抜かれていた。
まだ切れていない糸を30センチくらいの幅でつまんで、両端をピッと伸ばすと棒のように固まった。
「ここにさっきの糸玉をつけます」
名前のとおり、くるくるに巻かれた糸はピンポン球くらいの大きさ。
棒のようにピンとさせた糸の先にふんわりした玉をくっつけて弓につがえると、真上に向けて勢いよく放った。
シュルルルという音を聞きながら、なんだか楽しい気分になったのは打ち上げ花火みたいだったからだ。
青い空の中、玉が見えなくなった時、パンッとかすかな音がしてキラキラした光が広がった。
「これで大丈夫。たとえ羽のある種族だとしても空から逃げることはできません。あとは掛かるのを待つだけです」
一度ひっかかったら糸からは絶対に逃げられないという説明を聞きながら、うっかり歩き回って僕がくっついちゃったどうしようって心配になったけど。
「大丈夫ですよ。先ほどペンダントから捕まえる相手を教えてもらいましたから」
それ以外の人にとっては縫い物をするときに使う糸と同じ感じだって言われて安心した。
細くてキラキラできれいだけど、僕が思ってるよりずっと高性能なのだ。
そのうちにお母さんやお姉さんたちも満足げな顔で戻ってきた。
「隅々まで整いましたよ。森にいくつかほころびがありましたけど、いかがいたしましょう?」
キラッと光る手鏡の中にやぶれている場所が浮かび上がってるらしい。
でも、僕の目にはどのあたりなのかちっともわからなかった。
「まだ修繕しなければならないところが残っていたか」
直す係はタヌキの人なんだろう。
ため息をつく後ろ姿が本当に「やだなぁ」って感じだった。
「ええ、そうです。ここと、こちらが少し大きく開いていて、あと二つだけ小さな綻びが―――」
お姉さんが破れていた場所の説明をする間、他のみんなは念入りに手を洗っていた。
なんでだろうって首をかしげていたら、従姉妹のお姉さんが陶器でできた大きめのポットを抱えてやってきて、一度にっこり笑ったあと、僕とエネルの手を思いっきりじゃぶじゃぶ洗いはじめた。
それがすっかり終わると、僕の背中を押して回れ右をさせた。
「では、お茶にいたしましょうか」
目の前には、いつものほわんとしたニーマさん。
狩りの服の上にひらひらのエプロンをつけて、ピクニックみたいな敷物を広げていた。
スーツケース3つ分の荷物はぜんぶお茶の道具だったのだ。
トガモなんとかの途中なのに、怒られないかなって思ったけど。
「では、ご馳走になろうか」
「殿下はこちらに」
「土産の蜂蜜を出そう」
「そうだ、それがあった」
僕以外は全員当たり前のように座ろうとしていた。
明るい色の糸ばかりで織られた敷物の上で、はちみつをたっぷりかけたパンケーキみたいなお菓子をつまむ。
ル・ルーク殿下はいつの間にかニーマさんの膝に座っていて、ジャムや蜂蜜がついたほっぺを拭いてもらいながら楽しそうにしていた。
少し離れたところに座っているエンデールさんはさっきからずっと王子様のようすを気にしていた。
そんなに心配ならニーマさんの隣りに座ればいいのにって思ったけど。
グランさんに相談したら、「最初はあれくらいの距離が良いものだ」と言うのでそのままにしておいた。
何が「最初」なのかはわからなかったけど、誰も気にしていないみたいだから僕も気にしないことにした。
「さあさあ、レン様もたくさん召し上がってくださいね。果物はいかがですか?」
「ありがとう。エネルがその黄色いの欲しいって」
「グラン様もおひとついかがですか?」
「では、遠慮なく」
前よりも人数が多い分、すごくにぎやかなお茶会で、エンデの人たちも楽しそうだった。
木や草を上手に育てる方法やおいしい蜂蜜の作り方、あとはこれからのお天気や風向きの話など、めいめい好きな話をして盛り上がっていた。
でも。
一杯目のお茶がみんなのお腹の中に消える頃、とつぜん「シャラン」と大きな音が森に響き渡り、ニーマさん一族の目がいっせいにキラッと光った。
「かかったようですわ」
「男だわ。でも、思ったより小さいわね。子供かしら」
「あ、またかかったわ」
「今度は女ね」
みんなの声はやけに楽しそうだ。
「すぐに行ったほうがいいかしら?」
「糸が巻き取るまで待ちましょう」
