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僕が自分の家に戻っている間もエネルはときどきお茶会に招待されたり、ル・ルーク殿下と遊んだりしているらしい。
朝ごはんのあとのお茶のときにニーマさんが教えてくれた。
「殿下とはすっかり仲良しになったんですよ」
エネルはまだ赤ちゃんだから、お城でいっしょにご飯を食べていても途中で眠ってしまったり、お皿の中に頭から落ちたりする。
どんなに仲が良くても、たまには大変なこともあるだろうなって思ったんだけど。
「殿下はお兄ちゃんの気分になれるのが嬉しいようですよ」
エンデの中では殿下だけがちっちゃいからみんなが子供扱いするけれど、エネルが来れば自分は少しお兄さん。
森を案内したり、エネルのお茶を入れたり、寝てしまったエネルをベッドまで運んだり、いろいろと面倒を見てくれていると知って僕もうれしかった。
グランさんたちも「これを機に甘えん坊の殿下が成長してくれたら」と期待しているらしい。
いつもお供をしてくれているニーマさんも「甲斐甲斐しくお世話をする殿下を見ているだけで幸せな気分になります」ってニコニコだった。
「あ、昨日ちょうど撮っていただいたんですよ」
いつもこんな感じですって言って見せてくれたのは、ノートくらいの大きさの四角いクリスタル。
まるで本物みたいにきれいに映っているのは、エンデからもらってきた「最高級のクリスタル」だからなんだろう。
覗き込むと、真ん中あたりに苔の上でコロコロ転がっている緑の玉とそれよりずっと小さい緑の玉が映っていた。
「えっと……大きいのがル・ルーク殿下で小さいのがエネルなんだよね?」
「ええ。黄緑色すぎてなんだかよくわかりませんけど」
エネルたちの向こう側、日向に座って笑いながらお茶を飲んでいるニーマさんもちゃんと映っていた。
グランさんやタヌキの人や鹿の人、ほかの人もみんないたけど。
「エンデールさんだけいないね」
きっと見回りに行ったんだろう。
そう予想してみたけど。
「これをお撮りになったのがエンデール様なんですよ」
「あー、そっか。じゃあ、ビデオ撮るのすごく上手だね」
殿下とエネルがとても楽しそうで、それを見ているみんなもニコニコしている。
お城の人たちもこれを見たら「よかったね」って安心するだろう。
そう思っている僕の隣で、アルがいつもより少し多めに目をつり上げていた。
「ニーマばっかりいっぱい映ってるな」
「そう?」
言われてみるとそんな気もするけど。
でも、それはきっとル・ルーク殿下がニーマさんを大好きなせいだろう。
エネルがいるから普段はお兄ちゃんぽくしているけど、遊んだあとは必ずニーマさんのところに走ってきて、膝に乗せてもらって甘えまくりなのだ。
ビデオ係のエンデールさんにしてみたら、主役はいつだってル・ルーク殿下なのだから、その行く先にいるニーマさんがいっぱい映っても当たり前って気がする。
アルにもそう話してみたんだけど。
「だとしても、こぐまが来てないときまで撮る必要はないだろう?」
「……そうかな?」
別にニーマさんがたくさんでもいいと思うけど。
そんなことより。
「アル、エンデの王子様を『こぐま』って呼ぶのやめてよ」
友達になれないよって注意したら、「『ル・ルーク殿下』は言いにくい」とか「どうみてもこぐまだろ」とかいろいろ並べた。
「じゃあ、また招待されてもアルはエンデに連れていかないよ」
僕とエネルとニーマさんだけで行くからって言ったら、ものすごくしかたなさそうに「ちゃんと呼べばいいんだろ」って答えた。
エネルがちょくちょく遊びに行くせいもあって、グランさんたちはときどき丘の上のエンデの玄関の扉を開けるようになった。
もちろんこちら側からは森の中も扉も見えないから安心だし、そうやって風を入れ替えると森が周りの土地に馴染んで、木や草や道が良く育つようになることがわかったんだってニーマさんが説明してくれた。
「外からお客さんが来た日は扉の近くの草がグングン伸びるんですって。グランさんがとても喜んでいらっしゃいました」
丘の下にある町にもいいことがあった。
扉を開けるたび苔の粉や森の空気が風に乗って流れ出るせいで、病気にかかる人が減ったのだ。
