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そろそろ来るかなっていう時間。
アルが急に立ち上がった。
「出迎えに行くぞ」
大事なお客さまなんだから、城主不在の間は代わりである自分が行かなければと張り切っていたんだけど、どうやらグランさんを早く見たいだけらしい。
わくわくした気持ちが出てしまうらしく、ときどきニョキッと耳が尖る。
でも、走り出そうとした瞬間にニーマさんに止められてしまった。
「アルデュラさま、本日はお出迎えはなしです。『お忍びなのでできるだけ目立たないようにお伺いします』とおっしゃっていたそうですから」
グランさんたちは「こっそり来るお客さん専用の扉」から直接執事室にやってくるらしい。
外の人はもちろん、お城の人にも見られることはないので、本当に内緒の訪問という感じだ。
「エンデの方々とお付き合いさせていただいていることは知っている者も多いですが、エンデの方がどのようなお顔なのかということは安全面を考えてなるべく知られないようにしているんです」
「そうなのか? でも、大賢者がうさぎの耳だって知ってたぞ?」
「森について書かれた有名な本に『エンデの賢者は耳が縦に細長く、顔の横ではなく頭の上についている』と記されているそうですよ」
「ふうん。そうなのか」
アルは納得していたけど、僕は別の意味でびっくりしていた。
だって、ニーマさんとエネルを迎えに来るとき、エンデールさんはお城の従者の人たちが使う出入口を当たり前のように通るのだ。
顔を知られてもいいんだろうかと心配になったんだけど。
「え? エンデール様ですか? ああ、そうでしたね。……でも、まあ、あの方はいいんです。そもそもエンデの騎士とは思われていないですから」
「そうなの?」
「ええ。もう、まったく誰も、ぜんぜん気にしてません」
エンデールさんを見かけたお城の人たちはみんな普通に「こんにちは」って挨拶をして、「エネルちゃんのお友達が来ましたよ」ってニーマさんに声をかけるらしい。
「……そっか」
たぶん他の人たちから見ても、エンデールさんはフェルトの羽がついた犬のぬいぐるみなのだ。
何も知らなければ僕だってみんなと同じように思ったかもしれない。
「というわけで、グラン様たちのお出迎えはなしです。でも、やはりご挨拶は必要ですから、こちらでお行儀よくお待ちしましょう」
グランさんたちが来たら歓迎のあいさつだけして、そのあとは調べ物の邪魔にならないように隣の小部屋で手紙のつづきをすることになった。
まだかな、まだかなって、少しそわそわした気持ちで手紙の下書きをしていると、執事室の電話を取る係の人といっしょにグランさんたちがやってきた。
といっても廊下を歩いてきたわけじゃなくて、図書室の中にとつぜん現れた扉から出てきたのだ。
お供はやっぱりエンデールさんだった。
ニーマさんににっこりあいさつされたら、またポッとほっぺがピンクになった。
グランさんは殿下からのお礼状を取り出しているところだったので気づいてないみたいだったけど、アルの目はきゅっとつりあがる。
エンデールさんがすごくいい人だってことを知らないからだ。
あとでちゃんと「苔をもらえたのはエンデールさんのおかげなんだよ」って言っておかなくちゃ……って思っていたら、コホンという小さな咳ばらいが聞こえた。
「陛下よりお預かりしているものがございます」
意外と低い声でそう言ったのはグランさんたちを案内してきた電話係の人。
4枚羽のうさぎコウモリ型で、色はクリームイエロー。
もちろん変身しているんだけど、もとから小さめでおっとりした性格のドラゴンらしい。
くりっとした目を2回パチパチしてから、「文箱よここへ」と呪文を唱えると、ポンッときれいな箱が床の上30センチくらいのところ浮かんだ。
王様の紋章が入っているので、中身は手紙だろう。
そう思っていたら、キラキラの飾りのついたふたが開いて王様服のお父さんのミニチュアがうやうやしく礼をした。
「せっかくお越しいただきましたのにきちんとご挨拶もできず誠に申し訳ありません。本はどれでもご自由にご覧ください」というような内容だった。
「突然のお願いを快く承諾していただいたうえに、このようなお気遣いまで、誠に恐縮です。ご主君にくれぐれもよろしくお伝えください」
グランさんの胸のあたりの高さで止まったまま、クリームコウモリさんが「かしこまりました」とお辞儀をすると、アルがその隣でまったく王子様みたいにかっこよく礼をした。
それだけでもびっくりだったけど。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。私は城主の子でアルデュラと申します。先達ては貴重な苔をまことにありがとうございました。一時は命も危うい状態でしたが、いただいた苔のおかげですっかり元気になりました」
やっぱり王子様だからこういうときはちゃんとあいさつするんだなって思いながら隣を見上げたら、ニーマさんが僕よりももっとびっくりした顔で固まっていた。
「これはこれは、皇子(みこ)殿でしたか。私はエンデ・グランと申します。苔のことは礼には及びません。このように行き来できるようになったのもそのご縁があればこそ。今後とも良き友としてお付き合いいただければと思います。今日のところは私共もお忍びで参っただけ。堅苦しい挨拶はこれくらいにいたしましょう」
そういわれてもアルはまだ王子様バージョンのままで。
「ありがとうございます。あいにく城主が不在で十分なおもてなしができませんが、ご自分の家と思ってごゆっくりお過ごしください。ご案内が行き届かないところもあるかと存じますが、ご不明な点やご要望があればなんなりとお申し付け……あ!」