「そうね。では、お茶をもう一杯」
ニーマさんのお母さんが立ち上がったのはそれから20分くらいあと。
さわさわと木が揺れて、それを合図に糸を引っ張るとポヨンポヨンと僕の背丈くらいの繭とそれより小さな繭が森の奥から転がり出てきた。
「どうやら暴れることはなさそうですね。咎者の処分はこちらでなさいますか?」
お母さんが王子様に尋ねると、ちょっと困った顔になった。
どうしようっていう表情のままこっそりグランさんのほうを見たけど、ぜんぜん気づいてもらえなくて、今度は泣きそうになった。
「お困りでしたら、私どもで持ち帰らせていただきますが」
あわててお姉さんがそう申し出ると、王子様が「ほんと?」っていう顔で何度もコクコクとうなずいた。
それを見て、ニーマさんとお母さんはやっぱり口をふにふにさせていた。
「では、そうさせていただきますね」
そっと立ち上がったお姉さんが地面に置かれていた大きな繭を指先でつつくと、スイカくらいの大きさになった。
それをさらにギュッギュッとおにぎりみたいに握ってソフトボールくらいにすると、いとこのお姉さんが背負っていた皮袋の中に放り込んだ。
たぶん市場の人がお土産を小さくしてくれるのと同じ呪文なんだろう。
丸められてしまった人は苦しかったり痛かったりしないのかなとちょっと心配になったけど、よく考えたら悪い人だから少しくらい懲らしめたほうがいいのかもしれない。
「この人たち、どうするの?」
こっちの法律はぜんぜんわからないけど、穴から入り込んで木の実を食べたりしただけで、死刑になったりするのはやっぱりかわいそうな気がする。
「そうですねぇ……まずはエンデの方々から被害の大きさを、捉えられた者たちからそれぞれから事情を聞いて、場合によっては裁判にかけます。罰が決まるのはそのあとですが、それまでは牢に入ることになりますね」
「ずっと小さい繭のまま?」
「食事をしなければなりませんから、外に出されると思いますよ」
鎖の呪文をつけられて、しばらく地下牢に入れられるだろうっていうのがニーマさんの予想だった。
「しばらく」がどれくらいの時間かはわからないけど、ちゃんとご飯ももらえるなら、まあいいかなって思った。
「さて、残りは一名。これが一番厄介そうですわ」
かかるまでもうしばらく時間がかかるだろうって言って空を見る。
最後に昇る太陽が葉っぱの間に輝いていた。
それから1時間くらいたったけど、最後のトガモなんとかはなかなか糸にひっかからなかった。
ル・ルーク殿下はなんだかそわそわしていて、しばらく忙しそうに首を動かして周りを見たりしていたけど、みんなが咎者の処分をどうするかについて話し合っている間にそっとどこかへ行った。
エネルとおんなじでお昼寝の時間とかがあるのかもしれないって思っていたんだけど。
「殿下を見かけなかったか?」
ぬいぐるみ会議を抜けてきたエンデールさんに、さっき見た王子様のようすをそのまま伝えた。
「キョロキョロでソワソワ?」
「はい。それで、あっちのほうに」
エンデールさんの返事は「なるほど」。
そのあとで「普段より多く茶を召し上がっていたからな」って付け足した。
それで行き先がわかった。
「……あー、そっか」
そわそわしていたのも納得だ。
「しばらく待つとしよう」
トイレはすぐ近くだ。
だから、僕もエンデールさんもすぐに戻るだろうって思っていたけど、殿下はどういうわけかなかなか帰ってこなかった。
「お腹こわしたのかな?」
「かもしれん」
今日は朝から緊張していたからって、心配そうな顔で王子様を迎えに行くエンデールさんのあとを僕もついていった。
薬はあるのかなとか、ハーブのお茶を飲んだら治るかなとか。
そんな軽い気持ちだったのに。
「エンデールさん、あそこ!」
トイレのある小屋から少し離れたところ。
木の枝にからまっている赤いリボンはたしかに王子様が結んでいたもの。
―――何かあったんだ!
サッと顔色を変えたエンデールさんが走り出したその時、
「待って、僕もいっしょに……あっ!!」
またしても平らな地面の上で足を踏み外してしまったのだった。
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