今までは忙しすぎたお医者さんも余裕ができて、ちょっとしたケガや風邪でも丁寧に診てくれるようになったとみんなが喜んでいるらしい。
「そっか、よかったね」
アルもすっかり治ったし、エネルも楽しそうだし、グランさんたちのおかげでいいことばっかりだ。
「今ならレン一人で丘の町に行っても大歓迎だぞ」
アルが腰に手を当ててグンと胸を張る。
「僕、関係あるかな?」
グランさんが扉を開けるのは僕が頼んだからじゃないし、エンデに遊びに行ってるのだってエネルとニーマさんの二人だけだ。
でも、アルは「森を見つけたのはレンなんだから当たり前だ」って言う。
ついでに。
「このあいだ町に行って、『全部レンのおかげだからな』って俺が自慢しておいた」
「えー……」
今までで一番かもしれないくらいの自信満々な顔で言うから、よけいに町に行きにくくなってしまった。
誰もアルの言葉を信用してないならいいけど、本当に歓迎されてしまったら、「うそついてごめんなさい」って気分になりそうだ。
インボウの匂いはぜんぜん解決していないけど、いいこともたくさんあったので、今日からは少し落ち着いた気持ちで僕らに必要なことを順番にやっていくことにした。
「最初はハノーツにちゃんとお礼だな」
「そうだね」
アルののども痛くなくなって、ほこりっぽいのも平気になったというので、朝ご飯のあと二人で物置に行った。
「おはよう、ハノーツ」
「掃除しに来たぞ」
今日はとてもいい天気だから、ついでに窓を開けたら気持ちいいだろう。
物置はけっこう広くて全部きれいにするのはちょっと大変そうだけど、不思議なものがたくさんあるから面白そうだ。
「あ、でも、ちょっと待って。あのね、アル。重いものは動かさなくていいって執事さんが。それと、窓とカーテンは最初にちゃんと開けてってニーマさんが。あと、庭師のおじいさんが、日光に当てた方がいい物もあるから、途中で声をかけてくださいって。あとは廊下のお掃除当番の人が―――」
注意することは全部で10個あって、それぞれ違う人から言われた。
両手の指を折り曲げてひとつひとつ確認しながら全部をちゃんとアルに伝えて、「わかった」という自信満々の返事に僕もうなずいた。
「じゃあ、一番最初はハノーツからだね」
「そうだな」
ちなみにアルは誰からも何も言われなかったらしい。
10人全員がアルじゃなくて僕に「お願いしますね」って言ったのはどうしてなんだろう。
そんなことを考えていたら、ハノーツのドームの部分に見たことのない文字が浮かび上がった。
単語がひとつという感じでとても短い。
「これ、ハノーツって読むんだよね?」
まったく見たことのない種類の文字なのに、どういうわけか絶対間違いないって自信があった。
だから、当然「そうだ」っていう答えがくると思ったのに、アルからの返事は僕の予想とは全然違っていた。
「『お約束のとおり、いただいた名をもって忠誠を誓います』じゃないか?」
「これってそういう意味なんだ? こんなに短いのに?」
「短いか?」
「うん。だってこれだけだし……」
少しほこりっぽいテーブルに指を当て、文字をまねすると、アルがぶんぶん首を振った。
「俺が見ているのとは違う」
アルが呪文を使って隣りに書いたのはもっと長くてちゃんとした文章っていう感じ。
図書室で見慣れたアルの国の文字だった。
「どういうことだろう?」
二人で考えこんでしまったけど。
アルはすぐに何か思いついたようで、壁についている取っ手の一つをつかんで一段分の本棚をひっぱり出した。
そして、百科事典みたいなものを選んでテーブルに置いた。
「ちょっと待ってろ」
僕が書いたホコリ文字の上5センチくらいのところで一度ぱっと手を広げた後、閉じたままの本の上に持っていった。
すると、後ろから3分の1くらいのところにしおりのようなものが現れ、静かにページがめくられた。
「見つけたぞ」
しおりのそばだけがぼんやり明るくなって、アルの国の一番簡単な文字が浮かびあがった。
「えっと……『ハノーツ』。世界の従者。案内者のこと」
説明文の隣りには『エーネ表記』というのがあって、さっき僕が書いたのと同じ文字が並んでいた。
「あー、そういうことかぁ」