すらすらしゃべっている途中で急にいつものアルに戻った。
「聞かれても本の場所がわかんないぞ。マクマーリーを呼び戻せないか?」
急にニーマさんのほうを向いたアルを見て、グランさんがにっこり笑った。
「見つからなければ日を改めさせていただきますのでお気遣いは無用です」
それを聞いたクリームコウモリさんが部屋のすみっこで一礼して、サササッと図書室を出て行った。
たぶんミミズク司書さんに連絡するつもりなんだろう。
「斯様にご立派な皇子殿なら行く末も安泰ですな。我が君も見習っていただきたいものですが」
どうにも自覚が足りないようで……と嘆くグランさんのななめ後ろでは、エンデールさんが相変わらずピンクのほっぺでニーマさんのほうを気にしている。
殿下はまだちっちゃいんだからしかたないよって思ったけど。
よく考えたら、アルはちっちゃいころから今と同じくらい堂々としていて偉そうだった。
でも、こんなしっかりした挨拶を聞くのは僕もはじめてだし、たぶん本当に今日が一回目だと思う。
だって、ニーマさんがまだびっくりしたままなんだから。
とりあえず植物図鑑のコーナーの場所をアルに教えてもらったグランさんたちはまっさきに白っぽい花ばかりが載っている本を手に取った。
二人で本を覗き込んでページをめくったりメモを取ったり。
「では、お二人のお邪魔をしないようにしましょう」
休憩時間のお茶の用意をしにいくニーマさんといっしょに僕らも図書室を出た。
ぽかぽかの廊下を歩いていると、クリームコウモリさんがものすごいスピードで飛んできた。
「ニーマ殿、ニーマ殿」
「どうかしましたか?」
マクマーリーさんに連絡をしたら、ニーマさんと話がしたいと言っているらしい。
ばあやさんたちがみんな留守なので、簡単な相談はニーマさんが受け持つことになっているからだ。
急いで事務室に行って電話鏡の前に立ったら、ものすごく真剣な顔でブラシを持ち、シャッシャッと羽を整えているマクマーリーさんが映っていた。
「マクマーリーさん、ニーマです。お仕事中に突然お願いしてしまってすみません。お時間取っていただくの、難しいですか?」
ニーマさんが話しかけたら慌ててブラシをポケットにしまった。
『いやいや、そうではないのです。本日はこのような服しか用意しておりませんで、一度家に帰らせていただければと』
今日の司書さんはグレーのベストと渋いワインカラーのタイ、よく見るとシマシマがある黒っぽいズボンと黒い革靴。
すごくちゃんとしていると思うんだけど、本人は気に入らないらしい。
ニーマさんはちょっと考えてから「そのままでお願いします」と答えた。
「お忍びだからということで、あちらも普段のお洋服でしたし、きちんとしすぎるとかえって気を遣わせてしまうのではないかと思いますので」
グランさんの今日の服はすごく大賢者様っぽいガウン姿。だけど、その下はいつもの服。
エンデールさんはいつもとまったく同じ上着とズボン。
どっちもぜんぜん豪華ではない。
『そうですか。では、これにポケットチーフだけでよろしいですかな』
まだ気にしている司書さんにアルが口を挟んだ。
「俺なんてこのかっこだぞ」
いつものように腰に手を当てて胸を張るアルの隣で、僕も自分の服を見た。
「あ……僕もだ」
今日は二人とも王様が作ってくれた服で、僕のが襟付き、アルのがハイネック。
袖や襟の縁取りはアルが黒で僕が青だけど、ポケットの模様とかはお揃いで、下は二人ともハーフパンツ。
つまり、ぜんぜん普通の服だった。
「あら、お二人ともお可愛らしいですよ」
エンデの人たちは豪華な飾りのついた服はあまり好きではないと思うので、それくらいがちょうどいいですってニーマさんが言う。
「ル・ルーク殿下のお洋服もそうですけど、エンデではテーブルクロスや小物類まですべて草とか花とかで染め上げた布などで仕立てたものばかりですから」
そういうナチュラルな感じのものがいいんだろうっていうのがニーマさんの予想だ。
「きっとそうだね」
僕もそれには賛成した。
そういう布でつくった洋服だから、殿下を抱き上げるといつも花とか草の優しい匂いがするのだ。
特に日向ぼっこしたあとはずっと息を吸っていたくなるくらいいい匂いだ。
結局、マクマーリーさんはネクタイと同じ色のチーフだけポケットに追加してこちらにやって来た。
仕事先である大きな図書館は本当ならちょっと時間がかかる場所にあるんだけど、今日は特別に執事室まで直通の扉を使うことになったからあっという間だった。
「まさか私のような者が大賢者様にお会いできるとは。いやはや緊張いたしますな」
なんだか落ち着かない感じで「昼間用の眼鏡」を拭いて掛けなおしたり、羽根を整えたり、もうすっかりピカピカになっている靴をまた磨いたりしていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ」
アルが司書さんの肩をポンポンたたいた。
そうだよ、グランさんもエンデールさんもすごく優しいから、って思ったんだけど。
アルの「大丈夫」の意味は僕とは違ってた。
「顔も手も耳もふかふかだ。ぜったい緊張なんてしない」
確かにそうだけど。
「でも、偉いんだよ?」
「もちろんだ」
大賢者だからなってアルが言うんだけど。
「ほんとにそう思ってる?」
「ほんとに思ってるぞ」
そうは言っても殿下を「こぐま」って呼ぶのだ。
この言葉を全面的に信用するのはちょっと待っておこうと思った。
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