『ハノーツ』はもともとエーネの人たちが使う言葉だから、文字もアルの国のものとはぜんぜん違うのだ。
すごいねってドームのてっぺんをなでたら、アルがコホンと咳払いをした。
「感心してる場合じゃないぞ」
「どうして?」
「重要なのは俺とレンに対してのメッセージが違うってことだ。名前を読めたのはレンだけ、つまり、この名前はレンに差し出されたものだ」
アルからそんな説明をしてもらっても、僕にはまだよくわからない。
「そうなの? だとしたら、僕はどうすればいいの?」
あれほど「名前はすごく大事」って教わってきたのに、どういう仕組みなのかをまだぜんぜん勉強していなかった。
「レンがつけたんだろう? そしたら、主はレンになる」
主従の契約をするときは従者は主に名前を預けることになる。
「だから、レンはただハノーツからの申し出を承諾すればいいんだ」
アルが説明を終えた瞬間、スノードームの中でパッと光がはじけてクルクル回り始めた。
「ほらな」
名前を受け取る以上、今日からハノーツは僕のものだってアルが言うんだけど。
「王様の宝物なのに勝手にもらえないよ。それに名前はエンデールさんに教えてもらったんだ」
いきさつを話したら、アルは急に全部わかったみたいに「ああそうか」って顔になった。
「それはレンが勘違いしたんだ」
「どういうこと?」
「これは本物のエーネの従者じゃなく、こっちのやつがまねして作ったものだ」
そういえば、前にニーマさんが「前の持ち主は工芸品の職人さん」って言っていたっけ。
「その人が作ったってことなのかな?」
「たぶんな」
王様の書斎にハノーツを作った人の日記があって、詳しいことはそこに書かれている。
「メリナの話だと、『冒険者の往路』っていうのは最初の主がつけた仮の呼び名らしい」
正式な名前はあとで主になった人につけてもらうから空けておく。
こちらではそれが「常識」なのだ。
なのに、僕が勝手に勘違いして「ハノーツ」って呼んでしまった。
その瞬間に、『冒険者の往路(仮)』だったスノードームは『ハノーツ』という名前になってしまったというわけだ。
「そっかぁ……僕のせいで間違ってつけられちゃったんだね」
とても大事なことなのに、どうしようって思ったんだけど。
「ハノーツは本来ならエーネの従者の名だ。世界が認めなければ与えることはできない」
だから、間違ったわけじゃないだろうってアルは言う。
「でも、勝手につけられるのは嫌じゃないのかなぁ」
自分に頼みごとばかりしているような人に名前をつけられてしまうのは、僕だったらちょっと嫌だなって思うんだけど。
「だったらレンを主になんてしないだろう」
ハノーツも新しい名前を気に入ったから契約したいって思ったはずだってアルが言ったとたん、ドームの部分がまたキラキラと光った。
「こんなにキレイなんだ。絶対『そうだ』って意味だと思うぞ」
アルがいうとおり、キラキラはとてもきれいで、怒っているようには見えなかったけど。
「僕はうれしいけど、でも、ハノーツは王様のものなんだよ?」
いくらアルが保証してくれてもそれは絶対ダメだろう。
「なら、あとで『もらったぞ』って伝えといてやる」
物置に入れっぱなしにしておくくらいだからぜんぜん平気だってアルは言うんだけど。
大事じゃないから物置に入れているわけじゃないと思う。
「でもなぁ……」
そりゃあ、王様はアルのお父さんだけど。
でも、やっぱり王様は王様だから、すごくえらいのだ。
そんな人に向かって「ハノーツと仲良くなったから僕にください」ってお願いするのは図々しい。
「遠慮なんてすることないぞ。苔をもらってきたのはレンなんだ。最低でも一個は褒美をもらえるはずだ」
王様が何よりも大事にしている息子を助けたんだから、本当ならお屋敷一軒もらっても安いくらいだって、アルは今日も自信満々だった。
「さあ、レン。名を受け取れ」
こいつは優秀だから、きっと役に立つぞってアルが言った瞬間、ハノーツはまたきらきらと輝いた。
それが、とてもとてもきれいで。
だから、僕も思わず「うん」って答えてしまった。
このあと王様が「いいよ」って言ってくれなかったら、きっと大変なことになっただろう。
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